ちらと視界に入る銀色。当たり前のようにそこにあるそれは、彼にとっては当たり前に存在しているものなのだろう。それが彼にとっての普通だろうから。
十年という時間はたった十六年しか生きていない自分にとっては随分と長いように思える。それは二十六年生きてきた彼等にとっても同じなのだろうか。
「緑間?」
色素の薄い瞳がこちらを見る。その色は変わらないけれど十年という月日を経て大人っぽくなったのは当然といえば当然だ。自分達の知らない十年を知っている男。けれど、彼もまた緑間の知っているのと同じ高尾和成という男である。
「何だ」
「それはこっちの台詞。どうかした?」
そんなにオレが珍しい? なんて彼は笑った。会ってそう経っていない奴に対して珍しいも何もないのだが、十年後の自分達に会っていつも通りという訳にもいかないだろう。空白の十年を知っている方からすれば昔の自分達だが、知らない方からすれば気になることは山ほどあるに違いない。
聞きたいことがあるなら言えば良いのにと高尾は思うのだが、何でもかんでも聞いて良いのか分からないという気持ちもあるのかもしれない。別に聞かれて困るようなことはないけどな、とは高尾の心の内である。
「……何でもないのだよ」
「何でもなくはないだろ。あ、オレに惚れちゃった?」
「…………そういうのはこの世界のオレとでもやってください」
「冗談だって。真ちゃんに言ってもお前と同じように呆れられるだけだと思うし」
それかその冗談に乗られるか。
この選択肢は十年前の自分には思い浮かばないだろう。目の前に居る十歳年下の彼にも分からないのではないだろうか。
それはこの十年で変わった、という表現も正しいのか疑問であるがこの高尾の知っている緑間はそういうことも言う。周りに言わせれば高尾に似たんだろうとのこと。そんなことはないと否定する気は本人達にない。本当にそうなのかは定かではないにしても、長い時間を共にしているのだからそういう部分があってもおかしくはないだろうと思うくらいにはなっている。
「つーかさ、いくらオレが年上だからって敬語を使う必要はないぜ? 真ちゃんにはタメだろ」
「自分に敬語を使う奴はいないだろ」
「まぁ、普通は自分と話す機会もないけどな」
一体どういう状況になれば自分自身と話をするなんてことになるのか。尤も、彼等はどうしてかそんな状況下にいる訳だが。理由は分かっているけれど普通では考えられない現象であることは何度考えてみても間違いないだろう。
それはさておき、年が離れていようが自分と話すのに敬語を使う必要性がないというのは納得出来る。相手も自分なのだから。だが、高尾からしてみれば緑間が自分に対して敬語を使うというのがちょっと意外だった。十歳年上だろうと高尾は高尾なのだ。だからいつも通りかと思ったのだが、そういうところはきっちりしてるんだなと新しい発見である。
「けど、オレだけ敬語使われるのも変な感じなんだけど」
年上の二人が昔の自分達に敬語を使わないのは勿論、高校生の高尾はどちらに対しても敬語を使わない。使う必要がないともいう。幾ら十歳という年齢差があれど同じ自分達に敬語を使って欲しいとも思わないのだ。だから緑間も普通に話してくれた方が良いというのが高尾の意見である。
敬語かどうかなど大して気にすることでもないだろうと緑間は言うが、それなら尚更普通にして欲しいんだけどと突っ込みたくなる。そうしたいのなら無理にやめろとは言わないけれど、と。
そんな高尾を見て緑間は溜め息を一つ。それから「分かった」とだけ答えた。別に敬語に拘っている訳でもないのだ。本人がそう言うのなら普通に話すことにする。
「だが普段は敬語を使われることもあるだろう」
「そりゃあオレも社会人だしな。でもそれとこれとは別だろ」
普段から敬語で話すような友人は別として、よく知る友人などにいきなり敬語で話されると違和感があるようなものだ。それぞれ未来と過去の人物だとしても、それが自分のよく知る人と同一人物だというのなら敬語で話されるのも慣れない。そういうことだ。
「それで、何かオレに聞きたいことでもあった?」
話が逸れてしまったが元はこういう話だった。何でもないと一度言われてはいるものの気になったから追及してみた。また否定されてしまったら流石に諦めようと思っている。いくらなんでもそこまでしつこくするつもりはない。既にしつこいのではないかという意見は聞かなかったことにする。
二度目の問いに対しても「だから何でもない」と緑間は答えた。本当に何でもないのかどうかは緑間にしか分からないが、大したことでないことは確かだ。聞くほどのことでもないし、聞くようなことでもない。ただなんとなく、目に留まったから見ていただけ。
「……意外だった?」
何が、とは言わなかった。けれど、その視線を辿った先にあるものに気が付いてその意味を理解した。
意外、といえば意外なのかもしれない。しかし、意外と思わないくらいには緑間は恋人のことを想っていた。何事にも終わりはあるものだけれど、そうでない現実を見られて安心したというのだろうか。何といえば良いのか、上手い言葉を探している間にも高尾は言葉を続けた。
「オレは正直意外だった。いや、ずっと一緒に居られたら良いとは思ったたんだけど、現実はそう甘くはないだろ? だから、本当は今もこんなに幸せで良いのかなとか思う」
高校を卒業したらバスケという繋がりがなくなる。それでも共に居ることを選んだ。バスケは二人を繋ぐ大切なものの一つではあったけれど、その内の一つでしかなかった。お互い別々の大学に進学して、一人暮らしをするならとルームシェアを始めた。それは大学を卒業してからも変わらず。
「でも、オレはアイツのことが好きだし、アイツもオレのことが好きだから」
「凄い自信だな」
「これだけはオレにもはっきり言えるから。けど、アイツのことはお前が一番分かってるんじゃない?」
同じ緑間真太郎なんだから、とでも言いたげに高尾はくすりと笑う。確かにその通りであり緑間も高尾のことは好きだが、十年経つと今以上にやりづらいなと思った。元から高尾は口が達者だがこちらの方が上手だろう。
だが、こんな風に話せるのは十年という時間が流れているからだろう。高校生の二人もお互いに好きだと伝えているし相手が自分のことを好きでいてくれていると知ってはいるけれど、彼のようにはっきりと言い切れるかといわれるとそれは難しいかもしれない。疑っているとかではなく、まだそこまでの自信がないのだ。
「緑間はオレ――和成のこと、好き?」
ここであえてこの問いを投げ掛ける。気になったというよりは聞いてみたくなったのだろう。いくら違っていても同じ人物だろうと言ったくらいなのだから答えは分かっているのだ。
そんな高尾の思惑もこの流れでは緑間だって当然気付く。でも、聞かれたからには答えるべきだろう。だから。
「好きだ。高尾のこと、あの人もアンタのこと」
愛しているのだろう。
翡翠が真っ直ぐにこちらを見て口元に弧を描く。一瞬目を大きく開きながら、これはやられたなと高尾も笑う。高校生の緑間がこんなことを言うとは思わなかったが、やっぱり彼も緑間なのだ。アイツもこの頃からこんな風に思っていたりしたのかなとか、考えても分からないけれど多分そうだったんだろうとは思う。
「オレも真ちゃんが大好きだよ」
高校生の自分もきっとそう思っていることだろう。あの頃はあまり上手く表現出来なかったけれど、その気持ちだけは確かだった。緑間もそうだったんだろう。お互いにまだ手探り状態。何気なく言い合えるようになるにはまだ暫くかかる。でも、この二人は自分達のペースでやっていくのだから心配はいらないだろう。
そんなことを考えながら、ふと頭に浮かんだのはこの高尾が付き合っているその人のこと。今頃は高校生の自分と一緒に過ごしているのだろうか。
「せっかくだからもっと色んな話をしようか」
緑間も聞きたいことはあるだろうが、高尾も高校生の彼と色々な話をしてみたい。向こうは向こうで楽しくやっているのだろうから、こっちもこの機会を楽しく過ごそう。
十年の時を経てなお
(アイツを好きな気持ちは変わらない。この先もずっと)
(それがオレ達にとって、この人達にとって一番の幸せ)