「おかえり、サスケ」
家に帰って玄関を開けたところでそのような言葉が飛んでくる。帰ってきた相手への挨拶としては何も間違っていない。だが、サスケはそれを言った人物を見て目を丸くした。
「兄さん、帰ってたのか!?」
「ついさっきな。暫くはこっちに居るつもりだ」
サスケの兄であるイタチは大学への進学と同時に一人暮らしを始めた。長期休みには顔を出しに戻ってくるが、時々こうやってふらっと帰ってくることがあるのだ。
勿論ここはイタチの家なのだから帰ってくるのは構わない。唯一の兄が帰ってきてくれるのはサスケも嬉しい。だが、連絡の一つも寄越さずに帰ってくることが多い為にいつも驚かせられるのだ。連絡くらい入れろと言っても忘れていたで終わり。頭は良いのにどこか抜けている兄である。しかし実際のところはサスケを驚かせたいが為に連絡を入れないということはここだけの話だ。
「サスケ、今日はこれから何か用事はあるか?」
そして何事もなかったかのようにイタチは話を続ける。特に予定はないと答えるサスケもイタチのこれには慣れている。というより、毎度こうなのだから自然に慣れてしまった。
「ならお祭りに行かないか? 確か今日だっただろ」
「祭り? ああ、南賀ノ神社のやつか」
家の近くを流れる南賀ノ川。その川沿いにある神社が南賀ノ神社だ。そこでは毎年お祭りが開かれるけれど今年は今日だったかとイタチの言葉でサスケも思い出す。あまり大きなお祭りではないのだが、小さい頃は毎年兄と一緒に遊びに行っていたお祭りだ。成長するにつれて他の用事が入ってしまうことも多く、ここ数年は行っていなかったけれど今日はたまたま何も用事がない。イタチの方も誘うくらいだから用事はないのだろう。
久し振りに一緒に行かないかと誘うイタチを断る理由はない。騒がしいところはあまり好きではないが、兄と一緒に出掛けるのは数ヶ月振りになる。たまにくらいはそういうのも良いかもしれない。
「そうだな。じゃあ着替えてくるから少し待っててくれ」
「浴衣を着るのか?」
「制服から着替えるだけだ。浴衣なんて着れねぇよ」
大抵の男子高校生は浴衣の着付けなど身に付けていないだろう。小さい頃お祭りに行った時だって母に着せてもらったのだ。それを思い出しながら着たとしても上手くいく自信はない。
そもそも、最近はお祭りに行けていなかったのだから浴衣もないだろう。そう思っていたところに遠くから「浴衣を着るの?」と母の声が飛んでくる。
「せっかくだしな」
「いや、そもそも浴衣なんてないだろ」
「浴衣ならあるわよ」
兄弟の居る玄関までやって来たミコトはさらってそう言った。思わず「えっ」と声を上げれば、ちょっと待っててねと言って母は再び奥に消える。数分ほどで戻ってきたミコトの手には確かに浴衣が乗っていた。
「浴衣も着物も昔から一式あるのよ。これなら今のアナタ達にも丁度良いと思うわ」
どうかしらと微笑む母にサスケの視線は兄へと移る。すると兄は案の定「ありがとうございます」とその浴衣を手に取った。そして「ほら、サスケ」とその内の一つをこちらに手渡す。やっぱりこうなるのかと内心で溜め息を吐きながら、けれど楽しそうな兄と母を前に断れるはずもなくそれを受け取る。浴衣を出してくれたということは着付けも母がやってくれるのだろう。
数分後、母に浴衣の着付けをしてもらった二人は再び玄関に戻ってくる。あっという間に着付けを終わらせた母は流石である。昔は毎年やっていただけに慣れているのだろう。
「行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
笑顔の母に見送られながら二人は南賀ノ神社に向かうのだった。
□ □ □
あまり大きなお祭りではないとはいえ、南賀ノ神社には結構な人で賑わっていた。屋台もそれなりに出ており、小さな子供から大人まで沢山の人がやってきているようだ。
「懐かしいな」
鳥居をくぐり、会場内を歩きながら呟くイタチにサスケも「ああ」と同意する。確かにこのお祭りはこんな雰囲気だったと歩きながら昔の記憶が甦ってくる。
「はぐれないように手を繋ぐか?」
「もうそんな年じゃないだろ」
「良いじゃないか。兄弟なんだから」
そう言ってイタチはサスケの手をそっと握った。おい、とほんのり頬を朱に染めたサスケが見上げてくるのにも笑顔で返すのみ。それでこの手を放すつもりがないことを悟ったサスケはふいと視線を逸らしながらも兄の手をぎゅっと握り返した。
いい年の男兄弟が手を繋いで回るなんて変ではないかと思うのだが、仲の良い兄弟くらいにしか思われないさとイタチは言う。本当にそうなのかと疑問を抱きつつ、けれどこうして兄と手を繋いで歩くのも懐かしいなと思う。
「とりあえず何か食べるか。学校から帰って来たばかりで腹が減っているだろう」
「じゃあそこのたこ焼きでも買うか。あれなら分けやすいし……」
言ってからあっと気が付く。何もわざわざ一つの食べ物を二人で分ける必要はないのだ。幼い頃は一つでは多すぎるから半分ずつ食べたけれど今はそんなこともない。一つを一人で食べてもまだ余裕で他の物も食べられる。
つい二人で一緒にという発言をしてしまって慌てて何でもないと言うがもう遅い。この距離で兄に聞こえていないわけもなく、にっこりと笑う兄は良いじゃないかと言う。
「その方が色々な物を食べられそうだしな」
「そんなに沢山食べないだろ」
「それでも出来るだけ多くの味を楽しむ方がお得だろう」
だからわざわざ二つ買うこともないと話すイタチになんだかんだでサスケも頷いた。元々はサスケが言い出したことだったし、イタチの意見にも一理あるかと思ったのだ。
店主に一つお願いして受け取ったたこ焼きを四つずつ食べながら、その後は金魚すくいに挑戦してみたり綿あめを買ったり。お面を売っている屋台を覗いたりなんかもして久し振りに兄弟二人でのんびりと過ごしていく。そうやって過ごしているとドーンと大きな音が辺りに響き渡った。
「花火か。もうそんな時間になっていたんだな」
空の打ち上がる大輪を見上げてイタチが言う。ここのお祭りでは花火は一番最後に行われるのだ。時間にして一時間ほど打ち上げられるその花火が始まったということはお祭りの終わりも近付いてきたということ。
少し休憩しようかと神社の隅に用意されているベンチに二人は腰を掛け、次々と打ち上げられる花火を眺めながら先に口を開いたのは兄だった。
「今日は久し振りにお前と過ごせて楽しかった」
視線は花火に向けられたまま言われた言葉にサスケもまた「オレも、兄さんと一緒で楽しかった」と返した。少しばかりトーンが抑えられていたのは照れているからだろう。それでも手を繋げる距離では聞き逃すこともない。そうか、と相槌を打つイタチは嬉しそうに笑う。
「またいつか、サスケと一緒にお祭りに行きたいものだな」
「来れば良いだろ」
即答されて思わず漆黒の双眸が隣に向けられる。するとほんのりと頬を染めた弟は毎年用事があるわけでもないだろとぶっきらぼうに言った。ここ数年はお互いに予定が合わなかったけれど、この先もずっとそうとは限らない。今日のように二人共の用事がないことだってあるはずだ。それに、始めから分かっていればある程度予定を調整することだって可能なものもあるだろう。
「来年でも再来年でも、兄さんとなら……」
そう話すサスケの顔をイタチは空いていた右手で自分の方へと向けさせた。そのまま自身の唇をサスケのそれと重ねる。遠くでは数連発の花火が打ち上がる音が聞こえている。
「そうだな。来年も再来年も、オレも予定を調整するから二人でまた来よう」
イタチの言葉にサスケも「ああ」と頷いた。どちらともなく笑い合って、繋がったままの手をぎゅっと握り直す。空へと向けた瞳には沢山の花火が映った。
昔も一緒に見た花火を今日も大好きな人と、そしてこの先も特別なその人と一緒に。
二人で一緒に
お祭りに行って、同じものを食べて、同じ景色を共有しよう