「兄ちゃん、遊びにいこーよ」


 日曜日の昼下がり。昼食を終えたところで、和成は兄に遊ぼうとせがむ。さっきから服の裾を引っ張りながら「ねぇねぇ」と頼んでいる。
 一方で、兄の真太郎はといえば図書館で借りてきたという本を読んでいた。だから弟の相手などするよりも本を読みたいと言うのが本音だ。しかし、朝からずっとこの調子が続けば親の方が注意をしてくる。


「真太郎、少しは和成と遊んであげなさい」


 予想通り過ぎる親の言葉に真太郎は溜め息を吐く。どうして自分が面倒を見なければいけないのだと思うのだが、そんなことを親に言っても無駄だということは知っている。真太郎はお兄ちゃんなんだから、と返されるに決まっているのだ。兄だからといって弟と遊んでやる義務はない筈だ。しかし、親はいつだってそんな言葉で片付ける。
 諦めてパタンと本を閉じると、和成の表情が一気に明るくなる。見ていて分かり易い反応である。


「何をして遊びたいんだ」

「うーんと、公園に行きたい!」


 その一言で行き先は決定だ。「行くか」と手を指し延ばしてやれば、「うん!」と満面の笑みで手を握り返してくれる。二人で一緒に家を出て行く様子に、後ろで母親が「いってらっしゃい」と見送った。
 近所の公園には彼等と同じような年頃の子どもが沢山遊んでいる。その中で空いている遊具まで連れて行ってやれば、和成は好きに遊び始める。滑り台に上っては「兄ちゃんも早く」と元気な声が上から降ってくる。まだ一年生の弟は外で遊ぶことが楽しくて仕方がないらしい。
 その後もブランコに走ってはどこまで高く漕げるか。鉄棒の所に行けば後ろ周りが出来るようになったんだとそれは嬉しそうに報告してくれる。真太郎には当たり前に出来ることでも、和成にとっては初めて出来るようになったことなのだ。授業で何か一つを覚える度に「兄ちゃん、あのね」と和成は報告をしている。今度は何だと思いながらも、真太郎も和成の報告を楽しみにしている。自慢げに嬉しそうに教えてくれる弟が、何だかんだで可愛いのだ。


「兄ちゃん、これ何てゆーの?」


 公園中を動き回り、唐突に立ち止まった和成は後ろを振り返って尋ねた。どれのことを言っているのかとその指先を辿れば、そこには四方八方に蔓の伸びている植物があった。小さな花を咲かせているものもあれば、その花が枯れた代わりに種を実らせているものもある。先端は巻きひげ状になっているこの植物は、この季節では比較的にどこでも見られる野草の一つだ。


「カラスノエンドウか」

「エンドウってことは、この豆は食べられるの?」

「食べられないことはないが、ちゃんと料理をしないと無理だな」


 エンドウと付いているところからエンドウ豆を連想したのだろう。このカラスノエンドウはマメ科ソラマメ属でちゃんと食べられる。若葉や花を天ぷらにしたり、豆の部分も同じようにして食することが出来る。他にも幾つかの調理法はあるが、今この場で食べようとするのは不可能だ。
 真太郎はその内の豆が成長して立派なサヤを一つ手に取る。すぐに和成は兄の行動をじっと見詰める。端を斜めに切り取ると、そのままサヤの反っている方に引いて開かせると中の豆を綺麗に取る。そして出来上がった物をそのまま和成に手渡した。


「それが笛になる。吹いてみれば音が鳴る筈だ」


 きょとんとしたまま手元のサヤを見ていた和成に分かり易く説明をしてやる。頭に疑問は浮かべたままだが、和成は言われた通りにサヤを口に含めて吹いてみる。すると、力強い大きな音が鳴り響いた。


「すげー! 本当に笛になってる」

「作ってみるか?」


 感動して笛を何度も吹いている和成にそう尋ねてみれば、すぐに「やる!」と返事がきた。先程と同じように実の大きなサヤを選んで手に取ると、説明を加えながら同じ手順で笛を作っていく。見よう見真似で必死になって笛を作る弟に合わせて、ゆっくりと一つ一つ教えていく。
 そして、数分後にはカラスノエンドウの笛が完成した。試しに吹いてみればちゃんと音が鳴り、「兄ちゃん、出来たよ!」と嬉しそうに笑っている。初めてでこれだけ音が出る物を作れたのなら上出来だろう。ポンと頭を撫でてやるとほんのりと頬を赤く染める。


「兄ちゃんは何でも知ってるよな」

「そうでもないのだよ。オレにも知らないことは沢山ある」

「えー! ウソだ! だって、兄ちゃんに聞けば何でも分かるじゃん」


 別に嘘なんて吐いていないのだが、和成からしてみれば真太郎は何でも知っているお兄ちゃんなのだ。五つも年上なのだからその分多く知っているのは当たり前。でも、そんな風に言われるのは悪い気はしない。口元に小さく笑みを浮かべながら、弟が新しく笛を作り出しているのを見守る。もう一人で完璧に作れるようになったらしい。飲み込みの早い弟である。気が付けば笛ばかりが沢山作られている。


「そんなに作ってどうするんだ」

「だって、作るの面白いんだもん」


 気持ちは分からなくないが、いくらなんでも作りすぎだ。笛が作れるようになって嬉しくついやりすぎてしまったのだ。作ってしまった物は今更どうしようもない為、向こうのジャングルジムに行こうと提案してみる。そうすれば興味は一気にジャングルジムに変わったようで、カラスノエンドウはそのままにしてジャングルジムに向かう。
 遊具や草花を使った遊びをしながら過ごしていれば、あっという間に空はオレンジ色に変わっていた。遠くから夕焼け小焼けのメロディが流れ、そろそろ帰る時間であることを知らせている。


「カズ、帰るぞ」


 公園に立っている時計を確認して真太郎が声を掛けるが、和成はまだ帰りたくないようで遊具から離れようとしない。この年頃の子どもにはまだ遊び足りないのだろう。だからといってこのまま遊んでいれば親が心配するのは目に見えている。何とか説得しようと真太郎は弟の傍まで歩いて行く。


「お母さんが夕飯を作って待ってるから帰ろう」

「でも、兄ちゃんと遊べるのは今だけだもん」


 兄弟なのだから家に帰ってからでも二人は一緒に遊ぶことが出来る。だが、和成の言うことは一理あるのだ。家に戻れば真太郎はまた本の続きを読むだろう。それ以外にも宿題をやったり、色々と自分のやりたいことに時間を使う。六年生にもなれば一年生よりも勉強は難しくなるし、遊ぶと一概にいっても和成のいう遊びとは異なることもある。読書がその良い例だ。
 それが悪いというのではない。兄には兄のやりたいことがあるのは分かっている。それでも、兄と一緒に遊びたいと思ってしまうのが弟心なのだ。今此処に居る時間は、少なくとも真太郎と一緒に遊ぶことが出来る。だから帰りたくないと言っているのだ。


「家に帰っても遊んでやるから」

「そう言って遊んでくれなかった」

「今日は遊んでやるから帰るぞ」


 完全に拗ねてしまった弟をどうにかして連れて帰ろうとする。しかし、今回はなかなか手強そうだ。遊ぶ約束をしても聞き入れては貰えない。原因は以前も同じような約束をした時に、少しだけと本を読み出したのがいけなかった。読み始めてしまえば続きが気になってしまい、また今度と和成を言い包めたのである。ちゃんとその後では遊んでやったのだが、今回もそうならない可能性はないとは言い切れないと思っているのだろう。
 さて、どうしたものか。こうしている間にも時間は一秒ずつ確実に流れている。兄にも都合があると知っていても、時には甘えたくなる。今日はそんな日らしい。何か良い方法はないかと思考を巡らせながら、再び説得を試みる。


「カズ、今日は残りもずっと遊んでやる。もし守れなかったら、次の土日も一緒に遊んでやる」


 要は一緒に遊びたいということなのだ。たまには兄と過ごしたいという弟の気持ちを汲み取るのなら、こう言えば少しは反応があるのではないかと試してみた。
 その考えは当たりだったようで「ほんと?」とその発言に興味を示してくれた。それに頷けば、漸く遊具から離れてくれた。


「約束だよ。絶対だからね!」

「分かっているのだよ」


 そう言って、また来た時と同じように小さな手をぎゅっと握った。
 家に帰ったら一緒に遊ぶつもりではあるが、こんなに嬉しそうにするのなら次の休みは弟と遊ぶ時間にするのも良いかもしれない。

 やっぱり弟は可愛いのだ。










fin