ふと外に視線を向ければ、徐々に木々の色が変わっているのが見られる。夏という季節が終わり、秋という季節に変わる。それを示すように木々は色を変え、赤や黄といったカラフルな色に彩られていた。ついこの間見た時はまだ緑だったはずだが、何時の間に秋が来たのだろうか。自然というものは不思議なものだ。
 瞳は窓の外へ向けられたまま動かない。秋らしさを感じられる景色に気付いてしまったからか、なかなかさっきまでの作業に戻れない。机の上には沢山の書類が置いてある。それでも、植物が好きでデスワークは苦手な火影様は外の景色を見るばかり。








 少しの間、席を外していた火影補佐官は帰ってくるなり溜め息を吐いた。
 此処、火影室に戻って来る度にどうしてこうも溜め息を吐きたくなってしまうのだろうか。それも全ては目の前にいる六代目火影様が原因であろう。

 五代目火影が次期火影に選んだ人物は昔から火影を夢に見ていた青年だった。小さい頃から馬鹿の一つ覚えのように「オレは火影になるんだ!」と言い続け、それは彼の周りの人なら誰でも聞いたことのある言葉だった。
 あの頃から何年もの時が流れ、かつては火影を夢見ていた少年は中忍から上忍へ。そして今ではその夢が現実となり火影の座に就いていた。しかし、この火影様はデスワークが苦手らしく、そのお陰でなかなか書類が進まないでいた。


「窓の外を見てないで仕事をしろ」


 仕事が進まないのであれば、それは増えていく一方だ。その度に火影補佐官であるサスケが手伝わされる。これまでにも何度あったのかはもはや分からない。
 とはいえ、最初の頃と比べれば大分マシになった方だ。やれといってやるのは良いものの、始めのうちは慣れていないこともあり書類が減るより増えるスピードの方が速かった。やってもやっても増えるばかりという酷い状況だったのが、今では慣れてきてそんなことがなくなっただけマシなのだ。

 だが、新しい火影様はデスクワークをするよりも体を動かしていたいというタイプ。たまに昔のようにイタズラ……というほどのことではないが、こっそり仕事を逃げ出すこともあるから困りものだ。
 それもこの六代目火影――うずまきナルトらしいといえばらしいけれども。


「あー分かってるってばよ。……にしても、また増えてないかってばよ?」


 目の前の書類の山を見ながら補佐官に問う。それに対し、手を止めていれば増えるのは当然だとサスケは答える。これらの書類は任務の報告書や計画書と言った大切なものばかりだ。どれも火影が目を通さなければならないからこそ、これだけの量になってしまっている。
 増えていることに気が付いたのならさっさと手を動かせ、と言いたいのはサスケをはじめとした上層部の面々だ。早くやれと注意はするもののそれでも終わらなければ補佐官であるサスケや、多い時にはご意見番であるサクラやシカマルにまでその仕事が回るのだから。


「喋ってる暇があるなら手を動かせ」


 言えば「別にやってないワケじゃねぇってばよ」などと返ってきたが、それなら書類が増えている訳がないだろうと一刀両断。そう言われてしまえばナルトもこれ以上は言い返せない。
 一枚や二枚だけ目を通して休憩をされては増えるのは当たり前。それではやっていないのと同じようなものだ。書類が増えているという事実がその裏付けである。

 ここで下手に何かを言えば手伝ってもらえなくなる。手伝いを当てにしているのはどうかという話だが、もしもの可能性を考えてこれ以上言うことは諦めて机の方に体を向ける。慣れてきたとはいえ書類が溜まって期限が危なくなることは割と日常茶飯事なのだ。
 机に向かいながら適当に近くの山から書類を一枚掴む。そこに並ぶ沢山の文字列を眺めながら、そういえばとナルトは口を開いた。


「そういやさ、サスケって最近任務やってないよな」


 書類に判を押しながら何気なく零したのだが、その言葉にサスケは大きく溜め息を吐いた。確かに最近は全然任務に就いていない。
 その溜め息に「え、何だってばよ?」と顔を上げた火影こそが原因だと、本人は全く気が付いていないらしい。少し考えれば分かりそうなものだが、ナルト相手ではそれを期待するだけ無駄だろう。


「お前がこれでどうやったらオレが任務に行ける」


 そう、任務をやらないのではない。出来ないのだ。
 痛いところを突かれてナルトは苦笑いで誤魔化す。火影は里を守る立場の人間だ。一方で補佐官というのはその名の通り、火影の補佐をすることこそが仕事である。まだ就任して数ヶ月、デスクワークに苦戦している火影を放って任務に就ける訳がない。
 この調子ではサスケが任務に出られるまであとどれくらい掛かるのだろうか。就任してから今日までと同じ時間を掛けてもどうか怪しい。


「でもさ」


 サスケが任務に就けないのは自分のせいでもある。それは先程の言葉で十分すぎるほど分かったけれど。


「オレがこの作業に慣れてからもサスケにはオレの補佐官として一緒に居て欲しいってばよ」


 続いて出てきたその言葉にサスケは目を大きく開いた。どうしてコイツはこういうことを簡単に言えるんだ、と内心で思ったものの元からこういう奴かと片付ける。
 ほんのりと赤く染まった頬は、ナルトの言葉による嬉しさを隠しきれていないからだろうか。自分の言ったことでサスケがそんな反応を見せたとは思わないナルトは「どうしたんだってばよ?」と不思議そうに尋ねる。こういうところも昔から全然変わっていない。


「……お前、自分が何言ったか分かってないだろ」

「オレが言ったこと?」


 きょとんとしながら疑問を浮かべるナルトにサスケはただ「ウスラトンカチ」とだけ零した。すると、すぐに「誰がウスラトンカチだってばよ!」といつも通りの反論を返す。それからオレはただサスケにはずっと傍に居て欲しいだけで、と先程の言葉を繰り返した。何も間違ったことは言っていないだろうと。
 確かに間違ったことは言っていないかもしれない。だからこそ「ウスラトンカチ」と馬鹿にされる筋合いはないと言いたいのだろうが、サスケからしてみれば馬鹿とはいわなくとも呆れてしまう。ナルトに聞き返したことこそが間違いだったのだと思うことにしよう。


「なあ、結局何が言いたいんだってばよ?」


 サスケは一人で納得してしまったが、置いてきぼりをくらったナルトは意味が分からないままだ。つまりどういうことかと疑問をそのまま言葉にすれば、こちらを見た漆黒はお前が昔と変わっていないだけだと告げた。
 昔と変わらないと言われても結局これではよく分からない。ナルトにも分かりやすいようにと簡潔に言ったつもりだったのだが伝わらなかったようだ。だけど、何かしらそう思うようなところがあるのだろうということだけは分かったらしい。


「でも、オレってばもう火影だぜ?」

「実力くらいなら認めてやるよ」


 ちゃんと成長しているからこそ、今は火影の座に就いている。言えばサスケからそう返ってきた。
 認める、というその言葉にナルトは嬉しそうに笑う。友でありライバルでもあるサスケが言葉にしてはっきり認めてくれると言ったのだ。嬉しくない訳がない。
 その笑みも昔から変わらない。いつでも心を惹きつける。無邪気に笑うような子供らしさが未だに残っている。この笑顔を見るとこちらまでつられるように笑みが浮かびそうになる。自然と心に伝わってくるような笑顔だからこそそう感じるのかもしれない。それはサスケだけではなく、サクラや他にも彼の身近な人達が思っていること。彼には人を惹きつけるようなものがあるのだ。


「だが、デスワークもまともに出来るようになってもらいたいものだな」

「そ、れは! いずれそうなるんだってばよ。オレってば、優秀な忍だからな!!」


 デスクワークは苦手でもいずれは上手くなる。優秀な忍なのだからいずれは必ず、というのがいかにもナルトらしい言い方だ。
 それがいつになるのかは分からない。けれど、そう遠くない未来のことなのかもしれない。今も少しずつだが慣れてきているのだ。このまま数をこなせばデスクワークも問題なくこなせるようになるだろう。それがイコールで早く終わらせられることに繋がるかといえば別の話だが、そうなることがあるとしても元の性格が性格なだけにこの二つがイコールになるのはまだ先のことだろう。


「そうなる日が来るのが楽しみだな」


 そんな日が来るのは一体いつになるだろうか。未来のことは分からないけれど、その日が一日でも早く来る為にやらなければいけないことは一つ。目の前にある書類の山を片付けながら経験を積み重ねることだ。その努力を重ねれば、いや、この火影の場合は努力よりも集中力だろうか。しっかり集中して作業をすればもっと効率よく進むことだろう。
 なんだか上手いこと言われているような気がするが、ナルトは「おう」と答えてまた一つ書類の山へと手を掛ける。まだ当分はその日が来ないだろうと思っている補佐にデスクワークでも認めてもらえるように。



□ □ □



「これで、終わりだってばよ」


 疲れた、と呟きながらナルトは大きく腕を伸ばす。これで漸く机の一角が片付いた。その山の最後の一枚に判子を押してひと休憩といきたいところだが、まだ机の反対側には書類の山が残っている。


「まだ書類は残ってるんだからしっかりやれ」


 それをサスケが指摘すれば、分かってると言って反対の山にも手を付け始める。
 いつもよりは早く書類を片付けているが、このペースでは今日中にこれらを全部終わらせられるかは怪しいところだ。そろそろ集中力が切れる頃でもある。
 だが、サスケに出来ることといえば火影が目を通し終えた書類を片付けることぐらいだ。一先ず仕事の邪魔にならないようにとそれらの書類を運ぶことにするが、果たして戻って来てもその集中力は続いているだろうか。

 その予想は見事に的中し、一度書類を運びに出た補佐が火影室に戻ってくると火影様は仕事を一時中断していた。
 サスケが部屋に入るなり「ちょっと休憩してただけだってばよ」と慌てて説明される。こうも予想通りの行動をしてくれる火影に、サスケは本日何度目になるか分からない溜め息を零す。


「休むのはいいが、ここにある書類は今日中に終わらせなければいけないって分かってるのか?」


 どうせ分かっていないだろうと思いながら問えば案の定、「マジで!?」と驚きの声が上げられた。それを肯定してやれば絶対無理だと弱気な声が聞こえてくる。まだ結構な量があるとはいえ普通にやっていればなんとか終わらないこともないだろう。集中力を切らさずに真面目に根気よくやれば、の話だが。
 それがナルトにとって大変なことだということはサスケにも分かっている。それでもこれは火影の仕事だ。デスクワークが苦手なナルトにとってはSランク級の任務といっても過言ではないかもしれない。しかし、ナルトにやって貰わなければこちらも困るのだ。


「やれないことはないだろ。大体、お前がサボっていたのが悪いんだろうが」

「んなこと言ったってさ……」


 きちんと仕事をしていればこうはならなかったはずだ。結局は自業自得。
 そう言われて言い返せるようなこともなく、諦めたナルトはとにかく一枚ずつ書類に取り掛かる。無理だと言っても書類の山が減る訳ではないのだ。ぐだぐだ言っている暇があるのなら手を動かせと言われるより前に自分から作業を再開させる。
 そんなナルトの姿を見て、サスケは小さく口角を持ち上げる。昔から変わらない火影だが、それでも少なからず成長しているところはあるらしい。


「お前がきちんと仕事を終わらせられたら良いモノをやる」


 突然落とされた言葉に蒼い瞳が書類から離れて漆黒を見る。いつもならどんなに書類が溜まっていてもそんなことは言わないのに、と疑問の色を浮かべればそれに気付いたサスケは続けた。


「今日は、お前の誕生日だからな」


 それはとても分かりやすい答えだった。一瞬きょとんとしたナルトだったが、すぐにそれを理解して嬉しそうな笑顔を向けた。それから「よっしゃあ!」と気合を入れるような声を出し、早く終わらせてやると改めて書類に向き直った。
 単純というかなんというか。それがナルトの良いところでもあるのだろう。やはりこの笑顔を見ると自分まで嬉しくなるなと心の中だけで呟きながら、サスケもまた自分用の机に座って書類の山の一つから紙を取るなりペンを走らせる。

 自分の為にと考えてくれる彼がいるから、その彼との大切な時間を仕事で潰したくはない。だからこそ早く終わらせようと手を進めていく。
 そんな長の役に立てるように、こちらもこちらで自分に出来る限りのことをする。少しでも早く仕事が終わるように。仕事が終わったらすぐ帰れるようにと見終わった書類を整理しながら。大好きな彼の大切な日を笑顔で過ごせるように。この日を特別な日にしてやりたい。



 誕生日は一年に一度の大切な日だから。
 今日という日を特別に……。










fin