いつも近くに居た存在。同時にとても遠くに感じた存在。
兄弟というものは、どうしたって比べられるものだ。親や教師、周りの大人達は大抵オレ達兄弟のことを比べた。そして、その兄が何でも出来たから誰より近い存在でありながら遠い存在でもあった。
幼い頃はそれこそ何でも兄と一緒がよくて、兄が出掛けるなら付いて行こうとした。兄がやっていることは自分もやりたいと言ったり、今にして思えば本当に兄にべったりだったんだと思う。それを仲が良いと言われたが、まあ悪くはなかったと思う。
けれど年齢を重ねていくにつれて自然と近すぎた距離が今くらいの距離になった。その理由の一つは年齢だろうが、兄が進学して忙しくなっていったというのも理由だろう。一緒に過ごす時間が減るのは必然だったし、オレ達の距離が昔とは変わったのも自然の流れだった。
「帰っていたのか」
ガチャ、という音が聞こえていたから兄が帰宅したことにこちらは気付いていた。兄も玄関に靴があったことでオレが家に居ることは分かっていただろう。それでも意外そうな反応をしたのは、高校生になったオレがこの時間に家に居ないことも珍しくないから。
「兄貴こそ、今日は早かったんだな」
「今日は早く仕事が片付いたからな」
ネクタイを緩める兄を横目に立ち上がり、夕飯にするなら用意するけどとだけ尋ねれば頼むと短く返された。その返事を聞いてオレはキッチンに向かう。
こうしてオレと兄が二人で生活をするようになったのは数年ほど前のことだ。両親が仕事の都合で海外へ行き、もうそれなりの年だったオレ達兄弟はここに残って二人暮らしをしている。忙しい兄の代わりにオレが家事全般をするのも今となっては日常だ。
「何か手伝うことはあるか?」
だが、その兄も手が空いている時は家事を手伝ってくれる。殆どオレの仕事になっているとはいえ、手伝ってくれるのは助かるからそういう時は頼むこともある。けれど。
「アンタは座ってろよ。仕事で疲れてるだろ」
「お前だって学校から帰ってきたところだろう」
別に毎日やっていることだからオレは平気だ。
――と、口にしたのなら同じような言葉で返されるのは目に見えている。兄とはオレが生まれてからの付き合いなのだから、かれこれ十八年近くになる。お互いに相手のことは分かっているし、下手したらオレ自身よりもオレのことは兄の方が分かっているのかもしれない。
「いいから座ってろよ。すぐに出来るから」
こう言えば兄もこれ以上は言わないだろう。それもやはり、十八年近い付き合いの上で分かっていること。実際、ある程度は準備してあったからそう時間も掛からない。
それならそうさせてもらおう、と言った兄はリビングに戻った。そんな兄の後ろ姿を見届けて、オレはさっさと夕飯を作る。そして十数分後には、テーブルの上に夕飯が並ぶのだった。
「いただきます」
両手を合わせて挨拶をしてから味噌汁を一口。
「やはりサスケが作る味噌汁が一番だな」
「味噌汁なんて誰が作っても同じだろ」
味噌を溶かして作るだけなのだからそう味も変わらないだろう。そう思ったままに口にしたオレに、兄はそんなことはないと首を横に振る。作り手が違えば同じものでも味な全然違うのだと。
「けど、いつも飲んでるじゃねぇか」
「それはそうだが、今日は昼に定食屋に行ってな。お前の作る味噌汁が好きだと改めて思ったんだ」
それでこの発言だったわけか。自分ではそう違うものだとも思わないし、どちらかといえばプロの方が上手いと思う。
……いや、そういう話ではないのか。結局は好みの話になるのだから、兄はオレが作るものが好きだというだけのこと。確かに、オレも母さんの作る料理が外で食べるものよりも好きだった。そういうことなんだろう。
「オレが作るのが良いなんて、安上がりだな」
「そんなことはないだろう。誰でもお前の手料理が食べられるわけではないんだからな」
急に何を言い出すんだよ、と言ったオレは間違っていないだろう。しかし兄は、だってそうだろうとでもいうように続けるのだ。
「家族でもなければ、毎日お前に料理を作ってもらうこともないだろう?」
それはそうだろう。というより、それはむしろ当然のことだ。
家族で一緒に暮らしているからこそ、こうして食事だって一緒にとっているんだ。友人とだって一緒に外食をすることはあれど、家に招いて料理をご馳走するなんてことは殆どない。
「アンタだって誰にでも料理を振る舞うわけじゃないだろ」
「ああ」
「それなら何でこんな話になったんだよ」
聞いたところでまともな答えが返ってくるかは分からない。それでも、聞けば何かしらの答えは返ってくる。
だから質問してみたのだが、返ってきたそれは「お前の料理が好きだからだ」という答えになっているのか分からないようなものだった。おそらく、兄の中ではこれが先程のオレの問いに対する答えなのだろうけれども。
「別に兄貴にとっては珍しくもないだろ。ほぼ毎日食べてるようなものだ」
「今はそうでも、この先もずっとそうだとは限らないだろ」
一体この兄は何が言いたいのか。兄の言おうとしていることが分からないなんて初めてのことでもないが、こっちは分からないのに向こうは分かっているのが腑に落ちない。
「だから結局何なんだよ。オレはこれからも兄貴の飯は作るだろ」
兄弟なんだから、というよりは家族なんだからというべきか。
そう言ったオレを見た兄はきょとんとした表情をして見せた。けれどもすぐに口元に笑みを浮かべて。
「そうだな」
そう言って嬉しそうな表情を見せた。
何を当たり前のことを言い出すのかと思ったわけだが、兄のこの反応は何なのだろうか。不思議そうに自分と同じ黒い瞳を見つめれば、それに気付いた兄が楽しげに口を開いた。
「これからもずっと、オレ達は一緒だな」
兄の言ったそれも兄弟だから、家族だからという意味だ。それは分かったのだが、そこに含まれる意味を理解しかねていると、やはり楽しそうに兄は続ける。
「もともとオレに出て行く気はなかったが、お前もそのようで安心した」
そこまで言われて漸く、兄が言おうとしていた言葉の意味に気が付く。
「それとこれとは別だろ! 兄貴だっていずれは……」
「オレにそのつもりはないと言っただろう。オレはお前を愛しているからな」
兄弟で家族で。だから一緒に食事をするのも当たり前のことで、それはこれからだって変わらない。オレ達二人が兄弟であることは、この先も一勝変わらないことだ。
けれど、これから何十年と生きていく上でいつかは生涯を共にする相手に出会うだろう。そうしたら新しい家庭を持つことになる。それまでの間は、という意味で言った言葉を兄はどうやら違うように受け取ったらしい。元を辿れば、兄の言おうとしていたことを理解しかねたこちらに非があったのかもしれないが。
「そういうことは、好きな女の人に言えよ」
「オレはお前が好きだから言っているだけだ」
勿論それは兄弟として、だろうけれど。
楽しそうにこちらを見て笑う兄に何を言ったところで勝てないだろう。これ以上話を続けたところで遊ばれるのがオチだ。
「食べ終わったんならさっさと風呂に入れよ。後はオレが片付ける」
それだけを言って、オレは空いた食器を運ぶことにした。後片付けくらいオレがやると言った兄の申し出は断って、いいから行けよと背を向けた。
分かった、と頷いた兄が動く気配がしてそちらを見るとかちり。丁度こちらを見たらしい黒の双眸と目が合って慌てて逸らした。
目が合うとどうしていいのかわからない
(いつも振り回されるのはオレばかりだ)