「ちょっと来い」
オレが真ちゃんにそう言われて教室を連れ出されたのは二時間目と三時間目の間の十分休み。いきなりなんだよと言ってもまるっきり無視。本当になんなんだと思いながらも引っ張られるからオレもそれに従って歩いた。そうして辿り着いた先は保健室。
なんで保健室なのか。どこか具合でも悪いのか。それとも朝練の時に怪我をしていたのか。オレが何かを言うよりも先に緑間はコンコンとノックをしてさっさと中へ入ってしまう。
何をするつもりなのか分からないからオレはただ突っ立ってることしか出来なかったけれど、養護教諭不在の保健室で真ちゃんがてきぱきと動いているからとりあえずそれを眺めていた。何を探しているんだろうと思って間もなく、真ちゃんはオレの前まで戻ってくるとおそらく先程見つけてきたであろうそれをオレの前に差し出した。
「えっと……真ちゃん熱でもあるの?」
「オレじゃない。お前に測れと言っているのだよ」
目の前にあるそれは体温計。文字通り、体温を測るための道具だ。どうしていきなりこんなことになったのかさっぱりだが、緑間はさっさとしろとオレに体温計を持たせた。時間は十分しかないのだから早く測って結果を見せろということなのだろう。
別にオレは風邪でもないし体温なんて測ったって平熱が表示されているのは目に見えている。どうしてそんなことしなくちゃいけないんだよと言いたかったが、真ちゃんが有無を言わせないような雰囲気だったから諦めて体温を測ることにした。
体温計のスイッチを入れて一分ぐらいは経っただろうか。ピピッという電子音が保健室に響く。取り出して表示されたディスプレイには『36.4℃』と出ていた。
ほら、やっぱり平熱だったじゃないか。口だけで伝えても信じられなかったのか緑間はオレから体温計を受け取ってその数字を確認した。こんなことで嘘なんか吐かないっつーの。
「だから言っただろ。少しはオレのことを信じろよ」
「……だが、体調は悪いだろう」
「なんでそうなるんだよ。オレそんなこと一言も言ってないっしょ」
一体どこをどう見たらそんな風に思えたのか。オレは朝だって自転車で真ちゃんを迎えに行ってリアカーで登校して、それから朝練だっていつも通りにこなした。授業だって普通に、まぁちょっとだけ寝てたけどいつも通りに受けていた。何もおかしなところはないだろう。
オレの言い分におかしなところはない。真ちゃんも「それはそうだが……」と何か言いたそうにはしているが、オレが正論を言っているから言葉を返せないでいる。
「ほら、教室戻ろうぜ。次の授業に遅刻したら不味いだろ」
次の時間は英語。監督が受け持つ教科で遅刻なんてしたら放課後の部活で練習を何倍にされるか。倍にされなくとも外周くらいは行かされるに違いない。それはキツイから早いところ戻って次の授業に備えよう。
行くぞと保健室のドアに手を掛けると、なぜか真ちゃんに逆の腕を掴まれた。そして「待て」とだけ言われる。まだ何かあるのだろうか。オレはもう用もないしさっさと戻りたいんだけど。
「さっきお前は平熱だと言ったな?」
「体温の話? そうだけど、それがどうかしたのかよ」
「お前、平熱は低かったはずだろう」
しまった。つーかなんで覚えてるんだよ人の平熱を。
いや、そんなことを言ったら平熱が低いと認めているようなものだ。ここは真ちゃんの記憶違いだということにしておこう。そうすればまだ大丈夫。
「なんのこと? オレは普通に平熱36度あるけど」
「自分で平熱は低いんだと言っていた奴に説得力があると思うのか」
そんなこと言ったかな……嘘とかではなく普通に覚えていない。記憶にないことを伝えれば、小学生の頃の話だと言われた。小学生って何年前の話だよ。水泳の授業の時には健康チェックカード的なものがあり、そこには朝体温を測って数字を記入する。その時に言っていたらしいんだけど、言われてみればそんなこともあったような気がする。
確かあの時は真ちゃんのカードを見て、36度台の数字が並んでいるのに真ちゃんって体温高いんだなみたいなことを言ったんだと思う。それが普通だろうと言われて、じゃあオレが低いのかみたいなことを言ったような気がしないでもない。オレのカードは逆に35度台の数字しか並んでいなかったからな。
「お前の平熱は35度台だろ」
ついそういえばそんなこともあったけ、と漏らしてしまったのが悪かった。これではもう言い逃れできない。平熱は上げることも出来るんだろが、オレは今も昔も変わらずに低いままだ。昔はそうでも今は違う、と言い張ることは出来るかもしれない。けれど、もう遅い気がする。
「……それでも先生に言ったら大丈夫だって言われるけど?」
「平熱が低いことを伝えれば問題ない」
何がどう問題ないんだよ。こっちは問題大有りだ。これくらいの熱は大したことないっていうのに真ちゃんが大げさすぎるんだよ。こんなの大丈夫だと思っておけば意外とどうにでもなるものだ。
そう言ってもきっと真ちゃんには分かってもらえないんだろう。意地を張っているわけでもないのだが、真ちゃんにとって平熱より1度高いというのは37度の世界。オレはただの風邪でそこまで熱があがるなんてあまりないけれど、多分真ちゃんには辛い体温なんだと思う。だからたかが1度違うだけで心配してくれるんだろう。心配性、ってわけでもないんだけどオレが具合悪くても大概何も言わないことを知ってるからな、この幼馴染は。
「真ちゃん、本当に大丈夫だから戻ろうぜ」
「そうやってまた倒れたらどうするつもりだ」
「いつの話してるんだよ! 自分の体のことぐらい自分で分かってるっつーの」
律儀に小学生の頃とか答えてくれなくてもいいから。つーか本当、なんで覚えてんの。記憶力がいいからとかそういう話じゃない気がするんだけど。
そんな昔の話なんて普通は忘れているだろう。そんな風に言えば、人に心配を掛けておいてよく言うと呆れたような声で返された。ああ、そういえばいつも真ちゃんオレのこと心配してくれたっけ。同じクラスだったし。なんだかんだでクラス別れたことないんだよな。これも運命ってヤツ?ただの偶然なんだろうけど、偶然にしては凄い確率だよな。
心配しなくても平気だって言ってもお前はいつもそうやって無茶ばかりすると毎回怒られた。それなら学習しろって思うかもしれないけど、オレ的には大丈夫だと思っているからな。だからさっきみたいなことを言われるんだろうけど、オレだってもう高校生だし大丈夫だ。……疑いの目を向けるなよ、前科があるからって。
「お前はベッドを借りて休んでいろ。監督にはオレが言っておく」
「そんなこと監督に言ったら部活出れねぇかもしんねーじゃん。次の授業は出る」
「駄目だ。それで悪化させたらそれこそ部活に出れなくなるぞ」
「座って授業聞いてんのと寝てるのとじゃ大して変わらねーよ」
「それなら普段から寝ないで授業を受けろ」
普段だってオレはそこまで寝てるわけじゃねぇよ。時々ちょっと眠くなって寝ちゃうことがあるのであって、別に寝ようと思って寝てるわけじゃない。決して言い訳ではない。誰だってそういうことくらいあるだろう。
ないときっぱり言われてしまったが真ちゃんはそうだよな。部活も勉強も何に対しても本当真面目なんだから。クラスメイトに聞けば何人かは同意してくれるはずだ。だからって今から聞きに行ったりはしないけど。
「真ちゃんの心配性!」
「無茶ばかりするお前が悪い」
「大丈夫だって言ってんじゃん!」
どちらも譲らない平行線。最終的にどうなったかって、真ちゃんに強引にベッドに投げられた。あの、オレも男子高校生なんですけど?そりゃ大して変わらなかったはずの身長もいつの間にか20センチ近くになってたけどな。
……どうして真ちゃんばっかりこんな大きくなっちゃったんだろうな。オレだって沢山食べて沢山寝て牛乳も飲んだのに。いや、オレも平均よりはあるんだけどバスケ部の中では小柄なせいでどうも身長を気にしてしまう。PGに身長はいらないとはいっても、幼馴染はこれだしな。
「そこで寝ていろ。嫌だと言うのなら養護教諭が戻ってくるまでオレがここに居る」
人を強引にベッドに乗せたかと思えばとんでもないことを言い出しやがった。それじゃあ先生が戻ってくる時間によってはお前が遅刻するだろと言えば、お前が大人しく寝ているのならオレは教室に戻ると言われた。
なんかこれはズルくないか?でも、真ちゃんのことだからきっと有言実行する。そうなるとオレに残される選択肢は一つしかないわけで。
「……寝てれば良いんだろ、寝てれば」
腑に落ちないけどこんなことで真ちゃんがサボるなんて嫌だし。一応熱があるらしいっていうのもさっきの検温で分かっちまったしな。オレ的には大丈夫なんだけど真ちゃんは許してくれないし、大人しく寝てますよっと。
でも、そういう小さなことにも気付く幼馴染は純粋に凄いというか。本当にオレのことを心配してくれているだけだろうから、そういうところはちょっと嬉しいなとか思ったりもした。絶対に言わないけど。
「次の授業が終わったら来るからちゃんと寝ていろ、カズ」
「分かったからさっさと行けよ。遅刻して練習増やされても知らねーからな!」
分かってて使い分けてんのかな、アイツ。何を基準にしてるか知らないけど。いや、多分周りに人が居るか居ないかの違いか。オレ達が幼馴染だってことは知られているし、オレは真ちゃんって呼び続けてるから今更なんだけどな。そういうのじゃなくてオレの反応を見て楽しんでもいるんだろうけど。どこでそんなことを覚えたんだか。オレではないと思う、多分。
保健室を出ていく幼馴染を見届けて、オレは何もない天井を見る。具合が悪いというほどのことじゃないけれど、幼馴染が心配してくれてるからこの時間はゆっくり休むことにしようか。そう思いながらそっと瞼を下す。
遠くで始業のチャイムが鳴り響く音が聞こえた気がした。
低体温の体調不良
(本当よく覚えてるっつーか、心配しすぎなんだよ)