キラキラと輝くような毎日。あの頃はただ一つのことに夢中になっていた。他のことなんて何も考えずひたすらに打ち込んでいたモノ、バスケットボール。強者揃いの大会で頂点に立つ為に毎日遅くまで残って、どうやったら勝てるのかと作戦を立てて練習を重ねて。
 悔しい思いは沢山した。それでも次こそは勝つとひたすら上だけを見て進んでいた。上しか見ていなかった。そこに辿り着くことだけを考えて過ごしていた日々――。


「真ちゃん…………?」


 独特の呼び名。やめろと言ってもいいだろと呼び続け、いつからか彼がそう呼ぶことは当たり前になっていた。こちらもいつしかやめろと言うこともなくなった。諦めたという方が正しいかもしれない。
 記憶にあるよりも低い、けれど男性としては高めだろうか。十数年前――高校時代は毎日のように聞いていたそれ。そんな名前で呼ぶ人間を緑間は一人しか知らない。


「高尾……?」


 声のした方を振り返れば艶のある漆黒の髪。それから久しく見ていない色素の薄い瞳がそこにあった。
 少なからず変わったところはあれど、かつての共にバスケで上を目指していた相棒を見間違うわけもない。緑間が返事をしてすぐに「やっぱ真ちゃんか!」と笑ってと高尾は久し振りだな続けた。

 久し振り、本当に久し振りだ。最後に会ったのは卒業式の日。別にお互い相手を避けていたというわけではない。これまでに同窓会もあったけれど予定があって参加出来なかったり、友人達がバスケをしないかと連絡してきた時も同じく。なかなか二人が会う機会がなかっただけである。
 大学生になった頃はまだ連絡を取っていただろうか。相手が忙しそうだからと連絡は控えめだったが大学を卒業するまでは何度かやり取りもした。あの頃は毎日隣にいたというのに、これが時の流れというものだ。


「何年振りだろうな。卒業式以来だから十年? 元気にしてた?」

「そういうお前はどうなんだ」

「オレ? まぁそれなりに」


 立ち話もなんだからと適当に近場の店に入って向い合せに座る。昔は部活が終わってからマジバに寄ったりしたこともあった。先輩達と一緒にファミレスに行った時にはドリンクバーで怪しい飲み物が出来上がったりもした。食べ物で遊ぶなと怒られ、誰が飲むのかで揉め。最終的に後輩へと回されたあれは美味しかった覚えはない。
 今は何をしているのかとありきたりな話をしながら過ごす時間がなんだか懐かしい。あれだけ一緒にいただけあって、久し振りに会っても会話が止まることなく話が弾む。三年間という時間は短かったけれどとても充実した毎日だったように思う。


「全然会ってなかったのにこうして話すと何も変わんねーな」

「昔も今も話しているのは大体お前だがな」


 それはオレが話してるんじゃなくて真ちゃんが話さないんだろ、という意見は強ち間違ってもいない。けれど、高尾の方からぽんぽんと新しい話題を振ってくればおのずとそうなる。
 まず、出会った時。一年の入学式の時に高尾から話し掛けてこなければ自分達はこのような関係になったのかも怪しい。変わり者だなんだと言われていた緑間にいつでも近付いていたのは高尾だ。緑間がぞんざいに扱っても離れることなく、変わった奴だと思っていた。逆もまた然りではあったが、どちらともなく一緒にいるようになっていったのだから相性は悪くなかったのかもしれない。性格は正反対だったけれど。


「お前は変わらんな」

「真ちゃんこそ」


 ラッキーアイテムだってちゃんと持ち歩いてるしと言った高尾の視線は緑間の鞄に向けられている。そこに付いているぬいぐるみのキーホルダーこそが今日の蟹座のラッキーアイテムである。おは朝を見ていなくても不釣り合いなそれはラッキーアイテム以外有り得ない。
 考えてみればおは朝占いも長寿番組だ。もしおは朝が終了してしまったらこの男はどうなるんだろうとこれまで何度思ったことか。


「なんか安心したわ。真ちゃんが真ちゃんでさ」


 何もかもが十年前のままではない。あの頃とは色んなことが変わった。見た目もそうだし自分達の周りの環境も移り変わって行った。
 あの頃夢中になっていたバスケも嫌いになったわけではないが、かつてのようなプレーは到底出来っこない。あれは高校生の自分達だから出来たことだ。

 それでも変わらないものもある。お互いに変わらないと言えるくらいには変わっていないと思うところが多い。
 周りより頭一つ出るほどの高身長に光が当たってきらきら輝く唯一の緑。さらさらと風に揺れた漆黒の色。他のどこでも見たことのない翡翠に透き通るような瞳。十年もあれば外見にも変化はあるけれど一目見ただけですぐに分かった。

 いや、正しくは目が惹かれた――というべきか。


「そういえばこないだ宮地さんにも会ってさ。たまには顔出せって怒られた」

「それはお前が悪いのだよ」

「お前は人のこと言えないだろ! 宮地さんに聞いたんだからな」


 どんだけ仕事熱心なんだよと悪いことをしていないのに怒られたのは数ヶ月前のこと。その時にお前等と言われてそれが自分とかつての相棒に対しての言葉だと気が付いたのだ。
 一年の頃から二人だけのレギュラーとしてセット扱いされ、相棒と呼べる関係になる頃には部活に限らずセット扱いされていたくらいだ。自分と纏めて言われているとすれば緑間以外に考えられないというのが良いのか悪いのかは分からないが、緑間にしても同じことを言われて思い浮かぶ人物は一人だろう。
 今だから思うけれど当時は朝から晩まで、一日中目の前の相手と一緒にいた。クラスは三年間離れることなく部活も当然同じ。おそらく家族よりも共に過ごしていた時間は長いだろう。周りにいつも一緒にいると思われていたのもしょうがなかったのかもしれないと今なら思う。当時はそんなことないと思っていたけれど。


「次はちゃんと参加しろって宮地さんからの伝言」

「予定がなければ参加する」

「それで真ちゃんが参加しなかったら怒られんのオレじゃね?」


 かくいう高尾も仕事があれば参加出来ないわけだが、こればかりは仕方がないだろう。先輩達には会いたいけれど社会人なのだから優先しなければならないこともある。
 その辺は宮地も分かっているのだろうが、こちらが久し振りに会いたいと思うように先輩達にしてもそうなのだろう。ずっと会っていないとはいえ、あの人達と過ごした日々はかけがえのないものであり、二人にとって先輩方は大切な人達でもある。


「だが、伝言を受け取っておきながら今日オレと会わなかったらどうするつもりだったのだよ」


 今こうして話しているのもたまたま町でばったり会ったからだ。もし会わなかったらその伝言はどうやって伝えるつもりだったのか。
 会えたんだから細かいことは良いと話しているけれど、今日会わなかったのなら高尾は伝えなかったのだろう。メールや電話、幾らでも連絡手段はあるけれどそれらを使っていなかったのだ。絶対に伝えておけではなく機会があれば伝えるようにとでも言われたに違いない。絶対、とついていたのならきちんと連絡を付けただろうから。

 そして高尾が連絡をしてこなかった理由も緑間は見当がついている。避けているのではない。連絡が減ったのもお互いの生活があったからでそれ以上の理由はない。
 どうしてそう思うのかといえば、緑間が高尾に自ら連絡を取らない理由と同じだろうから。尤も、緑間の方から連絡することは高校時代にも少なかったけれども。


「あ、真ちゃん時間大丈夫? 結構話し込んじゃったけど」

「今日は休みだから問題ない」


 とはいえ、店に入ってから大分経つ。そろそろ出るかと尋ねればそうだなと肯定が返ってくる。そのままどちらともなく立ち上がって会計を済ませると店を後にした。



 さて、この後はどうしようか。何でも高尾も今日は一日空いているらしい。偶然とは重なるもののようだ。
 適当に雑談をしながらなんとなく向かった先はストバス場。コートの中では一つのボールを奪い合いながらゴールを狙う若者達の姿があった。

 かつては二人も彼等のようにたった一つのボールをひたすらに追いかけていた。
 今となっては懐かしい思い出になってしまったが、それでもあの頃の記憶は色あせない。むしろ眩しすぎるくらいだ。


「懐かしいな。真ちゃんは今でもあのスリー撃てる?」

「どうだろうな。やってみなければ分からん」


 出来ないと言わないところが緑間だ。この発言からして最近バスケはしていないのだろう。とはいえ、あれだけ練習してきたものなのだから忘れるとも思えない。
 身体能力はあの頃ほどではないにしてもシュートの一つくらいなら余裕なんじゃないか。そう思わせるような男である。実際、ボールを渡したらあの綺麗なシュートを見せてくれそうなものだ。

 十年後。
 久しく連絡を取っていなかった相棒と肩を並べて自分達の大好きなものを見る。その光景を十年前の自分達は想像出来ただろうか。
 きっと無理だろう。未来なんて誰にもわからない。

 ――けれど、秀徳高校を卒業したあの日の自分達には、この光景もすんなり受け入れられるのかもしれない。


『じゃあな』


 また、とは口にしなかった。昨日まではまた明日と言って別れていたけれど、卒業したら当たり前だったこの毎日は終わる。次がないのだから当たり前だ。
 それでも会えなくなるわけじゃない。また、と次を約束する言葉が間違っているなんてことはない。連絡を取らないつもりもなかった。それでも二人は“また”と次の約束をしなかった。次がないと思っていたのではなく、次はおそらくないのだろうと思ったから。
 だが、こうやって同じ世界で生きているのだから次が来る可能性も分かっていた。いや、次がないと思いながらも心の内では次を望んでいたのかもしれない。


「本当、毎日馬鹿みたいにバスケしてたよな」


 馬鹿みたいではなく自分達はバスケ馬鹿だった。たまのオフでもバスケをするくらいにはバスケが好きでバスケに打ち込んでいた。辛いこと、苦しいこともあったけれど毎日が楽しかった。
 キセキの世代と呼ばれていた彼が秀徳のエースになり、このチームで共に勝利を目指した。彼の放つ高いスリーポイントからはいつだって目が離せなかった。真ちゃんのシュートが好きなのだと、学生時代にも何度か本人に言ったことがある。それは今だって変わらない。
 そんな高尾のパスもまた、いつまでも緑間には特別なものだった。相棒だった彼のパスは緑間の手にしっくりと馴染んでいた。中学時代、パスに特化したチームメイトもいたけれどそれとはまた違ったパス。緑間にとってはなくてはならないものだった。


「そうだな」


 甦ってくる高校時代の記憶。隣にいることが当たり前で、バスケがなくなる日々なんて想像も出来なかった。それでも、いつかはお互いに自分の道を選び離れることを理解していた。

 卒業して別の大学に進み、隣に居ることが当たり前ではなくなった毎日。

 最初こそ不思議な感じもしたけれど次第に慣れていった。  しかし、三年間ずっと隣にいた相手がいないことに物足りなさを覚えたこともあった。でもいずれは慣れるだろう――と思っていた頃もあった。


「…………高尾」


 名前を呼べばすぐに何とこちらを振り向く。前は名前を呼んだだけで察していたこともあった。流石に高校時代ではないのだからそれは無理な話だが、こちらを見上げるその目は変わらない。

 そう、変わっていない。何も。あの頃のままなのだ。きっとこちらもそうなんだろうと思いながら、緑間はゆっくりと口を開く。
 あの時、オレ達が飲み込んでしまった言葉は今もまだ残っている。飲み込んでしまった理由も忘れてなどいないが、今日、こうして出会えたことで全てはっきりした。


「お前は今、誰とも付き合っていないのだったな」

「まぁな。真ちゃんも早いとこ可愛い子見つけないと乗り遅れるぜ」


 心配なんて必要ないだろうけどと笑っているソイツの名をもう一度呼ぶ。すると静かになった色素の薄い瞳がちらりと視線を向ける。
 性格は正反対、けれど似ているところもあったんだろう。相手が言ったことに同意出来ることも多々あった。全く分からないことだって多かったからやはり反対だったのだろうが、無言だったとしても気にならない関係ではあった。といっても、よく喋る男が傍にいたのだから無言になることはあまりなかったけれど。


「高尾、一緒に暮らさないか」


 唐突過ぎる内容に「は?」と間抜けな声が零れてしまったのは仕方がないだろう。まさかいきなりこんな話が出てくると誰が予想出来るのか。
 これが長いことお付き合いをしている彼女相手ならまだしも相手は十年振りに再会した友人だ。どう考えてもそんな友人に言うことではない。誰に聞いたって同意を得られるはずだ。


「一人暮らしをしているのだろう」

「そうだけど、そういう問題じゃねーだろ」

「オレにはお前が必要だ」


 続いた言葉に高尾は黙る。お互い、相手のことを大切な友人の一人であると思っているのは確かだ。ただ一人の相棒でもある。そういう意味で特別な相手ではあった。
 長いこと連絡を取っていなくともそう思う気持ちは変わらなかった。それだけではない、彼に対しての気持ちは何一つ変わりはしなかった。

 ……大学に入って距離を置けば変わると思っていた。

 変わらないかもしれないとも思ったが、今までが近すぎただけなんだと思おうとした。高校時代、既に自問自答して出した答えを飲み込んで大学生活を送るつもりだった。
 何か足りないと感じるものの理由は分かっていた。今更否定するつもりもない。とっくに出ていた答えがやはり正しかっただけの話だ。

 それでも、一緒だった生活から遠ざかって一人での生活にも慣れていたからそのまま過ごしていくつもりだった。もしかしたら新しい出会いもあるかもしれない。いや、ないだろうなと自身で否定しながらも毎日を過ごしていた。
 過ごしていく、はずだった。


「真ちゃん、オレ達もうすぐ三十だぜ? あの頃と違って若くもねーし、会ったのなんて十年振りだぜ。そういうのはせめて好きな子に――――」

「お前が好きだから言っている。三十近いのはオレも同じだ」


 年齢や見た目なんて同い年なのだから気にすることでもない。それに、十年経っても目の前の男に惹かれていたのだからしょうがない。
 一目で分かるほど、十年の時なんて感じさせられなかった。それは好きだからかもしれないが全く問題になどならない。問題になるのは別の部分だろう。男同士、世間体、挙げればキリがない。
 それでも伝えたのはこの先もずっと隣にいて欲しいとこの男を前にして思ったから。それに気付いた時、やはり他の恋なんて出来るわけがなかったとも思った。


「逃げるな、高尾」


 余計な言葉は要らない。何せ十年だ。それだけの時間をかけてお互い何度も考えてきた。分かっているのだ。昔とその目が変わらないから。熱を持った視線ほど分かりやすいものはない。
 高尾の出す答えが何だろうと構わない。彼がどう思っていようとそれが彼の出した答えならば受け入れる。だが、それ以外の余計なものなど今更並べたところで無意味だ。それらを並べるのなら十年前で良かった。十年経っても変わらなかったから、それだけの時を経てまで並べるようなものではない。


「……オレ、ずっと考えてたんだ。でも今日真ちゃんに会って、分かってたけどお前のことが好きでさ。どうしようって今日一日考えてて」


 選択肢は二つ。どちらを選ぶべきかは知っていた。十年前、自分達は同じ答えを選んだ。二人して気付かない振りをしたまま別れた。そしてどちらともなく連絡を取らなくなっていった。
 忙しそうだったからというのも本音だがそれを理由にしていたところはあった。正直にいえば同窓会の類に顔を出さなかったのはそういった理由も少なからず含まれていた。勿論、仕事があったというのも嘘ではなかったけれど。

 一度隠れたその瞳が再び覗く。真っ直ぐに向けられる瞳の色は昔のまま。
 どうするべきなのか、どうしたいのか。何を選ぶか、選んで良いのか。これまでにも考えてきたことを今日もう一度考えて、その上で緑間が出した結論が先程の言葉。
 緑間は答えを出した。それならこちらも答えを出さなければならない。

 そう、十年かけて考えてきたその答えを。


「高校ン時は毎日一緒で離れるなんて想像も出来なかったけど、いざその時が来たら案外普通にやっていけるもんだな。オレも、お前も」


 新しい環境、新しい生活。次第に慣れていった生活の中で新たな出会いがあり、授業を受けてバイトをして。高校時代とは大きく変わったその生活が当たり前になるのもあっという間だった。
 ただ、そこには高校時代は四六時中のように一緒にいた友がいない。離れてみて本当にずっと一緒にいたんだなと改めて感じさせられた。たったそれだけのこと、けれどそれが自分にとっては大きなものであったと気付くまで時間はかからなかった。
 別にアイツがいなければ生きていけないなんてことはない。けれど、何かが足りない。そんな気持ちが胸の奥底に蟠りとして残り続けた。


「…………でも、やっぱりお前といるのが一番落ち着くんだよな」


 十年の時なんて感じさせない。それがもう答えだった。
 男同士だとか世間体だとか、そんなことは関係ない。実際にはどうやっても避けられない壁ではあるけれど、そんな相手に出会えることは長い人生の中でもあるかないか。それほどまでに少ない出会いなのだ。
 どちらかが女だったらなんて思わない。同じ男だったからこそバスケを通じて出会えた。同じチームで戦えた。オレ達はオレ達だったから互いに好きになった。全部、分かっている。とうの昔から分かっていた。


「それは、答えと受け取って良いのか」

「お好きにどうぞ? ただ、オレはお前が好きだぜ」


 言い終わるか否かのところで唇を寄せられた。
 がっつくなよと笑えば何年待ったと思っているだなんて返された。それはお互い様だろう、と高尾は緑間の服を掴んで己の唇を押し当てた。


「十年分、これから取り戻さないとな」


 本当は十年ではないけれど、なんて思ったのはどちらか。目の前の男を好きになったのは十年前、高校三年生の時ではなく……。


「帰るぞ、高尾」

「はいはい。でもどこに帰るんだよ」

「決まっているだろう」


 十年前、手を伸ばせなかった光を漸く掴んだ。やはり隣にいるのはコイツが良い。二人で肩を並べて歩いていきたい。
 この先もずっと。自分の横には彼がいなければならないのだから。







(真ちゃんちに行くのはいいけど、家に帰って荷物も纏めないとな)
(とりあえず今日はお前だけ来れば良いのだよ。残りは次の休みで良いだろう)
(……それもそうだな)


決してもう手を離したりはしない。最後まで共に。