手を伸ばしても届かない。どんなに走っても追いつけない。開き続ける点差。
それでもオレはただがむしゃらに走った。走って、たった一つのボールを追いかけて。それをチームメイトに回しながらとにかく一本。少しでも点差を縮める。本能でコイツは止められないと思った。それでも諦められなかった。だって、最後の大会だったんだ。一つでも多く勝ちたいに決まっている。
正直、帝光に当たった時点で無理な話ではあった。それでもせめて悔いのないように試合をしたいくらいは思う。だけど現実はどうだ。
届かない。ただ届かない。
中学最後の試合は圧倒的なスコアで敗北した。キセキの世代、緑間真太郎のチームに。
「何やってんの?」
どこからか聞こえた声に振り返れば、そこには自分の姿。いや、正確には違う。そこに在るのは自分に間違いないけれど、これは今の自分ではない。背も若干低い。声の高さはあまり変わらないような気がした。
それはそうか。たった一年前の自分だ。身長は伸びても声変わりはしない。声変わりなんて変声期が来たときになるぐらいだろう。それよりもだ。
「何って、練習だろ。お前こそ何言ってんだよ」
どうしてこんな状況になっているのか。まず間違いなくここは現実ではないのだろう。現実に自分が二人など普通に考えて有り得ない。もしあるとすれば、タイムマシンでも開発されて過去から自分がやってきた場合だろうか。勿論そんなことはない。現代にそれほどの物を作る技術はない。
となると、無難なところで夢だろうか。そう考えるのが一番良さそうだ。夢の中で過去の自分に会う、というのは有り得なくはないだろう。夢なのだから。
「練習ね。練習してどうすんの?」
「んなの試合で勝つに決まってんだろ」
他に何があるんだよ。練習するのはもっと上手くなる為だ。どうして上手くなりたいかといえば、試合で勝ちたいからに決まっている。もっと強くなって、一つでも多く勝てるように。自分の力不足でチームが負けるなんて御免だ。だから練習する。一年がスタメンだからなんて言われないように、ちゃんと結果を出せるようにするには練習しかない。
「勝つって誰に」
さっきまでは適当に笑っていた男の目の色が変わる。鋭いその瞳に相手は自分だというのに一瞬怯む。その瞳を知らない訳ではない。何せ相手はオレだ。その瞳の意味くらい知っている。
けれど、中学時代の自分は知らないのだ。緑間真太郎のことを試合の中でしか知らないから。高校で出会ったオレはもう知っている。アイツがただの天才ではなく努力の天才であること、才能だけでバスケをやっているのではないこと。勝つ為にはそれだけの人事を尽くしているということも全部。
確かに緑間のことを倒そうとしていたあの頃の気持ちは完全になくなってはいないだろう。それでも、今のオレは緑間を倒すよりも緑間と共に戦うことを望んでいる。
「キセキの世代や他の学校の奴等だ。オレは秀徳のみんなと一緒に戦う」
倒すのは仲間ではなく目の前に立ちふさがる相手である。緑間は敵ではなく仲間だ。大切なオレ達の仲間、チームメイトなのだ。他の部員だって彼のことを認めている。オレだってそうだ。
しかし、目の前の男はそれだけでは納得してくれない。「キセキの世代って、だから緑間だろ」と中学の時に倒したいと思い続けてきた名前を口にする。それは昔の話であって今は違う。
「緑間は仲間だ。この先もオレ達は一緒に戦っていく」
「何言ってんの? あんなに倒したいって思ってたじゃん。たかが半年で変わるような覚悟だったの?」
信じられないと言いたげにこちらを見つめる瞳。
でもこれが現実だ。お前は何も知らないからそんな風に言えるだけ。お前だって高校に進学して緑間に出会えば分かる。大体、同じ学校にいて倒すも何もない。アイツに認められるくらい強くなるとは入学した頃に決めたけれど、同じチームの仲間を倒したいと考えながら練習なんてやっていられない。そんなことを思っていたらチームワークも何もあったものではない。
「お前こそ冷静に考えろよ。同じ学校で倒したいって一方的に思ってどうすんの?」
「じゃあ何。それでチームメイト面して一緒にやれば良いと思ってんのかよ。そっちのがどうかと思うぜ」
「別にそんなことしてねーよ。チームメイトなのにチームメイト面とかする必要ないじゃん」
どうだかな、と昔の自分が笑う。本当にそうだったのかと。
言いたいことがあるならはっきり言えば良い。どうしてそんな遠まわしな言い方をするのかと自分ながらに思う。
そのまま言ってやれば、男は笑みを消してこちらに近付いた。それからオレの胸元を掴むと、中学の頃のオレは溢れる言葉をそのままオレにぶつけた。
「あん時の思いを忘れたのかよ! 何の為に引退してからも練習を続けてたのか思い出してみろ。全部アイツを倒す為だろ。それだけの為に受験勉強もそっちのけで練習して、高校だって強いところに行ったんじゃねーの? それなのに、今のお前は現状に満足してる」
「満足はしてない。だから練習してるんだ」
「緑間と勝つ為にだろ? 緑間を倒す為じゃなくて。その気持ちはどこに行ったんだって言ってんの。同じ学校だからって関係ねーだろ。チームで戦えなくても1on1だって出来る」
「今はもうアイツと勝ちたいんだよ。それにオレはPGだ。自分の役割も忘れたのかよ」
昔のオレは今以上に子供だった。それはそうだ、まだ中学生なのだから。オレだってまだ高校生、しかも半年前までは中学生だったような奴だ。大人というよりは子供という方が近い。
それでも、高校生になって周りの環境も変われば少なからず成長はする。体の成長もそうだが精神的な意味でも。IHの予選で負けて、夏合宿でも厳しい練習が行われた。そうした経験を重ねて少しずつではあるけれどオレも成長している。
中学のオレからすれば今のオレが理解出来ないのも無理はない。唯一の目標だった緑間を倒すことをしないどころか共に勝利を目指しているなんて考えられないんだろう。それと、多分この頃のオレは……。
言葉が止まったところでオレはそっと胸元の手を外した。そして今度はこちらが自分よりも少し小さな体を抱きしめる。いきなり何をするんだと騒ぐのは聞かない振り。
「真ちゃんのことはさ、お前も高校に行って会えば分かるよ。アイツはお前が思っているようなヤツじゃない」
今でこそチームプレイをするようになったけれど、入部当初の緑間は個人プレーばかりだった。それは中学時代も同じ。むしろそっちの方が酷いものだった。
天才がそれぞれ個人プレーをしながら次々と点を取っていく。スコアはダブルスコアで当たり前。オレが中一だった頃はまだ全国常連校という強豪でしかなかったけれど、キセキの世代の才能が開花してからは随分と変わった。
どれだけの奴等がバスケを辞めたかなんて分からない。天才の前に敗れた多くの者達。オレの中学でも高校ではもうやらないと言っていた奴がいた。だって、同学年のオレ達は高校でもアイツ等と戦うことになるのは必然だったから。
「アイツを倒そうって努力したことは無駄にはならない。その目だってチームの為に活かせば良い。お前にしか出来ないことがあるんだ」
自分の役割を見失わず進めば良い。コートを俯瞰から見ることの出来るその目は、きっとチームに必要になるから。実際中学でも仲間に頼りにされていただろ。主将だったからという意味もあるだろうが、その目がチームに必要だったのも事実だ。
天才には敵わないとしてもその天才の手助けをしてやることは出来る。世の中には色んな奴がいるけれど、ちゃんとお前のことを分かってくれる奴も現れる。お前はただ自分の信じたように進めば良い。
「オレも悩んだこととかあるけどさ、今はアイツや先輩と上を目指してる。分かってくれる人達はいるから、そういう人達に出会ったらきっとお前もオレの言ったことが分かると思う」
そして、その時はその人達の為に強くなりたいと思うだろう。今は分からなくてもいずれちゃんと分かるようになる。だから今はそれでもいい。でも、それを知った時はその人達の為にその目を活かして欲しい。オレが言いたいのはそれだけだ。
これが中学三年のいつ頃のオレなのかは聞かないと分からない。でもオレ自身のことだからなんとなく分かる。毎日強くなりたいって練習してそれを間違っていると思ったことはないけれど、ふとした瞬間に考えたことがある。
お前そんなに練習したってキセキの世代は天才だろとか言われてさ。それでも練習すればやりあえるようになるとは思っても、本当にそうなのかなとか思っちゃったりして。そういう不安があった頃なんだろうって勝手に考えている。
「あまり考えすぎるなよ。そういうタイプじゃねーだろ?」
「…………何でも知ってるみたいな言い方だな」
「だってお前もオレだしな。実際お前よりオレのが生きてるぜ」
たかが一年程度の違いだけれど中学と高校では全然違う。中学生だった時にはそんなに変わるものなのかと思ったけれど、高校に入ったらすぐに分かる。部活もそうだけど普段の授業だったりそういったものも中学とは違うんだ。当たり前といえばそうだ。
心配しなくても大丈夫。不安にならなくて良い。そんな風に言えるのは、オレが今高校で楽しくバスケをやっているから。
「言いたいことあるなら今のうちに言っておけよ。オレが全部聞いてやるからさ」
言えばもう言い切ったなんて返ってきた。たった一年の差なのにというけれど、それだけその差が大きいということだ。ついでにもういい加減に放せよと言われたから放してやる。目が合わせて貰えないのは単純に恥ずかしさからだろう。オレもお前自身なんだけどな。
「何かあったらいつでも話聞くぜ」
「こんなこともうないだろ。大体、こんなの所詮は夢なんだし」
所詮は夢。確かにそうかもしれない。夢なんだから現実には何の影響ももたらさないだろう。きっと目が覚めれば何か夢を見ていた気がする程度の認識にしかならない。オレもお前もまた練習をする。それだけだ。
でも。夢だからこんなことが起きて、それが全くなかったことにならないとは言い切れないだろ。
「夢でも会いたいって思えばまた会えるかもしれないだろ?」
そんな非現実的なこと、ってそう考えた方がおもしろいじゃん。もしかしたらそういう可能性もあるんだしさ。その場合、オレを呼んだのはお前なのかな。あの時は一人で色々と考えたっけ。誰に相談するとかも出来なかったしな。誰かに話を聞いてもらいたかったのかな、オレは。
「また会いたいなんて思わないだろうけど」
「そんなこと言うなよ。まぁ、会いたくなった時は会えると良いな」
本当に会えるかは分からないけれど、そうやって願ってみても良いんじゃないか。まず起きた時に覚えていたら、の話だけれど。それでコイツの悩みを解決してやれるのならそれで良い。今のオレはそれをしてやれるから。
それで明日からはまた練習に励めば良い。自分の信じた道を進めば良き相棒に出会えるはずだから。オレに会っている時点で、それが誰を指しているかは分かるんだろうけどまだ認められないだろう。自分でその道を歩みながら気付くと良い。
それじゃあまたな、なんて別れを告げる。
すると辺りが一気に白い光に包まれた。そして気が付いた時には自室のベットの上。近くにある時計を確認してみれば、いつも起きるよりも十分ほど早い時間だった。今から二度寝をしたら完全に寝坊をするし、この時間なら普通に起きることにする。
(夢、か)
太陽が昇り始めた空を眺めながらぼんやりと思う。そしてそっと呟くのだ。
「練習頑張れよ。オレも頑張るから」
強くなる為に、と。
さて、今日も一日が始まる。さっさと着替えて支度をして、そうしたらエース様を迎えに行くとしよう。今日こそはアイツにリアカーを漕がせてやる。
ただ勝つことを目指して
(努力を続ければ、きっと実るはずだから。お前はただ信じて進めば良い)