ひらり、ひらり、舞い散る花弁。
緩やかな風に乗って空を舞う。暗い夜の世界に白い花がくっきりと浮かび上がる。暖かな気候、賑やかな夜の公園。時は四月、桜の季節。
「真ちゃん、ほら! 凄い桜!」
「見れば分かるのだよ」
それと前を見て歩け。騒ぐな。
同意をした次には注意を促す言葉の数々。こういう時くらい良いだろと言う高尾に、そういう問題ではないだろうと返す。そりゃあ、周りもお花見モードで仲間内で騒いでいるグループも少なくない。けれど、あくまでもここは公共の場である。
こんな時まで気にすることでもないだろうと思わなくもないが、緑間らしいといえばらしい。まだ学生である自分達はお酒も飲めないし、二人だけで騒ぐつもりもない。そもそも、夜の公園に居るのだって部活が終わった帰りに「ちょっと桜でも見て帰らねぇ?」と高尾が誘ったからだ。春の風物詩を見て損はないだろうという提案に、少しくらいならとやってきたのがついさっきである。
「今度みんなでお花見とかするのも楽しそうだよな」
桜のアーチを歩きながら思ったままに零せば、誰を誘うつもりだと声が返ってきた。返事は期待していなかったが、緑間の言葉に「そうだな」と視線を空に向ける。
花見に誘う相手で思い浮かぶのは、クラスメイトや部活仲間。去年の同じクラスだった二人だが、どういう運命の巡り合せか今年もクラスは一緒だった。部活のメンバーは三年生が卒業し、一年生が入学して新しい形を作り始めるところ。同じクラス同じ部活である二人には共通の友人も少なくないけれど、やはり誘うのならば。
「忙しいかもしんないけど、宮地サン達を誘ったら楽しそう」
「……そうだな」
ひと月程前に卒業した三年生達。一年間、バスケ部の先輩には色々と世話になった。頼れる先輩達は時に厳しく、厳しいというより怖いという印象が強かったかもしれない。何かあるごとにトラックで轢くだの言われていたのだから仕方がない。とはいえ、そんな先輩が優しいことも十分知っている。
そんな先輩達との思い出は数えきれないほどある。引退をする時にもまたしごいてやるよなんて言っていた先輩は、引退してからも時々顔を出していた。卒業をしてからもたまには遊びに来ると後輩達に話していた。今は大学に入学したばかりで忙しいだろうけれど、落ち着いた頃には遊びに来てくれるだろう。
厳しくも優しかった先輩達。彼等と一緒にお花見をしたいと思うくらいには、二人は先輩を慕っているのだ。
「あ! 真ちゃん、ちょっとこっち来て」
桜の木の傍に行った高尾が振り返って呼ぶ。その距離は数メートル。何だと言いながら緑間が近付き、目の前までやってきたところで高尾ひょいと背伸びをする。そのまま右手を伸ばして緑色の髪に触れた。
それからすぐに離れた高尾は、翠の瞳を見て小さく笑う。
「真ちゃんって何でも似合うね」
最初、何を言っているのか分からずに緑間はきょとんとした表情を見せた。だが、高尾の視線を辿って大方の意味を理解した。背伸びをしてから髪をいじっていたのはなんとなくかと思ったけれど、どうやらそれが目的だったらしい。
実際にどうなっているのかまでは自分では分からないけれど、髪に何かをしたのは明らかだ。とりあえず髪に触ろうとしたら駄目だと否定された。どうしてだと問えば、似合っているからだと先程の言葉を繰り返された。
「似合っているもなにも、お前は何をしたのだよ」
「何って、桜が似合いそうだなと思って」
一応尋ねるてみると、明確な答えはないものの何をしたのか分かる答えではあった。桜、髪、それに似合うという三つの言葉から連想される事柄。どう考えても桜の花を髪飾りにしたという答えしか導き出されない。
男にやることではないという緑間の常識は通用しないらしく、更には可愛いから外したら駄目だと念押しをされた。それも男に対して言う言葉ではないのだが、恋人なんだからこれくらい言ってもおかしくないだろとは高尾の意見である。それにしたってとは思うものの、最終的には諦めて高尾の好きにさせてやることにした。
「あれ? 怒らないんだ」
「怒られたいのか?」
「まさか! 大好きだぜ、真ちゃん!」
かれこれ高校で出会ってから一年になる。まだまだ知らないことは沢山あるとはいえ、お互いのことは少なからず分かっているつもりだ。
どうせ公園には長く居ないし、時間も時間だ。明かりも少なければ人も多くはない。高尾がそうして欲しいというのならば、少しくらいはこのままにしてやっても良いかと思った。絶対に嫌だと言って外したところで文句を一言付けるぐらいで終わるのだろうが、たまには好きにさせてやっても良いだろう。そう思うのは、眼前に広がる満開の桜のせいだろうか。
「ゆっくり見てたいけど、あまり遅くなるのは不味いよな」
「もっと見たいのなら休みの日にでも来れば良いだろう」
いつまでも桜が咲いている訳ではないけれど、桜が散る前に一度くらいは時間も取れるだろう。ほぼ毎日ある部活もオフがない訳ではないのだ。もし日を改めて来るのなら、その時は先輩達に声を掛けてみるのも良いかもしれない。
そう告げると、高尾は嬉しそうに笑って「そうだな」と頷いた。一年前では、こんな風に隣に並んで歩くことなんて想像も出来なかったななんて思いながら。
「さてと、そろそろ帰ろっか」
公園をぐるりと一回りするのはあっという間だった。携帯を開いて時計を確認してみれば、公園に来てから二十分近く経っていたようだ。本当にただ見て歩いただけのようなものだが、時間が時間だから今日の所はこれくらいで帰るべきだろう。名残惜しいけれど、遅くなって家族を心配させる訳にもいかない。
それでは帰ろうと自転車を止めてある場所へ足を向けると、後ろから「高尾」と名前を呼ばれて立ち止まる。その声にくるりと振り向いて「何?」と問い掛けると同時に、緑間の手がそっと高尾に伸ばされた。
「白い花はお前の黒髪の方が似合うと思うのだよ」
それは数分前に高尾がやったのと同じこと。白い花とは勿論桜のことである。漆黒のような髪色には白がよく映えるのだ。自分よりも高尾の方が似合うと緑間は微笑んだ。
そんな緑間の唐突な行動に高尾はふいと顔を逸らした。お前いきなりそんなことするなよと心の中で零した。ああ本当可愛いよな、なんて思ったことも内緒である。
高尾の心の声など知らない緑間は不思議そうにと「高尾?」と首を傾げた。それは反則だろうと自分のことを棚に上げて考えながら、高尾は緑間に視線を向けた。
「真ちゃん、こういうことオレ以外にやるなよ?」
「? お前以外の誰にやるのだよ」
ないだろうと思いながらも念の為に言えば疑問を浮かべられた。緑間のことだから本当に分かっていないのだろう。それならそれで良いかと適当に受け流す。緑間は分かっていないようだが、大したことではないと判断したのか「帰るぞ」と先に歩き始めた。
その背を追い掛けて隣に並ぶと、今度休みの時にまた見に来ようと約束する。その時は先輩達にもメールをしてみようなんて話しながら。でも。
「みんなでお花見するのも楽しいけど、真ちゃんと二人でゆっくり見るのも良いな」
大勢でワイワイやるのも楽しい。けれど、好きな人と一緒に見たいという気持ちもある。桜の花を二人でのんびり眺めるのも良いなと思うのだ。
「……それなら、次の練習試合が終わった後にでもまた見れば良いだろう」
言えばすぐに肯定が返された。時間がある時に見たかったのなら初めからそう言えば良いだろうと口にすると、ちょっと寄るくらいなら付き合って貰えると思ってと高尾は話した。
別にお前の誘いなら断ったりはしないとは思えど、そのまま言うのは恥ずかしくてやめた。その代わり、そういうことは先に言えとだけ伝える。それに笑って答えた高尾は、緑間が声に出さなかった言葉にも気付いていたのかもしれない。真実は分からないけれども。
「じゃあ先輩達とは別に、二人でももう一度見に行こうな!」
「あぁ」
お花見の約束を二つ。先輩達とみんなで一緒にするお花見と、二人だけで過ごすお花見。部活も忙しいけれど、それくらいの時間は取れるだろう。夜桜も綺麗だけど、日中の桜を見るのも楽しみだなと話しながら家路に着く。
時間の違う二つの桜。
どちらの桜も一緒に楽しもう。せっかくの春の風物詩なのだから。
桜の花を君に