高校生活。長かったような短かったような三年間。
人生においてはたった三年なんて僅かな時間だろう。それでも、全力で部活に取り組んで青春していたオレ達の三年間はとても充実していた。高校生だった頃のオレ達はバスケしか見えていなかった。毎日馬鹿みたいにボールを追いかけた。オフだろうとなんだろうと関係なく、入学してから卒業するその瞬間まで。
だから大学に進学してバスケから離れる自分が想像できなかった。こんなに身近にあったものがなくなってオレはどうなるんだろうと。
けれどいざ大学生になってみればどうだ。バスケがない生活に初めは物足りなさを覚えたもののすぐにそれが当たり前になった。毎日大きな教室で授業を受け、新しい友達と笑い合い、放課後はバイトをするようになった。高校時代とは全く違う生活だ。それでもオレはすぐにその生活に慣れた。
バスケのない生活。隣に緑間真太郎がいない生活。
当たり前だった高校生活はもう遠い日の思い出となっている。こうやって自然とオレ達はあの頃のことを懐かしい思い出へと変えていくのだろう。
熱い青春時代。勉強に部活、主に部活に費やした日々。
高校生らしく馬鹿やったりもした。テスト前に必死で勉強したり、勝つ為にひたすら練習をしたり。高校三年間の出来事は思い出そうとすれば次々と頭に浮かぶ。バレンタインの日にはチョコを貰ったりもしたな。部活ばかりで彼女を作る暇なんてなかったけどオレはあの頃、恋をしていた。
「……久し振りだな」
「そうだな。何年振り? 五年くらい? お前全然連絡寄越さねーんだもんな」
最後に会ったのは大学一年の時。五年振りに再会した相棒はなかなか元気そうだった。卒業してからもまだ身長は伸びたらしく今では二百センチもある。オレも身長は伸びたけれど結局百八十までしか届かなかった。それでも世間一般的には高身長に入る。バスケ部という巨人ばかりの中に居たから小さく見られがちだったが、バスケから離れた大学生活では普通に大きい方に数えられた。
その大学も卒業してオレも今では社会人だ。あの頃は全然想像できなかった未来までオレ達はやってきた。卒業後の進路でさえ碌に決められなかった頃が懐かしい。進路よりもバスケだったからな。
「オレだけが悪いみたいに言うな。お前も連絡はしてこなかっただろう」
「いやいや真ちゃんよりマシでしょ。オレはお前が忙しいと思って連絡を控えるようになっただけで」
「言い訳にしか聞こえないのだよ」
まぁぶっちゃけ言い訳だ。忙しいと思っていたのも本当だけどなんとなく連絡を取らないようになってしまった。大学一年の時はまだ連絡を取り合っていた。
とはいっても、連絡を取った回数は片手で足りるくらいだ。高校では常にニコイチ扱いされていたが、学校が分かれて会わなくなってしまえばこんなものだ。
「でもさ、実際真ちゃん忙しかったっしょ? お前の活躍はニュースで見てるけど、相変わらずとんでもない高さだよな」
順調に大学を卒業したオレはサラリーマンとして働いている。一方で、緑間はバスケのプロへと進んでいった。コイツにはそれだけの才能があった。かつてはキセキの世代ナンバーワンシューターと呼ばれ、秀徳高校のエースと呼ばれた男。超長距離スリーポイントという武器を持った天才シューター。
その実は努力の天才。元からある才能に加えて彼は毎日何百本とシュートを打ち続けた。人一倍練習をする努力家だった。オレ達のエースは間違いなく緑間だった。いや、オレの中のエースはいつまでたっても緑間真太郎だ。
「オレはシューターだ。スリーを打つのは当然だろう」
「それはそうだけどやっぱすげぇなって話」
世界でも有名なプレイヤーに昔はオレがパスを出してたんだって言ったら周りは信じるだろうか。同じ学校で相棒としてキセキの世代と呼ばれた天才達と戦っていたって。
バスケ自体はサッカーや野球と違ってあまり有名なスポーツではなかったが、今ではそれに並ぶくらいのスポーツとして知られている。
理由は簡単。オレ達が高校生だった頃、バスケを知っている者なら誰でも知っている天才が揃っていたから。元モデルで俳優の黄瀬の効果もあるだろう。バスケを知らない人にも高校バスケについて知られるようになり、多くの人達がキセキの世代と呼ばれる天才達に興味を持った。
その時のコイツ等はもうキセキの世代ではなく各校のエースになっていたが、これも彼等が中学で出会ったことから始まった。緑間をはじめ青峰、火神、あの紫原もバスケを続けている。他にも笠松さんや氷室さん、高校時代に一緒にプレーした人達がブロの世界に進んだ。テレビで知り合いがプレーするのを見ながら、みんな頑張っているななんて思うのだ。
「……お前は、もうバスケは全然やっていないのか?」
プロの道に行った人も居れば、オレのように高校でバスケをやめた者。大学まではサークルで続けていた人も居る。それでも結局オレ達はバスケから離れてしまったけれど、それがイコールでバスケを嫌いになったわけではない。高校を最後にしたオレも大学に入ってから友達とストバスに行ったりはしていた。バスケは今でも好きだ。そうじゃなければテレビだって見ない。
控えめに聞かれたのは緑間もオレがバスケをやめたと知っているからだろう。別に気にすることでもないんだけど、緑間からすれば気になるのかな。これでも相棒だったわけだし。本当、プロに進んだ奴が何人も居るような高校バスケでよく勝ち進んだよな。ま、それはエース様やチームのみんなのお蔭だ。
「最近は仕事もあるから殆どないかな。でも誘われればやるぜ。バスケは今でも好きだからさ」
学生時代に比べれば筋肉も落ちてしまったけれどまだバスケは出来る。でもやっぱり、いざやってみたら思うように動けなかったりするんだろうか。鷹の目は健在だから見えることは見える。後はオレが動けるかといったところだ。そこまで酷くはなっていないと思う。運動は今でも時々してるしな。
ドリブルやシュート、そしてパス。オレの手から出したパスを緑間がゴールへ向かって放る、当たり前のことが嬉しかった。このパスであの綺麗なシュートが見られるんだって。オレは緑間の高いループを描くシュートが好きだった。いや、今でも好きだ。あの頃と変わらない、あの頃以上のスリーポイント。コイツはこれからもそれを武器に世界を戦っていくのだろう。
「今度帰ってきた時はみんなにも声掛けてバスケでもする? お前だけのパスを出してやるよ」
「それは楽しみだな」
あ、笑った。緑間は出会った頃よりも表情が豊かになった。昔は全然笑わなかったんだよな。バスケをやってても楽しくなさそうだった。それが少しずつ変わって、今ではバスケを楽しんでやっているんだと思う。緑間がバスケを好きだっていうことはオレもよく知っている。好きでなければプロになんていかないだろう。強い相手と戦うのは楽しいに違いない。
羨ましいな、と思ったことはある。オレも高校を卒業する時に幾つか声を掛けてもらったけれど結局はそれらの学校には行かなかった。バスケで食べていけたら幸せだろうけどオレにはそこまでの力がなかった。周りが評価してくれたのは嬉しかったけどそれは自分でも分かっていたからバスケをやめた。あの時、バスケを続ける道を選んでいたら何か変わっていただろうか。
なーんて、考えてみてもしょうがない。これがオレの選んだ道だ。オレはオレで今を楽しくやっている。バスケも出来ないわけじゃないしな。
「真ちゃんはもうすぐ戻るんだっけ?」
「あぁ。明日の朝には行くのだよ」
「そっか。頑張れよ。オレはエース様のこと応援してるから」
もうエースではないというけれど、オレにとってはいつまでもエースなんだと伝える。
すると、それならお前もいつまで経ってもオレの相棒だなとか返されて。まさかそんな返しをされるとは予想外だ。今のチームではオレより凄いPGがパスをくれているだろうに、そんな風に言ってもらえることが嬉しかった。お前の中でオレは相棒でいられているんだって、それがただ嬉しい。
「オレもうバスケやめて随分経つけど、それなのにお前の相棒でいいの?」
「関係ないだろう。オレの相棒はお前だけなのだよ」
そういう言葉をどこで覚えてくるんだろう。すっげぇ嬉しいけどさ。
嬉しいけど、同時に胸が苦しくなる。プロに行っても高校時代にパスを出していたオレを相棒だと思ってもらえるなんて幸せだ。でも、緑間は明日にはこの国を出る。今は世界で活躍しているプレイヤーだ。今日だって帰国している数日の僅かな時間をオレにくれた。連絡をしてきたのは緑間の方からだった。久し振りに会わないかと言われて断る理由もなく、五年振りの再会を果たした。
久し振りに会えてこうして昔と変わらずに話せて楽しかった。何も変わらずに話せるというのは、それだけオレ達が高校時代に親しかったということなんだろう。だからこそ数年振りに会っても変わらないままの姿でいられる。
だけどオレの心の中は複雑だ。嬉しいと思う反面で苦しい。大切な友達、相棒に会えてどうしてそんな気持ちになるのか。それは、オレが高校時代。緑間に恋をしてしまったからだ。
男同士。友達。相棒。どうしてコイツなんだって何度も考えて、勘違いだって思おうとすればするほど気になってしまった。日に日に大きくなる感情にこれは本物だと自分でも認めざるを得なくなった。
それから卒業するまで、オレはずっと気持ちを隠し続けた。今でも隠している。こんなに好きでも伝えてはいけない。どうしてと聞かれても困るがそういうものだ。男が男を好きだなんて気持ち悪いだけだろ。だからこの気持ちは墓まで持っていく。
でも、何度か考えたことはある。真ちゃんがオレを好きだったら。オレを愛してくれたら。有り得ないけれど、もしそんなことが現実にあったらって。実らない恋ってこんなに辛いものなんだとオレはこの時初めて知った。
「それじゃあ期待に応えられるように筋トレしとくわ」
「無理はするなよ。お前は放っておくとすぐに無茶をする」
「いつの話だよそれ! 大丈夫だっつーの」
オレの勝手な片思いを緑間に押し付けるつもりはない。けれど、また行ってしまうんだなとは思ってしまった。高校生だった頃から無理だと分かっていたことだが、お前の隣にこれからもずっと居られたらどんなに幸せだっただろう。まぁ、こんな気持ちを抱いたままお前の隣になんて居られないから、この距離は丁度良いのかもしれない。
真ちゃんはまたオレを置いて遠くに行ってしまう。オレもバスケを続けて、これまで以上に努力をしていたらお前の隣に並べていただろうか。そうしたらお前と一緒に行けただろうか。無理なことを今更考えてもしょうがない。これがオレ達の選んだ未来なんだ。
「あ、そろそろ時間だろ? 店出るか」
時計を確認して席を立つ。割り勘するつもりだったのに緑間が勝手に支払いを済ませてしまった。自分の分は出すからと言ったけれど、これくらい払わせろと断られた。今日付き合ってもらったからって、オレだって会いたかったからそんなの気にすることじゃない。だが、結局緑間に押し切られてしまい今回は緑間に奢られる形となった。
「今度会った時はオレが奢るからな」
「別にこれくらい構わん」
「お前が良くてもオレが良くねーの!」
言っても緑間はいまいち納得していない様子だったが、オレだって社会人なんだから奢られてばっかなのは嫌だと伝えれば分かったと頷いてくれた。こんなやり取り、高校時代にもしてたな。本当、色々と懐かしいことばかりだ。そう思うのはオレが年を取っただけなのか。
店を出てここからもうオレ達の帰る方向は別。まだ別れたくないなとは思えど緑間は忙しいんだ。早く別れの言葉を言わなければいけない。別れの言葉を……。
「高尾」
何も言わないオレの名前を緑間が呼ぶ。何、と顔を上げればそこには真剣にこちらを見つめる翡翠。また暫く会えなくはなるがそんなに真剣な目を向けられるなんて、何か大事な話でもし忘れていたのだろうか。
もしかして結婚するとかそういう話だろうか。有り得ない話ではない。オレ達だってもう二十四だ。そういう話があってもおかしくはない。勝手にそんなことを考えていたのだが、緑間の口から出てきたのは意外な言葉だった。
「オレと一緒に来ないか」
来ないかって、どこに?
その言葉を上手く飲み込めなかったオレはそんなことを思ってしまった。これからどこかに付き合って欲しい、という話ではないだろう。一緒にって、冷静に考えれば思い当たるのは一つしかない。だが、そんなことを言われる理由が分からない。
「真ちゃん? 一緒にって、もしかしてオレも海外に……じゃないよね?」
「それ以外に何がある」
ああ、やっぱりそれで合っていたのか。いやだが意味が分からないだろ。
いきなり一緒に来ないかって、明日には日本を発つんだよな?オレだって仕事があるしそんな急には無理だ。そもそもオレが一緒に行ってどうしろというのか。
「ずっと考えていたのだよ。やはりオレにはお前が必要だ」
「必要って、何の話? バスケならさすがにもう選手としては無理だぜ?」
「違う。確かにお前のパスがオレには一番だがそれはお前が決めたことだ」
だからバスケを一緒にやろうと言っているのではない。そう言った緑間は一度深呼吸をして続けた。
「高尾、オレはお前が好きだ」
その言葉は、オレがずっと欲しかった言葉。絶対に聞くことのできないと思っていた、けれど聞くことができたらどんなに嬉しいか。それを本人の口から聞けるなんて、もしかしたらこれは夢なのかもしれない。
だって、あの緑間真太郎だぜ?そんなの信じられない。
けど、真ちゃんの目は真っ直ぐにオレだけを見つめている。嘘ではない。本気なんだって伝わってくる。だからオレもこれが現実なんだと理解できた。でも。
「……真ちゃん、学生だった頃ならまだしも今それ言ったらシャレにならないぜ?」
「本気で言っているのだから冗談で流される方が困る」
分かっていても素直に認められるわけではなく。有り得ないと分かっていながら尋ねてはみたもののはっきりと言われてしまう。これは冗談ではなく本気だと。
真ちゃんがオレのことを好きだなんて、そんなことあっていいんだろうか。
まだ全然信じられないけれどこれは現実で、緑間はただじっとオレの返事を待っている。どうなんだと急かされたりもしない。
一体なんて答えれば良いのか。
なんて、悩む必要はないのかもしれない。緑間は本気で気持ちを伝えてくれたんだから、ここでオレが逃げるわけにもいかない。それに何より、オレの気持ちは高校生だった頃から何も変わっていない。ずっと、ただ一人に恋をし続けている。
好きだよ。ずっとずっと、高校生の頃から好きだった。
好きなんだ、緑間。お前のことが。
「真ちゃん、オレ」
オレは今日。何年も片思いをしていた相手に自分の気持ちを伝える。
ずっと君が好きでした
(行くぞ、高尾)
(はいよー。帰るまでに雨止むと良いな)
(今日は一日雨予報だろ)
(でも晴れのが良いじゃん。雨も降らなきゃ困るけどさ)
隣を歩いていたあの頃から変わらぬ気持ち。
その頃からお前が好きだったなんて、今のお前は知らないのだろう。