少し懐かしい話をしよう。
 あるところに仲の良い兄弟が居ました。少しばかり年の離れている二人でしたが、彼等はいつも二人一緒に楽しく遊びました。兄は弟を可愛がり、弟もまた兄が好きだった。
 そんな仲の良い兄弟も年齢と共に一緒に過ごす時間が減っていった。それもそうだろう。幼い頃と違い小学生から中学生、中学生から高校生。そして大学生へと進んで行けば、自分のことに使える時間は徐々に減って行く。部活にでも入れば生活のリズムも変わり擦れ違うことも増えていく。昔は仲が良く毎日一緒に過ごしていたとしても、歳を重ねていくうちに次第にその距離は広がってくのだった。


(かといって、仲が悪いワケではないよな……)


 ごろんとベッドに寝転がりながら心の中で呟く。ただ会う時間が減っただけで喧嘩をしている訳ではないのだ。決して仲が悪いのではない。お互い学校生活や部活で時間が合わないだけ。部活も学校生活に含まれるか、全部ひっくるめて学校生活だもんな。なーんて、くだらないことまで考えたりして。
 さて、話を戻そう。オレには兄弟が居る。六つ年下の弟が一人。察しの良い人なら気が付いていると思うけれど、先程の話というのはオレとその弟の話である。あくまでオレがそう思っているだけだが、弟に聞いたとしても同じような話になると思う。贔屓目なしでみても。


(高校生は忙しいもんな)


 小さかった弟も今や高校生。成長期に突入し今ではオレの身長を優に超えている。昔は小さくて可愛かったのになと思ったけど、可愛いのは今も同じだったわ。身長の割に細身な体型だからお兄ちゃんは少し心配だ。元から小食だからなんだろうけど、モデルでも出来そうな体型になっている。加えて美人だから、町中でスカウトされてもおかしくはない。絶対にやらないだろうけれど。
 また話が逸れてしまった。とにかく、その弟と最近はなかなか一緒に過ごすことが出来ないでいる。運動部に所属している為、平日は朝から晩まで練習。休みの日も練習や試合で出掛けていることが多い。数日顔を合わせない、というのも珍しいことではない。


(それが普通になってるのは、やっぱり寂しいな)


 忙しいのは分かっている。オレ自身も高校生の時は似たようなものだった。居残って練習をすることも多くて、あの頃は全然一緒に遊んでやれなかった。その時は少し寂しい思いをさせてしまったと思う。まだ小学生だった弟は、遅くまでオレの帰りを待っていたことがあった。どうしたの?と聞いても、なんでもないとしか返ってこなかったが本当は寂しかっただろう。その分オフの日は一日中一緒に遊んでいた。
 自分も通ってきた道だから分かってはいるものの、擦れ違ってばかりだと寂しいと思ってしまう。こればかりはどうしようもないだろう。感情なんてそう自由にコントロール出来るものではない。それに、この年にもなればそのことに対してどうこう言ったりもしない。こう見えても大学生なのだから。

 やることもないし寝ようかどうしようか。久し振りに体を動かしたり買い物に出掛けるのも良いけど、オレもそれなりに忙しい生活は送っている。人のことを言えないくらいには。最近は碌に睡眠をとっていなかったから、選択肢としてそれもありだなと思っただけ。
 そう思いつつも、実際はせっかくの休日なのだからもっと有意義に過ごすことを選ぶだろう。色々とやりたいことも溜まっているしな。

 そんなことを考えていると、コンコンとノックをする音が聞こえた。両親は家に居ない筈だ。となれば、部屋にやってくるのは必然的にそれ以外の人物になる訳で。


「兄さん、教えて貰いたいことがあるのだが……」


 入って良いと促した後に遠慮がちに開かれたドア。緑の髪に翡翠の瞳、すらっとした高身長の彼はオレの弟。てっきり今日も部活に行っているものだとばかり思っていたが違ったらしい。どれだけオレ達は会っていないんだ。
 いや、顔を合わせてもあまり話す時間がないだけか。それもそれでどうなんだとは思ったが、お互い忙しい身なのだから仕方がないとしかいえない。


「どったの? 真ちゃんがオレに聞きたいことなんて珍しいね」

「この問題が上手く解けないのだよ」


 そう言って差し出された問題集。見たことのある数式が並んでいるのを懐かしいなと思いながら、ちょっと貸してと問題集を受け取って適当な紙に数字を連ねていく。習ったのは六年も前だというのに、公式というものは案外覚えているものらしい。
 解説をしながら全ての式を書き終えると、そうかと納得してくれたようだ。ちゃんと説明が通じていたようで良かった。あまり人に教えることがないから自信がなかったんだ。そんな心配は無用だったようで、優秀な弟はすぐに理解してくれて教える方としても楽で助かる。


「他にも分からないことがあったら、オレの分かる範囲でなら教えるぜ」

「兄さんなら何でも知っているだろう。だがその時はまた頼むのだよ」

「過大評価しすぎだって。まぁいつでも聞けよな」


 確かに成績は良い方だったが、流石に何でもとはいかない。オレだって知らないことの方が多い。それに当時のオレより真ちゃんの方が成績は良いのだ。だからあまり勉強関係で聞かれることもないんだけれど、極たまに問題に詰まった時はこうしてオレを頼ってくれる。
 何でも出来る子だから頼って貰えるのは兄として嬉しい。昔からオレが手を貸すまでもなく自分でやることが多かったのだ。そんな真ちゃんが頼ってくれる時は出来るだけ力になってあげたいから、勉強は出来る方で良かったと思う。他にオレが頼られることといえば、バスケだったり家事だったり。バスケの方は今では真ちゃんの方が実力は上だけれど、オレが部活でやっているのを見て覚えたから昔は色々教えてあげたものだ。


「真ちゃん今日はオフ?」


 オレが教えた通りに問題の答えを書き込みながら、真ちゃんからは肯定が返ってきた。家に居るのだからオフなんだろうとは思ったけれど、昨日が練習試合だったから今日はオフになったらしい。それから兄さんも今日は家に居るのかと尋ねられたので、今日は一日中居るよと答えておいた。
 そういえば、両親が居ないから昼もどうするか考えなければいけないな。一人だったら適当に済ませてしまおうと思っていたけれど、真ちゃんも居るのならちゃんとしたご飯を用意した方が良いだろう。まだ成長期だし、せっかく一緒に居るのだから作ってあげたい。
 何か食べたいものはあるかと聞いてみると、きょとんとしながら兄さんが作るのかと聞き返された。せっかくだからさと話すと、暫く悩んだ末に昼は何でも良いという結論を出した。というのも。


「兄さんが作る料理はどれも美味しいのだよ」


 ……ということらしい。
 別にオレは料理なんて得意じゃないし、真ちゃんが料理苦手だからこういう時にいつも作る立場になっているだけ。出来るだけ美味しい物を作ってあげたいとは思ってるけど、こうやって面と向かって言われるとなんというか。ご飯を食べる時に美味しいって言ってくれるけど、作る前からこんな風に言って貰えるのはやっぱり嬉しい。


「じゃあどうすっかな……。とりあえず後で冷蔵庫見てみるか」


 今ここで考えても材料がなければ作れない。それならキッチンで冷蔵庫を確認してからある物で作れば良いだろう。何もなかったらその時で買い物に行こう。何もないということはないだろうけど。
 それより、久し振りに休日が重なったのだ。次いつになるかも分からないこの一日を無駄にはしたくない。どう考えても真ちゃんは勉強中だが、邪魔をしなければ文句は言われないだろう。


「……兄さん」

「んー?」

「あまり見られているとやり辛いのだが」


 そこまで見ているつもりもなかったが、見ていたのは事実だから否定は出来ない。ごめんごめんと謝って視線を外すものの、やはり暫くすれば目は緑を追ってしまう。
 真ちゃんは宿題をやっている最中だ。先程の問題も宿題の一つだったらしい。あの後、オレ達は真ちゃんの部屋に移動した。分からない所があればすぐに教えられるからという名目で。本心はただせっかくの休みなのだから一緒に居たかった。このくらいのワガママなら許されるだろ?ちゃんと問題の解説もしているから怒られたりはしていない。真ちゃんも同じことを考えてくれたら、なんて都合が良すぎるか。


(見てて飽きないっていうか、本当、美人さんになったもんだな)


 細長い綺麗な指が文字を書き記していく。オレとは違う達筆な字。ここにピアノがあったのなら、その指はしなやかに鍵盤の上を走っただろう。ここがコートの上だったなら、高い高いループを描くシュートを放ってくれたに違いない。真ちゃんのその手からは沢山の綺麗なモノが生まれる。オレはそのどれもを知っていて、そのどれもが好きだ。
 まぁ、それだけじゃないけれど。


「真ちゃんって可愛いよね」


 問題集の最後の問いを解き終えたのを見届けてから声を掛ける。パタンとそれらを閉じた弟は明らかに不満そうな顔でこちらを見た。


「可愛くなどないのだよ。大体、百九十もある男のどこが可愛いんだ」

「真ちゃんはいつだって凄く可愛いよ?」

「男が可愛いなんて言われても嬉しくもなんともない」


 それはオレにも分かる。オレだって男だ。可愛いという言葉はどちらかといえば女の子に対して使うことが多いだろう。男が可愛いといわれても、嬉しいというよりは逆の感情の方が大きそうだ。オレはこういう性格だからその場ではノッたりするけど、普通に考えれば嬉しくはない。
 だけど、オレからしてみれば真ちゃんは可愛いという対象に含まれるのだ。なんせたった一人の弟だ。昔からずっと可愛がってきて、それが今更変わったりする訳もなく。


「それでも真ちゃんはオレの弟に変わりないからね。いつまでも可愛い弟だぜ」


 言えば真ちゃんにふいっと顔を逸らされた。ほら、やっぱり可愛い。
 これが照れ隠しからくる行動だということは分かっている。伊達に十数年と付き合っていないからな。真ちゃんのことなら誰よりも知っている自信がある。今は顔を合わせる時間も減ってしまったけれど、料理の味の好みやちょっとした仕草。生まれた時からずっと傍で見てきて、親が仕事に行っている時はオレが面倒を見ることも多かったから色んなことを知っている。
 六歳差。これだけ離れていると同じ学校に通うことはまずない。真ちゃんが小学校一年生の時にオレは中学一年生。六年間通う小学校ですら一緒にならないのだ。一貫校となれば話は別だが、オレ達には縁のない話だ。真ちゃん自身が覚えていないこともオレは覚えている、それだけの年齢差があるのだ。


「真ちゃん、宿題はもう終わり? 特に予定がないなら久し振りにどこか出掛けようか」


 昼ご飯を食べてからの話だけど。そう尋ねると翡翠の瞳がちらりとこちらを見た。それから予定はないとだけ答えが返って来て、それじゃあどこに行こうかと勝手に話を進める。
 いや、正確には勝手にではない。これでも了承は得ている。素直じゃないだけで、予定がないと答えたということは出掛けるのにOKしてくれたという意味だから。


「スポーツ用品とか見る? あ、ラッキーアイテムになりそうな物でも探すか」

「兄さんはどこか行きたい場所はないのか?」

「オレは真ちゃんと一緒ならどこでも良いからさ」


 弟は素直じゃないけれど、オレは基本的には思ったことは口にする。真ちゃんに対しては大体そうだ。だからオレの発言に真ちゃんがこういう反応を見せることは珍しくない。別におもしろがってる訳じゃなくて、ただ単に思ったことを言っているだけ。


「真ちゃん」


 ほんのりと頬を染めながら俯いた顔をそっと上げさせる。そのまま軽く唇に触れ、何事もなかったかのように立ち上がるとオレはドアノブに手を掛けた。


「お昼作って来るからちょっと待っててね」


 そのままガチャリとドアを開けて部屋を出る。
 さてと、午後はどこに行くことにしようか。その前に昼を何にするかも冷蔵庫を確認してから考えなければいけないんだった。
 これくらいのスキンシップは兄弟の枠に収まる、ということにしておく。これくらいのスキンシップは今に始まったことではないから大丈夫だろう。

 流石に材料があってもお汁粉は作れないからな。お昼はカレーにして、午後はスポーツ用品店にでも行こう。少し前にバッシュを見に行きたいと言っていたし、どうせ出掛けるなら甘味処にでも寄ろう。
 せっかく一緒に過ごせるのだから、その時間を満喫しよう。

 大切な、可愛いと弟との時間を。







(過ごしたいと思うのは、同じだったら良いのに)