「ねぇ真ちゃん、キスしようよ」


 言えば、緑間は顔を赤くしてこちらを見た。


「お前はいきなり何を言い出すのだよ!」

「だってオレ等、まだしたことないじゃん」


 何を、なんて言わなくても分かるだろう。これでもオレ達は恋人同士だ。恋人だったらキスの一つや二つ、したっておかしくないんじゃないだろうか。
 別にしなければいけないことでもないけれど、恋人ならそういうことをしたいと思ったりもするだろう。


「それはそうだが……」


 今時、下手したら小学生だってキスぐらい経験済みだろう。だから自分達も、というわけではない。こういうことは誰かと比べるものではないし、付き合っていくペースも自分達に合うくらいで良いのだ。
 それならどうしてオレはこんなことを言い出したのか。それは単純にキスをしてみたいと思ったからだ。恋人同士だから、というより好きだから。


「こういうものには、順序というものがあるだろう」

「それは分かるけど、そろそろ良いんじゃねぇ?」


 付き合っていきなりキスをしたいと話しているわけではない。そもそも、オレ達が付き合ったのは三ヶ月ほど前のことだ。それからまだ一度もキスをしたことがない。
 でも、それが不満だったわけではない。まず告白した時に付き合えるとも思っていなかったし、恋人として一緒に居られるだけでも幸せだった。
 それは多分、緑間にしても同じだと思う。付き合い始めてからも恋人らしいことなんて数えるくらいしかした覚えがないけれど、お互いそれに満足していた。


「なあ」


 無理強いをするつもりはないし、現状に不満もない。ただ、付き合って三ヶ月。そろそろ一歩進んでみても良いんじゃないかと思ったんだ。

 これまでにやってきた恋人らしいことといえば、手を繋いで歩くことくらいだ。あれは付き合い始めてひと月ぐらい経った頃だっただろうか。手を繋いでも良いかと聞いたら、その左手を差し出してくれた。ゆっくりそその手に触れると、ぎゅっと握り返してくれた。そんな小さなことがとても嬉しかった。
 他に恋人らしいことは何かしていないのかというと、もともとオレ達はクラスも部活も同じで一緒にいること自体が多かった。登下校も一緒だし、お昼だって出会った当初から一緒に食べている。教室でも部活でもセット扱いされることが多々あるくらいには、オレ達は行動を共にしている。

 そんなオレ達が恋人になって、付き合ったら始めるようなそれらは殆どが日常となっていた。だから特別何かすることもなく、手を繋ぐということ以外にそれらしいことをしたことはない。


「……また急にどうしたのだよ」

「どうしたって言われても、好きだからじゃダメ?」


 むしろそれ以外に理由なんているのだろうか。好きだからしてみたい。たったそれだけのことだ。


「真ちゃんは嫌なの?」

「そうではないが」

「なら、してみようよ」


 一歩、距離を縮める。翡翠がじっとこちらを見つめる。それを真っ直ぐと見つめ返すと、僅かに視線を彷徨わせた後に互いの視線がかちりと交わった。
 それを合図にオレ達はどちらともなく目を閉じ、そのまま唇を重ね合わせた。


「…………これで、満足か」


 触れるだけですぐに離れてしまったけれど、先程触れ合ったその場所は今もまだ熱が残っている。緑間の唇の柔らかさも、はっきりと記憶に残ってしまった。


「……なあ、もう一回」


 思わずそんな言葉が零れてしまった。
 初めてのキスはレモン味、なんてことはなかったけれど。本当に緑間とキスしたんだなとか、キスってこういう感じなんだとか。そういったことが頭に浮かんで、もう一度したいと思ってしまった。

 断られるかどうだろうかと視線を上げると、丁度向こうもこちらを見たところだったらしくばっちりと目が合った。緑間の顔も赤いけれど、多分オレも人のことはいえないくらいに赤くなっているんだと思う。自分でも顔が熱いのが分かるくらいだから。
 お互いに視線を逸らせなくなって、どれくらいただ見つめ合っていたのだろう。時間にしたらほんの数秒のことだったのかもしれないけれど、オレにはとても長く感じたその時間の後に緑間はもう一度キスをしてくれた。


「へへ、ありがとう。真ちゃん」


 二回目のキスを終えて小さく笑みを浮かべながらお礼を述べれば、ふんと鼻を鳴らして顔を逸らされた。それがただの照れ隠しだってことくらいオレにも分かる。
 そんな緑間を見て、今日はもうちょっと甘えてみても良いかなと再び数メートルもないその距離を縮めた。たまには、こういう恋人らしく過ごす日があっても良いんじゃないかと。恋人らしいことなんてあまりしたことがなかったから、キスをしたのをきっかけにもう一歩踏み出してみようと思った。


「真ちゃん、手、繋いでもいい?」


 すぐ隣まで移動して開いたままの手を見て尋ねる。本当は宿題をする為に緑間は家に来てくれたのだが、それも終わってしまった今はこの手もシャーペンを持つ必要はないだろう。


「……好きにしろ」


 了承を得てから彼の左手にそっと自分の手を重ねる。普段から一緒に居るけれど、こんなに近くに居るのは初めてかもしれない。緑間の隣はオレの定位置となっているが、それは友達や相棒としての場所。恋人としてのこの場所は、同じようでもなんだか違うように感じるから不思議だ。


「なんかさ、こういうのって幸せだな」


 特に何かをするわけでもなく、ただ一緒に居るだけ。それだけなのにこんなにも心が満たされる。それはやっぱり、それほどまでにオレが緑間を好きってことなんだろう。そして、緑間もまたオレを好きでいてくれる。だからこそ、余計にそう思うのかもしれない。


「…………お前は」

「ん?」

「もっとこういう、その……恋人らしいことをしたいと。思うのか?」


 手を繋いだり、キスをしたり。オレ達がしたことあるのはこれくらいだ。そういうことをしたくないといえば嘘になる、けど。


「したくないとは言わないけど、オレは今のままで良いと思ってるよ」


 多分、同年代の恋人達はキスをするまでに三ヶ月も掛からないだろう。手を繋ぐのにだって一ヶ月も掛からない奴等が多いんじゃないかと思う。
 だけど他人は他人だ。周りと同じようにする必要はない。まず周りに合わせるようなことでもない。その人にはその人なりのペースがあるんだから。


「ただ、ちょっとしてみたくなっただけ。オレは現状に満足してるし、こうやって真ちゃんと居られるだけですっげー幸せだよ」


 それがオレの気持ち。昔は恋人っていうのはそういうことを自然としたくなるものかと思っていたけれど、いざ付き合ってみたらそんなことはなかった。だからこのまま、オレ達のペースで付き合っていけば良いと思ってる。


「真ちゃんはどうなの?」

「オレも、今はこうしてお前と居られるだけで十分だ」


 なんとなく答えは分かっていたけれど尋ねてみたら、予想通りの言葉で返ってきた。そう思えることが幸せだなと、そう思って。


「好きだよ、真ちゃん」


 まだあまり伝えたことのないその言葉を伝えると、緑間は優しく微笑んで同じ言葉を紡いだ。それに笑みを返して、ぎゅっと手を繋いだままそっとその肩に凭れ掛かった。
 そんなある日の休日。窓からは温かな光が入り込んでいた。








を踏

恋人としての距離を縮めていこう。一歩ずつ、自分達のペースで。




緑高ワンライに参加させて頂いたもので、お題は「ファーストキス」でした。