慣れない行為
「兄ちゃん、ここってさ…………」
今日は兄の部屋で勉強中。兄の部屋を訪ねるのは遊びに来る時だけではないのだ。大半が用事などないのだが、それはそれとしておこう。とはいえ、兄と一緒にいたいからこそ訪ねているのだから何も理由がないというわけではない。幼い頃のように兄に構って欲しいから、ではなくなったけれども。兄と一緒にいたいから、というのは今でも変わらずだ。
一通り勉強を終えたところで頭を撫でるのもいつもの癖。これだけを見ていれば、仲の良い微笑ましい兄弟である。
「あ、そういえば今日。母さん達は遅くなるんだよな。兄ちゃん、何か食べたいものある?」
「お前が作る物なら何でも構わない」
親が遅い時は何かを買ってくるか自分達で料理を作るかのどちらかだ。昔は親が事前に作り置きしてくれていたが、この年にもなればそれもなくなる。大概は料理をして食べるけれど、遅くなってしまった時なんかは買いに出かけるか外食をするかだ。
ちなみに、料理をしているのはいつだって弟の和成である。兄に包丁を持たせたらどうなるか分かったものではない。真太郎は何でも出来るけれど、料理ばかりは苦手なのだ。人間誰でも不得意なものはあるということである。
何でも良いと言われた為、和成は冷蔵庫を確認してある物で適当に料理を作ることにする。和成が料理をしている間、特にやることのない真太郎は弟が料理をしている姿を眺めている。手伝おうとしないのは、その方が良いと分かっているからだ。
(見ていて飽きないな)
テキパキと料理をしていく弟を見ながらそんなことを思う。キッチンをくるくると動き回りながら、エプロンがヒラヒラと揺れている。エプロン姿というのも昔から見慣れているので、特別目新しいということはない。兄弟なのだから色々な格好を見たことがある。それは逆もまたしかりで、和成の方も兄の様々な格好を目にしている。
今更見られてどうこう思うことも少ない。完全にないとは言い切れないが。しかし、学園祭で普通に女装をしているのを見た時には、いくら出し物といえど恥ずかしいと思ったりはしないのかと考えてしまった。あれだけノリ気で楽しそうに女装をする男子生徒なんて滅多にいないだろう。兄ちゃんオレ可愛いでしょ、なんて笑った弟は確かに可愛かったけれどとは当時の真太郎の心境だ。
(家事が出来て勉強や運動も問題なし。性格にも欠点なんてないな)
正にいい嫁にでもなりそうだ。いや、和成は男なのだから旦那が正しいのだろうか。どちらにしても、弟が選ぶのは兄だけなのだからどちらでも良いだろう。真太郎には料理という苦手なものがあるのに対し、和成には特に苦手なものはない。全くないとはいわないが、それを知るのは兄くらいなものだ。そんな何でもこなせる弟が異性にモテるのは納得である。
それについてはあまり良い気はしないけれど、一番は昔から変わっていないと知っているから許容できる。常に兄を好きだと言う弟は、バレンタインにいくらチョコを貰っても一番は兄だからとあえて言葉にしてくれるのだ。断るのも悪いからと受け取る弟が、いつからか断るようになった理由は本人のみが知るところだ。その頃には同じく女性にモテる兄も断るようになっていたのだが、こちらも本人のみが知るところ。理由を話したことはないが、同じ行動を取っているが故に互いになんとなく理由を理解してはいるけれども。
「もうすぐ夕飯出来るぜ」
キッチンから聞こえてきた声に頷くと、席を立って食器を用意する。料理は出来ずとも、これくらいの手伝いなら何かをやらかす心配もない。そんな兄も、昔と比べれば料理は出来るようになってはいる。和成の方が上手いから自然と弟の担当になっているものの、その弟の為に努力をした結果である。それは以前和成が風邪を引いた時のことの話だが、今は関係ないのでおいておくとしよう。
料理を全てテーブルに並べ終えると席に着いて夕飯を食べる。食事をしながら弟はいつものように学校での話をはじめとした色んな話題を口にする。食卓に話題が絶えないのは大体弟のお蔭だ。家族が揃っている時も、話題の中心にいるのは和成である。
「そういえばさ、今度レポート書かなくちゃいけないんだよね。兄ちゃんってこういうの得意だよな」
「得意というほどでもないが、お前も苦手ではないだろう」
「苦手とはいわないけど、あまりな…………」
レポートを好きという人はそう多くないだろう。苦手とはいわずともあまりやりたくはない。兄はいつもすんなりとレポートを作成していたことを思い出してそう言ったのだが、真太郎も得意ではないらしい。レポート作成で詰まったことはないけれど、それは和成にしても同じことだ。
こう言いながらも作業を始めれば、しっかりと完成させるのだろう。毎回完成すると兄に確認して貰っているが、間違いがあったことは一度もないのだ。
「心配なら見てやるから持ってこい」
「いつもありがとな、兄ちゃん」
指摘する箇所も殆どないのだから見せなくても大丈夫なのだが、和成は兄に一度確認して貰いたいらしい。前にそう言った時に、それでも不安だから見て欲しいと言われたのだ。特別大変なことでもないので、それで安心出来るならとレポートを見ている。こうした方が良いと指摘することはあるけれど、基本的には問題ないのである。
そんな話をしながら、唐突に「カズ」と名前を呼ぶ。何と答えようとする前に立ち上がった兄は、そのまま和成に左手を伸ばし。
「ついている」
たったそれだけを言うとペロッと口元についたケチャップを舐めた。そして、そのまま平然と兄は食事に戻る。この一連の流れを和成はポカンとしながら見ていた。
食べないのか、と通常運転で尋ねてきた兄の声で我に返ると思わず視線を横にずらした。
「……兄ちゃん、行動が唐突すぎ」
「お前にだけは言われたくないのだよ」
毎度唐突な行動で驚かされるのは真太郎の方だ。この行動だってこれが初めてというわけではない。とはいえ、よくこんなことをしてくるのは和成であって真太郎ではない。こちらはもう慣れていて今更驚いたりすることはないのだが、逆なんて今までなかったのだ。せいぜい教えるだけか普通に拭うくらいである。
真太郎が和成には言われたくないというのも正しいが、和成が真太郎の行動を唐突だというのもしょうがない。どちらの言い分も間違ってはいないのだ。
「大体、お前はよくやるだろう」
「それはそうだけど…………」
それとこれとは別問題だ。そう言いたげな弟のことなど気にせずに、兄は普通に食事を続けている。普段は自分がやっている行動なだけに文句を言うことも出来ない。いや、別に文句を言うつもりはないのだが。あまりにも唐突過ぎて驚いただけだ。まさか兄がそんなことをしてくるとは思わなかったから。
「分かったらさっさと食べるのだよ」
言えば止まっていた手を漸く動かした。珍しい弟の反応に口元を持ち上げて、「和成は可愛いな」と声にしてやればまた動きが止まる。普段は言葉にしないことを形にしただけでこの反応である。見ていて楽しいと思うのは兄だけであって、弟からしてみれば心臓に悪いとしか言えない。薄らと赤くなっていた頬が、今は見て分かるほどに真っ赤に染まっている。
こういう反応が見られるのなら、たまには言葉にしてみるのも悪くはないかもしれない。和成が聞いていたなら止めてくれとでも言われそうなことは心の中だけに留めた。
「兄ちゃん!」
「どうした?」
「これじゃあ食べろって言われても無理なんだけど……!」
「気にせず食べれば良いのだよ」
それが無理だからこういう状態になっているのだ。そう言った兄は明らかに楽しんでいて、どうすれば良いのかと思案するものの、あまりない兄の行動に対して答えなど出なかった。しかし、このまま夕飯を食べないわけにもいかない。
赤らめた顔で見つめてくる弟に、真太郎はふっと笑って頭に手を乗せる。
「心配しなくとも何もしないから安心しろ」
「…………別にそういうことじゃないけど、いきなりで驚いたっていうか」
「そうか」
悪いことをしてしまって謝るかのように話す弟に優しく話す。恋人同士とはいえ、あまりに唐突な行動は多少なり驚いてしまうのは無理もない。ただの兄弟関係から恋人関係にもなった二人だが、恋人になってからの時間はまだそんなに経っていないのだ。恥ずかしがるということは、それだけ意識しているということなのだろう。それを悪く言うつもりなど全くないのだから。
そんな兄の言いたいことは弟にも伝わったようで、漸く二つの瞳が交わった。すると、今度は和成の方が立ち上がって兄との距離を詰める。あっという間に距離はゼロになり、離れていった弟の頬はやっぱり朱色に染まっていた。
「これでお相子だからな!」
そう言って食事の手を進める弟の行動に一瞬驚いたが、すぐに笑みを浮かべて「あぁ」と答えて真太郎も食べるのを再開する。これはただ単にこちらを喜ばせただけではないのか、とも思ったが本人が良いなら良いだろう。
何がお相子なのかは弟にだって分かっていないだろうが、行動に対する言い訳なのだろうから構わない。兄の優しげな態度になんとなく悪いことをしてしまった気がしてしまったから、そういうことではないのだと行動にも表したというだけのことなのだ。
「和成」
「何、兄ちゃん」
夕飯を食べ終わって片付けを始めようとすると、後ろから呼ばれて振り返る。そして自然と唇が触れ合い、暫くして離れるとその表情は柔らかく、いつものように微笑みを浮かべていた。
「片付けならオレも手伝うのだよ」
「うん、ありがと」
いきなりだと驚いてしまうけれど、名前を呼ぶ時に意味していることは大分前から知っている。だから驚くこともない。
まだいきなりには慣れないが、それはそれで嫌なわけではない。ただ驚いてしまうだけ。いずれはそんなこともなくなり、兄が名前を呼ぶ時と同じような反応を見せるようになるのだろう。ただ、それにはもう暫く時間が掛かりそうだ。
そんな反応も可愛いから良いけれど、とは兄の談。
嬉しいけれどいきなりだと心の準備が出来ていないんだよ、とは弟の談。
相思相愛ということに何ら変わりはないのだ。ちょっとした行為でさえ幸せを感じられるのだから、この兄弟を相手に選んだことは決して間違いなどではないのだろう。
恋人関係としての二人の道はまだ始まったばかり。
これから二人で新しい物語を作っていくのだ。
fin