「おい、兄貴」


 なかなか起きてこない兄――イタチを起こしにサスケは兄の部屋までやって来た。部屋に入ってみれば案の定、イタチはまだベッドの中にいた。
 そんな姿にため息を一つつきながらもベッドの傍まで歩いて「いい加減に起きろよ」と声を掛ける。どうやらその声はきちんと届いていたようで、ゆっくりと眠そうにしながらもイタチは体を起こした。
 起きたばかりであまり回らない頭を動かしながらベッドの横に立つサスケの姿を瞳に映す。そこで漸く今の状況を大方理解することが出来た。


「サスケか」

「アンタ、今何時だと思ってるんだよ……」


 尋ねた問いの答えを待たずに「早く起きて来いよ」とだけ言ってサスケはくるりと背を向ける。どうせ答えが返ってこないだろうことは予想済みなのだ。
 部屋を出ようと扉に手を掛けた時、後ろから名前を呼ぶ声が聞こえた。この部屋には二人だけ。当然その声は未だにベッドの中にいる兄のものだ。はあと溜め息を吐きながら扉を開けようとしていた手を離し、サスケは声の主を振り返った。


「わざわざ着物を着たのか?」

「ああ。母さんが今日は色んな人が来るから着ろって言ってたからな」


 今日は一月一日、元旦だ。
 うちはという家は大きく、それに伴うように親戚も多い。その親戚に新年の挨拶をしたりするのだが、そこは本家にあたるこの家に皆が集まってくるという形になっている。だからこそ母、ミコトもサスケに着物を着るようにとわざわざ話したのだろう。
 正直なところ、着物を着るのは面倒だ。だからといって着ないわけにもいかない。それはこういう家に生まれてきたのだから避けられないことなのだ。それを知っているから面倒でもこうして着物を着ている。


「兄貴もさっさと着替えろよ。もう何人か来てるから」


 普段の格好をしたとしても怒られることはないだろうが、結局後で着るように言われるのだろう。それならば最初から着ておくのが一番だ。着るのは大変だがそれも毎年繰り返せば自然と身につく。最初こそ母に手伝ってもらったものだが今では誰の手を借りることもなく着られる。それはサスケも同じだ。
 とはいえ、着物というものは堅苦しい。あまり動きやすいものでもなければ窮屈にも感じてしまう。早くこの数日が過ぎれば良いのにと思うのはいつものことだ。そう思ったところでどうしようもないし、挨拶くらいきちんとしなければいけないことは分かっている。分かっているけれど、そう思うくらいは自由だろう。


「ところでサスケ、今日はもうどこかに出掛けたのか?」

「いや、ずっと家にいるけど」


 朝、起きてから忙しそうに準備をしているミコトの手伝いをして、訪ねて来た親戚に挨拶をして。それからなかなか起きてこないイタチの様子を見に来て今に至る。どこかに出掛けるような時間などどこにもなかった。それも仕方がないことだけれど。
 一方、サスケの返事を聞いたイタチは何かを考えているようだった。時間にして数秒ほどだろうか。続いてベッドから出ると着物の閉まってあるタンスに手を掛ける。
 質問をするだけして何も言わないイタチの考えが見えず、サスケは一連のその行動をじっと見ていた。暫くして、イタチは弟を見て口を開いた。


「それなら今から出掛けるぞ。少しくらいなら大丈夫だろう」


 言いながら着物を取り出している。そんな兄を見ながら急な提案に訳が分からないと思いつつ「どこに行くんだよ」と聞き返した。
 兄の唐突な提案はいつものことだがもう親戚だって来ているのだ。それなのに出掛けるなどという言葉が飛び出してくるとは思いもしなかった。確かに少しくらいなら大丈夫かもしれないがそういう問題ではないだろう。まずは挨拶をすることが先であり、こういう家柄に生まれてしまったのだからその役目は果たさなければならない。

 それらを踏まえて考えれば、出掛けるにしても別の機会にするべきではないかとサスケは思うのだ。イタチの目的が何かは分からないが今すぐに行かなければならない用事とは考え難い。
 だが、そんなサスケの内心など知らないイタチは全く気にした様子もなくその用事を告げた。


「初詣くらいは行っても良いだろ? 新年になったんだからな」


 平然と話すイタチにどうしたらそのような考えになったのかと聞きたい。だが今ここでそれを聞こうとは思わなかった。これでも兄弟として二人は長い付き合いをしている。その時間だけお互いのことも分かっているのだ。勿論、ここでイタチに尋ねた場合の答えも予想が出来る。それなら聞く必要はないだろうという判断だ。
 どうせサスケが何を言ったところで行くことになるのだろう。イタチとはそういう人なのだ。それなら余計なことを考えずに初詣に行こうという結論に至る。ミコトにも話せば少しくらいは許してくれるだろう。その辺のことは言い出した兄がやってくれるのだろうから、そうなると。


「……分かった、準備をしてくる。母さんには兄貴が言っておくんだろ? その時に一言くらい挨拶もしておけよ。オレは済ませたから」

「分かっている。用意が出来たら行くぞ」


 イタチのその言葉に今度こそサスケは部屋を後にする。準備といっても携帯と財布以外に必要なものなどなさそうだが、これから着替える兄はもう少しかかるだろう。
 十分ほど経っただろうか。支度を済ませたイタチが玄関にやってきたのを見て、サスケは一足先に外へ出た。兄もすぐに玄関から出てくる。


「あまり時間はないからな。南賀ノ神社に行くか」

「それは時間なんて関係ないだろ」


 言えば兄は微笑んで歩き始める。サスケもそれに合わせて足を進めた。
 ここから一番近い場所にある神社、それが南賀ノ神社だ。一見、時間がないからそこを選んだかのようにも見えるが実はそうではない。二人が初詣に行く時はいつだって南賀ノ神社なのだ。だからサスケは時間など関係ないだろうと答えた。

 幼い頃は家族四人で南賀ノ神社へと初詣に行ったものだ。二人が成長していくにつれて家族で行くことは少なくなっていったのだが、それも色々と忙しいのだから仕方がない。親戚がやってきて忙しそうにしている両親を見ていれば無理に頼もうとは思わなかった。
 それに、家族で一緒に行けなくても兄弟で行くことは出来る。こうして二人で初詣に行くのは毎年の恒例行事になっていた。サスケやイタチも暇ではないが、兄が誘うから断る理由もなく付き合っている。今朝のやり取りもぶっちゃければ毎年のことだったりする。


「初詣に行くならもっと早く起きれば良いだろ」

「そんなに遅くはなかっただろう」

「それならオレが呼びに行く前に起きろよ」


 なんだかんだ言いつつも毎年イタチの誘いを断らないのは、たまにはこうして兄弟で一緒に過ごすのも良いと思っているから。二人とも学生で普段はなかなか二人で過ごす時間が作れないのだ。だからこれくらいは、と思うのだ。母もそれが分かっているから笑顔で送り出してくれるのだろう。
 小さい頃のように自由な時間が少ないのは仕方がないことだ。その中で唯一、初詣だけは毎年二人が一緒に過ごせる決まった時間なのだ。せっかくのその時間を二人が互いに大切にしようと思っているからこそ、初詣が恒例行事になっている。



 唯一無二の兄弟。
 大切なこの時間を二人で一緒に……。










fin