「真ちゃん、早く!」
数メートルほど先で立ち止まり、振り返った少年が呼ぶ。子供というのはいつも元気だな、と若干年寄りくさいことを思いつつ「分かったから待て」と、今にもまた走り出しそうな少年に言った。言わなければ先程のようにどんどん進んでしまう。
「急がなくても公園は逃げないのだよ」
「でも、早く遊びたいじゃん!」
そういうものか、と思ったが考えたところで緑間には分からない。自分の幼い頃はどうだったかと考えても、そもそも頻繁に公園で遊んだ覚えもなかった。
だが、そう言うということは高尾にとってはそうなのだろう。公園に着くなり遊具に向かっては緑間を呼ぶ。ちゃんと緑間を呼ぶのは一緒に遊びたいからだ。
二人が今日、こうして公園まで遊びに来ているのは緑間の部活が休みだったこと。それから高校の時からの友人である二人の母が一緒に買い物に出掛けているからだ。
母親達が親しいことから、緑間は高尾がまだ一人で歩けないような頃から彼を見てきた。過ごした時間もそれなりに多く、親の友達の子供というよりは弟のような存在に近い。高尾にとっての緑間もまた兄のような存在である。
「ねぇ、真ちゃん。あれってクローバー?」
滑り台から降りて次に行こうとしたところで高尾は足を止めた。あれと言って見つめる視線の先には、芝生の合間にひっそりとクローバーが群れを作っていた。
「ああ、そうだな」
「四つ葉のクローバーを見つけたら幸せになれるんだよね」
必ずしも幸せになれるというものではないが、確かに四つ葉のクローバーは幸せを運ぶとされている。それに関するエピソードも残っているくらいだ。
そこまでのことを高尾は知らないだろうが、四つ葉のクローバーが幸運の象徴であるのは間違いない。
「元々、三つ葉のクローバーも幸運のシンボルといわれているが、四つ葉のクローバーはより強い力があるといわれているな」
「へぇー。じゃあ、五つとか六つの場合は?」
「五つ葉は金運、六つ葉は地位や名声。七つ葉や八つ葉にも意味はあるが、そう見つかるものではないのだよ」
前に本で読んだ知識をそのまま話してやれば、高尾は目を輝かせて緑間を見た。やっぱり沢山葉っぱがある方が良いんだ、と言っているがそれは少し違う。葉が多い方が珍しいけれど、多ければ良いというものでもない。
だが、やはり珍しいものを見つけられれば純粋に嬉しい。五つ葉や六つ葉とはいわないけれど、せっかくこうして目の前にはクローバーが咲いているのだ。となれば、やることは一つ。
「真ちゃん、どっちが先に四つ葉のクローバーを見つけられるか競争しようよ!」
一緒に探す、ではなく競争と言い出すあたりが男の子らしい。ただ探すだけではつまらないということだろう。まずここに四つ葉のクローバーがあるのかも分からないのだが、探してみる価値はある。
分かったと了承を返せば、高尾は嬉しそうに笑う。それから「よーい、どん!」とお決まりの合図で四つ葉のクローバー探しが始まるのだった。
□ □ □
四つ葉のクローバー探しを始めること数十分。
一つずつ葉っぱの枚数を数えているのだが、手に取るものはどれも三つ葉ばかり。クローバーとは本来、三つ葉であるのだから当たり前といえば当たり前だ。幸せの四つ葉のクローバーがそう簡単に見つかっては、誰も幸せだと思わないだろう。
「見つかりそうか?」
この一帯は大方探し終えただろう。そう思って隣の少年に尋ねてみると、視線は手元に落としたまま「まだ見つからないけど……」と諦めていない様子が窺えた。
細かく全部探しても見つからないことはある。そこに四つ葉のクローバーがなければ、どんなに探したって見つかりっこない。これだけ探しても見つからないとなると、ここにはないと考えても良さそうなものだが。
(もう少し様子を見るか)
高尾はまだあると信じて探している。実際、ここにないと絶対には言い切れない。だからあと少しだけ、彼に付き合って探してみるかと緑間もクローバーの群れに手を差し込んだ。
それから間もなくのことだ。
「あ! 真ちゃん、あったよ!」
がばっと顔を上げて色素の薄い瞳が真っ直ぐにこちらを見て呼ぶ。ほら、と指差された先には葉が四枚あるクローバー。先程からずっと探していた、所謂四つ葉のクローバーがひっそりと佇んでいた。
「今回はお前の勝ちだな」
「これで幸せになれるんだよね?」
「ああ、きっと幸せがやってくるのだよ」
良かったなと大きな手で頭を撫でると、高尾は嬉しそうに目を細めた。これも頑張って探したお蔭だろう。諦めずに四つ葉のクローバーを探したからこそ、こうして見つけることが出来た。そんな高尾にはきっと幸せが訪れることだろう。
見つけたばかりの四つ葉のクローバーを手に取って、そろそろ帰ろうかと緑間は公園の時計を見る。まだ太陽は高い位置にあるが、母達の予定では夕方までには戻るらしい。それを考えるともう帰った方が良さそうだと、思って声を掛けようとすると。
「真ちゃん、真ちゃん。手出して」
緑間の腰ほどの位置から高尾がこちらを見上げながら、早くと言いたげにズボンを引っ張る。一体どうしたんだと思いつつも、緑間は高尾と目線が同じになるようにしゃがんで左手を出す。
「どうした。これで良いのか?」
「うん。ちょっと待ってて」
何がしたいのかは分からないが、言われた通りにしてやれば高尾は小さな手で大きな手を掴む。それから手のひらを上にしていたそれを反対にし、さっき摘んだ四つ葉を緑間の指の位置に持っていくと真剣な表情で何かを始めた。そして数十秒後。
「これで真ちゃんも幸せになれるね!」
そう言って高尾は笑う。緑間の指には四つ葉のクローバーが輪っかになって付けられている。
これは、指輪のつもりなのだろう。よくシロツメクサやタンポポで作るようなそれが四つ葉のクローバーで作られていた。
(全く、何も知らないというのも恐ろしいものだな)
この少年はただ幸せのお裾分けをしたかっただけなのだろう。指輪とそれをつける指に意味があることなんて知らないに違いない。緑間とて、意図的に左手を差し出したわけではない。ただ手を出して欲しいと言われたから、なんとなく利き手である左を出したに過ぎなかった。
けれど、左手の薬指に指輪をするということには特別な意味があるのだ。他の指にもそれぞれ意味があるけれど、中でもこの指は特別だろう。おそらく高尾はそれを知らないのだろうけれども。
「そうだな。オレはお前が笑っていれば、それで幸せなのだよ」
だからもう、このクローバーのお蔭でちゃんと幸せになれた。そんな意味を込めて言えば、高尾は一瞬きょとんとしたもののすぐにまた笑みを浮かべて。
「なら、オレももう幸せになれた」
だって、真ちゃんが喜んでくれたから。
そう笑って話すのだ。子供というのは純粋で、それがこんなにも恐いものだとは。仮にこのまま成長したとすれば、天然だなんていわれるようになるのだろう。彼はこの先、どのように成長していくのか。
今はまだ幼い子供だからこういうことをさらっと言えるのだろう。それが嬉しい反面、大きくなれば素っ気なくなっていくんだろうなと。それを思うと少し寂しくもあるが。
「それなら、これからもオレの前で笑っていてくれるか?」
そんなことを聞いてみたら、迷わずに「うん!」と頷いてくれた。
果たして彼はこの約束をいつまで覚えていてくれるだろう。明日になったら忘れてしまうのかもしれないけれど、いつまでも彼が笑っていてくれたら良いと純粋に思うのだ。そこに特別な感情がないとはいえないが、それ以前に彼は大切な弟のような存在だから。
「さて、そろそろ帰るぞ」
「あ、最後にブランコ乗りたい!」
そう言って駆け出す少年に仕方がないなと、緑間もその後を追う。これが終わったら帰るぞと言えば、分かったと元気よく返ってくる。
幸せを探して
いつか彼が大きくなった時、昔こんなことがあったのだと伝えたら。
成長した彼はどんな反応をしてくれるだろうか。
楽しみだなと思いながら翡翠は左手のクローバーを見つめる。
それは、いつかの未来の話。
お誕生日祝いとして差し上げたものです。
高尾が大きくなった時、二人はどんな関係になっているんでしょうかね。