「っと、やっぱ外は明るい……」


 な、と続くはずだった言葉が止まる。理由は簡単だ。誰も居ないと思っていたところに人が居たから。いや、どちらかといえばこの状況では相手の方が驚いただろう。
 何せ、いきなり道路にあるマンホールから人が出てきたのだ。出てきた方も人が居るとは思っていなかったようだが、そこに遭遇した方がどうしてこんなところからといった心境である。思わず足を止めてしまったのも無理はない。


「えっと……こんにちは?」


 沈黙に耐え切れずに一先ず挨拶をしてみるが返事はなし。けれど視線はずっとこちらに向けられたままだ。じっと見つめられたまま、しかし何も言われないこの状況が気まずすぎる。
 とはいえ、他に何か話すこともなく。どうしようかと視線を彷徨わせていると、男は一瞬口を開きかけたものの結局何も言わずに去って行った。


「こんな道でもやっぱり人は通るもんだな」


 当たり前といえば当たり前だ。人通りが少ないとはいえ、ここだってちゃんとした道路なのだから誰かが歩いていたとしても何らおかしなことはない。それでも珍しいなとは思ったが、まず人に会うことなど考えていなかったから大丈夫だっただろうかと不安になる。
 しかし、その人が行ってしまった今となってはそれも過ぎ去ったこと。仮にあの人がまたこの道を通ったとしても自分と会う可能性なんて殆どない。向こうだってあれは何だったんだと思っても次はないだろうと考えているに違いない。気にしたってしょうがないことだ。


(さっきの人、見たことのない綺麗な色をしてたな……)


 それは自分――高尾があまり人と関わらないせいではないだろう。この国の人間は大抵黒髪だ。けれど、さっきの人は自然の中で見るような深い緑の髪をしていた。
 それだけではない。もっと目を引いたのは翡翠色の瞳。透き通ったその色に目を奪われた。

 ほんの少し、少しだけだけど、自分の知らない綺麗な色を持ったその人にもう一度会えたら。
 ……なんて思ったが所詮は無理な話。会ったところで何を離せば良いのかも分からない。でもあの色をまた見たいなと心の中で思う。

 まさか、それが近い未来に実現するとはこれっぽっちも思っていなかったけれども。


「あ。あーその……また会いましたね」


 道端で擦れ違っただけの人ともう一度会える確率とは一体どれほどのものだろうか。この世界の人口から考えて式を立て、答えを導かずともはっきりと分かる。かなり低い確率、滅多に有り得ることではない。だからこそ人との出会いは大切にしろというような言葉があるくらいだ。
 相手だって二度も同じ人と、しかもこんな形で出会うとは思わなかっただろう。場所も時間も前回とは違うのだ。場所は前回とさほど離れていないけれど、それでもこうして再会をしたのは凄い偶然である。


「………………」


 だが二人の間に生まれるのは前回と同じく沈黙のみ。とはいえ、買い物帰りらしき男とマンホールから出てきた男でどう世間話をするというのか。これがどちらも散歩をしていて何度か会うから話し掛けてみたというような関係だったならまだ話すこともあっただろう。こんな関係で何を話せば良いのか。
 けど、このままでは前の時と何も変わらない。もう会うことはないだろうと思っていたその人と偶然にもこうして再会が出来たのだ。たかが二回会っただけのほぼ他人と話すことなんてないかもしれないけれど、この機会を逃して次があるのかは分からない。となれば、やることは一つ。


「……あの! お兄さんはこの辺に住んでるんですか?」


 無難な話題と思って出てきたのがこれだったのだが、どうして会って二回の奴にそんなことを話さなければならないのかとは思われたかもしれない。けれど、それはどんな話題を出したとしても大して変わらないだろう。とにかく何か話をしてみたいと思う一心で出てきたのがこれだっただけだ。たとえ無視をされたとしても、何もしないよりは話しかけてみた方が可能性はある。
 しかし、目の前の男からすればこちらは怪しい人に見えるかもしれない。マンホールから出てくるということが普通でないことくらい高尾自身も分かっている。相変わらずただこちらを見ているだけの男に、やっぱり無理だったかなと思った時だった。


「ここを通った方が家まで近いだけなのだよ」


 高尾よりも幾分か低い声。それが目の前の男のものだと理解するまでそう時間は掛からなかった。だが、それ以上に気になったのが。


「ぶはっ! その語尾なんだよ!? お兄さん、もしかしてちょっと変わってる?」

「五月蝿い! そういうお前こそ、こんなところで何をしているのだよ」


 耐え切れずに吹き出したら当然だが怒られた。会って二回目、しかもこっちが質問して答えただけなのにこの反応では怒られない方がおかしい。でも耐え切れなかったのだから仕方ない、なんていう言い訳は通じるのだろうか。
 それはさておき、質問に答えてもらったのだからこちらも質問には答えるべきだろう。こんなところ、要するにどうしてマンホールからこの間も今回も出て来たのかという意味の問いに。


「オレは仕事。つーか、それ以外にこんなトコ入る理由ないっしょ」


 素人が勝手に入れる場所でもない。加えて好き好んで入りたいと思うような場所でもない。仕事でもなければ誰もマンホールの中に入ったりしないだろう。
 高尾も仕事だからこの中に居た。それ以上の理由もそれ以下の理由もない。


「……この前も、今日もか」

「この前も今日もだよ。やることは色々ありますから」


 色々と言うほどないような気もしたが細かいことは良いだろう。詳しく説明したところでそうなんだくらいにしか思わないようなことだ。毎度マンホールから出てくるところで遭遇するから気になっただけで、詳細までは求められていないだろうから省いておく。
 よっ、と小さく声を出してマンホールの外へ出る。つなぎは全体的に汚れているが、中で作業をしていたのだから綺麗な方が不自然だ。


「お兄さんは買い物? ここを通るのが近いってことはこの辺に住んでるんですよね?」


 これくらいなら世間話の範囲だろう。あまり踏み込んだことを聞くつもりもないし、それくらいの常識は持ち合わせている。何でも良いからこのまま話をしていたくて尋ねれば、男は少しの間をおいてから肯定を返した。


「お前は仕事に戻らなくて良いのか?」

「今は休憩。この辺りはオレ一人でやってるんで割と自由なんすよ」


 二、三人でやっているところもあるけれどこの辺りは高尾が一人で担当をしている。人手不足というよりは人通りも少なくやることも難しいことではないからといったところだ。まぁ人手不足であることも否定はしないけれど、とは心の内だけで補足しておく。
 一人だけで作業をするのは危なくないのかと思うかもしれないが、ちゃんと守ることは守っておけば問題ない。素人ではないのだからそれくらいは当たり前だ。


「あ、もしかしてお兄さん用事とかありました?」

「いや、それは大丈夫だ」

「なら良かったです」


 自分が話したいからで相手の都合も考えずに話を続けるのは迷惑だ。そう気付いて聞いてみたけれど、特にこの後の用事はなかったみたいで安心する。それでいて話に付き合ってくれるということは、お兄さんの方も少なからずこちらに興味があったということなのだろうか。
 なんて、それは流石に都合が良すぎる考え方だ。でも、無視をせずに話をしてくれたということは紛れもない事実だ。それだけでも嬉しいなんて思った自分に「あれ?」と内心で疑問が生まれたものの、特に気に留めずに話を続けた。


「なんかお兄さんと話してると楽しいです。お兄さんみたいな人、初めてですよ」

「オレもお前のような奴とは初めて出会ったのだよ」


 それはどういった意味合いなのだろうか。高尾の方は言うまでもないかもしれないが、自分の知らない色を持っているという意味に加えておもしろい人というのが新しく入っている。
 おかしな語尾もそうだが、ビニール袋を持っている手とは反対の手にぬいぐるみが抱えられているという点もだ。そのぬいぐるみは何なのだろうと実は今日会った時から気になっている。この前はビニール袋のみだった筈だ。

 あまりにも気になって結局その点について触れてみれば、ラッキーアイテムだとしれっと答えられた。やっぱりこの人は面白いとそこで改めて思う。
 でも、それならこの前は何だったのかと疑問を投げ掛ければ、あの時はマフラーがラッキーアイテムだったそうだ。確かにあの時はマフラーをしていたが、それにそういう意味があったとは予想外だ。


「あ、オレ高尾和成っていいます。お兄さんは?」


 そういえばまだ名前も名乗っていなかった。そのことに気が付いて今更ながらも名前だけの簡単な自己紹介をする。高尾が自己紹介をするのを聞いた男もすぐに名前を教えてくれた。


「緑間真太郎だ」

「緑間さん、ですね。また会えると良いですね」


 というよりはまた会いたいと言いたかったけれど、それは流石にやめておいた。どっちにしても同意が得られるかは分からなかったが、高尾が言いたかっただけのことだからそもそも返事は期待していない。
 緑間が何かを言うよりも先に「それじゃあ、オレはそろそろ仕事に戻りますね」とだけ言って高尾は再びマンホールの中へと潜った。

 男がマンホールへと戻っていくと、人通りの少ないこの道は再び静けさを取り戻していた。きっと今頃は仕事を再開させている頃だろう。
 男が潜って行ったマンホールを暫し見つめ、緑間はぽつりと零す。


「また会えると良い、か」


 自分で言っておきながら返事も聞かずに仕事に戻る。仕事があるなら仕方がないといえばそうなのかもしれないが、嵐のようだったと緑間は思う。今まで会ったことのない、珍しいタイプの奴だとも思った。


「変わった奴だな」


 独り言を呟いて小さく笑うと緑間は止まっていた足を進める。ここから家まではそうかからない。予定より帰るのが少しばかり遅くなったが、家に着いたら一先ず課題に取り掛かるとしよう。
 変わり者だと言われる自分に話し掛けてきたのは奴もまた変わり者だろう。僅かな時間しか共にしていないというのに随分と賑やかだったように思う。けれど、不思議とそれを嫌だとは感じなかった。騒がしい奴は苦手なはずなのに。


(次に会ったら、その時は)


 もっと色んな話をしてみたい。彼のことを知りたい。
 そんな風に思ったのは果たしてどちらだったのか。偶然が二度続いたから三度目もあるだろうなんて考えは甘いかもしれないが、二度続いたなら三度目があってもおかしくはない。
 もしここで自分達が出会えたことが運命だったのだとすれば、偶然に偶然が重なる三度目の奇跡だってきっとあるだろう。








(あ、緑間さん。こんにちは)
(今日もそこで仕事をしているのか、高尾)
(これがオレの仕事だから当然でしょ。それより――――)

三度目の奇跡。
偶然か運命か、それとも必然か。

けれど、今はそんなことよりもただ貴方のことが知りたい。




きれはし様のイラストの設定をお借りしてお誕生日祝いに差し上げたものです。
マンホールから出てくる高尾ということで結構自由に書かせて頂きました。
これから少しずつ交流を深めて仲良くなっていくんでしょうね。