オレには好きな人がいた。いや、過去形にするのはおかしい。今でも好きな人がいる。
 だが、その人が今どこにいるのかをオレは知らない。きっとその人の母親や妹にでも聞けば教えてくれるだろう。昔からよく出入りしていた家だ。家族ぐるみで親しくしていたのだから何もおかしいことはない。

 それならどうして聞かないのか。聞いたとしてもオレが子供では意味がないからだ。一般的に大人になるのは二十歳。オレは今十八だ。大人の一歩手前といったところだろうか。けれど十八になれば男は結婚できる年齢だ。女性の場合はオレ達より二年早くから結婚できるようになる。それがこの国の決まりだ。
 その人はオレが大人になった時、結婚するかどうかを考えてくれると言った。おそらく結婚の意味もろくに分かっていない子供が相手だからこそ言ったのだろう。自分より一回りも小さい子供が本気で言っているとは思わなかったに違いない。しかしオレは本気だった。だから言った。絶対に忘れないで欲しいと。


(あれから十二年か)


 約束をした時から干支が丁度一周した。正しくは一周ともう一年。あの約束をしたのは夏になる前だったが、今は年を跨いで年度末だ。この十二年の間に色々なことがあった。それはそうだ。十二年といえば決して短くはない。小学校に入学したばかりだったオレも高校を卒業した。四月からは大学生になる。
 もうそんなに経ったのかと思う半面でやっとここまで来たのかとも思う。どちらかといえば後者だ。オレは早く大人になりたくて仕方がなかった。理由は単純。大人になればその人がオレの言葉を真剣に聞いてくれると約束したから。

 ピンポーンと無機質な音が鳴る。それからすぐに返事をする声と玄関に向かってくる足音が聞こえてくる。徐々に近付く音、開かれるドア。久し振りに見た黒髪と色素の薄い瞳は昔と何も変わっていなかった。


「えっと…………?」

「久し振りだな、和成」

「え? は? え、もしかして真ちゃん!?」


 会うのは六年振りだろうか。オレが小学校を卒業した時に転勤になって一人暮らしを始めたのだから間違いない。当時二十四歳だった彼はあまり変わっていないように見えるが、小学生だったオレはあの頃と比べれば背も伸びたし声変わりもした。あの頃でさえ身長はあまり差がなかったが今ではオレの方が二十センチくらいは高いだろうか。中学高校と成長期を迎えたのだから当然といえば当然だ。


「えっ、なんで真ちゃんがここに?」

「お前に話があってきたのだよ。ここの住所はお前の母に教えてもらった」


 ついこの間までは知らなかった彼の住所。久し振りに訪ねた和成の家では彼の母が温かく迎え入れてくれた。その時にここの住所を教えてもらったのだ。大学で県外への進学も考えているのですがそういえば彼は今どこに住んでいるんですか、と。
 念の為に言っておくがオレは嘘など吐いていない。元から県外への進学は視野に入れていた。和成がオレと同じ学生だった頃バスケをやっていたことを知っていたオレは部活動にバスケを選んだ。意外なことにその分野で才能を発揮し、大学でもバスケをやるように色んな場所から声が掛かった。その中にも県外の学校があり、自然とその方向も考えるようになっていた。


「オレに話? まぁとりあえず入れよ」


 玄関で立ち話もなんだからと和成はオレを家にあげた。散らかってるけど気にしないでと本人は言ったが、そこまで散らかっている印象は受けない。その点については連絡もなしにいきなり来たオレにも非がある。
 だが、生憎オレはこの男の連絡先を知らなかった。住所でさえこの一年で漸く知ったくらいだ。電話番号もメールアドレスも何も知らないのだから連絡を取るにも取れなかったのだ。手紙で事前に連絡という手も考えたが、それもどうかと思って結局何もせずにやってきた。


「見ないうちに背も伸びたしカッコよくなったね。昔は小さくて可愛かったのに」

「いつの話なのだよ。最後に会った時も身長はあまり変わらなかったと思うが」

「だから小さい時だってば。小学校卒業する時に百七十あるってどうなんだよ」


 オレなんて百七十越えたのは中学の時だと話しているけれど、それでも世間一般的には十分早い方である。日本男性の平均身長は約百七十センチ。百八十近くある彼も高身長に入る。オレの方が伸びすぎただけだ。
 背を越されるのは悔しいと言うが二百近くもあると逆に生活が不便だったりする。世の中のありとあらゆるものは平均を基準に作られているのだから、そこから差がある分苦労するのも当然だ。

 キッチンから戻ってきた和成はコーヒーカップを二つ手にしていた。おしるこがなくてゴメンな、と謝られたが突然やってきて仮定に常備されているとは考え難いおしるこを頼むという非常識なことはしない。
 別に構わないとだけ言って淹れてくれたコーヒーを口にすると、砂糖やミルクが多めなのかあまり苦くなかった。オレが甘いものを好きだと知っている和成なりの気遣いだろう。


「それで、話って何?」


 昔は何でも子供に対する尋ね方をしていたが今はもうなくなった。まぁ、今でもそんな風に話されたらこっちが困る。
 最後に会ってから六年、彼と約束をしてから十二年。約束をした時の和成と同い年になった。それでもオレ達の年齢差である十二は埋まらない。オレが一歳成長すれば和成も一歳年を重ねる。決して追いつくことは出来ない。この壁はいつまでもオレ達の間にそびえたつ。

 もし、オレが一回り早く生まれていたなら。
 考えたことはある。そうすればオレは和成の隣に並べていたはずだ。オレ達の年齢差は十二、干支も同じだ。同い年だったのならあの時の言葉にも違う反応が返ってきただろう。それがどう転ぶかは分からないが、子供の言っていることだと相手にされないよりは何倍もマシだ。
 とはいえ、和成はそんなつもりで約束をしたわけではないだろう。オレが子供だから何も知らないのだと思って、彼なりの優しさで断った。和成の優しさとは、オレが大人になった時に覚えていたら考えるというその約束だ。


「和成、オレが小学生になった頃の約束を覚えているか?」


 覚えていなかったらもう一度言えばいい。もう十二年も前のことだ。あの時は絶対に忘れないでくれと頼んだが、長い時間が流れれば忘れてしまうことも仕方がない。けれど、覚えていてくれたら嬉しい。それくらいの気持ちで尋ねた。
 すると、和成は目を丸くしてこちらを見た。この反応は覚えているということだろう。それなら話は早い。


「あの時お前は言ったな。オレが大人になってもお前を好きだったら考えると」

「……そういえばそんな話もしたな。あの時はいきなり結婚しようとかプロポーズされて驚いたぜ?」


 笑って誤魔化そう、というつもりはないだろう。和成は約束をきちんと守る奴だ。
 彼がまだ実家暮らしをしていた頃。バイトの時間が忙しくて長引いてしまい約束の時間を過ぎてしまった時も必ず家までやってきて謝った。会話の途中で行われたどんなに小さい約束でも、和成は一つも忘れずに全部守ってくれた。
 だから今回も適当に流そうとは思っていないはずだ。現にオレが真っ直ぐ彼を見つめれば、真剣な目をこちらに返してくれる。


「あの頃はさ、まだ真ちゃんが子供だから結婚の意味を誤解してると思ったんだよ」

「好きな人、生涯を共にしたいと思う人とする一生に一度の大切なことだろう」


 昔彼が言っていたように説明すれば静かに頷かれた。オレは今も昔もちゃんとその意味を知っている。
 いや、それでも子供の頃は本当の意味では分かっていなかったのかもしれない。しかし、今は正しく理解している。結婚がどういうものなのか。それを分かった上で和成と話をしたいと思ったのだ。


「オレはまだお前が好きなのだよ、和成」


 結婚をしたいとも思っている。もちろん、この国では同性婚が認められないことも知っている。それでも、オレは生涯を共にする相手として彼を選びたい。彼以外には考えられない。
 当時、六歳だったオレが世間を知らなかったのは事実だ。あれから色んな人に出会い、多くのことを学び、沢山のことを知った。綺麗だなと思う女性にも出会ったし、好きだと告白されたこともある。

 けれど、結局オレは誰とも付き合うことなく高校を卒業するところまで来た。それはどうしてか。
 好きでもない相手と付き合うのは相手にも悪い。多少はいいと思った相手でもその程度の気持ちでは相手に失礼だ。
 この十二年間でオレは様々な経験をしてきたけれど、高尾和成という人物以上に好きだと思える相手には出会えなかった。見た目、性格、才能、身体能力。そういうものじゃない。好きなのは理屈じゃないんだ。オレは昔も今も変わらず、高尾和成という男が好きだ。


「お前に言われたようにこの十二年で色々な人に出会った。素敵だと思う人もいた。だが、オレが好きなのはやはりお前だ」


 和成以上の人に出会ったことはない。出会えなかった。それはきっと、この先も変わらないだろう。
 そんなのは分からないと彼は思うだろう。オレはまだ十八年しか生きていないからと。しかし、それではいつまで経っても同じことの繰り返しだ。六歳だった時も断られた理由は結局のところ同じだ。そんな言い分で引くつもりはない。


「真ちゃん、それは思い込みとかじゃなくて……?」

「違う。思い込みだけで男に告白などしないのだよ。お前が好きだから結婚したいと思う」


 言わなければ伝わらない。言葉にしないと相手には分からないというがまさにその通りだ。オレ達の場合は、この年齢差を補う為にも余計に多くを語らなければならない。十二年分の差を言葉で埋めるのだ。たかが言葉程度で埋められるものではないが、その差を埋められるだけの気持ちは伝えなければいけない。
 どうすれば上手くオレの気持ちが伝わるかなんて分からないが、とにかく思ったことを口にする。彼がオレの話を聞いてくれているというのはよく分かる。昔約束したように、真剣に考えてくれている。その心に少しでも何か届くように、オレは十八年間生きてきた中で抱き続けていた恋心を伝える。


「和成でなければ駄目なのだよ。この六年間、お前に会えなくて寂しいとは思ったがお前の仕事の邪魔はしたくなかった。それに、お前なら会いに来るより部活を優先しろと言うだろう」

「まぁ、そうかもな。会いに来てくれるのは嬉しいけど、部活も大切だし。バスケ、やってたんだっけ?」

「お前も中学と高校でやっていただろ。オレも同じものが見てみたかった」

「そっか……。同じもの、見えた?」

「そこまでは分からないが、バスケが楽しいということなら分かったのだよ」


 和成がどんなことを思ってバスケをしていたかは知らない。だが、バスケを楽しいと言っていた彼は本当に心の底からバスケが好きなのだということは伝わった。オレがバスケに興味を持ったのは、和成がずっとバスケを続けていたからだ。
 彼が楽しいといったそれをやってみたい。そう思って始めたスポーツは彼の言っていたようにとても楽しかった。途中、友人達と揉めたこともあったが彼等とも今は楽しくバスケをやれている。そうはいっても、オレはもうバスケをやめてしまうけれど。理由は和成と同じ、将来の職にするつもりがないから。


「真ちゃんもバスケ好きになってくれたんだ。今度一緒にストバス行く? お前のスリー、オレも直で見たい」

「お前が見たいのなら幾らでも見せてやるのだよ」

「じゃあ楽しみにしてるな。オレも昔はPGやってたし、パスくらいなら出せるぜ」

「それならオレも楽しみにしている」


 バスケが好きだということは知っているが、オレは和成のプレーを見たことがない。もしかしたら見たことがあるのかもしれないが、和成がバスケをしていたのは中学と高校。オレが六歳までの頃だ。小さい頃の記憶とは非常に曖昧で、幼稚園児だった頃までの記憶はあまり残っていない。もし見られるのなら一度でいいから見てみたいとは思っていた。それが試合の中ではないにしても見られるのは純粋に嬉しい。
 だが、それはそれ。今は別の大事な話の最中である。今度ストバスでそれは見せてもらうが、今はこちらが優先だ。


「和成、オレは――――」

「オレのことが好きなんでしょ? そんで結婚したいと思ってる。オレもう三十路だよ?」

「そんなことは関係ないのだよ。和成は和成だろう」


 関係ないで片付けられるものなのかと呟いたのが聞こえた。和成にとっては気にするところかもしれないが、オレは年齢差など気にすることではないと思っている。
 なければない方がいいとはオレも常々思っているが、オレ達はこの先もずっと十二歳差だ。もっと年が近ければ、いっそ同い年だったら。思うだけならタダだ。だが、どんなにそう思い願ったとしても決して叶うことはない。それが変えようのない事実ならば、オレは年齢など気にせずお前を選び取る。


「たかが十二歳だ。この十二年はオレにとって長く感じたが、過ぎてしまえば意外と早かった気もする」

「確かにな。もう真ちゃんが十八歳になったなんてビックリだよ、本当」


 きっと、和成にとってオレはいつまでも子供なのだろう。そして弟のような存在でもある。その認識は高校を卒業したオレに対しても変わっていないと思う。
 それでも、オレの気持ちもずっと変わらなかった。ただ一人の大切な人がずっと好きなんだ。年齢など関係ない。十二歳差があったっていいじゃないか。自分達の干支が来て今年はオレ達の年だな、といつかのように笑えばいい。そんなお前をオレはすぐ傍で見ていたい。


「好きだ、和成。オレをお前の隣にいさせてくれ」


 同じ言葉の繰り返し。これでは安っぽく聞こえるかもしれない。それでもオレは好きというこの気持ちをひたすら伝える。
 好きなのだ、この男が。どうしようもないくらい。
 離れたくなどない。この先の未来もお前が隣にいて欲しい。いや、お前の隣にいさせて欲しい。


「…………真ちゃんって頭いいのに馬鹿だよね」


 別にオレは自分のことを頭がいいとは思ったことがない。だが馬鹿というのはどうなのか。けどまぁそれでもいいだろう。お前にこの気持ちが伝わりさえするのなら。
 そういうところが馬鹿なのだと和成は笑う。もう三十の、しかも男に対してそんな熱烈な愛の言葉を贈っちゃ駄目だろうと。オレにとってはお前以外に贈る相手がいないのだが、と言えばやっぱり馬鹿だと言われた。


「困ったな。オレ、ショタコンでもなければブラコンでもないはずなんだけど」

「オレだってそういう変な趣味はない。お前だけなのだよ」

「……恥ずかしげもなくよく言うよ、ホント」


 言って和成は立ち上がると机に手をついて前かがみになるとそっと柔らかなものをオレの額に当てた。それからすぐに離れた彼はほんのりと頬を赤く染めながら微笑む。


「前にも言ったけど、オレも真ちゃんが好きだよ。結婚は無理だけど、これから一緒にいてくれる?」


 告げられた言葉に思わず笑みが零れる。結婚が無理なのはこの国では仕方がない。オレだってそれくらい分かっている。だから言ったのだ。お前の隣にいさせて欲しいと。


「当たり前だ。これからもずっと、オレはお前と一緒にいるのだよ」

「ありがと。大好きだよ、真ちゃん」


 こちらをじっと見つめる和成に今度はこちらから距離を縮める。お互いの距離がゼロになった時、触れ合ったのは二つの唇。

 また元の距離に戻ると「真ちゃんって大胆だな」なんて言われた。先にキスをしてきたのは和成の方だが、額と唇とでは違うらしい。
 とはいえ、触れ合いたいとはずっと思っていた。もう六年も会っていなかったのだ。その間の分も早く埋めたい。言えばこの先はずっと一緒にいるんだろと笑われた。これが大人の余裕というものなのだろうか。

 やはり和成の前ではオレはまだ子供らしい。それでも、オレだってもう結婚できる年であり男だ。
 こちらからもう一度、先程よりも深く口付けを交わせば和成はより顔を赤く染めて視線を逸らした。可愛いなと思ってしまうのはやはり好きだからだろう。


「……発情期かよ」

「オレも男だ。いつまでも子供じゃないのだよ」

「子供扱いしてねーよ。だから落ち着け。そろそろお昼だろ?」


 これから準備するから何食べたい、と聞くのは子供扱いではないのだろうか。「恋人に聞くのは普通のことだろ?」と先に言われては、こちらは何も言えなくなる。こういうところではまだ敵わないらしい。
 何を食べたいかと聞かれてもこれといって食べたいものはないのだが、ふと思い出した名前を口にすると和成は小さく笑って「了解」と答えるとそのままキッチンに向かった。

 にんじんに玉ねぎ、それから今度はちゃんと鶏肉。ケチャップとご飯、卵を用意して作られるのは懐かしの味。あれから十二年経ち、一人暮らしを始めた彼は半熟という技術も身に付けたらしい。
 それらをテーブルに並べて手を合わせる。いただきますと挨拶をしてから食べる昼ご飯は以前にも増して美味しくなったオムライス。







(あの日の約束を忘れたことは一度もない。お前もそうだったらいいのに、と思った)