「こんなところにお客さんとは珍しいね」
どこからか聞こえてきた声に辺りを見回す。けれどなかなか見つからないその姿。だが、声は確かに聞こえていたのだから、この空間のどこかに声の主が居ることは間違いない。
キョロキョロとしていると「こっちだ」と教える声が届く。その声の方へと視線を向けると、そこには一人の男が居た。
「お前は…………?」
「んー神様、とでも言えば良いかな」
神、と繰り返されたそれに頷く。
しかし、どうやら信じてもらえていないのか翡翠の瞳は疑いの色を浮かべている。とはいえ、いきなり会った人に自分は神だと言われて信じる奴もいないだろう。子供なんだから素直に信じてくれても良いのにとは思ったが、しょうがないかと仄かに笑った。
「まあオレのことは良いだろ。で、お前は何でこんなとこに?」
「何でと言われても、気が付いたらここに居たのだよ」
来ようとして来たわけではない。知らないうちに迷い込んでいた。そんなところだ。別に迷子というわけでもないが、他に言い表す言葉もなかった。
「そっか。じゃあ心配されないうちに帰った方が良いだろうな」
多分大丈夫だろうけど、という言葉は飲み込んだ。ここでそれを言ったところで目の前の少年は信じてくれないだろう。何を根拠に言っているんだと聞き返されるのが目に見える。
根拠なら一応ある。しかし、その根拠を説明するのが難しいというのだろうか。説明したところで分かってもらえないという方が正しいだろうか。とにかく、わざわざ言ってややこしいことにする必要はないと判断したまでだ。
「だが、どうやって帰れば良いのか分からないのだが……」
「それなら心配すんなよ。オレが送ってってやるから」
言えば少年が大丈夫なのかと言いたげにこちらを見る。どれだけ信用がないんだと思いながらも、ここのことはオレの方が詳しいからと付け加えた。
どこまで信じて良いのか。まず見ず知らずの相手を信じて良いのかも疑問ではあるが、今この場で頼れるのがこの男だけというのもまた事実。このまま彷徨うよりはこの男を頼る方がいち早く帰れるであろうことは確かだった。
「…………それなら、お願いする」
悩んだ末に出したであろう答えに男は笑って「任せとけ!」と答えた。
□ □ □
視界に映るのは見慣れない景色。どこを見ても木ばかりの森の中。どうしてこんな場所に来てしまったのかも分からない。
そもそも、さっきまでは普通に帰り道を歩いていたはずだった。それが気付いた瞬間にこんなところに居て何が何だかさっぱりだ。しかも、一緒にいる相手は自分を神だなんて言うような奴だ。怪しすぎるにもほどがある。
「どうした? 何か気になることでもあったか?」
くるりと振り返って尋ねた男に「何でもない」とだけ返して足を進める。その様子に男は苦笑いを浮かべる。もう少し警戒を解いてもらうことは出来ないのだろうか。そうは思ってもその術がないのでは現状どうしようもないわけだが。
「そんなにオレのこと疑ってんの?」
「誰がいきなり神だというような奴を信じるのだよ」
「なら騙されたとでも思ってさ」
「……本当に騙しているんじゃないだろうな」
「それはないって! あーもう、今だけでも良いからちょっとは信じろよ」
話せば話すだけ疑われているような気がするのは気のせいだろうか。そうであったら良いのだが、現実はそうでもないらしい。今だけでもと言われたところで簡単には信じられない。
それも無理はないと分かっているけれど、ここまで警戒されると少し悲しいなと思う。これが当然の反応だと分かっていても、どうしても頭に過ってしまうのだ。
「はあ、どうしたらオレのこと信じてくれる?」
このままでは立場が悪くなる一方だ。それならいっそのこと本人に聞いてみようと少年に尋ねる。
だが、どうしたらと言われても何と答えれば良いというのか。それが少年の心境だ。神だというのなら神らしいことをして見せろとでも言えば良いのか。
ぶっちゃけそれが手っ取り早いが、本当に神なわけがないだろうと思っていたりもする。仮に神様が本当に居たとして、こんな風に人の前に現れるものなのかも疑問だ。更には神がこんな軽い奴なのかとも思う。神にも色々居ると言われたところで誰だってすぐに信じられることではない。
「そんなに信じて欲しいのなら、態度で示せば良いだろう」
「態度ね……何気に難しいこと言ってくれるね」
それは態度では示せないという意味なのかといえば少し違う。少年に信じてもらえるような態度を示すのが難しいと思ったのだ。簡単に信じてもらえないだろうことは初めから分かっていたが、これはなかなか手強そうである。
「そうだな。オレがお前を無事に送り届けたら信じてくれる?」
何かないかと考えて出てきたのはそれだった。正直、他に信じてもらえるようなことが思いつかなかった。無事に送り届けたところで信じてもらえたところで遅いのだが、男に言えるのはこれくらいだ。
少年も同じことを思ったようで、それでは遅いだろうと零したがそれ以上は何も言わなかった。他にこうしたら信じると言えるようなこともない。もう道を教えてくれるのならそれで良いと思うことにする。
(難しいな、やっぱり)
数歩後ろを付いてくる少年にこっそり視線を向けながら男は思う。どうやったら信じてもらえるのかは分からないけれど、それでも信じて欲しいなんて無茶な話だ。
けれど、彼の力になりたい。彼を助けたいと思っているのは紛れもない本心。そうでなければわざわざこの少年の目の前に現れたりしない。勿論、彼がそんなことを知るわけもないのだが。
(疑われてもしょうがない。でも、こうしてついてきてくれるくらいには信じてくれてるんだよな)
本当に、全く信用出来ないのなら道案内さえさせてもらえなかっただろう。そう考えると、これでも十分なのかもしれないと思う。ほんの僅かでも、自分を信じてくれているということだから。
「お前は今、幸せ?」
唐突に尋ねられたそれに少年が不思議そうにこちらを見る。何でいきなりそんなことを聞くんだとその目が訴えている。けれど、それに気付かない振りをして男は続ける。
「生きていれば色んなことがあると思うけど、お前は自分の信じたままに進めば良い」
どうしてそんな話になるのか。何でこんなことを言われるのか。少年の頭の中は次々と疑問が生まれていることだろう。
それくらいのことは容易に想像出来るが、それらの質問を全部答える時間はない。まず答えてやることも出来ない。疑問形で話してはいるけれど、これはただ男が少年に伝えておきたかったこと。
「オレはいつまでも、お前のことを見守ってるから」
ほら、着いたぜ。
男の言葉に前を見れば、そこは家のすぐ前。ここからあんな森へと続く道なんてあっただろうかと考えてみるが、住宅街に森なんてあるわけがない。だが、それならさっきの森は何だったのか。
少年はばっと後ろを振り返る。そこにあるはずの通ってきた道はぼんやりと、淡い光に包まれていた。そこに立つ男は小さく笑みを浮かべて「これで信じてくれた?」と尋ねた。
「お前は一体…………」
「オレはお前を知ってる。でもお前はオレを知らなくて良い。前だけを見て進めば良いから」
そう言って男は背を向けて歩き出した。待て、と引き留めようとしたところで「真太郎?」と自分を呼ぶ声が聞こえてそちらを向く。そこには母が不思議そうに少年を見ていた。
「どうしたの? 今日は遅かったのね」
どうやら母はいつもより帰りが遅かったことを不思議に思っただけらしい。それに「ちょっと用事があって」とだけ答えて先程の道を振り返るが、そこにはあったはずの道もなければ男の姿もなかった。あるのはいつも見ている住宅だけ。
「そうだったの。あ、そうだ。今日はおやつにケーキを焼いたから一緒に食べましょう」
「はい」
母の言葉に頷いて少年は門をくぐる。玄関に入る前にもう一度後ろを振り返るが、やはりそこには住宅しかない。あれは一体なんだったのか。夢、ではないと思うけれど果たして現実だったのだろうか。
『お前は今、幸せ?』
あの男は何を伝えようとしていたのか。分からないけれど、あの男が信じられる相手だということはなんとなく分かった。神様だという言葉の真偽は分からないし今更遅いが、特別な何かを感じたような。
そんな気がしたけれど、それを確かめる相手はもういない。少年は母の呼ぶ家の中に入って行った。
夕闇に溶けた姿
(お前に会えた、それだけでも十分だ)
(だから、信じてくれてありがとう。真ちゃん)