「オレ、大きくなったら先生と結婚する!」


 まだ小さな幼稚園児はそう言ってシロツメクサで作られた指輪を手渡した。
 結婚をする時には指輪を渡すものだと知っているのだろうか。とはいえ、それ以前に結婚とは男女でするものである。けれど、まだ小さな彼にはそのことが分かっていないのかもしれない。男同士だとか、二十歳近くも年が離れていることなど気にしていないのだろう。
 そこにあるのは、小さな彼の真っ直ぐな好意。ただそれだけ。


「そうだな。お前が大きくなった時、その気持ちが変わらなかったらな」


 純粋な好意は素直に嬉しい。こういう職業は自分には合わないという自覚はあった。だが、いざやってみると案外やれるものである。園児達に振り回されることもあるけれど、子供達の笑顔を見ているとこの仕事も悪くないと思うようになった。
 まだ何も知らない小さな子供。そんな子供の好意は嬉しいけれど、現実的なことを考えればそれは受け入れられない。だが、この子は何も知らないだけ。大きくなれば気持ちだって変わるだろう。まず幼稚園児だった頃の記憶を覚えているかも分からない。幼い頃の記憶とは大人になるにつれて曖昧になるものだ。


「ホント? じゃあ約束だよ!」

「あぁ」


 約束だから指切りをするんだと彼は小指を差し出した。小さなそれに自分の小指を絡めて約束を交わす。絶対だからねと笑う彼に頷くと、遠くからクラスメイトの呼ぶ声に誘われた彼は走って行った。


(この年でプロポーズか)


 全くどこで覚えて来るんだろうか。そんな疑問を抱くものの、園児が先生にプロポーズというのもたまに聞く話である。勿論、先生は喜んで園児の好意を受け取るのだ。それが本当に現実になった、という話は聞いたことがないけれど。
 それもそうだろう。幼稚園児だった頃にしたプロポーズなど覚えている方が珍しい。実際に調べた訳でもないが、普通に考えれば覚えていない可能性が高い。何より、幼き頃に抱いた気持ちは広い世界に出れば色んなモノへと向けられる。幼稚園という狭い世界から、もっと広くて大きな世界を知っていくのだ。プロポーズした時の気持ちも紛れもない本心だろうが、大きくなればより多くのことを知っていくのである。


(アイツはいつか忘れてしまうのだろうが、オレはこの約束を覚えているのだろうな)


 小さな彼が忘れてしまうのは無理もない。けれど、既に大人である自分が覚えているのは難しいことではない。卒園してしまえばもう会うことなんてないのだろうが、それでも園児とした約束は覚えておこう。
 しっかりと指切りまでした、大切な約束なのだから。




の約





「なんだよお前また別れたの?」


 休み時間にこちらまでやってきた友人にそんな話を振られて「どうして知ってんだよ」と聞き返した。みれば分かるなんて返されて、どういう意味だよと言いたくなったが止めた。そう言われても仕方がないくらいには、恋愛ごとで上手くいった試しがない。
 女子にモテない訳じゃない。部活があるから一緒に帰ったりとかも出来ないけど、というのを承知の上で付き合っている。それでも実際に付き合ってみるとやっぱり寂しいと言われて別れたり、私のこと本当に好きなの?と言われて別れたり。何度か付き合ったことはあるものの長続きしないのだ。


「どうせまたいつもみたいにフられたんだろ?」

「ああそうだよ。まぁ、これで部活に専念出来るから良いけど」

「お前さ、そういうこと言ってるから長続きしないんじゃねぇの」


 友人の言うことは一理あるのかもしれないが、生憎今は恋愛よりも部活だ。どうしたって恋愛は二の次になってしまう。それで長続きがしないとしても仕方がないだろうと割り切ってさえいる。


「高尾も好みの子が現れればゾッコンになったりすんのかね」

「どうだろうな。まず好みの子に会わないし」

「そういやお前の好みってどんな子?」

「オレの好み? そうだな…………」


 いきなり好みって言われても困るけれどとりあえず考えてみる。それから思いついたままに適当に並べてみれば、友人達は口を揃えて「理想高すぎ」と言った。そんなに理想高かったかと高尾も自分の言葉を振り返ってみるが、言われてみれば高いのかもしれないくらいには思った。
 そんな人に出会えたら奇跡だとまで言われ、更にはそこまで理想高いと結婚とか出来ないだろなんてことまで言われる。好き放題言ってるけどお前等はどうなんだよと聞き返せば、結局似たり寄ったりじゃないかという結論になる。理想なんだから良いだろ、とこんな話をするのは男子高校生だからだろう。


(恋愛なんてあんま興味ないしな)


 帰り道に昼間クラスメイト達と話したことを思い出す。この年頃だから恋愛に全く興味がない訳ではないのだけれど、そこまで気にしたりもしていない。あっさりしているのは関心が少ないからとしか言いようがない。
 付き合っている子に本当に私のことが好きなのかと聞かれれば好きだと答える。けれど、その子とずっと付き合っていくことは考えられない。そこまでの好きという気持ちはないのだ。なら付き合うなと言われそうだが、なんとなくで付き合って別れることばかり繰り返している。


(好きな人、か…………)


 別れる時に何度か言われた台詞。他に好きな人が居るのか、という質問に対して毎回居ないと返している。だけど、本当にと疑問を返されるのだ。他に好きな人が居るように見える、と。そう言われても本当に居ないのだが、真剣に恋愛をしていない自分が言えることはないだろう。
 本気で人を好きになったことはない、と思う。告白されたから付き合うというパターンが多いから。本気の恋愛をしてみたい、とは思うけれど本気になれない。どうしてかなんて理由は自分でも分からないが、恋愛とはそう簡単に上手くいくものではないだろうと片付けている。


(あ、違うわ)


 興味がないとか本気になれないとかじゃない。もっと別の理由があったんだと気が付いた。どうして急に気付いたのかといえば、思い出したから。


「先生、お久し振りです」


 理想が高い。そんな奴居る訳がないだろうと散々昼間は友人達に笑われた。だけど、その理想は自分の中にある深層心理だったのだと高尾自身も今理解した。
 いつもは通らない道を通ったのは寄り道をしていたから。それが偶々、小さい頃通っていた幼稚園の前だった。体育館整備の為に部活がなかった今日は時間もそう遅くない。とはいえ園児達はほぼ帰り終わったところのようだ。さっきも一人の園児が親と一緒に手を繋いで歩いて行った。


「お前は…………」

「忘れちゃったんすか? まぁ、無理もないっすケド」


 だってオレがここに通ってたの十年近く前ですから。
 そう付け加えたから少なくとも卒園生だということは分かって貰えただろう。高尾も自分がここに通っていたということは覚えているけれど、当時のことをどれくらい覚えているかといえば殆ど記憶に残っていない。ところどころ印象強いことが残っているくらいだ。幼稚園生の頃の記憶なんて大抵そんなものだ。
 正直、今だってこの人に会わなければ昔通ってた幼稚園だな程度の印象しか抱かなかったに違いない。


「オレ今高校生なんすよ。部活とか結構頑張ってるんすけど、オレのこと分かります?」


 何十人、何百人もの園児と触れてきたのだろう。高尾が幼稚園生だった頃から数えても十年が経とうとしているくらいだ。当時は新米だったらしい先生も今ではベテランといったところだろうか。その辺のことは高尾にはよく分からないけれど。
 そんな大勢の中の一人を覚えてはいないだろうと思いながらも質問してみる。しかも幼稚園生だった頃と高校生である今とでは見た目も大分変っているだろう。それだけの月日が流れているのだ。

 駄目元で質問しただけで答えなんて期待していなかったのだが、先生の口から出て来たのは予想外の言葉だった。


「あれから十年も経つのか。大きくなったな」


 そう言って優しく微笑んだ先生に思わず目を見開いた。どういう意味かなどわざわざ問う必要はないだろう。もしかしなくても、そういう意味以外に考えられないのだから。


「え、先生オレのこと覚えてんの?」

「お前から聞いてきたのだろう、高尾和成」


 まさか本当に覚えているなんて思わなかった。あれから十年も経つのだ。何百人もの園児と触れてきたというのに、その内の一人を覚えているなんて思いもしない。
 先生というのは自分が受け持った園児を全て覚えているものなのだろうか?いや、名乗ったらのならまだしもこれだけの月日が経っていて分かるなんて早々ないだろう。


「……真ちゃん、オレそんな変わってない?」

「成長したとは思う。だが、その目は変わらないな」

「そういうモンか?」

「少なくとも、オレはそう思ったのだよ」


 当時からこの幼稚園に勤めている他の先生に同じ質問をした場合、同じ答えが返ってくるとは限らない。むしろ、オレが予想していた通りの答えが返ってくることだろう。

 だけど、先生は違った。先生から見るとオレの目は昔と変わっていないらしい。そんなことを言われても、オレにはさっぱり分からないけれど。特別変わった色をしている訳でもないし、特徴的というほどのものでもないと思う。他人より視野は広いけど、そんなことは見た目では分からない。けど、先生の翠色の瞳には他とは違う何かが映っているようだ。
 一応、自分が受け持った園児を全員覚えているのかと質問をしてみたが答えはNoだった。いくらなんでも全員は無理だと正論を返された。ついでに成長しても分かるものなのかと尋ねてみたが答えは変わらず。さっきも言ったが、と前置きされてからオレの場合は目が特徴的だからだと返された。それと、いい加減その呼び方は止めろと。


「って言われても、真ちゃんは真ちゃんでしょ」

「……オレの聞き間違いでなければ、お前は先生と呼んでいたと思うのだが?」

「だって真ちゃんオレのこと覚えてるし、先生なんて言う必要ねーじゃん」


 先生と呼びたくない訳ではない。昔も先生と呼んだことはある。だけどオレは先生のことをそう呼んだ。何が切っ掛けだったんだろう。あ、そうだ。先生の名前を聞いて、それなら先生は“真ちゃん”なんだみたいな話をして。その響きが好きで、他の人とは違うのが特別に思えて、注意されれば先生と呼んだけれどそれ以外は大抵そう呼んでいた。
 この呼び方をすれば、流石に先生もオレのことが分かるだろうと思ったからあえて呼ぶのを避けていたけれどもう必要ないだろう。先生はオレのことを分かっているのに、わざわざ先生と呼ぶ必要はないから。それでも先生と呼ぶべきだと貴方は言うのだろうけれど。


「そういうお前こそ、昔のことなど忘れていたのではないか?」

「…………そんなことないですよ」


 忘れていたのではない、と思う。忘れていた訳じゃないけど、やっぱり忘れていた訳でもあるんだろう。十年も前のことをはっきりと覚えてはいない。でも、あの日々の欠片はオレの記憶にも残っている。幼稚園生だった頃の記憶なんてそんなもんだろ。それを口にしないのは、いくら部分的な記憶があるとはいえ一番大切なことを忘れていたことは事実だから。
 オレの考えていることを察したのか、先生は「昔の記憶は曖昧なものだ」とフォローしてくれた。それが先生の優しさからきているんだって分かっているけれど、素直にそうですねとは言えなかった。これは思い出したとはいえ、また一から始めるべきなんだろう。思い出して、気が付けただけでも良かった。


「緑間先生、先生はもう結婚してるの?」


 記憶なんて曖昧で、十年も前のことを覚えているかといえばそうでないことが多いだろう。また一から始めれば良い。もう一度始めることはそう難しくはないけれど、もう一度始められるかは五割にも満たないくらいの可能性だろう。先生みたいな美人を周りが放っておくとは思えないし、もうあれから十年だ。結婚している可能性は十分過ぎるほどある。

 気が付いたんだ。興味がないとか本気になれないとかじゃない、もっと別の理由があることに。
 思い出したんだ。オレは昔、ある人に告白をしたことがあるんだと。

 十年前、幼稚園児が抱いた淡い恋心。先生は受け入れてくれたけれど、それは相手が幼稚園生だったから。今のオレが同じことを言ったところで同じ答えになるとは限らないどころか、それ以下の確率が高い。まず覚えていないだろうし、そもそも結婚しているのなら論外だ。
 だけど。もし、先生がまだ結婚していないのなら。可能性がどんなに低くても一から始めることは出来る。だから問う。理想が高いのではなく、オレはこの人が好きだから他の恋愛が長続きしないのだと気付いたから。


「結婚していると思うか?」

「分からないから聞いてるんすよ。先生みたいな美人を世の中の女性が放っておくとは思えないですけど」

「つまり、お前はオレが結婚していると思っている訳か」


 思ったままに言葉にした。返ってきた言葉には何も言わなかった。言えなかった。結婚していると思ってはいる訳ではけれど、その可能性は十分あると思っている。それ以上に結婚していなければ良いと思っているけれど、流石にそれは口に出せない。
 黙ったままのオレに先生は溜め息を一つ零した。それから小さく笑って正解を教えてくれた。結婚はしていない、と。


「それ、本当ですよね?」

「こんなことで嘘を吐いてどうする」


 念の為に確認すると呆れたように言われた。結婚していなくて良かった。なんて酷い考えかもしれないけれど、オレは先生が好きだからそう思った。これなら、僅かな可能性に掛けることは出来る。僅かでも可能性があるのなら、オレは諦めない。思い出して、そう決めたからオレは今ここに居る。
 重要なことを忘れていたどうしようもない奴だけど、オレの当時の記憶は先生で溢れている。純粋に、先生のことが好きでもあったから。勿論それは今も変わらない。それが恋愛対象としての好きでもあったと気が付いたのはついさっきだけど。


「お前は付き合っている人が居るのか?」

「居ると思いますか?」

「どうだろうな。だが、お前の性格なら彼女くらい居そうなのだよ」


 浮かべられたその笑顔は悲しげだった。優しいその表情に悲しみの色が見えるのはどうしてなのか。先程から浮かべられているその色の答えをオレは見つけられないでいる。初めは独身ということに対して、変に何かを言われるのを避ける為かと思ったけど違う気がする。それでは今も悲しそうな笑顔をしている理由にならない。
 先生は何を思っている?何を感じている?一体何が、真ちゃんをそんな風にさせてるの?
 聞きたいのに言葉にならない。どう言えば良いのか分からなかったから、代わりに彼女は居ないと質問に答えた。先生は「そうか」と呟くと、昔のようにその手を頭に乗せた。


「お前なら、きっと素敵な人に出会えるのだよ」


 もう子供じゃないとは思いつつ、その手を振り払うことはしなかった。オレも今は高校生だけど、そうされると昔に戻ったようで懐かしい。真ちゃんにそうされるのは嫌じゃなかった。嫌どころか嬉しいとさえ思った。
 そして気が付いた。今見せている笑顔は、昔と変わらない優しいものだと。さっきまであった悲しげな色はどこにも見えないことに。聞いて良いことなのかは分からなかったけれど、ここで聞かなければもう聞けない気がしてオレは急いで口を開いた。


「何が真ちゃんを悲しませてるんだよ」


 今聞かなければいけないという気持ちが先走って、何の説明もなく思ったことをぶつけてしまった。案の定、真ちゃんは何のことを指しているのか分からないようで首を傾げた。これは明らかにオレが悪い。
 慌てて言葉を訂正しようとして、けれどそれは叶わなかった。真ちゃんがオレよりも先に言ったのだ。気のせいだろうと。だから、気のせいなんかじゃないと否定した。すると、またあの笑顔を浮かべて。


「少し、昔のことを思い出しただけなのだよ」


 昔、というのはオレがここに通っていた時のことだろうか?でも、思い出したからってどうして急にそんな顔を見せたんだ。先生は、何を思い出したの?
 そう疑問を投げ掛けようとしてやめた。聞こえるか聞こえないか程度の声で呟かれた言葉を、オレはしっかりと聞き取ってしまったから。

『忘れているだろうけどな』

 その言葉は、はっきりとオレの耳に届いていた。忘れてしまった、とは何を指しているのか。当時の記憶が曖昧に残っているだけのオレにそれが指すものを理解するのは難しい。けど、一つだけ思い当たるものがあった。オレが数時間前まで忘れてしまっていた、忘れてはいけないことだったのにと後悔したそれが。
 本当に先生が言ったことがそれとは限らない。でも、オレにはそれだとしか思えない。覚えていることから探すからそう思うだけではなく、さっきまでの先生の反応からしてもこれが一番しっくりくる答えなんだ。
 気が付いた時には、体が先に動いていた。オレは自分より大きな体を抱きしめた。これでも平均身長はあるというのに先生より小さいのは悔しいけれど、先生が大きすぎるからこればかりは仕方がない。


「高尾、いきなりどう――――」

「ごめん真ちゃん。正直オレは数時間前まで忘れてたけど、ずっと覚えててくれたんでしょ?」


 確信はない。でも、これ以外に思い当たらない。違ったら恥ずかしいけど、何も言われないということは正解だったんだろう。
 遠い昔の約束。一人の園児とした小さな約束を先生は忘れずにいてくれたんだ。たかが園児一人、それも女の子ではなく男のオレとした約束。忘れていたって何も言えないと思っていたのに、これは責められてもおかしくないと思うけれど先生はそんなことしないだろう。きっと、幼い頃の勘違いだと笑ってくれるに違いない。でも、そうじゃないんだと気が付いた。だから伝える。


「オレ、今も真ちゃんが好きだ。信じてもらえないなら、信じてもらえるまで好きだって言う」


 部活があるからそう頻繁には来られない。けど、出来る限りここに来て貴方に伝える。ここの卒園生だから、遊びに来たって不思議じゃないだろう。振り向いて貰いたい、けれどそこは先生の気持ち次第。迷惑なら先生は迷惑だって言う。だから、それまではオレの気持ちを伝えたい。何もしないで終わるなんて性に合わないから。
 好きなんだ。こんなオレが言えた立場じゃないけれど、やっぱり好きなんだよ。オレの理想は、理想じゃなくて先生が好きだという気持ちがずっと心の底にあったからなんだ。


「真ちゃん、オレやっぱり真ちゃんが好きなんだ。まだあの約束が有効なら――――」

「馬鹿め。有効も何も、お前はオレの言ったことを覚えていないのか?」


 真ちゃんの言ったこと?昔、あの約束をした時のことなんだろうけど……。
 あ、そうだ。あの時、真ちゃんはオレに言ったんだ。まだあの約束が有効だというのなら、あの言葉も有効になるんだろうか。
 ……って、こんなことを考えることが間違っているんだろう。無効だというのなら、こんな言い回しはしない。


「お前が大きくなった時、その気持ちが変わらなかったら」

「オレと結婚してくれる、っていう約束ですね」


 途中から言葉を引き継いで約束を確認する。オレが言い終わると真ちゃんは口元に弧を描いた。それから「変わらなかった、ということなのだろう?」と確認された。結論を言えば、オレの気持ちは“変わらなかった”のだ。今もこの先も、貴方以上に好きになれる人は現れないだろう。
 だから、オレはその問いに肯定を返した。それ以外の答えなんてない。ある訳がない。言いたいことは山ほどあるけれど、今言うべきことは一つ。


「緑間先生、オレと付き合ってくれませんか」


 先生は約束を覚えていてくれた。これまでの話からオレ達の気持ちは同じだろうと分かる。でも、これを伝えなければダメだろう。約束をしたとはいえ、それは十年も前の幼稚園児だった頃の話。それが有効だとしても改めて伝えるべきだ。何より、オレが今ここでもう一度ちゃんと伝えたい。


「オレは先生と一緒に居たい。先生に話したいことが沢山あるんだ。なぁ、真ちゃん」

「……そうだな。お前の話を全部聞くには時間が掛かりそうだ」

「聞いてくれませんか?」


 オレが卒園してからこれまでの話。それから今の話。十年分の話はかなり時間が掛かるだろうけれど、先生に話したいことは両手でも数えきれないくらいあるんだ。
 それに話したいことはそればかりじゃない。オレも先生の話を聞きたいし、もっと色んな話もしたい。日常の話から何まで、沢山の話をしながら同じ時間を共有したい。


「聞いてやるのだよ。焦らずとも全部聞いてやるから安心しろ」


 どんなに時間が掛かっても構わない。ゆっくり話を聞く。そう先生はオレに言った。焦る必要はないのだと、時間は幾らでもあるのだから。
 それはつまり。


「真ちゃん、オレ都合の良いように解釈するけど良い?」

「好きにしろ。何年待たせたと思っているのだよ」


 優しく微笑んだ真ちゃんをオレはより一層強く抱きしめた。そんなオレの頭に大きな手が乗せられる。ああこの体格差、いつか縮まらないだろうか。まだオレは成長期だから望みはある。けど、今はこれでも良いかもしれない。そう思ってしまったオレはまだまだ子供なのかもしれない。先生からすればそりゃ子供なんだろうけど。


「これからも宜しくな、高尾」

「こちらこそよろしくお願いします」


 真面目にそう挨拶をかわすと、お前も敬語が使えるのだななんて失礼なことを言われた。いくらオレでもこの年になれば敬語くらい使えますよと今更な発言に笑みが零れる。それなら先生と呼んで欲しいものだと本日二度目となる言葉を言われたけれど、これだけは譲れない。
 だって、真ちゃんはオレにとって特別だから。










fin