静かな月夜。真ん丸のお月様が頂上を越え、徐々に西の空へと向かい始めるそんな刻。里の中は勿論、このうちはの集落でも外を歩く人の影は見当たらない。大抵の人間はとっくに夢の世界へと旅立っている頃だろう。
そこにふらりと現れた一つの影。月明かりに照らされたその道を歩くのは、今し方任務を終えたばかりのうちはイタチ。今日も暗部としての任に就いていたイタチの帰りは遅い。この暗闇に紛れて行動していたのだからある意味当然だが、おそらく家族もみんな眠っていることだろう。ゆっくりと集落を歩き、辿り着いた自宅の戸をイタチは静かに引いた。
「おかえり」
トーンを抑えた声に迎えられ、イタチは目を丸くしてそちらを見た。イタチの目の前、玄関の柱に背を預けていた弟はおもむろに体を起こすと「遅かったな」と一言。理由は分からないがどうやらイタチの帰りを待っていたらしい。
「ただいま。どうした、こんな時間に」
「アンタを待ってたんだよ」
そうでなければこんな真夜中に玄関にはいない。そう話すサスケにイタチは「そうか」とだけ相槌を打って次の言葉を待つ。朝になってからではなくわざわざ待っていた理由があるはずだ。
兄が自分が口を開くのを待っているのだと気付いたサスケは続ける。アンタ、最近は夜に出ることが多いだろうと。
「オレの任務は大抵日中だ。話そうと思ったらこうやって帰りを待つしかないだろ」
「別に用があるなら起こしても良いんだぞ?」
「任務で疲れてるって知ってんのに起こせるわけねぇだろ」
イタチとしては構わないのだが、優しい弟はそれを良しとはしてくれないらしい。遅くまで起きていたら逆に自分が大変だろうに、用があるのは自分だからと言うのだろう。それなら起こしてくれて良いのにとイタチが思うのもまた、サスケと同じような理由だ。サスケはイタチにとってただ一人の大切な弟だから。
暗部だからといってイタチの任務は常に夜というわけではない。けれど、最近は夜間の任務が続いていた。こうして兄弟が面と向かって話したのも二週間振りくらいになる。この二週間でした二人の会話はといえば、すれ違い際に挨拶をした程度。サスケは明日も朝から任務があるだろうことは分かっているが、久し振りの二人の時間が嬉しくもある。
「それは悪かったな」
「アンタが謝ることでもない。けど、あと少し早く帰ってきてくれたら良かったんだが」
サスケの言葉にイタチは首を傾げる。あと少し早ければ、ということは待ちくたびれたということだろうか。それとも任務がハードで疲れている為に眠くなってきたというような意味だろうか。どちらにしても、それならイタチが謝罪したのは正しかったのではないか。そう思ったイタチが再び謝罪を口にすれば、だからとサスケはまたもや否定する。
「兄貴は任務だったんだろ。オレが勝手に待ってただけだ」
「まあそう言うな。サスケが待っていてくれて嬉しいよ」
言うとサスケの頬が赤く染まる。夜でも月明かりのある今日はお互いの顔がはっきり見える。ふいっとすぐに視線を逸らされてしまったのは、サスケもまたそのことを分かっていたからだろう。
「ありがとう、サスケ」
待っていてくれたことにイタチはお礼を述べる。今し方任務で帰って来たばかりだが、こうして弟の顔を見ただけでも疲れが減ったような気がする。弟も今では立派な忍者になったが、それでもイタチにとってはいつまでも可愛い弟だ。
「さて、もう夜も遅い。お前は明日も早いんだろう?」
出来ることならもう暫く話をしていたいが、朝から任務がある弟のことを考えればそれはあまり好ましくない。この程度で任務に支障をきたすこともないだろうけれど、体調管理も忍の基本だ。
そう思ったのだが、サスケは「いや」と首を横に振る。
「その前に兄貴に言いたいことがある」
その為にここで帰りを待っていたんだ、とは口にしなかった。しかし、話がしたかったと言いながら本題に入っていなかったことにはイタチもすぐに気が付いた。そういえばそうだったなと思いながら「何だ?」と聞き返すと、弟の視線が再びゆっくりとイタチの方へと向けられる。
「今日……正確には昨日だが、アンタの誕生日だろ」
言われてイタチは今日の日にちを思い出す。あまりカレンダーを気にしてはいなかったが、言われてみれば今日――昨日は自分の誕生日だったかと気が付いた。もしかしてその為に自分の帰りを待っていたのかと、漸くイタチは理解した。同時に先程サスケが言ったもう少し早ければという言葉の意味を知る。あれも誕生日のことを言っていたのだと。
「その、遅くなったが誕生日おめでとう」
それだけだ、と言って背を向けようとする弟の腕を咄嗟にイタチは掴む。振り向いたサスケの頬は今もまたほんのりと朱に染まっていた。
「その為に待っていてくれたんだな。ありがとう、サスケ」
礼を口にすると照れ隠しの為か視線を外される。だが小さく返ってきた声にイタチは自然と笑みが零れた。
「兄貴の欲しいもの、考えたけど分からなくて結局何も用意出来なかった」
「お前はオレの誕生日を祝ってくれた。それだけでオレは十分だ」
形のある贈り物などなくても構わない。サスケが自分の為に、その一言を伝える為だけにここで帰りを待っていてくれた。それも誕生日の当日にきちんと伝える為だ。日付が越えてしまったからと明日にするでもなく、こうして祝ってくれたことこそが何よりのプレゼントだ。これ以上何を望むというのか。
「アンタがよくてもオレはよくないんだが、何か欲しいモンとかないのか?」
せめてお祝いの言葉くらいはその日のうちに贈りたかったからこうして待っていた訳だが、年に一度の誕生日はきちんとお祝いしたい。兄には色々と世話になっているし、そうでなくてもイタチはサスケにとって特別なのだ。だから本当は自分で何か贈り物を用意出来れば良かったのだけれど、用意出来なかったのならせめて兄の欲しい物を渡したい。そう思ってサスケは尋ねる。
しかし、イタチはサスケが誕生日を祝ってくれただけでも十分幸せを感じている。欲しいものと言われて思い浮かぶものもなければ、消耗品である手裏剣やクナイだってこの前補充したばかり。本気で今は何もないのだが、それではこの弟は納得してくれないだろうことも兄弟だから分かっていた。それならと考えてふとあることを思いつく。
「そうだな。なら今度オレとお前の休みが重なる時、ちょっと付き合ってくれないか?」
イタチの言葉にサスケは頭上にクエッションマークを浮かべる。だがイタチの誘いを断る理由はない。サスケはイタチのその誘いにすぐに頷いた。
「付き合うのは良いけど、いつになるか分からないぜ」
「いつでも良いさ。久し振りにお前と一緒に過ごしたいと思ってな」
「……まぁ、兄貴が良いなら」
それじゃあ決まりだなとイタチが笑う。これでは兄へのプレゼントというより自分への贈り物という気もするが、兄が嬉しそうだから良いかとサスケは思うことにした。実際、イタチにとってはこれが何よりも一番の贈り物だ。大切な弟と一緒に過ごす時間、これ以上のものなんてイタチにはない。
「では今度こそ寝ようか。おやすみ、サスケ」
「ああ、おやすみ」
兄さん、と久々に聞く音にイタチの口元が緩む。だが照れ臭くなったのか、さっさと部屋に戻ってしまう弟の後ろ姿を見届けてイタチもシャワーを浴びに風呂場へと向かう。
忘れていた誕生日。けれど弟は毎年忘れずにお祝いしてくれる。今年も弟のお祝いで自分の年を一つ重ねる。来年も再来年も、弟が今日と云う日を思い出させてくれるのだろう。
君と数える年月
お前が生まれてから、今日と云う日はより特別になった