I love you.
訳、私は貴方を愛しています。
英語の授業で習う初歩的な英語。あまり英語が得意でない者でもこれくらいなら分かるだろう。歌のタイトルにも使われている。愛を伝える為の言葉の一つ。
「真ちゃん、見ろよ! 月が綺麗だぜ!」
部活が終わった後の帰り道。空を見上げれば無数の星と真ん丸のお月様が輝きを放っていた。
九月十九日、今日は十五夜だ。今見ているこの月は真円なのだろう。十五夜だからとスーパーなどでは月見団子が売られているのではないだろうか。河川敷にでも行けばススキも手に入りそうだ。
とはいえ、今から団子やススキを用意してお月見をするわけでもない。部活が終わってから時間ギリギリまで残った後だ。あまり寄り道をする時間もない。
「あまり騒ぐな。近所迷惑なのだよ」
「そこまで騒いでねーよ!」
十分騒いでいるだろう、とは言わないでおいた。実際そこまで騒がしいわけでもないし、それを言った方が騒がしくなるだろうと思ったから。なんて思っていることは勿論内緒である。
のんびりと帰り道を歩きながら空を見上げる。空ばかり見ていると転ぶぞと忠告してやれば、ちゃんと周りも見てるから大丈夫だと返ってきた。本当に大丈夫なのだろうか。だが、さすがに高校生にもなって空を見ていたせいで人とぶつかるということもないだろう。真ん丸だな、と話す黒髪に目をやってから緑間も空の月を見上げる。
「な、綺麗だろ?」
隣で笑った男はまた空を見てあれって何かの星座なのかなと呟いている。星座くらい晴れていれば何かしら見えているだろうが、理科の授業程度の知識しかない高尾にはそれが何かまでは分からない。けれど、これだけたくさんの星があるのだから星座もあるだろうと思いながら星と星を結ぶ。
「あれって夏の大三角形?」
「ああ、そうだな」
こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブ。
この三つを結んで出来上がるのが夏の大三角形だと緑間が補足してやる。それに七夕の織姫と彦星だろと高尾も付け加える。
どれがどれだか分かっているのかと尋ねれば、これくらいなら大丈夫だとのこと。その言葉通り、指を差しながら口にした星座の名前は全て正解だった。いくらなんでも小学生レベルは解けるらしい。
「それなら、向こうに見えるのは秋の四辺形だが分かるか?」
秋の四辺形がある方角を見ながら質問するが「そこまで星座に詳しくねーよ」と言われてしまう。ペガススの大四辺形とも呼ばれるそれはペガスス座のマルカブ、シェアト、アルゲニブ、そしてアンドロメダ座のアルフェラッツの四つを結ぶ出来る四辺形のことである。
どれとどれのことと聞いた高尾に指で指示しながら教える。一つだけぺガスス座じゃないんだなと率直な感想を零すと、元々はアルフェラッツもぺガスス座でもあったのだと説明してくれた。色々なことを知っている友人のお蔭で少しずつ高尾の知識が増えていく。今日もまた一つ新しい知識が増えた。
「今日って満月だろ? 満月が近いと丸いなとか思うけど、今日のは本当に綺麗な丸なんだよな」
「満月だからな。だが、十五夜が毎回満月というわけではないのだよ」
「え? 十五夜だから満月なんじゃねーの?」
違うと否定するとそれならどうして十五夜というのかと質問される。それに対し、緑間は旧暦で八月十五日のことを指すからだと話す。十五日の夜だから十五夜。満月だから十五夜ではないのだ。だから毎年十五夜が満月になるとは限らない。大概は一日や二日ずれて満月の日がやってくる。
今年はたまたま十五夜と満月の日が重なったが、次に十五夜と満月がイコールになるのは八年後。この二つがイコールで結ばれる日というのは珍しいのだ。
「じゃあ来年から暫くは十五夜でも満月じゃないんだな」
「満月だからと月を見ていたわけでもないだろう」
確かにその通りだ。満月だからというよりは十五夜だから。そうでもなければ特に意識して月を見たりはしない。偶然視界に入った月が綺麗だなと思ったり、ふと窓の外の月をみることはあるけれどそれくらいだ。十五夜という日が名月を楽しむ日だからである。
そういえば、と切り出されてその声に耳を傾ける。それに続けて出てきたのはある偉人の名前だった。
「夏目漱石はある言葉を“月が綺麗ですね”と訳したそうだ」
唐突な話題転換だが、高尾もその偉人の名前くらいは知っている。紙幣の肖像にもなっており、有名な本も国語の教科書に載っていたと記憶している。
だが、いきなりそんなことを言われてもその意味までは分からない。訳したと言うのだからそれは何かの物のたとえなのだろう。その何かが分からないのだが。
「そのまんま月が綺麗ってことじゃなくて?」
「それでは訳でもなんでもないのだよ」
一応聞いてみるが案の定外れ。では、かの有名な夏目漱石は何をその言葉にたとえたというのか。
月を見上げてはみたもののそれだけのことで答えが出ることもなく。抱く感想は月が綺麗だなぐらいなものである。それっぽいものがないかと考えてみても、そのままでも言葉として意味が通じるだけあって他の考えが出てこない。
「月だろ? んー……君が月のように美しい的な?」
「儚いとでも言いたいのか」
「いや、ってことはこれも違うのか」
緑間の返答からそう判断した高尾はまたその答えを考え始める。けれど、考えても考えても正しい答えに辿り着かない。せめてヒントはないのかと聞いてみたところ、二葉亭四迷はそれを“死んでもいいわ”と訳したそうだ。
……といわれても全く分からない。ヒントがさらに謎を呼んでいる状態である。もう月から離れて考えるべきなのかと思ったものの“月が綺麗ですね”と“死んでもいいわ”という言葉の共通点は見つからない。むしろどこに共通点があるのかと思うレベルだ。
しかし、この二つはどちらも同じ言葉を訳したものである。それだけははっきりしている。
「あーもう! 降参!」
あれこれ考えてみたものの、考えれば考えるだけ謎に包まれていく。さっきのヒントのせいで余計に分からなくなったといっても過言ではない。
「結局それってどういう意味なんだよ」
「いずれ授業でやるだろう。その時にちゃんと先生の話を聞け」
正解は分からず仕舞い、なんて納得出来るわけがない。ここまで考えたのにそれはないだろう。夏目漱石ならいずれは授業でもやるだろうが、それまで分からないままなんてモヤモヤする。
それなら自分で調べれば良いだろうというもっとも過ぎる緑間の意見に、それもそうだとポケットからスマホを取り出す。が、歩きながらスマホは危ないから止めろとのこと。お前が調べろって言ったんだろうとは思えど、危ないのも事実だからここは大人しくスマホをしまうことにする。
調べるのなんてインターネットのあるこのご時世、いつどこでも簡単に出来るのだ。家に帰って調べれば良いだけの話である。あと数十分もすれば分かるのだからそれくらいは我慢する。
「それじゃあ、また明日な」
家の前でいつものように別れの挨拶。高尾の言葉に緑間が「あぁ」と返して終わり。そんないつも通りのやり取りで終わると思われたのだが。
「高尾」
名前を呼ばれて振り返る。そして続いた言葉は。
「月が綺麗だな」
まだ答えの分からないその言葉だった。おそらくこれもそのままの意味ではないのだろう。夏目漱石が訳したというそれなんだということまでは分かるが、その先は今の高尾には分からない。
一先ずそのままの意味として捉えて「そうだな」と返すと、緑間が小さく笑みを浮かべた。
それから、数十分後。
高尾は家に着いて真っ先にスマホでその単語を検索ボックスに入力して検索をかけた。すると、次のページですぐに答えが表示されたわけだが。
「アイツ、これ分かってて言ったのかよ…………」
月が綺麗ですね、とは。
夏目漱石が“I love you”を日本的に意訳したものである。
それらのページが示していた答えはそれである。
つまり、緑間の別れ際の言葉の意味もこれ。文字通りの意味で返してしまったけれど、そういう意味での返答としても間違ってはいない。恋人なのだから。だが。
(明日、絶対聞かれる)
昨日の夏目漱石の言葉の意味は分かったのかと。そうしたらどう答えれば良いのか。
あーもうとりあえず風呂入ろ、と着替えを持って高尾は部屋を後にする。視界に入った窓の外では、やはり綺麗な月が光り輝いていた。
月が綺麗ですね
“I love you”を遠まわしに伝えられた。さて、どうやって答えよう。
いっそ“オレもお前を愛してる”とそのまま伝えてみようか。