高い高い放物線。誰の手に届くこともなく真っ直ぐにリングへと向かう。そしてそのまま僅かにリングへ触れることもなくシュッとネットを潜り落ちた。
誰もが認める天才。キセキの世代ナンバーワンシューターと呼ばれる緑間真太郎が決めるスリーポイントはコート内の選手の心を折るには十分すぎる威力だった。普通ならスリーポイントラインからでさえシュートが外れることもあるというのに、彼の場合はハーフコートまでならどこからでも打つことが出来る。しかも百発百中ときた。
他にも彼の所属する帝光バスケ部にはキセキの世代と呼ばれる天才達が集っていたが、オレはその中でも特別緑間真太郎という男を意識していた。
理由は単純。オレ達の中学と帝光が当たった時に戦ったキセキの世代がコイツだった。そこそこ強かったオレ達も帝光には全く相手にされない。というよりあの頃の帝光と張り合える学校なんてなかった。公式戦でも一軍が出てこないことだってある。それほどに帝光は強かった。
『あれ、お前今日もまた残るのかよ』
『オレ達はもう引退だってのによくやるよな』
中学バスケは帝光との試合で幕を下ろした。同時にオレ達三年の引退も決まった。けど、オレは引退してからもひたすら練習を続けた。キセキの世代を、緑間真太郎を倒す為に。
オレの学年はキセキの世代という天才が五人も集まった年でそれを運がないと嘆く者も少なくはなかった。アイツ等がいなければもっと上にいけたのに、と。
でも、オレはそんな奴等と同じ学年で良かったと思ってる。だってこんな機会は滅多にないだろ。だからもっと練習してソイツ等を倒したい。
『お前もう学校決めたんだっけ?』
『秀徳。オレは高校でもバスケ続けるから』
『秀徳って三大王者の……つーか、あそこって偏差値高くなかったか!?』
偏差値なんて勉強すればどうにでもなる。それに成績は良い方だったからオレにとってはそこまで高い壁ではなかった。だからこうして引退してからも勉強よりバスケに打ち込める。
これだから勉強できる奴は、と言いながらチームメイト達はほどほどにしろよと先に体育館を後にした。
どうしてそんなに必死になれるのか。
練習したところで凡人が天才に勝てる訳がない、と言う連中の言葉は事実なのかもしれない。でも、何もしなかったら勝てるはずもない。
とにかく練習をして、今はあのスコアを少しでも縮められるようにならなければ。そしていつか必ず倒す。それがオレの高校での目標だった。
だから、進学先でアイツを見付けた時は本当に驚いた。
(なんでお前がここにいるんだよ……!)
同じ学校ということはバスケをやるならチームメイトになるということ。この男を倒す為に練習をしてきたのにチームメイトでは倒すことなど出来ない。あの時のオレの気持ちを表すなら絶望の二文字で十分だろう。
けれど、考えてみればおかしなことでもない。オレもそうだが強いところでバスケをしようと思えばある程度学校は絞れる。帝光も都内の中学だ。同じく都内で強豪と呼ばれる学校に進学したと考えれば不思議ではない。
『よう! 緑間真太郎クン!』
今更学校は変えられない。オレは三年間、コイツと同じチームメイトとして過ごしていくんだ。すぐに切り替えることは出来ないだろうが、それでも切り替えるしかない。
倒せないのなら認めさせてやる。
敵として戦えないのなら仲間として、オレの実力をコイツに認めさせてやる。その為にもやっぱり練習して、コイツよりもっと強くなってやるんだって。そう思った。
「あれから二年、か」
キセキの世代、緑間真太郎を倒すと決めてから二年。一度の試合と雑誌でしか知らなかった男のことを高校に入学してから随分と知った。バスケは勿論だが勉強も出来て運動神経そのものも良い。いつも変なラッキーアイテムを持ち歩いており、なのだよという独特の語尾。
一日にワガママを三回も使うような自己中で、というのは少し違うけれど。本当は天才ではなく遅くまで残って練習するような秀才であることを知った。負ければ当然悔しいし、今度こそ勝とうとオレ達と同じように更に練習をして。不器用だけど優しいところもある。
「今ではもうすっかり相棒だな」
入部当初は唯一の一年レギュラーとして一緒に居ることも多くニコイチ扱いされていた。それがいつしか当たり前になり、ポイントガードとシューティングガード。オレがパスを出して緑間がスリーを決める。そんな相棒関係になった頃には教室でもどこでも一緒にいるようになっていた。
そして、いつの間にかアイツはオレのことを認めてくれていた。いつどこで認めてくれたのかは分からない。でも、アイツはオレを相棒として認めてくれた。オレの実力を、オレのパスを認めてくれたんだ。
(認めさせてやりたいって思ってたからスゲー嬉しかった。けど)
何がどうしてこうなったのか。それはオレにも分からない。有り得ない、間違いだと考え直しても考えるだけ深みに嵌っていった。綺麗な弧を描くシュートが放たれたのを見付けては自然と目で追っている。他の誰にも真似出来ないそのシュートに目を奪われる。前はあんなに心を折られそうになったのに。
いや、あの時だってオレはそのシュートから目を外せなかった。もしかしたらあの時からコイツのシュートに惹かれていたのかもしれない。あの時は綺麗だとか思うよりまず一点でも返そうと必死だったから他のことなんて覚えていないけれど、この光景が目から焼き付いて消えなかった理由はそこなのかもしれない。
「高尾」
呼ばれて振り返った先には、今では見慣れた緑色。どうしたんだと尋ねればそれはこっちの台詞だと返された。
声を掛けてきたのはお前の方だろと思いながら「何が?」とだけ聞き返せば、いつまで休んでいるつもりなのかと言われる。もう部活は終わって自主練をしている時間だが、休憩をとり始めてからそんなに時間が経っていたのだろうか。そう思いながら壁にある時計に目をやれば、それなりの時間が経っていたという事実にすぐ気が付かされた。
「あー……ちょっと考え事してた。もう練習に戻るぜ」
「何か悩みでもあるのか?」
「いや、大したことじゃねーよ。ってかさ、今日のラッキーアイテムここに置いといて良いの?」
これ、と指差したのは中学時代の制服。今日の蟹座のラッキーアイテムが中学の制服だった為、ここには帝光中学校の制服がここにある。
ただの制服ではなく中学のものと指定をしてくるあたりがおは朝である。まだ中学生になっていない人はどうしろというのか。所詮は占いなのだからここまで毎回ラッキーアイテムを用意する人も殆どいないだろうけれど。
「……それを着てバスケは出来ないだろう」
「まぁな。でも帝光の制服着てる真ちゃんも見てみたかったなって」
馬鹿なことを言っていないで練習を続けるぞ、と緑間はさっさとコートに戻って行ってしまう。少しの冗談くらい付き合ってくれても良いのに。それはそれで珍しいという話になりそうでもあるが。
帝光の制服。数年前までは緑間もこれを着ていたのだろう。そして帝光のジャージ、ユニフォームに袖を通して。キセキの世代の一人としてコートに立っていた男が、今は秀徳高校のエースとしてコートの上に立っている。
月日が流れれば成長くらいするけれど、それでも変わったなと思うところはある。多分、自分が気付かないだけでオレも変わっているんだろう。バスケに対する考えも、緑間真太郎という男に対する考えも。
「真ちゃん、もう今日のノルマは終わってるよな? ちょっと付き合ってくんない?」
「構わないが、それならさっさとしろ」
「へーい」
懐かしい制服から視線を外して立ち上がり、オレもコートに戻る。前はノルマが終わっていたとしても付き合ってくれなかったよななんて思いながら、ボールを一つ手に取りダムダムと数回ほどバウンドさせる。そして真っ直ぐ見据えた先にある緑に向かってそのボールを放った。受け取った緑間はそこから得意のスリーポイントを決める。
そうやって練習をしていると時間はあっという間に流れてしまうもので、そろそろ片付けなければいけない時間になる。まだ練習をしていたいと思ってもこればかりは仕方がない。二人で使ったボールを片付け終えると部室に戻って着替える。いつものように雑談をしながら荷物を纏め、外に出れば空には満面の星。
「こんなに綺麗に星が見えるなら流れ星の一つでも落ちてこないかな」
「天体観測を続けていれば見える可能性はあるだろうが、風邪を引く前にやめておけ」
どうして風邪を引くこと前提なのだろうか。この季節にしっかり準備をしなければ風邪を引きそうだけど、星を見るつもりならオレだって準備くらいする。
まぁ、本当はオレのことを心配してくれてるだけなんだけどな。心配しなくても体調管理はしているから大丈夫だ。流れ星が見られたら良いのにとは思ってもこの時期に探してまで見ようとは思わない。見るのなら流星群が来た時にでも、誰かと一緒に見られたら楽しそうだ。
「……流れ星に願いたいことでもあるのか」
空を見上げていたからか、隣から意外な質問が飛んできた。まさかそんな質問をされるとは思っていなかったが、誰でも願い事の一つくらいあるものだろと答えれば翡翠も同じように空へと向けられた。
そういうものかと空を見たまま零れた言葉にそういうものだと返しながらオレの視線は隣へと流れる。
コイツにも、緑間にも願い事はあるのだろうか。誰でも願い事の一つくらいあると言ったのは自分だけれど、否定されなかったということは緑間にもやっぱりあるんだろう。
緑間が願いたいことって何だろう。バスケ、勉強、そういった類のものは自分の力でなんとかするものだと言われそうだ。それ以外で星に願いたいようなこと。
「真ちゃんだったら、どんな願い事をする?」
考えたところで見つからない問いの答えを本人に直接尋ねる。すると、空へ向けられていたはずの翠がこちらに向いてかっちり目が合う。
あ、これはやばい。
理由なんてないけれど本能的にそう思った。どうしてそう思うのかも分からないけれど、これ以上先を聞いてはいけないと頭が警告を鳴らしている。
そう、あの時もそうだった。高校生にとって一大イベントである修学旅行。あの時もオレは今と同じように頭の中で警告を聞いた。
「あっ、そういやさ――――」
「高尾」
あの時、オレはその先へと踏み込まずに逃げた。唐突に話題を切り替えて。緑間は何かを言いたそうにしていたけれど気付かないフリをした。
あれから何もなかったけれど、それはお互いにその話題を避けていただけに過ぎない。それなのに、どうやらオレは自分からその領域に踏み込んでしまったらしい。そして、一度オレが逃げたからなのか。緑間は真っ直ぐにこちらを見つめる。
「高尾」
じっと見つめる視線が熱い。見慣れたはずの緑色を見ていられない。心臓が高鳴る。
このままではいけない、そう思うのにいつもは達者に動く口から何も言葉が出てこない。その視線に、声に、逃げ道を塞がれた気がした。
「好きだ、高尾」
本当は気付いていた。あの時お前が言おうとしていたこと。
でも、それを聞いてしまったら今のままではいられなくなる。怖くなったオレは逃げた。
だけど多分、緑間も気付いていたと思う。
オレが気付いていたんだから緑間だって気付いていてもおかしくはない。オレもそういう目で緑間のことを見ていたから。熱の籠った視線ほど分かりやすいものはない。
勿論、初めからそうだった訳ではない。けれど、いつだって自然とお前の姿を追っていたこの目は、いつしかそういう意味も含んでしまった。
「どうすれば、お前は逃げないでいてくれる」
どうやったらお前を手に入れることが出来るのかと、それが緑間の願い事なのだろう。願い事というには少し違うし、星ではなくオレ自身に言っている時点でもう何を願うのかという話から外れているけれど、この答えは星ではなくオレにしか出せない。
気付いていても気付かないフリをして、越えてはいけないと心の内にしまっておいた想い。たとえ両思いだったとしても受け入れてはいけないのだと、分かりきっている答えしかないのだから聞かないでいようとした。自分のことばかりで緑間の気持ちは考えずに。
「真ちゃん、オレは…………」
出すべき答えははっきりしているのになかなか口に出来ない。絞り出すように、それこそ願うように出された声。緑間でもこんな風に不安になるんだと思ったけれど、告白なんてみんな不安でしょうがないのかもしれないと思った。
たとえここでオレが断ったとしても、オレ達は明日からまたいつも通りに過ごしていくのだろう。クラスメイトでチームメイト、お互い何事もなかったかのように過ごすに違いない。実らない恋だと思っていたのはきっとオレだけじゃないだろうから。
でも、片思いのまま終わるはずだった恋はいつの間にか両思いになっていた。
その事実に手を伸ばしたくなるのは人として当然の心理だろう。それを選んでしまったら世間でいう幸せは手に入らなくなるとしても。
どうすれば良いのか、どうするべきなのか。
オレ達が男同士でなければ悩むことなど何もなかったのだろうが、同じ男でなければ一緒にバスケをすることも叶わなかった。そして、だからこそオレはこの男に恋をしたのだ。
「オレ、お前を選んでも良いのかな」
世間体や将来のこと、家族のこと。普通ではない道を進むことを選べば周りにも迷惑を掛けるかもしれない。日の当たるところを歩けなくなるかもしれない。
お前から普通の幸せを奪ってしまうことをオレが選んでしまって良いのか。
そう呟いたオレの腕はいきなり強い力に引かれた。何を言う間もなく、気が付いた時には緑間の大きな腕の中に収められた。
「オレはもうお前を選んだ。この先もずっと、オレはお前と共に生きたい。あとはお前が選ぶだけだ」
男同士というだけで世間の風当たりは強い。けど、そういうことも全部緑間は考えたのだろう。オレと同じように。それを覚悟した上で緑間は気持ちを伝えることを選んだ。
緑間はもう決めている。一般的な幸せよりオレを選んでくれた。これ以上他に望むものなんてない。お前が選んだというのなら、あとはオレが覚悟を決めるだけ……か。
「オレも真ちゃんが好き。普通の幸せは手に入れられないかもしれないけど、オレはお前と一緒にいたい」
「心配しなくてもオレがお前を幸せにしてやるのだよ」
ちゅ、と優しく額に口付けを落とされた。思わず顔を上げれば、そこには頬を朱に染めた大好きな人の顔。
真ちゃん、と声を掛けようとするより先に「帰るぞ」と体を離された。暗い夜でも分かるくらい赤くなっている恋人に小さく笑うとオレもすぐにその背を追いかけた。そのままさりげなく伸ばした手を彼は戸惑いがちに握り返してくれた。それが嬉しくて思わず笑みが零れた。
オレ達が付き合うまで
友達、相棒、それから恋人。
オレ達の関係が変わった日。
高校二年生、冬。
それがオレ達の恋人としての始まり。
某様にお礼として差し上げたものです。高校三年生の二人で馴れ初め話になります。
この二人が付き合うまでには幾つものパターンがあると思います。