七年前まで、この日はいつも「おめでとう」と言われていた。小さな彼も毎年「おめでとう」と笑ってくれた。
それから五年間聞くことのなかったその言葉を去年、久し振りに耳にした。彼はあの時と同じように「おめでとう」と言ってくれた。あの日から七年もの間、あの頃はまだ七歳だった彼も今では十三歳。
おめでとう
六月九日――カレンダーの示す今日の日付だ。梅雨に入って間もなく、一般的には特にいつもと変わらない一日の始まり。けれど、オレにとってはとても大切な日。
そう、今日は兄であるイタチの誕生日だ。昔は兄の誕生日というだけで早く祝いたくて兄が帰ってくるまでの時間が待ち遠しかった。流石に一歳や二歳の頃の記憶なんてないけれど、その頃だって母や父と一緒になって兄を祝ったのだろう。家族であり大切な、大好きな兄のことを。
しかし、七年前のあの日から五年間。オレがこの日を祝うことはなく、それどころか忘れようと必死だった。うちは一族は滅び、兄は里を抜けた。あんな日々は二度と送れない。あの頃笑い合っていた家族や同じ一族の仲間はもういない。それらを全部忘れようと必死で、楽しかった思い出は辛いものへと変化していた。
それが変わったのが去年の今日。オレが昔の夢を見たことが始まりだろうか。どうして今更と思ったが、気にしないようにしようと思っても一度思い出してしまった温かさにどうもいつもの調子が戻らなかった。
だがおかしかったのはオレだけではなかったようで――というのは違うかもしれないが――今ではたった一人の家に兄が帰ってきた。それこそどうしてと疑問だらけだったのだが、色々と話をして今では一緒に暮らしている。そしてどういうわけか付き合うことにもなった。それについてはオレも兄のことが好きだからであるが、細かいことは良いだろう。
その兄はというと、今現在は家にいない。暗部の任務があるようで今日は朝早くから出掛けている。オレはいつものように七班での任務を終えて今に至る。
「どうするか…………」
家までの帰り道、といっても真っ直ぐ家に向かってはいないのだが。オレは考え事をしながら歩いていた。その考え事も今に始まったことではなく、かれこれ一週間くらいは悩んでいるだろうか。
何をそんなに悩んでいるのかといえば、今日が六月九日――つまり、兄の誕生日だからだ。誕生日だから何かお祝いをしたいとは思ったものの何をすれば良いのか思いつかなかった。そうこうしているうちに一週間という時間はあっという間に流れ、何も準備できないままとうとう当日を迎えてしまった。
(あの兄貴に欲しいものなんてあるのか?)
何でも出来る兄。そんな兄が欲しいと思うのはどんなものだろうか。そもそも欲しいと思うようなものはあるのだろうか。
実用品なら幾らあっても困らない。戦いで使う忍具をはじめ、怪我をした時に便利な医療パック。または普段の生活で使えるような小物。こういうものなら幾つか思い浮かぶもののそれは“誕生日プレゼント”として は如何なものか。あって困らないものでも誕生日に欲しいものではないだろう。
はあ、と溜め息が零れてしまう。大切な人の誕生日なのにプレゼントの一つも思いつかない自分に対して。こうしている間にも時間は確実に流れている。
「確か、兄貴が帰ってくるのは夜だったな」
夜まではまだ時間がある。それが唯一の救いだろうか。夜までなんてあと数時間しかないが、すぐというわけではない。僅かでもそこに考えるだけの時間がある。
兄の任務が早朝から夜までで良かったと今日ばかりは思う。兄に会えるのが夜だけなのは少し寂しいけど、何も用意が出来ないまま顔を合わせるよりもよっぽど良い。それでもゆっくりしている時間はない。
「とりあえず夕飯の買い物に行くか」
どうするかは買い物をしながら考えることにしよう。そう決めてまずは商店街へ向かう。プレゼントも大事だが同じくらい夕飯だって大切だ。家にも食材はあるけれどせっかくの誕生日なのだから少しくらい豪華でも良いだろう。
昔、母は誕生日や特別な日は沢山の料理を振る舞ってくれた。母のような料理は作れないけれど、それでも特別な日らしく料理を作りたい。全ては兄に喜んでもらいたいから。
商店街を歩きながらところどころで食材を買っていく。兄の好きなもの、それとケーキはまず決定事項だ。他にも色々と買い足しながら考えるのは誕生日プレゼント。
(兄貴が欲しいようなもの…………)
色んな店を眺めながらそれを探す。忍具や忍術書といったものも気に留めてはみたが、結局誕生日プレゼントとは違う気がして他のものを探している最中だ。
去年の今日から早いことにもう一年、兄と一緒に暮らしている。近いところにいるはずなのに兄が欲しいものがぱっと思いつかない。オレが兄のことを見ていないわけではなく、どちらかといえば元からそういうところは分かりづらいだけだろう。小さい頃はただひたすら兄に喜んでほしいとプレゼントを作っていた覚えがあるが、この年で同じことをする気にはならない。
考えてみれば、あの時も兄に喜んでもらいたい一心でひたすらプレゼントを作っていた。今も兄に喜んでもらえるようなプレゼント、と考えているのだからそこは昔と変わっていないのかもしれない。ただ兄が喜ぶ顔が見たくて。
(オレは兄貴に喜んでもらいたい。兄貴が喜んでくれることって……)
これまでの生活を思い返して考える。兄はどんなことで喜んでくれるのか。
そうして考えた時、一つだけ頭に浮かんだことがある。本当にそれで兄が喜んでくれるのかは分からない。でも、今日まで一緒に過ごしてきた時間を振り返って考えてみれば喜んでくれる……とは思う。
はっきりと言い切れないのは仕方がない。思いついたプレゼントがプレゼントだ。こんな曖昧なものをプレゼントにして良いのかとは思ったが、今オレに思いつくのはこれくらいだ。だからこの小さな可能性を信じてみよう。外れた時はその時だ。
そう結論付けてオレは商店街を抜けて家に戻る。それから夕飯の支度をして兄の帰りを待つのだった。
□ □ □
「ただいま」
時刻は午後九時。予定通り任務を終えて帰ってきた兄を「お帰り」と迎える。この時間に帰ってきたということは長引くこともなかったようだ。これでもいつもに比べれば早い方である。
帰ってきた兄はまず風呂へ向かい、その間にこちらは夕食を温める。風呂を出て部屋に入ってきた兄は目の前の光景に驚いたのか、入り口で立ち止まったままこちらを見ていた。
「今日は兄貴の誕生日だろ」
どうしてこんなに沢山の料理がと思われたのだろうから聞かれる前に理由を教えた。当の本人は誕生日のことがすっかり頭から抜け落ちていたようで、そういえばそうだったかと視線をカレンダーに向けた。
オレも人のことはいえないが、自分の誕生日というものはどうも忘れてしまうらしい。逆に誰かの――たとえばオレにとっては兄の、兄にとってはオレの誕生日は忘れない。大切な人の誕生日を忘れるわけもない。そして、その人が誕生日を祝ってくれるから自分の誕生日を思い出せる。去年のオレもそうだったが今の兄も同じような感じなのではないだろうか。
「それで、誕生日プレゼントなんだが…………」
何をすれば兄は喜んでくれるのか。必死に考えたけれど名案が浮かばずにずるずると今日まで悩んでしまった。数時間前までずっと頭を悩ませていたほどで、漸く考えついたプレゼントも兄が本当に喜んでくれるかは分からない。けれど、それがオレの見つけた兄へのプレゼントで。
「誕生日おめでとう、兄貴」
兄の目の前まで歩いたオレは僅かに背伸びをして自分の唇を兄のそれと重ねた。自分でも顔に熱が集まっていくのが分かる。すぐにでも顔を逸らしたい衝動に駆られたが、その前に伝えなければいけないことがあったと真っ直ぐに兄を見て大事なその一言を伝えた。
一方、兄はといえばさっき部屋に入ってきた時よりも驚いた表情でこちらを見つめている。やはり、こんなことがプレゼントというのは不味かっただろうか。そう思ったのだが。
「ありがとう、サスケ」
優しく微笑んだ兄はオレの額にそっと唇を落とした。予想外の行動に今度はこちらが驚かされる。温かいものが離れたのと同時に思わず見上げれば、やっぱり兄は笑っていて。それがオレのプレゼントに対する答えなのだとすぐに分かった。ちゃんと喜んでもらえたのだと。
「さて、せっかく作ってくれた夕飯が冷めてしまったら勿体ない。そろそろ食べないか」
「ああ、そうだな」
いつもの席に腰を下ろした兄に続いてオレも席につく。いただきますと言ってから料理を一口食べて「美味しい」と言ってもらえることが嬉しい。それからも沢山の料理に箸を伸ばしながら、これも美味しいなと一つずつ感想を言ってくれる。
そのことが嬉しいけれど、兄の誕生日だというのになんだかこちらの方が喜んでしまっている気がする。そんなことを考えていると兄に名前を呼ばれた。
「お前にこんなにも祝ってもらえてオレは幸せだ」
ありがとう、と二度目になる感謝の気持ちを伝えられた。もしかしたらオレの考えていることなんて兄にはお見通しだったのかもしれない。だけど、幸せだと言ってもらえたのならそれで良いかと思うことにする。今回は兄に喜んでもらいたいとこうして準備をしていたのだ。その目的が果たせたというのなら十分だろう。
「誕生日くらい、来年も祝ってやるよ」
「それは楽しみだ」
来年だけではない。再来年も、その次の年だって。
毎年この日は「おめでとう」の言葉を兄に伝えたい。オレにとって誰より大切な存在である兄の誕生日を毎年きちんと祝いたい。そして、喜んでもらえるような特別な一日にしたいと、そう思う。
七年前までの七年間。それから去年の今日。今年の六月九日。これが九回目の“おめでとう”。
これからもオレは毎年兄さんに伝え続ける。この「おめでとう」という言葉を。大切な、大好きな兄さんに。必ず「おめでとう」と伝える。
fin
「兄弟生誕祭り」様に参加させて頂いた作品でした。