「真ちゃん! ちょっと来て!」


 休み時間になるなりどこかに消えた幼馴染が戻ってきたかと思えば、今度はいきなり手を引いて連れ出した。おい、と止める声も聞かずにただ走る。
 ちなみにここは廊下である。廊下を走るなと言っても聞くわけもなく、どこに行くつもりかも分からないまま走り続けること数分。漸く立ち止まった頃にはお互い肩で息をしていた。いきなり校内を走り回れば誰だって疲れる。


「おい、カズ。いきなりどうしたのだよ」


 とりあえずここに来るまでに聞こうとしたけれど聞けなかった質問をぶつける。一体何の為にこんなに走らされたのか。納得出来る理由がなければ一言くらい文句を言っても良いだろうか。


「やっぱり、こういうのは直接見る方が良いかなと思って」


 何が、と聞く前にほらと高尾が指を差す。そちらに目を向ければ、大きな七色の橋が空に掛かっていた。そういえば今朝から降っていた雨がいつの間にかやんでいる。廊下側の席だからあまり窓の外の様子は見ていなかったのだが、虹が出ているということは雨がやんだばかりなのだろうか。
 虹を見たいなら教室のベランダにでも出れば良かっただけの話だ。それなのに二人はここ、校庭まで全力疾走。教師に見つからなくて良かったという話だ。早くしなければ虹が消えてしまう可能性があったからなのだが、それこそ教室で十分だっただろう。なぜここまで走らなければならなかったのか。


「教室でも見えただろう」

「かもしんないけど、外で見るのとじゃやっぱ違うじゃん」


 ベランダも外といえば外だ。わざわざ校庭に来る必要性はなかったような気がするのだが、高尾の言いたいことが分からない訳でもない。ベランダで見るよりもこちらの方が視界が開けていて見やすいだろう。ここまで全力疾走したのにも意味はあったと思われる。


「職員室行く途中で偶然目に入ってさ。真ちゃんにも見せたいなと思ったんだ」


 数年に一度しか見られないような特別な現象ではないけれど、虹だってそうそう見られるものではない。色々な条件が合わさって初めて現れる。それでもぼんやりとしか見えないこともあり、ここまで大きくはっきりな虹が見えるというのは珍しい方ではないだろうか。
 だからこそ緑間にも見せたいと教室に戻ってくるなり屋上まで連れてこられたわけだ。今頃教室ではどうしたんだと不思議に思われているだろうが、いつものことかと流されている頃でもあるだろう。幼馴染達が唐突な行動に出るのは珍しくもないことだ。


「確かにこれは凄いな」

「だろ?」

「だが、ここに来るまでに説明くらい出来ただろう」


 それに消えてしまうかもしれないとはいえ廊下を走ったら危ない。誰かとぶつかったらどうするつもりだったのだろうか。
 ……いや、その心配はなかったのかもしれない。この幼馴染は人より特別視野が広い。日常生活では他の人と同じようにしかしていなかったはずだが、おそらくそれを使っていたのだろう。見えていれば走ってもぶつかる可能性はない、とはいえ危ないことに変わりはない。
 注意を受けて「ごめん」と高尾はしゅんとした。そんな幼馴染の頭に軽く手を置いて、緑間は小さくありがとうと告げた。珍しいものを見せてくれて、と。すると高尾は顔を上げて緑を見ると、次の瞬間にはいつものように笑顔が戻った。


「虹って綺麗だよな。七色って赤とオレンジと黄色、緑と青に藍色と紫色?」


 目の前の虹を見ながら指で確認しつつ外側の色から名前を挙げていく。正しく色を並べた高尾に「そうだな」と緑間は相槌を打ち、語呂合わせで覚える方法もあると教えた。
 語呂合わせ?と疑問符を浮かべると、車のナンバーを何かの言葉にして読んだりするだろうと例を挙げる。同じようなものではテレビのCMで電話番号を語呂合わせにして覚えやすくしているのを見たことがあるだろう。言えば高尾も納得したようだ。


「八と七と八と三で花屋さんとか?」

「あぁ。虹の色の順番にもそうやって覚える方法があるのだよ」


 へぇともう一度虹に目をやる。
 赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。この七色を語呂合わせにするのならどうすれば良いのか。赤オレンジ黄色……とただ順番に並べてみてこれは違うと却下。一文字ずつ取ってあおきみ……と並べてみたけれどこれもよく分からない。
 他にも幾つか試してみたけれどこれがなかなか上手くいかない。まだ色の読み方をあまり知らないというのも理由の一つだろう。これが大きくなってもっと沢山の読み方を知っていけば組み合わせの幅も広がる。今ある知識だけで作ろうとするから難しくなっている。


「それぞれの色を音読みして“せき、とう、おう、りょく、せい、らん、し”と呼んだり、他にも幾つか覚え方はあるようだ」

「せき、とう、おう、りょく、せい、らん、し……?」


 どうしてそうなるんだと目が訴えている。音読みと訓読みの意味くらい分かるけれど、虹に使われる全ての色の音読みをまだ知らないのだ。分かりやすいところで一番初めの“せき”は赤飯にも使われているだろうと説明してやる。緑だったら緑茶あたりが身近な言葉だろうか。


「真ちゃんって難しいことも色々知ってるよな」

「本に書いてあったのだよ」

「そうなんだ。あ、青をせいって読むのは青春とかだろ!」

「そうだな。あとは青天なども同じ読みだな」

「晴れるって字じゃねーの?」

「青と書く方の青天もあるのだよ」


 てっきり晴れるという字を使うとばかり思っていた高尾にとっては少し驚きである。他にも同じ字で別の漢字を使うものは幾つもあるのだろう。緑間は全部ちゃんと知っていそうだなんて思いながらまた虹の語呂合わせを考える。
 全部を音読みする方法ならさっき聞いたところだが、それでは結局覚えられなさそうだからだ。別に虹の順番を覚える必要もないのだが、せっかくなら覚えたい。仮に音読みで覚えたとしてもその言葉が何色を示しているか分からなければ意味がない。今の自分に分かる読み方で覚えるのが一番だ。


「無理に言葉にしなくても良いんだぞ」

「でもそれっぽい方が覚えやすそうじゃん。ただ赤オレンジって並べていくのもさ」


 覚えられないことはないとしてもそのまますぎるというか。それはそれで覚え辛そうである。何か良い読み方はないだろうか。


「別の読み方ならオレンジは橙色、紫はすみれ色あたりになるんじゃないか?」

「そっか。藍色も紺色みたいなものだよな」


 自分達の知っている読み方を二人で一緒に探す。英語にしてもレッドやブルーあたりなら分かるだろう。テレビでもチーム対抗で別れる時にレッドチームやブルーチームといったように色に分かれている。
 それらを組み合わせながら試行錯誤。長かったり短かったり文字数がバラバラよりも揃えた方が一文字一色で分かりやすいのではないかというところまでくる。それで一度失敗しているが、これだけ読み方が増えればそれっぽくもなるだろう。

 その結果、出来上がった文字の並びは『あ、お、き、み、あ、い、す』の七文字。
 最初の『あ』は赤。『お』がオレンジ。『き』は黄色。『み』は緑。次に出てきた『あ』は青。続く『い』は隣の字も合わせて藍色のこと。最後の『す』はすみれ色。
 分かりやすく変換すると『青、黄身、アイス』と食べ物揃いの文字列になっている。最初だけ食べ物ではないのがそれはしょうがない。一文字で一色だから青を青と間違うこともない。どうしてこうなってしまったのかはもはや分からないが、覚え方なんて覚えられれば何でも良いのだ。


「よし! これで虹の順番は完璧だな!」


 やっとのことで完成した語呂合わせに高尾は満足する。緑間も高尾が分かりやすいのならこれで良いかと思っている。
 そうしていると授業開始五分前を知らせるチャイムの音が学校中に響き渡る。そろそろ次の授業が始まる時間だ。


「カズ、戻るぞ」

「あ、待ってよ真ちゃん!」


 戻るぞと声を掛けても緑間は高尾を置いて行ったりはしない。高尾も緑間がちゃんと待っていてくれることは分かっている。昔からそうなのだ。
 次の授業は算数だっただろうか。この前のプリント全部出来た?なんて話をしながら教室まで二人は並んで戻る。今日の授業は次で終わりだ。その前に掃除の時間があるわけだが、まずは教室に戻ってからである。