「明日で世界が滅びますって言われたら何する?」
また唐突な、と思いながら緑間は顔を上げる。
問うた本人はと言えば先程まで読んでいただろう雑誌を横に置いてこちらを見つめている。どうせいつもの思いつきなのだろうとは思いつつ、はぁと溜め息を吐きながら緑間もパタンと本を閉じて色素の薄いその瞳を見た。
「そういうお前はどうするんだ」
「オレが聞いたんだから真ちゃんが先に答えてよ」
その後でちゃんと答えるからと緑間に先を促す。一体今回はどこからそんな質問が出てきたのだろうか。なんてことは考えるだけ無駄なのだろう。ほぼ間違いなくただなんとなくという答えが返ってくるのだから。 もし世界が明日で終わってしまうとして、残された最後の一日をどう過ごすか。
一日。明日のいつ滅びるかも分からないがそれが日付変更線を越えた瞬間だとしたら今からでは二十四時間さえない。そういう話ではないのだろうが、どのみち明日で最後なら二十四時間でも十二時間でも出来ることに大差はなさそうだ。
「……ストバス場に行く。お前はオレにパスを寄越せ」
どうせ特別なことは出来ないのだ。今日はたまたまオフであったが、いつもなら体育館で練習をしている時間だ。これから出掛けるにしても最後だからと行きたい場所もない。どうしてもやっておきたいことも急に言われて思いつくようなことはない。
色々考えて何もしないよりはいつも通りに過ごすのが一番だ。最後の思い出作りに特別なことをという考え方もあるかもしれないが、当たり前にある日常をいつもと変わらずに過ごすというのも一つだと考えたのだ。その日常が大切だと思っているからこそかもしれないけれど。
「最後だぜ? もっと他にやりたいことってねーの?」
「最後だからだろう。オレはお前からのパスが欲しい」
「そりゃエース様がお望みならオレはいくらでもパスを出すぜ」
意外なようで納得の答えでもある。最後の日だろうとバスケをすると答えるくらいにはやっぱりバスケのこと好きなんだよなと思いながら、そこに確かに自分が存在しているということが嬉しい。
きっと緑間のバスケには高尾や先輩達がいることが当たり前になっているのだろう。彼はキセキの世代のシューターではなく、秀徳バスケ部のエースなのだから。そのエースがパスを欲しいと言うのなら何本だってパスを出す。高尾は緑間と同じ秀徳バスケ部の司令塔でありエースの相棒なのだから。
「それで、お前は何をするのだよ」
答えたのだからお前も言えと答えを求められる。世界最後の日に何をして過ごすのか。緑間の答えはいつものようにバスケをすること。では、高尾の答えはというと。
「オレは真ちゃんと一緒ならそれで良いかな」
何か特別やりたいことがあるわけではないし、最後だけ変わったことをしたってしょうがない。それならいつも通りに、緑間と一緒に過ごせれば良いというのが高尾の答えだった。
いつも通り。バスケ部に所属して朝から晩までバスケをしている彼等にとって、バスケは生活の中心にあるくらいに身近なものだ。そして、そのバスケでは相棒という関係にありクラスメイトでもある二人は日常生活で家族や友達の誰よりもお互いと一緒にいるのも事実だ。
言葉は違えど言っていることは同じなのだ。要するにいつも通りに最後の一日を過ごす。そういうことである。だが、なんとも言い難い答えを出されては溜め息の一つくらい吐きたくなるというもの。
「馬鹿じゃないのか」
「ひっでぇな! 最後まで彼氏と過ごしたいっていうのは恋人として当然っしょ」
当然とまで言い切られても困るが否定はしない。もしもこれで世界が終わってしまうのなら、せめて大切な人と共にその時を迎えたいという考えに同意してくれる人は少なからずいるだろう。
緑間とてそれが分からないわけではない。けれど、それを堂々と最後にやりたいこととして挙げる恋人はどうなのか。嬉しくないとは言わないがもう少し別の言い方とかはなかったのか。部屋に二人きりだからこその発言なのかもしれないが。真ちゃんは違うの、と聞かれたらそういうわけではないと答るけれど。
「もっと違う答えはなかったのか」
「これも立派な答えだろ?」
でもまぁ、やっぱり最後にお前のシュートは見ておきたいかな。
そんな風に答える高尾もバスケが好きである。特別なことなんかしなくていい。ただパスを出して、シュートを放って。そんな当たり前のことが好きで、同じチームとして一緒に戦える今が大切なだけだ。
何でもない日常を過ごしながら自分達にとっての大切なことをする。それが何より一番ではないだろうか。
「結局お前は何が言いたかったのだよ」
お互いに質問の答えを言い終えたところで振り出しに戻る。なんとなくの思いつきだとしても、わざわざ尋ねたからには何かしらの理由があるだろう。今回は何を考えてこんな質問に辿り着いたのか。
そう聞かれるのも高尾の想定内だ。こんなやり取りをするのは今回が初めてではない。よくあるというほどでもないが、時々こうして唐突に変わった質問を投げ掛ける。深い意味はないもののそう思うに至る経緯は当然あるのだ。それを分かった上で尋ねられていると分かっているからこそ、高尾もちゃんと答える。
「んー……なんつーの? 今はこうして当たり前のように一緒に過ごしてるけどさ、それが明日も明後日も必ず続いていくって保証はないワケじゃん?」
縁起でもないことを言うなと言いたいところではあるが、この世に絶対なんてものはない。当たり前の日常がいつ壊れてもおかしくない世界なのだ。人はそれに気付かず当たり前に過ごし、それが壊れてから初めて当たり前でなかったのだと知る。そういうものなのだ。
「だからこうやって過ごしてる時間もかけがえのないものなんだなっていうかさ」
「その日常を大切にしたい、ということか」
高尾の言葉から意味を読み取った緑間が続けた。頷いた高尾に本日三度目の溜め息を吐きながら、緑間は自分より小さなその体を自分の方に引き寄せる。
「夢でも見たか。それともテレビ番組の影響か」
どうせその辺りだろうと考えたのだが、答えはどうやら前者らしい。今あるこの日常が明日にでも崩壊するなんて有り得ないとは思うが、それでも何が起こるか分からないのが現実というものだ。
こんな質問をしたのもそういった有り得ないことが夢の中で起こったからなのだろう。それを遠まわしに明日世界が滅ぶとしたら、などという問いにしたのだ。
「オレはこの日常が大切だ。勿論お前もだ。くだらん心配はするな」
「くだらないっていうけどオレにとっては大きなことだぜ?」
「それはオレも同じだが、そんなことばかり気にしたって仕方がないだろう」
もしばかり考えてもキリがない。余計な心配などしないで大切だと思うこの時間を満喫すればすれば良いのだ。少なくとも、この恋人から自ら離れていく理由はない。それはどちらも同じなのだ。
この日常がいつまでも続くものではないと分かっている。彼等の高校生活は三年で終わりを迎えるのだから。けれど、お互いに相手が大切であり思い合っていることは変わらない。今この時を過ごすのにそれ以上の理由はいらないのではないだろうか。
「一番大切なのはお前だ。わざわざ確認しなければ分からないのか?」
そう尋ねた緑間は先程の質問で本当に知りたかったことも理解している。つまり、仮に明日で世界が終わってしまうとしてやりたいこと。最後のその瞬間にやりたいと思うような大切なものを聞きたかったのだろう。これまでの話からそう読み取って高尾に問う。
一方の高尾はと言えば、緑間の言葉に目を大きく開いたもののすぐに笑みを浮かべて「流石真ちゃん」なんて言っている。隠したつもりはないけれど言葉にしなかったものまできちんと見抜いている恋人には驚かされる。
「じゃあさ、明日で世界が滅ぶとして一日過ごしてみない?」
それは結局いつも通りに過ごすことになるわけだが、高尾の言おうとしている意味くらいは分かる。いつも通り、とはいえど今日で本当に最後なら全てが同じではないだろう。ちょっとした違いではあるがそれで良いのだ。最終的に高尾が言いたいことは緑間に通じているのだから。
「最後、か。素直に言えば良いだろう」
「お前にだけは言われたくねーよ」
素直に甘えたいのだと。今日の恋人はそういう気分らしい。
さて、それでは今日この瞬間から日付が変わるその時まで。どんな風に恋人らしいひと時を過ごそうか。
もしも明日、世界が滅ぶなら
貴方の残りの時間を私にくれますか?
(お前がオレから離れないというのならそれを直接教えて欲しい)
(お前がいなくなるなんて、たとえ夢でもあり得ないって思えるように)