ゆっくりと瞼を持ち上げる。初めはぼーっとしていたが、視界に映る見慣れない景色に徐々に頭が覚醒してきた。


「ここは…………」

「気が付いたか」


 聞こえてきた声に反射的に構えると、相手は「あまり動かない方が良い」と言ってすぐ傍に腰を下ろした。それがどういう意味か、なんていうのは体に走った激痛で聞かずとも分かった。
 だが、分かったところで疑問は残る。どうして自分がこんな場所に居るのか。目の前のこの男は何を考えているのか。警戒をするなというのは無理な話だ。


「……アンタ、どういうつもりだ」

「別に理由なんて良いだろう。それより包帯を変えさせろ」


 このように言うということは、この怪我の手当てをしたのもこの男だと考えるのが妥当だろう。やはりその理由は分からないが。
 だってそうだろう。人間が自分を助けるわけがない。それもこの男はおそらく神父だ。こちらを狩る側の人間がどうしてオレを助けようとしているのか。意味が解らない。


「質問に答えろよ」

「威勢がいいな。オレに手当てをされたくないというなら構わんが、野垂れ死にしても知らんぞ」


 一体何を考えているのか。何も分からないけれど、少なくとも今すぐにオレを殺す気はないらしい。それならまず助けてすらいないだろうけど。
 言いたいことは山ほどあったが、今は大人しく男の言葉に従った。オレに構うなとこの場から出て行くことは不可能ではないだろうが、普通では考えられないことをする理由が気になった。人間に助けられる日が来るなんて、世の中何があるか分からないものだ。


「なあ、何でオレを助けたんだ?」


 手際よく包帯を交換し、使った道具を片付けた男に問う。包帯は変え終えたのだからもう質問をしても良いだろう。アンタの仕事はオレ達を狩ることだろうと、そういう意味を込めて尋ねる。


「理由がなければいけないのか」

「理由もなく助けるヤツなんてどこにいるんだよ」


 そんなお人好しなんていないだろう。そう思ったけれど、翡翠の瞳は真っ直ぐにこちらを見るだけ。
 ……まさか、本当に理由もなく助けたんじゃないだろうな。これがまだオレが人間だったなら、そういうお人好しも居るのかと思ったかもしれない。だけど、どうして人間が殺すべき対象である自分を理由もなく助けるんだ。それはもうお人好しではなく変わり者というべきだろう。
 そのようなことを考えていると、はあと溜め息を吐くのが聞こえた。そのままそちらを見れば、男は呆れたような表情で言った。


「それなら聞くが、お前は死にたかったのか?」

「そんなワケ……!」

「なら良いだろ」


 ないだろう、と言い終える前に遮られた。こちらとしては全然良くないんだけれど、これはどうしたら求めている答えを聞くことが出来るのだろうか。


「一応聞くけど、アンタって神父だよな?」

「それがどうした」


 ああ、やっぱりそこは間違っていなかったらしい。この際、間違っていてくれた方が良かったのかもしれないけれど。確認の為にオレは続ける。


「アンタ等は、オレ等を狩ることが仕事じゃねーの?」

「それも仕事の内だが、それだけが仕事ではないのだよ」


 そうだとしても、それも仕事の内であることに変わりはないだろう。それなら何でとオレが疑問に思うのは当然のことで、でもこの男はそれに答える気がないんだろうか。それならそれでも良いけど。気にはなるけど、もともとオレ達は相反する存在だ。


「それに、何もしてこないのはお前も同じだろう」


 人間はオレ達を狩る存在。オレ達は人間を襲う。だから人間はオレ達を狩るのだろう。
 この男がどうしてオレを助けたのかは分からない。普通なら助けるより殺すべきなのに。だが、それならどうして普通は人間を襲うオレが何もしないのか。その理由は単純だ。


「……助けられたのに手を出したりはしねぇよ」


 オレが何もしないのはこの男に助けられたから。流石に恩を仇で返すような行為はしない。かといって何か返せるものがあるわけでもなければ、オレ達の間にそんなものが必要だとも思わない。
 だから今だけ。この男も、次に会った時には何事もなかったかのように刃を向けるのだろうか。それならそれで良い。むしろそれが普通だ。


「手当てをしてくれたことには感謝するけど、次会った時は敵同士だ」

「その前にお前は怪我を治せ」

「オレ達は人間のように軟じゃないから、これくらいすぐに治る」


 でも、ありがとう。
 それくらいはきちんと言葉にしておいた。すると男は、行くのなら裏口から出て行くと良いと教えてくれた。表から出ると目立つだろうと。
 どこまでお人好しなんだか。お人好し、というレベルではない気もするけれど。


「……そういえばアンタ、名前は?」


 なんとなく、意味はないけれど聞いてみた。答えてもらえなくても良かったけれど、その男は何の躊躇もなく自分の名を口にした。


「緑間真太郎だ」

「じゃあ緑間、一つ忠告しとく。人間があんまオレ達に関わらない方が良いぜ」

「そうだな。だがお前もあまり人に気を許さない方が良いのではないか?」

「アンタが殺す気ならとっくにオレを殺してるだろ? ま、言われなくても分かってるよ」


 体を動かすと鈍い痛みが走るが、いつまでもここに居るわけにはいかない。緑間はオレを殺す気がないようだけど、他の人間に見つかりでもしたら厄介なことになるのは目に見えている。早いところここを離れるべきだろう。
 ゆっくりと立ち上がり、先程言われた裏口の方へ進もうとして足を止める。そういえば、聞くだけ聞いて自分は名乗っていない。別に名乗る必要もないといえばないけれど。


「人にだけ聞いておいて、自分は名乗らないつもりか?」


 言わなくても良いかと思ったところだったが、聞かれたからには答えるべきだろう。礼儀として。


「高尾和成。もう会うことはないかもしれねーけどな」


 むしろ会わない方が良いのかもしれない。
 そんなことを思いながら、今度こそオレは裏口から外へ出た。東の空からは太陽が昇りはじめている。これはさっさと戻った方が良いなと思いながら、オレは森の中へと進んで行った。






(その夜、変わり者の神父と一匹の狼が出会った)
(これが、この物語の始まり)