「そういえばさ、真ちゃんは誕生日とかある?」


 それは唐突に浮かんだ疑問だった。特に深い意味もない、なんとなく気になっただけの話題の一つ。
 誕生日があるかどうかと聞かれれば、この世に生きている人々はみんな同じ答えを出すだろう。その答えはイエスだ。誕生日というのはその人が生まれた日を指している。要するに、この世界に生きている人々は必ずどこかで誕生して今その場所にいるのだからない訳がない。当たり前のことだ。
 だが、そういうことを言いたいのではないと緑間にはすぐに分かった。そして、こんな質問をしていながらも答えなど聞いた本人さえ分かっていることも。それでも、聞かれたからと高尾の予想通りの答えを口にする。


「ある訳ないだろう。もしあったらこんなことなどしていない」

「はは、言えてるな」


 そういうお前は、と聞かなかったのはやはり答えが分かりきっているからだ。高尾にだってそんなものはない。いや、ない訳ではない。正確には誕生日を知らないだけである。これはそういう話だ。
 ではどうして誕生日を知らないのか。その答えは簡単だ。物心がついた頃にはもう、自分の誕生日を知っている人間は周りにいなかった。それを祝う人も。物心がついた頃に傍にいたのはお互いぐらいなものだ。


「でもさ、オレも真ちゃんも本当は誕生日があるんだよな」


 いつなのかは分からないけれど一年のどこかに誕生日があり、一年が経つごとに年を重ねている。一応自分の年齢なら分かっているけれど、特に聞かれるような場面もないから適当だ。誕生日が分からないということは、いつその日が来ているかも分からないということ。そろそろ一年経つから一歳は年齢が増えるんだろうなくらいの感覚だ。二人にとっては普通のことである。
 その普通を別段おかしいと思ったことはない。年齢がはっきりしなくても困ることはなかったから。そうした漠然とした中でただ生きる為に生活をしている。生きていく為に同じ境遇の子供達に手を差し伸べている。それらの行動に生きる為以外の理由はない。


「誕生日が知りたいのか?」

「まさか。そうじゃないんだけど、誕生日を祝ったり祝われたりっていうのは楽しいことなのかなって、ちょっとだけ思った」


 知らないのだから何とも言えないけれど、今日は誕生日だからと楽しげに話す親子を眺めながらそんな疑問が生まれた。別に誕生日が知りたい訳でもないし、その親子が羨ましかった訳ではない。今日海に行ったら綺麗な貝殻があったんだ、ぐらいの他愛もない話の一つだ。


「その答えが知りたいのなら、誕生日を作れば良いんじゃないのか」

「作るって?」

「決めれば良いだろう。そろそろ一年経つと数えている日を明確にするだけだ」


 そもそも日付感覚すら大してないのだが太陽が昇って沈み、また太陽が昇る頃には新しい一日が始まるという常識くらいは知っている。季節についても周りの景色で判断している。カレンダーなんて大層なものは持ち合わせていないとなればこんなものだ。
 だが、それではたった一日を決めるのも難しい。決めること自体は簡単だが次にいつその日が来るのかが分からないのだ。これでは全く意味をなさない。何か分かりやすい方法でもあれば別だが、そうでなければ誕生日など決めてもそれっきりで終わる。まぁ、一度だけそれを味わってみるという話ならそれでも良い訳だが。


「そうだな……じゃあ、満月の日とかは?」

「…………それだと一ヶ月に一度、誕生日が来ることになるんだが」


 随分と早い誕生日である。祝ったと思ったその一ヶ月後にはまたお祝い。それは誕生日というより決められたパーティか何かではないだろうか。それはそれで悪いとはいわないが、いくら日付感覚がないにしてももう少し別の決め方はなかったものか。


「だってさ、星だって同じ時期なら毎日見えるだろ? それなら月の方が良くねぇ?」

「星なら見えなくなる時期もあるが、月は一年中だろう」

「だけど星にしたら見えてる時期は毎日じゃん」


 どうしてそういう話になっているのかと思えてくるが、誕生日を知らない二人が誕生日の話なんて始めたからだろう。生まれた場所だって碌に覚えていない。なにより祝われて良いのかも分からない。けれどそんなことは気にし始めたらキリがないと知っているから思っても声には出さない。
 それに、二人はお互いに分かっている。この命が望まれたものかはそれを聞く相手がいないかは分からないけれど、ここに集まった家族はみんなそれぞれを必要としてくれていると。目の前の友に出会えたからこそ今があり、仲間が出来て、生きる為だけの生活にも楽しさを見つけられるようになった。その事実さえあれば細かい理由なんてどうでも良い。


「やっぱり星より満月にしようぜ。お祝いなんだから毎月あっても良いだろ? なんだったら毎回違う奴等を順番に祝っていけば良い」


 そうすれば一ヶ月に一度誕生日が来ることにはならない。毎月やってくるその日は、家族の誰かの誕生日。順番にその日を祝福すれば良いのではないか。
 少々強引な気もするが、それなら各々の誕生日は年に一度になる。毎月ではしょっちゅう祝うことになる気がしないでもないが、もしかしたら本当の誕生日が同じだったり一日違いという可能性もある。悪くはない提案だろう。


「毎月忙しくなりそうだな」

「こういう忙しさならオレは大歓迎だぜ。次の満月までに色々計画立てないとな」


 まずは誰を祝おうか。どんな風にお祝いしようか。
 誕生日というイベント自体よく分かっていないが、要するにその人が生まれてきたことをお祝いする日だ。大切な人に喜んでもらえるように準備をしていくことになる。けれど、一番初めの準備は二人きりで。その次からはみんなで準備して祝おう。一回目はサプライズにしたいから。

 食べ物は出来るだけ頑張るとしてあとは飾り付けとかかな、と次にやってくるその日のことを高尾はあれこれ考え始める。そんな友の姿を眺めながら、集中してしまう前に「和」と名前を呼ぶ。その声で意識をこちらに戻した友人に小さく笑みを浮かべて伝えるのだ。


「『誕生日おめでとう』」


 それを聞いた高尾は緑間を振り返る。そして彼の視線の先を辿って納得した。そういえば昔、そんな話をしたこともあったなと。十年以上前のことをよく覚えているななんて思ったが、そう思った高尾も覚えているということなのだから結局お互い様だ。


「今日、満月だったんだな」

「あの時の満月が何月だったのかは覚えていないがな」

「それはオレも同じ。つーか、何月だったのか知らなかったし」


 厳密には何日だったのかも知らない。日付を知る術がなかったのだから、覚えているのはそれが満月だったということだけだ。
 しかし、緑間はこの季節だっただろうと言い出した。どうしてそんなことが分かるのかと思ったままの疑問を口にすれば、あの時と同じ星座が今も見えるからなと窓の外に視線を向けたまま答えた。本当によく覚えている男である。そういえばそうだったかと思ってしまったあたり、高尾も大概だが。


「また真ちゃんに祝ってもらえるなんて思ってなかった」

「オレもまたお前を祝う日が来るとは思っていなかったのだよ。二度と会えないと思っていたからな」


 相手が生きているのかも分からず、けれど生きていたら良いと思いながら過ごしていた。一緒にいた時間よりも離れていた時間の方が長くなっているだなんて、あの頃の自分達では想像も出来なかっただろう。確信などなかったけれど、それに近いくらい自分達はずっと一緒にいるものだとばかり思っていたから。離れることになるなんて一度も考えたことはなかった。
 人生とは本当に何があるか分からない。ずっと一緒にいると思っていた仲間と別れ、二度と会うことはないと思っていた友人に再会し、おそらくこれからはまた一緒にいられると信じている。もしかしたらあの時のように別れが来るのかもしれないが、その可能性を考えないのは考えたくないからだろう。それに、あの頃と今では違うものがある。


「…………お前は」

「ん?」

「いや、良い人達に巡り合えたな」


 緑間がその先に何を続けるつもりだったのかは分からない。だが、高尾は笑って言うのだ。真ちゃんだってその中の一人だよ、と。
 この船のクルーはみんな良い人ばかりだ。そのメンバーには緑間も含まれているし、勿論高尾だって含まれている。ここの人達が自分達を迎え入れてくれた日から仲間になったのだ。高尾だけではない、緑間にしたってそうなのだと。
 そんな高尾の話に「そうだな」と緑間も頷く。それを見ながら「でも」と切り出した高尾は、緑間のすぐ隣までやってきて昔から変わらぬ翡翠を見上げる。


「オレにとって、真ちゃんは特別だよ。あの頃の家族も今の仲間もみんな大事だけど、真ちゃんだけは違う」


 違うというのは大事ではないという意味ではない。その中でも特別大切だという意味だ。他の仲間も大切で何かあった時には自分の命を掛けてだって守る。
 けれど、緑間に何かあったとなれば形振り構わずに動くのだろう。例の海軍との事件の時もそうだった。遠い昔の件も、大切な人達と緑間を守りたかった。そちらは結局失敗に終わっているのだが、緑間絡みになると冷静な判断が出来なくなるらしい。
 とはいえ、それは緑間にしたって同じだ。手段を選ばずに海軍に乗り組んで高尾を助けようとしていたのだから。緑間にとっても高尾は他の人達とは違う、特別な意味で大切なのだ。おそらく、二人がお互いに支え合って生きていたあの頃のことがあるからだろう。物心がついた時にはお互いがいて、最初はたった二人だけで生きていたから。


「オレ、真ちゃんに出会えて良かったよ」


 緑間がいたから今の高尾がいる。その途中に沢山の人達に出会ってきたけれど、その根本にあるのは間違いなく緑間の存在だ。それもやはり緑間からしても同じで、高尾が言ったのと同じ言葉を繰り返す。


「オレもお前に出会えて良かった。ありがとう、和」

「こちらこそ。これからもよろしくね、真ちゃん」


 あぁ、と答えながらどちらともなく唇を寄せた。部屋に差し込むのは月明りのみ。あの頃と同じように肩を並べながら、空に浮かぶ星々を見やる。
 あの頃の仲間はどうしているのか。今もどこかで笑って過ごせていれば良い。オレ達は今もあの頃のように幸せだから、どうか他の家族達も幸せでありますように。







の頃