「まだ残ってたのか」
夕焼け色に染まった教室。自分のクラスの前を通った時、見慣れた金髪が机に突っ伏している姿が目に入った。今はテスト前ということもあり、全ての部活は活動がない。そんな日は、それこそ真っ先にでも帰りそうな奴が残っていることを意外に感じながら、その机の前まで歩く。
君と僕の特別授業
机の前まで辿り着くと立ち止まる。そこまで来て、机に突っ伏しているこの生徒が寝ていることに気付く。考えてみれば、コイツがこんな時間まで居ること自体が不思議だったのだ。冷静に考えてみれば、それ以外で残っているなんてことはないだろう。思わず溜め息を漏らす。
「おい、ウスラトンカチ。良い加減起きろ」
声を掛けても起きる気配はない。そういえばコイツはいつから寝ているんだと疑問が浮かぶ。だがHRの時には既に寝ていたことを思い出して、もしかしたら午後の授業から寝ていたのかもしれない。全く困った奴だと思いながら、手に持っていた日誌を金髪の上から軽く振り下ろした。
「イテッ。何すんだってばよ……って、先生?」
「いつまで寝ているつもりだ」
「え? あれ、えっとー先生。今何時だってばよ?」
どうやら漸く今の状況を理解したらしい。とりあえず質問に答えてやれば、驚愕した表情で「マジで!?」と勢いよく立ち上がった。一体何時だと思っていたのだろうか。
「せっかく部活もなくて帰れる日だったのに」
「早く帰れるのは、テスト勉強の為だが」
絶対に遊べると考えていそうなところに釘を刺す。言えば「うっ……」と言葉に詰まるナルト。予想通り過ぎる反応に、本日二度目の溜め息が零れた。
「ずっと勉強をしろとは言わないが、点が悪かったら補習だからな」
テスト期間だからといって、勉強を強制する訳ではない。とはいっても、早く帰って勉強する時間に充てられるように設けられているものだ。
けれど、テストで結果が出なければ補習になるのは学校の決まりだ。勉強をするしないは自由だが、ナルトが成績を悪いことくらいは担任であるサスケは知っている。この調子であれば、今回も補習になるのでないかと思われる。
「とりあえず、遅くならないうちに帰れよ」
勉強についてはやるように促すことはした。もう下校時間になっているからとそれだけを伝えて、教室を後にする。
しかし、足を進め出したところで「先生!」と大声で呼ばれる。それを聞いて仕方なく立ち止まると、話の続きを待つ。
「その、先生ってばやっぱ忙しいのか……?」
いきなり質問をされたがその意図は読めない。何が言いたいかは分からないけれど、一先ず返答をしておく。
「やることは色々あるから忙しいな」
今の時期で言えばテストを作ったり、それが終われば成績を付けたり。それを生徒に説明してもしょうがないから具体例は挙げないが、忙しいのに違いはない。
サスケの答えを聞くと「だよな」とボソッと零した。そのまま机に突っ伏していきそうな姿にまた日誌を持つ手を上げると、ナルトは慌てて起き上がった。軽くとはいえ、やはり最初のアレは痛かったらしい。流石に二度も受けるのは嫌だったのだろう。
「それで、結局何が言いたいんだ」
このままでは埒が明かないと話を切りだす。するとナルトは先程の言葉の意味をゆっくりと話し出す。
「先生に時間があったらさ、少しくらい勉強見て貰えるかなって思ったんだけどさ」
「お前が?」
漸く分かった意味に思わず聞き返してしまう。わざわざ呼び止めたくらいなのだからなんとなくで聞いたのではないと思ったが、まさかそうくるとは予想の斜め上をいった。
少しは勉強をしろと言っても苦手だから嫌だからと、毎度のように赤点ばかり取る問題児。そんな奴が、まさか勉強を教えて欲しいと言ってくることを誰が予想出来るというのか。本気で言っているのかと言いたげな目で見るサスケに、ナルトはむっとした表情を見せる。
「オレだって、少しくらいやらないとヤバイかなとか思うってばよ」
「少しどころじゃなくお前の点数は危ないけどな」
珍しく勉強をやる気になったらしいことは伝わったけれど、少しくらいで済むレベルでないことは自覚していないのだろうか。冷静にそう突っ込むとそんなことはないと言い返されるが、強く言ってこないことから多少なりと自覚もあったらしい。
さっき言った通り、サスケは忙しい。けれど、あのナルトが勉強を教えて欲しいと言ってくるのは珍しい。今やらなければいけない仕事を頭の中で整理する。
「放課後に少しくらいなら見てやれると思うが」
言えば「マジで!?」と食いついてくる。数分前までの姿はどこにいったのか、一気に表情が明るくなった。
忙しいといっても時間が作れない程ではない。生徒が質問に来れば教えてたりもしているのだ。この生徒がやる気になったとうなら付き合ってやるべきだろう。いつもはテスト後の補習で一対一になるが、テスト前に勉強をするのも良いだろう。
「一応聞くが、何の勉強を教えてもらいたいんだ」
「あーえっと……先生ってば、数学以外にもいけるかってばよ?」
担当教科である数学は確実に大丈夫だろうからという意味での質問。あれだけ色んな科目で赤点近くの点ばかり取っているのだから、出来る限りは教えて欲しいということだろう。
思わず漏れた溜め息に、ナルトは次の言葉をただ待っている。これで大丈夫なのだろうかと思うが、大丈夫じゃないから毎度補習を受け今はこうして頼んでいるのだ。
「高校生の問題くらいどの教科も大丈夫だ」
教師がどれくらい勉強出来るかは生徒には分からない。担当の科目は出来るのは分かり切っているけれど、他の科目については先生が話してくれない知る方法はない。それはサスケに関しても同じで、数学教師なら理系は得意かもしれない程度だ。
実際はどうかといえば、この回答通り。高校レベルくらいならどうということはない。それを聞いたナルトは驚愕の色を見せた。
「え、もしかして、先生って凄く頭良かったりする感じ?」
「テストで赤点は取ったことないな」
それなら何点ぐらいだったというのか。疑問をそのまま問えば、学年で上位になるくらいと簡単に答えられた。それは相当頭が良いということで、女の子達がカッコ良いと騒いだり何でも出来ると言っていたのは噂の域ではなかったらしい。
「先生って、学生の頃からモテてたんだろうな」
「いきなり何だ」
「だって、今も女の子は先生のことカッコ良いとか色々言ってるけどさ。さっきの話を聞くと昔からモテてそうだなって思ったんだってばよ」
なんとなく思ったことを言っただけったのだが、サスケは表情を歪めた。どうしてそんな顔をするのかと疑問を思って見ていれば、重い口をゆっくりと開いた。
「ああいうのはウザいだけだ。こっちからすれば迷惑でしかない」
「うわぁ、モテる奴の言う台詞だってばよ」
そんなことはない、とサスケが言ってもモテない人間からしてみればそう思えることがまず羨ましい。今でさえ女の子達は先生に恋人が居るのかと噂話をしているくらいなのだ。学生時代なんて今以上に凄かったのではないだろうか。
学校中の女の子にキャーキャー言われたい、とまではいかなくてもナルトも少しくらいそういう経験をしてみたい。男なら一度は夢見るだろ、とはナルトの意見である。当事者としてはあれほどウザいものはないというサスケは話すけれど。
「オレも先生みたいにモテたいってばよ」
「やめておけ。大体、お前もそれなりには人気あるだろ」
「そんなことねぇってばよ。オレの場合はみんな友達止まりだし」
クラスでも中心で騒いでいるようなタイプなのだが、どうも友達終わりでそれ以上先の話にはなかなかならない。どうしてだろうと友人に話してみれば、お前だからだろというなんともいえない答えを返された。バレンタインには義理だからとはっきり言われて貰うことばかりだ。
「オレはお前みたいな奴は結構好きだけどな」
そう言って口角を上げたサスケ。テストは赤点ばかり、普段は悪戯をしたり騒ぎを起こしたりもしている。手の掛かる生徒ほど可愛い、とはよく言ったものだ。
一方、ナルトはまさかそんな返しをされるとは思わず「え」と声を零したかと思えば目を大きく開いた。その反応を見てサスケが楽しんでいるのは言うまでもないだろう。
「分かりやすい反応だな」
「せ、先生が突然変なこと言い出すからいけねぇんだってばよ!!」
別に変なことは言っていない。そう話しても言ったときっぱり言い切られる。サスケにそんなつもりはなかったのだけれど。確信犯であったのは間違いないが。
「そーゆーのは、女の子に言って喜ばれるもんだってばよ!」
「女を喜ばせようとも喜ばせたいとも思っていない」
「えー! オレが女だったら先生に惚れてるって」
きっと女の子だったら先程のサスケの台詞にキュンとする人は多いのではないかと思うのだ。そういうことを言って貰えるということも嬉しいだろうし、何より相手は何でも出来る若いイケメン教師。しかもその先生と放課後に二人っきり。女子生徒だったらこれ以上ない良いシチュエーションではないだろうか。
そんなことは容易く想像出来る。もし自分が女だったなら、やはりそんな感じになるのではないかとナルト自身も思う。生憎、ナルトは男だけれども。
「なら、仮にお前が女だったらオレに告白でもするか?」
それはもしもの話。もしもナルトが女でこういう状況に遭遇したりしたら。そうしたら先生に惚れていたかもしれない。そうなったら告白もしただろう。悩むより行動に出るタイプだから。
そこまで考えたところで「そうかもしれない」と答えれば、サスケは一瞬驚いた顔をしたもののすぐに笑みを浮かべる。
「明日からテストまでの間、放課後は毎日勉強を見てやる。サボったら見てやらないからな」
せいぜいテスト期間中は勉強に励むんだな、と言い残して教室を去る。教師にはまだ仕事が色々と残っているのだ。最後に「さっさと帰れよ」とこの教室に立ち寄った目的も伝えておく。
たった一人残された教室。なぜだか一気に静けさを取り戻し寂しさを感じる。一人きりになることなんて珍しいことでもないというのに、今日はいつもとは違う感情が心を占める。
「先生、行っちまったな」
静かすぎる空間にポツリと呟いて扉を見る。この感情が何なのかは、今のナルトにはさっぱり分からない。モヤモヤしつつ、先程の会話を思い出す。
「まさか、な…………」
だってあれは女の子だったらという仮想の話であって、それ以上でもそれ以下でもない。大体、この場合はどちらも男である。色々問題だろう。
そんなことを考え始めてしまい、はっとして立ち上がる。もう太陽は大分西に傾いている。
「やっべ、早く帰らないとまた先生に怒られるってばよ……!」
時計を確認して慌てて鞄を背負うと教室を飛び出す。今ここで教師に見つかったのなら廊下は走るなと怒られることだろう。だが、丁度教師が居ないのを良いことに下駄箱まで走り学校を後にする。ドタバタと家路につくうちに先程考えていたことなんて、どこかに消え去ってしまった。
それをまた思い出すのは、放課後に先生と勉強をする時のこと。
二人だけの特別授業の時間。
fin