「しーんちゃん!」


 ガバっといきなり飛びつかれて前のめりになる。どうしていつもこういきなり飛びついてくるのだろうか。聞いたところでどうせ「なんとなく?」としか返ってこないのだろう。要するに飛びつくのに特に理由なんてないのだ。
 転ばずに済んだから良いもののもし何かあったらどうするつもりなのか。そんなことは考えていないのだろうけれども。まず、転ぶ可能性なんて一ミリも頭にはないのだろう。


「高尾、飛びつくのは止めろ」

「え、いーじゃん。何か問題があるワケでもねーし」


 だからその問題があったらどうするのだと緑間は言いたい。言ったところで無駄だと分かっているものをあえて言う気にもならない。仕方なく溜め息を一つ零すだけに留めておく。
 そんな緑間を見ながら、溜め息を吐くと幸せが逃げるなんて言い出す高尾。誰のせいで溜め息が零れたと思っているのか。少なくとも自分のせいだなんて思っていないに違いない。


「待たせて悪かったな。んじゃ、行こうぜ」


 今までのことなど気にせずに高尾はそう言って足を進める。それを見ながら緑間も隣を歩き出した。




   番外編





 今日は滅多にない部活のオフ。おまけに授業も短縮でいつも以上に早く終わった。HRも終わっていざ帰ろうと教室を出たところで、職員室に用があったことを思い出した高尾を下駄箱付近で待っていたのが数分前。それから冒頭に至る。
 久し振りのオフだしどこか行こうと言い出したのはいつもの如く高尾である。数ヶ月前には「一人で行け」と緑間は即答した。だが、今回は意外なことに「どこに行きたいのだよ」と返してきた。予想外の返答に一瞬呆気にとられたが、用がないのなら帰ると続けられて慌てて否定をした。場所は特に考えていなかったので今回も適当に見て歩こうということになった。


「それにしても意外だったな。あっさりOKされるなんて思ってなかった」

「冗談で言ったのなら帰るが?」

「そうじゃないって! だって数ヶ月前は即答だったんだぜ?」

「あの時と今とでは状況が違うのだよ」


 並んで歩きながら言われた言葉に高尾はきょとんとした。だが、言葉の意味をすぐに理解してニカッと笑みを浮かべると「そうかもな」と同意をした。

 ひと月ほど前、部活がオフだった日に聞いた夢の話。それは高尾が幼い頃のことで、一週間だけ一緒に遊んだという友達の話だった。最終日、帰らなければいけない友人にまた会えると願って幸せになれるという四つ葉のクローバーを渡した。
 その友人と再会したいと願った二人だったが、再会は高校入学と同時に訪れた。高尾のいう友達とは緑間のことであり、互いにそれに気付きながらも相手が覚えていないと思い込んでひと月前まで過ごしていた。夢の話をきっかけにそのことを知り、漸く本当の意味で再会を果たすことが出来たのだ。

 また一緒に遊ぼう、と言ったのは高尾だ。それに緑間も肯定してくれた。数ヶ月前と現在では状況が変わっているのだ。同じ問いでも断る理由なんてなかった。ただそれだけの話である。
 あの頃のような遊びはもうやらないけれど、適当に街中を見て歩くという高校生らしい遊びも有りだろう。何より重要なのは楽しむことなのだから。


「やっぱり真ちゃんと遊ぶと楽しいな」


 スポーツ用品店をはじめに幾つかの店を覗きながら気が付けば太陽が沈もうとしている時刻になっている。学校が早く終わった分だけ長い時間があったとはいえ、楽しい時間というのはあっという間に過ぎていくものだ。まだ遊びたい、と思っても時間がそれを許してくれないことは多々ある。高校生にもなれば、その辺も大分融通が利くようになったけれども。それでも時間の流れが早いと感じることに変わりはない。


「前にも言ったが、お前はもう少し場所を弁えろ」

「ちゃんと弁えてるって! 怒られたりはしなかっただろ」


 それは逃げただけではないか、とは言わないでおいた。実際に怒られてはいないのだからこの際良いことにしてしまおう。どうも笑いの沸点が低いらしく、ちょっとしたことでも笑い出すのだから仕方がない。昔からよく笑うヤツだったが、とは思っていたが。こちらも緑間は自分の心の中だけに留めた。
 まだ遅い時間ではないとはいえ、そろそろお開きになるだろうか。一通り見て回り、これ以上することも特にない。緑間はそう考えていたのだが、どうやら高尾は違ったらしい。


「あ、そうだ! 真ちゃん、もうちょっと付き合ってくれない?」


 どこに、とは言わなかった。その表情を見る限り、教えるつもりがないことも分かった。だが、ここまできて今更拒む理由はそれこそない。
 分かったと緑間が頷くと高尾は「よし!」といきなり緑間の右手を掴んだ。そのまま走り出した高尾につられるようにして緑間も走り出す。あまりにも突然な行動に「どこに行くつもりなのだよ!」と尋ねるが、やはり「秘密!」としか返ってくることはなかった。

 この体勢で長いこと走り続けるとも思えない。どこか近くまで走って連れて行くつもりなのだろう。
 その予想通り、数分走ったところで高尾は足を止めた。


「ギリギリ間に合ったな」


 くるりと振り返った高尾は「ほら真ちゃん見てよ」と昔と変わらぬ笑みを浮かべている。
 そんな高尾の指差す方に顔を向ければ、そこにはオレンジ色に染まった空が広がっていた。走ってきた先は土手で、余計な建物が視界を遮ることもなく綺麗な夕焼け空が瞳に映った。


「前に偶然見つけてさ。真ちゃんにも見せたいと思ってたんだ」


 続けて「綺麗でしょ?」と尋ねられ、緑間は「あぁ」と短く答えた。
 小学生だったあの頃もみんなで一緒に遊びながら高尾は色々なことを緑間に教えてくれた。ケイドロや氷オニといった遊びに限らず、川や山に入ったりと自然の中で遊んだりもした。その中で「しんちゃん、こっち来てみなよ」「ほら見て」「な、凄いだろ?」と手を引きながら色んなものを見せてくれた。
 そう、今と同じように。


「やはり変わらんな、お前は」


 思わず零れた言葉に高尾は頭上にクエッションマークを浮かべながら緑間を見つめた。それが小学生の頃と比べられているのだろうということは理解しているが、何がそう思わせたのか分からなかった。
 そう思わせるような行動を取っただろうかと疑問に思っている高尾だが、緑間からしてみれば時折見せる姿が幼き頃と重なると思うことは少なくない。いつでも明るく話し掛けてくること、元気にはしゃいでいる姿。それから笑顔。
 再会してから昔と変わらないと思ったことは度々ある。勿論、それは高尾からしても同じであるけれども。


「それがお前らしいのだろうがな」

「何が言いたいんだよ。てか、変わらないのは真ちゃんもでしょ?」


 分からないながらも言いたいことをなんとなく理解しているので逆に同じ言葉を返す。やはり緑間も高尾が何のことを言いたいかは分からなかったが、自分と同じくあの頃と今を重ねて見てしまうことがあるのだということは理解する。それは昔を知る自分達にしか分からないだろう。
 僅か一週間しか共に過ごしていないが、その一週間という時間はとても充実していた。どちらにとってもそれは同じで、だからこそまた会いたいと願ったのだ。それほどまでの相手だからこそ短い時間だったというのにしっかりと覚えているのだろう。


「ねぇ真ちゃん。昔みたいに下の名前で呼んでよ」


 西の空に沈む夕日に視線を向けながら高尾はそんなことを言い出した。ただなんとなく、昔のように呼ばれてみたいと思っただけで深い意味はない。今も高尾は昔と同じ呼び方をしているけれど緑間は苗字で呼んでいる。初対面のように高校で再会したのだからそれは自然な呼び方だ。
 けれど、今はあの時の少年であると分かっているのだ。現在の呼び方に慣れているとはいえ、昔は下の名前で呼んでいた。だから。


「どうしてそんなことをしなければいけないのだよ」

「減るもんじゃないし良いだろ?」


 そう言った高尾はあの頃は見たことのない表情をしていた。あの頃は見たことがないだけであって高校に入ってからは見たことがある。本質が変わらないとはいえ、成長しているのだから変わっている部分だって沢山あるのだ。

 あの頃。真ちゃんと呼び出したのは高尾だった。それに合わせて周りの友達もみんな“真ちゃん”と呼ぶようになった。同じように、緑間も周りに合わせて高尾の名を呼んだ。
 緑間が“真ちゃん”と呼ばれるのは、高尾を除けばあの時の友人達ぐらいだ。他にそんな呼び方をするような知り合いはいない。それは高尾にしても同じで、苗字と名前のどちらでも呼ばれることが多いものの、あの呼び方をしていたのは引っ越す前の友人達だけ。それと、今は違う呼び名とはいえ緑間もそう呼んでいた一人だ。だからこそこんなことを頼んでしまったのかもしれない。


「…………全く。これで何が変わるのだよ、カズ」


 溜め息を吐きながらもそう呼んでくれるのが緑間である。懐かしい響きに思わず笑いが零れる。そんな高尾を横目に見ながら緑間は眉間に皺を寄せた。ちゃんと理由があって頼んだのだからそんな顔をしないで貰いたいとは高尾が心の内で思ったことだ。
 それからしっかりと理由を説明すべく、なんとか笑いを抑えると色素の薄い瞳が翠を見上げた。


「ホント、懐かしいな。今じゃお前ぐらいしかそう呼ぶヤツは居ないんだぜ?」


 言えば意外そうな表情をされた。緑間ぐらいとは言ったが、今回のこれは言わせたようなものだ。でも、あの頃のようにそう呼ぶ友人は緑間以外には近くに居ない。だから言葉の意味としては間違っていないだろう。
 その話を聞いたことで緑間も高尾の発言に納得する。たかがこれだけで何が変わるのかと思っていたが、本人の中ではしっかりと意味を持っていたのだと理解した。高校で再会した高尾の様子を見る限り、そう呼ぶ友人が居なくなったことに寂しさや悲しみを感じているのではないのだろうが、やはり思うところはあるのだろう。


「それを言うのなら、その呼び方もお前だけなのだよ」

「じゃあ、真ちゃん呼びはオレの特権?」

「そう呼びたいのなら好きにしろ」


 今更止めろと言うつもりもない。だが、高尾以外に緑間を“真ちゃん”と呼ぶ人が今後現れることもないだろう。
 たったそれだけのことなのに高尾は嬉しそうに笑っている。それなら“カズ”と呼ぶのも緑間の特権だななんて話している。どちらも昔の友人に会えば別なのだろうが、その可能性が少ない現状としてはその呼び方は目の前の一人だけの特権だ。


「真ちゃん、これからも時々で良いからそう呼んでよ」

「……気が向いたらな」


 断られなかった辺り、また呼んでくれる気はあるのだろう。それだけでも高尾からしてみれば十分だ。勿論、高尾の方はこれからもそうやって呼んでいくつもりである。何十回、何百回に一回でもまた呼んでくれる時が来れば良い。
 特別な存在であると、そう感じることが出来るから。他とは違う、特別ということが嬉しいのだ。あえて言葉にはしないけれど、緑間には高尾の考えていることもバレているのかもしれない。小さく浮かべられた笑みを見ながらそんなことを思う。


「さてと、じゃあそろそろ帰るか」


 すっかり沈んでしまった太陽を背に二人でまた歩き出す。あの時はまたこうして一緒に居られることをただ願っていたなとぼんやり考える。長い時を経て四つ葉のクローバーが叶えてくれた願いに感謝する。今隣に居る相手が特別であるのはこの先も変わらないのだろう。
 この先も二人で歩んで行けるように。新しく願った四つ葉のクローバーへの幸せが叶えられることを願って、今日も並んで歩くのだ。この幸せが続いて行きますようにと。

 四つ葉のクローバーは二人にとって特別なアイテム。
 幸せを運んでくれる大切なモノ。










fin