「サスケ君……?」


 見覚えのある後ろ姿を見掛けて立ち止まる。その声に反応するように黒髪の青年も足を止め、振り返った先の姿を確認して「サクラか」と呟いた。
 普段は里の外に出ていることが殆どの彼だから見間違いかもしれないと思ったのだけれど、どうやら見間違いではなかったようだ。小走りで彼の傍に寄りながら「久し振りね」とサクラは笑う。


「里に戻ってたんだ」

「ああ、ついさっきだが」


 カカシのところへ報告へ行ってきたところだとサスケは話す。続けて今度はどれくらい里にいるのかと尋ねれば、一週間ほどの休暇を貰ったから暫くは里にいるのだと教えてくれた。
 第四次忍界大戦終結後、サスケは自分の罪を償う旅に出た。それから約二年が経とうとした頃に旅を終えて帰って来た彼は、今度は任務で里を離れることが多くなった。今回もやはり一度里に帰って来たもののまたすぐに次の任務に出発するらしい。


「そうなんだ。あまり無理はしないでね」


 体調管理は忍の基本。サスケのことだから心配することはないのだろうが、それでも同じ仲間として気に掛けてしまう。サクラにはサクラのやるべきことがあり、サスケにもサスケのやるべきことがある。だから彼と一緒に行きたいとは言わないけれど、せめてこれくらいの心配はさせて欲しい。
 そんなサクラの気持ちが通じたのか、サスケは「ああ」と短く頷いた。それに小さく笑みを浮かべると、サクラはそろそろ別れを切り出すことにした。本当はせっかく会えたのだからこのままもう少しくらい話をしていたいところだが、任務から帰って来たばかりのサスケを長々と引き留めるのも申し訳ない。


「あ、引き留めちゃってごめんね。それじゃあ私は……」

「サクラ」


 話を遮るようにサスケは彼女の名前を呼んだ。それから「時間はあるか?」と問い掛けられた。
 それにクエッションマークを浮かべながらも頷けば、それなら少し付き合ってくれとサスケの方から誘われた。予想外の誘いにサクラはきょとんとした表情を見せるが、滅多にないサスケからの誘いを断る理由などサクラにはない。

 二つ返事で頷くと「行くぞ」とサスケが先に足を進めた。それに合わせるように、サクラもまた彼の隣を歩き始めるのだった。








 里を歩きながらお互いの近況を話す。といってもサスケは任務に出ていたのだからあまり話すこともなく、サクラが最近の里のことや同期達の話をしていた。サクラの話にサスケが時々相槌を打ちながら、のんびりと歩いて昔からここにあるベンチに腰かける。
 普段から良く通るこの場所に珍しいものは何もない。けれど、時代の進歩と共に周りの景色は徐々に変わりつつある。忍者学校でサスケに出会い、同じ班になって様々な任務をこなし、里を抜けようとする彼を止めようとしたこともあった。その後も彼を追い続け、これまで本当に沢山のことがあったなとこの数年間を振り返って思う。


「それで、私に何か用事でもあったの?」


 同期の話に一区切りがついたところでサクラが尋ねる。サスケ君から誘ってくれるなんて珍しいねと続ければ、彼は視線を落としたまま「お前に話したいことがあった」と言う。話したいこと? とサクラが疑問を浮かべると、サスケはゆっくりと口を開いた。


「お前は、昔からオレのことが好きだと言っていたな」


 切り出された話題にサクラは「えっ」と驚きの声を上げてほんのりと頬を赤く染める。まさかサスケからそんな話をされるとは思いもしなかったのだ。
 確かにサクラは忍者学校に通っていた頃からサスケのことが好きだった。その気持ちを本人に伝えたこともある。忍者学校生だった頃、下忍になった頃、中忍になってからも。一度としてその想いを受け入れてもらったことはないけれど、サクラの想い人は昔から変わっていない。


「えっと……急にどうしたの?」

「オレはお前に酷いことをしてきただろう」


 あっ、とサクラはサスケの言いたいことを何となく理解した。
 これまで、本当に色々な出来事があった。サスケはそれらのことについて言っているのだろう。あのサスケから色恋の話を振られるなんて意外だったが、そういうことかとサクラは口元に笑みを浮かべる。


「もう、それは終わったことじゃない。サスケ君は今ここにいる、それが全てでしょ?」


 ごちゃごちゃと細かいことを考える必要はない。今までの色んなことに対する謝罪ならもうしてもらったし、別に謝って欲しいというわけでもない。それはサスケが里を抜けた時からずっと彼を追い掛けていたもう一人のチームメイトにしても同じだろう。
 今、サスケは木ノ葉隠れの忍である。そのことが全てだ。自分に謝ることなんて何もない。またみんなで一緒にいられること、それこそが七班の面々が願っていたことなのだから。


「それに今更そんなこと言われても困るわよ。ナルトだって同じこと言うと思うわよ?」

「……そうだな。お前達はそういう奴だったな」


 そう言ってサスケはふっと笑った。ナルトもサクラもサスケのことは分かっている。そして、サスケもまた二人のことは分かっている。離れていた時間も長かったけれど共に過ごしてきた時間も決して短くはない。そう、お互いちゃんと分かり合える仲間なのだ。


「もしかして、そのことを話したかったの?」

「いや、お前に伝えておきたいことがあったんだ」


 改めてその話をしたかったのかと思ったが、どうやらそれだけというわけではないらしい。一体サスケは自分に何の話があるのだろうか。
 サクラが考えていると、漆黒の瞳は翡翠を真っ直ぐに見つめて「サクラ」と彼女の名前を呼ぶ。


「オレは今まで、お前を傷つけるようなことを沢山してきた。だがお前は、そんなオレを嫌いになるどころか何度も好きだと言ってくれた」


 何度彼女を傷つける言葉を言っただろう。何度彼女を悲しませただろう。彼女が涙を流すところを見たのは一度や二度ではない。
 しかし、それでもサクラはサスケを好きだと言い続けた。その感情に嘘や偽りは一切なく、サクラは本気でサスケのことが好きだった。小さい頃の好きと今の好きは少し違うかもしれないけれど、今も彼が好きなことに変わりはない。そして、そんな彼女の気持ちはサスケにも十分過ぎるほど届いていた。
 一呼吸おき、翡翠を映した黒の双眸は続ける。


「この先も共にいたい。お前とならこれからもずっと、一緒にいるのも悪くないと思ったんだ」


 酷いことを言っても諦めることなく、ずっと自分を好きでいてくれた。いつの間にか、彼女の存在が自分の中で大きくなっていた。そのことに気が付いたのはつい数ヶ月前。元々チームメイトとして他の女性とは違う存在だったけれど、それがただのチームメイトとしての感情だけでないことに漸く気が付いた。
 このことを自覚した時、すんなりとその事実を受け入れられたのはもっと前から無意識のうちに彼女を気に掛けていたからなのかもしれない。自分でもその辺りのことは分からないけれど、それでもこの気持ちが本物であることははっきりしていた。だから伝えるのだ。


「サクラ、オレは…………」


 つぅと、一筋の雫が流れ落ちる。一つが零れ落ちると次第に二つ、三つと新たな雫が流れ出す。
 ぽろぽろと流れ出した涙を見てサスケは思わず言葉を止めた。サクラも自分の頬を伝う涙に気が付いて慌ててそれを拭う。


「あれ、私……。サスケ君、違うの! これは……」


 泣きたいわけじゃない。それなのに勝手に溢れ出してくる涙にサクラ自身も戸惑う。
 そんな時、ふわっとサクラの体を温かいものが包み込む。サスケに抱き締められたのだと気が付くまでに数秒。驚きと戸惑いが入り混じった声でサスケの名前を呼ぶと、ぎゅっと抱き締める腕に力が込められた。


「分かってる」


 悲しくて泣いているのではない。涙は悲しい時にだけ流れるものではないと、そのくらいのことはサスケも知っている。違うと言ったサクラの涙が悲しみによるものではなく、嬉し涙と呼ばれるものであることはサスケにも分かった。だから今はただ静かに彼女を抱き締めた。

 数分後、やっと涙の収まったサクラをサスケはそっと腕から解放した。少しばかり目元を赤くした彼女がサスケに向けたのは笑顔。


「ありがとう、サスケ君。私、今すっごく幸せだよ」


 好きという言葉を今まで何度も伝えてきた。その気持ちは今もサクラの胸の中にあって、いつかきちんと伝えたいと抱えていた大切な感情。それを愛しい人から伝えてもらえるなんて、こんなにも嬉しいことは他にないだろう。
 今まで生きてきた中で一番幸せな瞬間かもしれない。そう思えるほどに胸が幸せでいっぱいになる。


「私も、サスケ君と一緒にいたい。これからもずっと」


 だって、好きだから。愛しい人と一緒にこの先の人生を歩んで行きたいと思うのだ。触れ合う手のひらからお互いの体温が混ざり合う。サクラが笑うとつられるようにサスケも笑みを浮かべた。
 長年の片思いが終わった日、それは一方通行だった気持ちが通じ合った日。二人で一つの道を歩くと決めた日。幸せのはじまり。










fin