ひゅう、と一陣の風が通り過ぎる。見上げたそこに広がるのは無数の星。それをぼんやりと眺めていると、後ろから僅かに物音が聞こえてきた。
「眠れないのか」
物音の主はそう声を掛けながら目の前の男を見る。月明かりのお蔭で漆黒の髪が闇に紛れることなく、こちらに姿を映してくれる。月が出ていて良かったなんて思うのは、この男がその闇に消えてしまいそうな雰囲気を出していたからだろう。
「ちょっと目が覚めちゃって。起こした?」
「いや、オレも目が覚めただけだ」
そうしたらお前の姿が見えなくて探しに来た。
そう言った当主を高尾は漸く振り返った。色素の薄い瞳は確かに緑間を映し、それから「オレは居なくならねーよ」とだけ答えてまた空を見上げた。
まだ部屋に戻る様子のない高尾の隣に緑間も移動し、腰を下ろすと同じように視線を空に投げる。幾つもの星が輝きを放っている空。ここで彼は何を考えていたのか。
「お前が居なくなるとは思っていないのだよ」
「でも心配したんだろ?」
「それはお前が急にいなくなるからだ」
誰だって心配するだろう、という問いには高尾も「そうだな」と頷いた。これが逆の立場だったとすれば、高尾は間違いなく緑間を探しに行った。それでなかなか見つからなかったら冷静で居られないんじゃないかとも思う。緑間が何も言わずに居なくなったりする訳がないと思っても。きっと緑間も同じだったのだろう。
「ごめん」
「別に構わん。お前はここに居るのだからな」
すぐに見つかって安心はしたけれど、ちゃんとここに居ると分かったのだから良いのだ。なかなか寝付けない夜だってたまにはあるだろう。風に当たりたくなる気持ちも分かる。
そんな風に言ってくれる緑間に高尾は小さく頷いて、そっと頭を傾けて寄りかかる。緑間は何も言わず、そのまま高尾の好きにさせた。
「真ちゃん」
「何だ」
呼べばすぐに返ってくる。優しい声色がすんなりと入ってくる。やっぱり温かいなと安堵しながら、高尾はゆっくりと口を開く。彼は、思ったことがあるなら話せと言ってくれるから。溜め込まないでちゃんと吐き出せと、そう言ってくれるから。
「オレ、真ちゃんと一緒にいる時が凄く幸せなんだ」
「それはオレも同じだ」
「これからもずっと、一緒に居たい。傍に居させて欲しい」
「当たり前だろう。オレがお前を手放す訳がないのだよ」
「うん、それで」
それで、今はただ隣でこうしていたい。頭では分かっているけれど、どうしても不安になってしまうから。昔の夢を見たんだ、と高尾は言った。
高尾の言う昔がいつを指しているのかは緑間にも分からない。今でこそ同じように時間を刻んでいるけれど、その前は人間と比べられないほどの長い時間の流れを生きてきた。おそらくは、その長い時間の時のことを言っているのだろう。
「好きなだけそうしていろ。それでお前が安心出来るなら」
いつだって肩くらい貸す。抱き締めて欲しいと言われたなら抱き締めてやる。
自分に出来ることなら何でもしてやりたいと思うのだ。彼が不安に駆られてしまうのは、神として長い時間を生きてきた代償。こればかりは時間が解決するのを待つしかない。でも、その手助けくらいならしてやれるから。
「ありがとう、真ちゃん」
ぎゅっと袖を握りながら温かさを感じる。緑間のその優しさにいつも助けられている。こうしているだけで、さっきまであったはずの不安が徐々に消えていく。本当、緑間は凄いなと高尾は心の内で思うのだ。
「不安になったらいつでも言え。起こしても良い。お前が一人で辛い思いをしている方が嫌なのだよ」
「うん、ありがと」
どれくらいの時間が流れただろう。高尾がそうしている間、緑間は静かに星を見ていた。空いている手で自分より小柄なその体を抱き寄せながら。
暫くして体を離した高尾はもう一度感謝の言葉を告げて「もう大丈夫だから」とふわりと笑った。その笑顔に、緑間は「和成」と名前を呼んでお互いの距離を零まで縮めた。そのまま深く、深く口付けを交わす。
「ここに居てくれて、ありがとう」
告げられた予想外の言葉にきょとんとしながら、けれどすぐに笑みを浮かべて答える。だって、それはこっちの台詞だ。ここに居られるのも全部、目の前の彼のお蔭。
「オレの方こそ。大好きだよ」
今度のは触れるだけの短いキス。ほんのりと頬を赤く染めた元神様は、そろそろ寝ようと緑間の手を引いて立ち上がる。それからも先を歩くのは恥ずかしくなったからなのか。寝室に戻ると今度はぎゅうっと抱き着いた。
そこにきて漸くこの元神である恋人の行動に納得する。思わず笑みが浮かんでしまったのは仕方がないだろう。
「おやすみ、和成」
次に目を覚ました時はいつものような笑顔が見られるように。もう悪い夢など見ないように。
ぽんぽんと頭を撫でながら緑間も高尾を抱き返してやる。すぐ傍で感じる体温に心の中で感謝して、高尾もまた「おやすみ」と答えるのだった。
fin