「高尾」
あれから早五年。高校を卒業して別々の大学に進学した彼等は、卒業をきっかけにルームシェアという名の同棲を始めた。
掃除、洗濯、料理、ゴミ捨て。二人で生活するにあたって色々なルールを作った。自分の部屋から持ってきた荷物は必要最低限。あれこれ持ってきても限られたスペースの中に置ける量は決まっている。必要になれば買い足せば良いし、もっと広い部屋に住むなら自分達が社会に出てから引っ越せば良い。
そうやって始めた同棲生活は、時にぶつかることもないわけじゃない。けれど、別の学校に通いながらも好きな人と同じ時間をこれだけ共に過ごせるのだから幸せな毎日でもあった。この生活も二年目になれば大分慣れたものである。
コンコンと規則正しいノックをし、返事を聞いてから入ってきた緑間は現在二十歳。キセキの世代と呼ばれた天才バスケプレイヤーは、もうバスケとは離れた生活を送っている。彼の相棒もまた、将来の職に繋げるつもりのなかったバスケは休みの日にやる程度だ。
「何もしていないのならさっさと風呂に入れ」
「あーごめん。すぐ入るわ」
親からの仕送りがあり、さらにバイトもしている。ついでに家賃や光熱費は全て割り勘だからそこまで苦しい生活をしているわけでもない。とはいえ、出来る限りの節約はする。突然の出費があるかもしれないし、今後の為に貯金をしておくのは大切なことだ。
学校やバイトがあるのなら別だが、お互い家にいるのにいつまでも風呂の電気を入れておく必要はない。レポートが途中でキリの良いところまで終わってからくらいならまだしも、そうでないのなら早く入って電源を切る方が経済的である。
そうはいってもお互いそこまで気にしてはいないが、緑間にも言われたから早く風呂を済ませてしまおうと立ち上がった時、うっかり机の上にあった箱を倒してしまう。あ、と思った時にはもう遅い。
「……何をやっているのだよ」
「別に倒したくて倒したんじゃねーよ」
「まぁ、わざと倒す奴などいないだろうな」
とりあえずこのままにしておくわけにもいかないと箱の中身を拾おうとする。が、それを緑間が手伝おうとすると高尾はいきなり「真ちゃんは手伝わなくて良いから!」と声を上げた。いきなりなんだという尤もな質問にも「なんでも」とだけ答えてこちらに伸ばされる手から床に広がっているものを遠ざける。
全く何なんだとは思えど、ここまで拒否されるということは見られたくないもので間違いない。何をそんなに隠そうとしているのかは知らないが、誰にも見られたくないものの一つや二つくらいあるだろう。それは相手が友達だろうと家族だろうと関係ない。
だから緑間も大人しく手を引いて「あまり遅くなるなよ」とだけ言って部屋を後にする――――つもりだった。
「モミジ…………?」
偶然視界に入ったその名前を口にすればまた高尾が騒ぐ。何でもないからと本人は言っているけれど、目についてしまったものは今更どうしようもない。記憶を消したりしない限り忘れろと言われても無理な話だ。
そもそもモミジなんて珍しいものでもない。この季節なら尚更だ。徐々に色が変わっている木々を外に出る度に目にしている。一歩外に出ればすぐにでも手に入りそうなものだ。
それなのにどうしてそこまで誤魔化そうとするのか。そういえば、すぐに隠されてしまったそれはただの葉っぱではなくきちんと保存できるように押し花にされていた。
押し花、というところまで考えて緑間は数年前の秋を思い出す。五年前、部活が終わった後に紅葉を見に行こうと近くの公園まで足を運んだ時のことを。
「高尾、一応聞くがさっきのモミジは」
「あー……だから見られたくなかったんだよ」
言い終わるよりも前に高尾が被せる。つまり緑間が思い至った事柄は正解だったのだろう。どこにでもあるモミジ、けれど唯一のものである秋の風物詩。
本気ではなかったはずの押し花。あの時は妹の土産にする為にと持ち帰ったモミジがあっただけだと思っていたが、それ以外にもモミジを拾っていたのか。それとも妹にあげるという言葉こそが嘘だったのか。どちらであろうとそのことはさして重要ではない。
「押し花にしても残しておきたかったのか?」
気になるのはそこである。どうして高尾があの時のモミジを今でも大切に持っていたのか。
その答えは簡単だ。簡単なのだが、それを言うのは少しばかり躊躇してしまう。くだらない理由でしかないから言ったら呆れられるだろう。緑間なら無理に聞き出したりしないことは知っているけれど、見られてしまったのならもう話してしまおうか。無理に聞かずとも気になりはしているだろうから。
悩んだ末にそう結論付けた高尾は、言葉を選びながらゆっくりと口を開いた。
「押し花っていつまででも残せるだろ?」
「そういうものだろう。だから押し花にしたんじゃないのか?」
「それはそうなんだけどさ」
いつまでもそのままの形で残せる。それが押し花だ。幾らなんでもそれくらいの知識は誰だって持っている。だからそれも事実ではあるのだが、肝心なのはそうして残した理由。
押し花にすれば、いつまでもその時の形が残る。
先程緑間が目にしたモミジの押し花。それから桜の花、四つ葉のクローバー、ヒマワリの花弁。箱の中から落ちたそれらを集めて高尾は緑間の前に並べた。
「思い出って一番は記憶に残るけど、写真に撮ったりして形として残したりもするじゃん? だから、こうやって写真以外の形でも残しておきたいと思ってさ」
高校二年になったばかりの春、今度は桜を見に行こうと学校帰りに近くの公園に寄り道をした。四つ葉のクローバーはいつかのラッキーアイテムで、朝学校に行く前に探しに行った。どこを見ても三つ葉ばかりでこのままでは遅刻するかと思ったが、そんな時に見つけた幸せの葉。ヒマワリは夏、練習試合をした学校の近くに大きなヒマワリ畑があったのを見て帰りに寄った時のもの。
どれもこれも二人が共に過ごしてきた思い出の欠片。その小さな欠片を高尾はこういう形でずっと残していたのだ。記憶だけではなく、写真でもなく、それらとは違った思い出の形で。
「オレにとって、真ちゃんと過ごしてきた思い出はどれも大切なものだから」
そう言った高尾の斜め後ろにあるのは小さな貝殻だろう。おそらく、合宿の時にこっそり抜け出して海で拾ったものだ。ぐるりと見渡した部屋に広がっている箱から溢れ出た記憶の欠片は、どれも二人の思い出の一部。懐かしいものから数ヶ月前のものまで。この小さな箱の中に大切に詰め込まれていたのだろう。
「こんなのくだらないって思うかもしれないけど」
「くだらないと思うわけがないだろう」
今度は高尾の話を緑間が遮る。何をどう取ったらくだらないなんて思えるのか。今この部屋に広がっているのは二人の大切な思い出の数々だ。それをくだらないなど思うわけがない。
どうしてそんな考えに至ったのかは分からないが、高尾がそれを分かっていないというのならちゃんと言葉にして教えるまでだ。ここにあるのは、高尾だけではなく緑間にとっても大切なものなのだと。
「オレもお前との思い出はどれも大切だ。こんな風にそれを残していてくれたことは嬉しいのだよ」
呆れたりしない。むしろその逆だ。こうまでして思い出を大切にしてくれる恋人を愛おしく思う。だから、伝えるのは“ありがとう”という言葉。
こんなにも思い出を大切にしてくれてありがとう。高尾はこれらの欠片をどんな気持ちで残してきたのだろうか。時々この箱を開けては何を思っていたのか。それほどまでに想ってもらえるのは恋人として幸せなことでしかない。
「ありがとう、和成」
感謝の気持ちと共にお互いの唇を重ね合わせる。出会ってから五年、付き合い始めてから五年。少しずつ縮んでいった距離も今はゼロに。
「愛している」
「……オレも愛してるよ、真ちゃん」
一度離れた唇に今度は高尾の方から触れる。少しずつ、けれど確かに二人は前に進んできた。その軌跡の全てがこの部屋に溢れている。
沢山の思い出の欠片。大切な記憶の欠片。
小さな箱に詰まった幸せの欠片
(こんなものまであるのか)
(良いだろ。オレにとっては大事なモンだし。真ちゃんはオレがあげたものとか残してある?)
(お前がくれた大切なものだからな)
(……っとに、お前は)
これからはもう少し大きな箱に二人で一緒に詰めていこう
溢れるほどの幸せの欠片を
「秋の色に染まったら」の五年後設定でそれと一緒に差し上げたものです。
大切だからこそ写真とは別の形でも残しておきたかったんですよね。別々に残していたそれらをこれからは二人で大切にしていくんだと思います。