「――――で、だからこっちがこうなる。分かったか」
教科書とノートを机の上に広げながら、サスケはそこに書かれている計算式の手順を説明する。分かりやすいように矢印なども書き込んでくれた。
しかし、ナルトはうーんと唸りながら計算式と格闘中だ。
「つまりここがこうなるのかってばよ?」
式の途中を指差してナルトが尋ねる。だが残念なことにそれは間違いである。そうじゃないとサスケはそこからもう一度説明を繰り返す。こんなやり取りはもう既に片手を超えるくらい繰り返されている。
「あーもう! なんでこんなややこしいことしなくちゃいけないんだってばよ!!」
なんとかこの問題を解き終えたナルトはシャーペンを手放して思いっきり叫ぶ。その様子を見ながらサスケはただ溜め息を零した。何でも何もやらなければいけないからやっているのだろう。そうでなければお前はやらないんじゃないかとは言わないでおいてやったが、これでは付き合ってやる気もなくすというもの。
「文句ばかり言うなら一人でやれ」
「ンなこと言われても一人じゃ出来ねぇってばよ」
「それなら文句を言わずに手を動かせ、このウスラトンカチ」
なぜ出来ないというのに堂々としているのか。サスケだって好きで教えているわけではないのだ。ナルトに頼まれたから教えているのであって、頼まれなければもっと別のことをする。今こうしてナルトに勉強を教えている間、サスケは他のことが出来ないのだ。感謝はされど文句を言われる筋合いはない。別にサスケに対して言っているのではないだろうが、一人でやれくらい言いたくなってしまうのは仕方がないだろう。
分かったってばよと渋々シャーペンを持つとナルトは次の問題に取り掛かる。先程と同じような問題だから簡単に解ける、かと思いきやなぜかそう上手くはいかない。勉強が苦手なナルトにとっては似ている問だとしても難しいものは難しい。
「ここを移動させろと言っただろ」
「え? あ、そっか。ならここはこうして、こうだな!」
それでも一つずつゆっくりやればちゃんと解くことも出来る。ただし、時間は物凄くかかる。この辺りの問題を解いている間はもうそこまでは聞かれないだろうが、新しい式が出てくればその途端に例のやり取りが始まる。
「……これで漸く半分か」
ここまで来るのに一時間。それでもナルトにしてはよく頑張った方だろう。集中力を切らずに、とはいわないがこれでもマシな方だ。いつもすぐに休憩を挟もうとしてしまうのは勉強が嫌いだからである。今日も休憩をしたいとは言い出したのだがサスケが駄目だと言い続けてなんとかここまできた。
この調子で最後までやり終えてくれればいいがそうならないだろうなという予想の通り、いい加減一度くらい休憩をしようぜと言い出した。確かに一時間は持ったが、まだ一時間だ。ついでに問題も終わっていない。全く、どうすれば最後まで一度に終わらせられるのかというのは前々からの疑問である。
「残り半分くらい終わらせろ」
「だってさ、半分くらいっていうけどその半分だって一時間かかったんだぜ」
「それはお前がなかなか進まないからだ」
「オレだって好きで遅くしてるわけじゃねぇってばよ」
単純計算でこのままいけば終わるまであと一時間は掛かることになる。サスケからしてみればそれくらいどうってことはないだろうと思うのだが、ナルトからすればあと一時間もずっと数式と向き合うなんて無理だ。今でさえ頭がパンク状態なのにどうしろというんだと言いたい。どうと言われても誰にもどうしようもないことだが。
「大体、オレだってお前にばかり付き合ってられるわけじゃねぇんだよ」
「けどイタチ兄ちゃんもいねぇしサスケ兄ちゃんに聞くしかないんだってばよ」
彼等の兄であるイタチは現在大学生。進学先の学校が家から通うには遠いことから今は一人暮らしをしている。その兄が家にいた頃は、サスケもナルトも分からないことはイタチに聞いていた。サスケの場合、自分より年上なのがイタチしかいなかったからでもあるがイタチの教え方が上手いということも理由の一つだろう。
かといってサスケの教え方が下手なのではない。サスケもイタチと同じように分かりやすくノートに書き込みながら説明してくれる。口だけの説明よりよっぽど分かりやすいのだが、兄弟とはいえ二人は別の人間だ。教え方も性格も全く同じではない。
「なら兄貴のとこにでも行けば良いだろ」
「かなり時間掛かるじゃん。だからサスケ兄ちゃんに頼んでるんだろ」
「とても人にものを頼むような態度じゃねぇけどな」
それはサスケ兄ちゃんが休憩は駄目なんて言うから、とつい思ったままに口にしてしまう。イタチは一時間やったら少し休憩でもするかとそちらから声を掛けてくれた。
比べようと思っていなくてもナルトは自然と兄二人を比べてしまう。イタチ兄ちゃんなら、と言われることがサスケは何より嫌いだということも忘れて。
「そんなに文句ばかり言うなら勝手にしろよ。オレも自分の課題があるんだ」
ナルトの言葉を聞いたサスケはそれだけ言って部屋を出て行った。
その姿を見てナルトは自分のした失敗に気付くがもう遅い。サスケにも課題があるのは分かっていたし、それでもサスケが自分の面倒を見てくれていたことは分かっていたつもりだった。だが、熱くなっていくうちにそのことが頭から消えてしまったらしい。
さて、これからどうするべきか。目の前の課題は一人では到底終わらないだろう。かといってイタチの元へ行くには時間が掛かる。友達に連絡をしてみるのも有りだが今はテスト期間中だ。みんな同じように課題をしている最中だろう。今から一緒にやらないかというのも言いづらい。
となれば、ここでナルトに残された選択肢は一つしかない。部屋に戻る音はしたけれど玄関を出る音はしていない。おそらく兄は自室で自分の課題でもやっているだろう。それを邪魔するのも悪い気はしたが、ナルトもこのままでは困る。どのみちずっと喧嘩ではないもののこんな状態が続くのも気まずいものがある。
よしとシャーペンを机に置いて、ナルトは部屋を出る。あれこれ考えるのは得意ではない。ここはまず謝ろう。それで教えてくれたらありがたいが、無理だったとしても謝っておくべきである。そうと決めれば行動は早い方がいい。
コンコン、と部屋をノックしても返事はなし。両親は仕事でいないからナルトが訪ねてきたということくらい分かっているだろう。一声だけ掛けて部屋をあけると、やはりサスケは机に向かって課題をやっていた。
「サスケ兄ちゃん、その、さっきは悪かったってばよ」
サスケが付き合ってくれているというのに、それを忘れて自分の言いたいことばかり言ってしまった。それではただの子供である。一番下ということもあって甘やかされて育ってきたもののもう中学生だ。少しは大人にならなければいけない。
「兄ちゃんにも課題あるのに文句ばっか言って、それじゃあ兄ちゃんも課題出来ねぇもんな。残りもちゃんとやるから勉強見てほしいんだけど……」
遠慮がちに続けられる言葉。サスケはずっと机に向き合ったままだ。今日はもう駄目だろうか。
だがそれも仕方がない。残りはまた今度教えてもらうことにして自分一人でも出来そうな課題を進めるというのもありだ。ナルトが一人で出来る課題というのもそう多くはないが全くないわけではない。頑張ればどうにかなるだろう。
それじゃあ、とナルトが部屋を出ようとすると大きな溜め息が一つ。
「課題、終わらせないと色々まずいだろ。やるなら持って来い」
視線は合わせられなかったけれどサスケはそう言った。どうやら教えてくれるのだと理解してナルトは「分かったってばよ!」と勢いよく頷くとぱたぱたと廊下を駆けて行った。すぐに教科書など一式を揃えてここまで戻ってくるだろう。本当に分かりやすい奴だと先程までナルトが居た場所を見る。
「おいナルト、ついでに洗濯物を片付けろ」
「あーそういや出しっぱなしだってばよ。んじゃちょっと取り込んでくる!」
さっきまでの雰囲気はどこにいったのか。すっかりいつも通りに戻っているナルトに笑みが零れる。素直というかなんというか。どうせまた勉強を始めればやりたくないなど言い出すのだろうが、残り半分くらいは辛抱強く付き合ってやろうか。残りの課題はナルト次第、といったところだろう。
兄の家庭教師
(ここがこうだから、今度はこっちがこうなるんだよな……?)
(それで次はこうだ。そうすれば後はすぐだろ)