兄さんに母さん、父さんが居て。家族揃って食卓を囲んでいたのは何年前の話だろうか。
一番初めに兄が家を出て行った。成績優秀で将来が楽しみだと言われ続けていた兄だが、ある日突然旅に出るとだけ言い残してふらっと出て行った。それでも時々家にどこかで買ったという土産を持って帰ってくるけれど。
それから何年か経った頃、今度は両親が仕事の転勤で海外に行くことになった。もうオレは一人暮らしくらい出来る年齢だったし、一人この地に残って生活している。
家族のような絆を見つけて
どうしてこういう状況になったのだろうか。考えてみても答えが見つかりそうにない辺り、これは考えることを止めるべきなのだろうか。けれど、だからといってこのまま過ごすのもどうなのか。
「お兄さん、どうかしたの?」
一体何に悩んでいるかって、目の前のこの状況についてだ。頭の上にクエッションマークを浮かべながら、黒くて大きな瞳がこちらをみている。とりあえず「何でもないから気にするな」とだけ言っておけば、良く分かっていないようではあるものの頷いて再び目の前のことに夢中になる。
さて、この小さな子どもが問題なのだがどうしてこうなっているのか。それが分からないから頭を悩ませ続けている。身元不明、とはいっても誰なのかは分かっている。現実的ではないけれど、これはどう見ても。
「そういえば兄さんがもうすぐ帰ってくるって」
「兄貴が?」
「お兄さんが出掛けてる時に電話があったんだ」
わざわざ連絡を入れるなんて珍しい。いつもなら何も言わず突然帰ってきて、そしていきなり出ていくというのに。事前に連絡があることに越したことはないけれど。
コイツが表れてから数日、状況は分からないものの害はなさそうだからと一緒に暮らしている。誰がどう見ても普通の小学生であり、サスケからすればこの姿は小さい頃の自分以外の何物でもなかった。だからこそどうしてそんな奴がここに居るのかが分からないのだが、今のままでは答えが出そうにないのだから仕方がない。
「アイツが帰ってくるなら飯も用意した方が良いか。何日に帰るかは言ってなかったのか?」
尋ねては見るものの首は横に振られ「もうすぐって言ってたけど」と申し訳なさそうに言われる。その表情を見るとなんだかこちらが悪いことをしてしまったような気がして、軽く頭に手を乗せてやる。するといつもの表情が戻り、なんとなくほっとする。
もうすぐ、といってもアイツ――兄貴の言うもうすぐは分からない。流石に一週間は掛からないとは思うけれど、どれくらいで帰ってくるのだろうか。一般的に考えれば今日着くことになりそうだけれども。
チラリと横に視線を向ければ、小さな自分と目が合う。兄貴が帰ってくるのが楽しみなんだな、と表情から感じる。それを見ながら、もうすぐといったなら今日中に帰ってくるだろうと決め台所に移動する。これくらいあれば足りそうだ。
「夕飯の支度をするが、お前もやるか?」
試に質問してみれば、すぐに「やる!」と元気の良い返事が聞こえてきた。予想通りの答えを聞いて小さく微笑む。それじゃぁと幾つかの野菜を取り出してまずは洗うように言えば、小さな手で頑張って一つずつ洗っていく。
昔、イタチが帰ってくるのが遅い日。母さんに兄さんの為に夕飯を用意しようかと言われて、慣れないながらも頑張って手伝った覚えがある。あの頃は兄貴が居ればいつもくっ付いていたくらいだしな、と昔を思い出しては懐かしむ。
「一通りは洗い終わったな」
「次は何するの?」
「今度は野菜を切るが…………」
これは小学生には危ないだろうか。包丁は一歩間違えば大変なことになってしまう。正しく使えば大丈夫だろうとは思うものの、不安になってしまう。
だが、そんなことを知らない小さな子どもは当然やりたいと言うのだ。目の前の子どももやはりそうだったらしく「オレがやる」と言い出した。危険性が分かっているのかいないのか。
「包丁は危ないから気を付けないといけないぞ」
「大丈夫だよ。オレだってこれくらい出来るからお兄さんは心配しないで」
どこか聞き覚えのある台詞だ。それもそうだろう。小さい頃に母と一緒になって食事の支度をしていた時に、心配していた兄に自分が言った言葉なのだから。あの時、イタチは母に心配しなくても大丈夫よと優しく微笑まれていた。それでも心配そうに後ろで見ていたのを覚えている。全部きちんとやり終えてからイタチに料理を持っていって、褒められた時は嬉しかったんだろうな。今となっては過去の思い出だけれど。
使い方をしっかりすれば平気だろうと、一応最初に使い方を説明しながらやってみせると包丁を手渡した。小さな手がゆっくり動いていくのを隣で見ていたが、何事もなく無事に切り終えることが出来た。
「お兄さん、出来たよ!」
嬉しそうに話す小さな自分に、良く出来たなと頭を撫でてやれば幸せそうに笑みを零した。こうして逆の立場になってみて、あの時のイタチはこんなことを思っていたんだなというのを知る。まさか自分も同じ経験をするとは思ってもいなかった。それも、コイツが居なければ自分より下の兄弟なんていないのだから当たり前だろう。
「次は炒めるか」
手際よく鍋に野菜を入れていく横で、その様子を窺っている。全体的に火が通ったことを確認するとあとはルウを入れて煮込むだけ。時々掻き混ぜながら、暫くすると家庭の定番料理の完成だ。
「出来上がったみたいだな」
「本当!?」
漸く出来上がったカレーをキラキラとした眼差しで見つめる。自分も一緒になって作ったものが出来上がった料理に喜ぶ様子を見ながら、小皿に少しだけよそうと小さい自分に渡す。受け取った方は、小皿とサスケを見比べながらゆっくりそれを口にする。
「美味しいか?」
「うん!」
満面の笑みが返ってきて、つられるようにサスケも笑う。自分はこんな表情も出来たんだな、と小さな姿からまた新しいことを知る。
一人暮らしをすることにはもう慣れているけれど、あの頃のように家族が全員揃った時はこんな風に素直に感情を出せるのだろうか。成長していく上で色々なことを知って、きっとその答えは否なのだろうけれど、今の自分にない物を持っていることも事実である。昔抱いていた気持ちを知り、違う立場からの感情を知り、小さい自分と出会ったこの数日で様々なことに気付かされた。
「その気持ちを忘れないようにな」
優しく微笑みながらまた頭を撫でる。目の前の自分の年頃から今まで、沢山の出来事があった。その中で得たもの失ったもの、色々なものがあるのだろう。けれど、せめてこの子は今の自分がどこかに忘れてきた気持ちを忘れずにいてくれるように。そんなことを心の中で願う。
きょとんとしたままの瞳に見詰められたが、すぐに頷かれた。本当に分かっているのかは怪しいけれど、今はそれでも良いだろう。
「兄貴が帰ってくるまで、一緒に遊ぶか?」
「今日は勉強は良いの?」
「あぁ、心配ない。行くか」
そっと手を差し出せば、ニコッと笑ってぎゅっと手を握り返される。実際に弟が居たらこんな感じなのだろうか、と兄のような気持ちが芽生えたのもここ数日のことだ。
最初は突然現れた小さな自分に戸惑いもしたけれど、これはこれで悪くないと思える。いつまで続くか分からない時間を、この先も続いたら良いのになんて思う日が来るとは思わなかった。
数時間後。久し振りに帰ってきた兄を二人で一緒に迎えることになる。
そこで何があったかは、また別のお話。
fin