肌を撫でる風が冷たい。だけど今の季節ならそれも当たり前。この季節に風を涼しいと感じたのなら、自分の体調不良を心配するべきだろう。しっかり冷たいと感じているからその点は心配ないけれど。


「こんなところで何をしているのだよ」


 風邪を引くぞ、と少し怒ったような声で言われる。いや、実際怒っているんだろう。何も言わずにこっそり抜け出してこんなところに居れば、怒られたって仕方がない。まあ、何も言わなかったのはわざわざ起こす必要がないと思ったからだけど。


「ちょっと外の空気が吸いたくなって」

「お前は今が何の季節か分かっているのか」


 冬だろ、なんて答えたら絶対に怒られるだろう。分かっているのなら冬の冷え込む夜に外に出歩くなと言われるのは目に見えている。せめて厚着くらいしろと言われるんだろうけど、そこまで考えずにふらっと出てきてしまった。だから余計に怒っているんだろう。


「そんな怒るなよ。ちゃんと後で戻るから」


 何もオレだってこの寒い中、一晩中外に居るつもりなんてない。心配しなくてもちょっと外に出たら戻るつもりだったんだ。真ちゃんに探されるのは想定外だった。
 でも、それは向こうにしても同じだったんだろう。ふと目が覚めたら隣にオレが居なかったから、こうして探しに来てくれた。放っておいても戻ってくることは分かっていただろうけれど、何も羽織らずに出て行ったことがバレたんだろう。


「後でではなく、今すぐ戻れと言っているんだが」

「オレ、体は丈夫だから平気だって」

「そういう問題ではない」


 はあ、と溜め息を零して翡翠がこちらを見る。それならせめてこれくらいは着ろと、腕に持っていた上着を一枚肩に掛けてくれた。最初からオレが戻らないことは分かっていたんだろうな。本当、真ちゃんは昔から優しい。


「真ちゃんはどうすんの?」

「お前が戻るまでここに居るのだよ」


 先に戻ってても良い、と言いかけたけれどやめた。戻るかどうかを気にされているわけじゃないと気が付いたから。そういえば昔にもこんなことがあった。


「これ、宮地さん達にバレたら怒られるよな」

「そう思うのならさっさと戻れ」


 あれはいつのことだっただろう。オレ達がまだ一緒に暮らしていた頃だからかなり前の話だ。あの時も夜中に目が覚めて、ふらっと出歩いていたところを真ちゃんに見つけられた。


「昔もさ、オレが夜で歩いてたら真ちゃんが探しに来てくれたよな」


 覚えていることは期待していなかった。けれど、真ちゃんは「そんなこともあったな」と返してきた。それはつまり、覚えているということだろう。十年以上も前のことなのに、とは同じく覚えているオレの言えたことではないか。


「何で真ちゃんはオレが居なくなるとすぐ気付くんだよ」

「何でと言われても困るが、目が覚めてしまうのだから仕方ないだろう」


 オレが居なくなるとなんとなく分かる、ということなんだろうか。人の気配に疎かったら生きていけないような生活を送っていたしな。かといって夜が落ち着いて眠れないような生活だったというわけではない。眠れない夜がなかったとは言わないけれど、その辺はお互い様だ。
 それじゃあどうしてオレの居場所が分かるんだ、って聞いたら似たような答えで返ってきた。適当に探し歩いていれば見つかるって、オレも遠くまで行ってはいないけどこれもこれでどうなんだろう。


「真ちゃんには何でもお見通しってことか」

「お前には言われたくない」


 それはオレが何でも見通していると言いたいのか。
 そんなことはないと否定したけれど、どうだかと言われてしまう。そう思われるようなことなんてしたっけなと考えてみたけれど、特に思いつくことはなかった。あの頃も周りのことは気に掛けてたけど、それはオレだけじゃなかっただろう。


「そう? オレお前には隠し事出来なかったけど」

「それはオレも同じだ」


 別に隠し事をするつもりもなかったけれど、その点も同じだろう。まず隠し事をする必要もなかった。二人で一緒に生きてきたのに隠し事も何もあるかって話だ。


「それで、今日はどうした」


 外の空気が吸いたくなってと答えたはずだけれど、そう問われたのは何かあると思われたからか。嘘を言ったつもりなんてなかったけど、それにしたって何かしらの理由があるだろうという意味か。
 隠し事をするつもりもなければ、隠すようなことなんて何一つない。そのまま特に理由はないけれどと言えば、追及されることもなく「そうか」とだけ返される。離れていた時間は長かったけれど、それでもなんでか分かってしまうのだから不思議だ。


「ただ夜中に目が覚めて、外の空気が吸いたくなった。夢見が悪かったとかそういうこともねーよ」

「なら、風に当たりながら何を考えていた」

「別に何も……とは言えないけど、昔のこと思い出してた」


 出てきた時は目的も何もなかったけれど、ここでこうしてぼんやりと空を見上げていたらあの頃のことが頭に浮かんできた。そうしてなんとなくあの頃のことを思い返していたところに真ちゃんがやって来た。


「なあ真ちゃん。オレ達はあの頃から変わったのかな」


 十年も経てば成長くらいする。背も伸びたし、見た目だってそれなりに大人っぽくはなっただろう。あの頃よりも声が低くなって、知識だって増えたと思う。
 だけど言いたいのはそういうことではなくて、なんて言えば良いんだろう。空を見上げながら言葉を探していたら、オレが何かを言うよりも先に真ちゃんが口を開いた。


「何も変わっていないだろう。オレも、お前も」


 実際、変わったことは成長を除いても沢山ある。オレ達は一度離れ離れになっていたし、その間に敵対する関係にまでなっていた。再会した時にはお互い相手のことは覚えていなかったり、あの頃のままとはとても言い難い。
 でも、真ちゃんはそんなオレ達のことを変わっていないと言った。もしあの時、海軍に出会っていなければずっと一緒に居られたんだろうか。そうして過ごしたオレ達は今のオレ達とはきっと違うんだろうけれど。


「そうだな。何も変わってない」


 こうやって話しているとよく分かる。緑間が真ちゃんだったと知る前から一緒に居ると気が楽だった。今となっては当然だよなと思う話であるが、やっぱりオレには真ちゃんが特別なんだ。それは昔も今も変わらないし、これから先だって変わらない。


「これからはずっと、一緒に居られるんだよな」

「らしくないな。今更何を言っているのだよ」

「そうだよな。でも、オレはまだお前に言ってないことがあるんだ」


 言っていないというより、言い忘れていたというべきだろうか。隠していたわけでもないし、言わないつもりで胸に秘めていたというわけでもない。
 それを言おうと翡翠を見ると、翡翠も真っ直ぐにこちらを見ていた。そうして暫し見つめ合って、そのままどちらともなく互いの距離を縮めた。分かっている、と。そう言われて。


「オレもお前が好きだ、和」

「……オレ、まだ言ってないんだけど」

「だから分かっていると言っただろう。言わなくてもいい」


 分かっているから、ということか。今更言葉にしなくても良いということらしい。ま、確かにそうかもしれない。オレもとっくに分かっていたから。でも。


「好きだから、一度くらい言わせろよ」


 言葉にしなくても分かり合っているとしても、言葉にして伝えたいこともあるだろう。言えば、真ちゃんは口元に小さく弧を描いて好きにしろと言った。だからオレも好きにさせてもらう。


「好きだよ、真ちゃん。ずっと、好きだった」


 これからはずっと一緒に。
 そう告げてもう一度口付を交わした。今度は先程よりも深く。熱く。唇を重ね合う。幼い頃から傍に居た大切な人と。


「何か変な感じだな。これだけ一緒に居て、言うのが初めてって」

「言う機会もなかった、というよりは言う必要もなかったからな」


 言わなくてもお互いに分かっていた。いつからかは覚えていないけれど、自分も相手もそういう意味で互いを好きなのだと。分かったのは、自分が相手を好きだったからか。
 まあ細かいことはどうでも良いだろう。お互いに相手が好きで、これからは一緒に居られる。それだけで十分だ。


「これからもよろしくな、相棒」

「ああ」


 そう言って笑い合って、これからも隣を歩いて行く。
 この場所をもう二度と他の誰にも譲るつもりはないから。







(好きだって、知っていたけれどちゃんと伝えておきたかった)
(だから言葉にして伝える。だって、それほどまでにお前が好きだから)