以前、オレが三人一組を組んでいた頃のことだ。もう十年以上も前のことになる。
 その頃、オレは担当上忍だったその人を『先生』と呼んでいた。オレだけではない。同じ班だった他の二人も『先生』と呼んでいた。
 そして今はオレ自身が担当上忍という立場。あの頃のオレ達のように部下からは『先生』と呼ばれている。

 …………ただ一人を除いて。




先生





「先生って呼んでよ」


 今、この部屋にいるのは二人。この部屋の主であるカカシとその部下であるサスケ。その中で発された言葉は当然もう一人の相手に向けられている。
 唐突な発言に眉を顰めながら「何だよ、急に」と返しながらサスケは読んでいた巻物から目を離す。だがカカシは「良いから言って」と繰り返すだけ。思わず質問に答えろと言ってしまったサスケは悪くないだろう。カカシからすればそんなこと気にしなくて良いからと言いたいのだろうが、カカシが良くてもサスケは全く良くないのだ。どうして急にそんな話になったのか訳が分からない。


「だって、サスケはオレのことを先生って呼んでくれないでしょ」


 どうやらこれが理由らしい。
 サスケの所属している第七班の他のメンバー、ナルトとサクラはカカシのことを「カカシ先生」と呼んでいる。しかし、サスケだけは今まで一度も先生と呼んだことがない。忍者学校を卒業して三人一組を組んだあの時からこれまでに一度も。
 それなりに長い付き合いをしているけれど、先生と呼ばれたことはないのだ。サスケからしてみれば何を今更という話なのだが、カカシにとっては重要らしい。とはいえ、やはりサスケにしてみれば至極どうでも良いことで。


「オレ達と担当上忍の関係は上司と部下だろ」


 理由を言わなければしつこいだろうと全うな理由で返す。
 忍者学校では教師と生徒の関係だったそれも下忍になった今、三人一組に所属している彼等とカカシとの関係は上司と部下なのだ。先生というのとは少し違うのではないだろうか。その師の下で経験を積んでいると考えれば先生かもしれないが、一応ここには上司と部下というはっきりとした関係になっている。


「確かにそうだけど、先生みたいなものでしょ」

「アンタな…………」


 カカシの言っていることも強ち間違いではない。だからこそ、ナルト達は担当上忍を『先生』と呼んでいる。
 それが分からないサスケではないのだが、それでも『先生』と呼ぶ気になるかといわれれば答えはノーだ。同じ七班の中でも一番、カカシに修業をつけてもらい忍術を教わったりとサスケが世話になっている。だが、それとこれとは別問題だ。


「だから先生って呼んでよ」

「断る」


 正に一刀両断。いくら頼まれたところでサスケは目の前の担当上忍を『先生』と呼ぶつもりはない。別に『先生』と呼ばないことで何か支障があるわけでもなければ、『先生』と呼ばなければならない理由はない。これはあくまでもカカシからサスケに頼んでいるだけのことなのだ。
 しかし、カカシもここで引き下がったりはしない。サスケが素直に『先生』と呼んでくれるとはカカシだって思っていなかった。とりあえず、まずは理由を聞くところから始めてみよう。サスケの意思が変わらなければまず呼んでもらえないから、と思ったのだが。


「それじゃあ、オレのことを先生って呼びたくない理由は?」

「アンタのどこが教師だ」

「オレはちゃんとやってるけどな」

「だったら遅刻をしたり任務中に変な本を読んだりするな」


 容赦なく答えていくサスケの意思が変わることなどあるのだろうか。先生と呼びたくない理由は、と問うたのに先生ではなく教師という言い方をするほどに言いたくないのか。そこは単純にこんな話になっているからあえてそうしただけだろうけれども。
 『先生』と呼んで欲しいというのなら、せめてもっと先生らしくしろ。それがサスケの意見なのだろう。毎日のように何時間と平気で遅刻をし、任務の最中でも部下達を気にせず「イチャイチャパラダイス」という怪しい本を読んでいる。そんな上司のどこをどう見て『先生』と呼べば良いのか。どう考えても呼ぶ理由はないだろうという結論にしか辿り着かない。

 一体どうしたら良いのだろうか。これでもまだカカシに諦めるつもりはなかった。どうすれば良いのかと考えていた時、ふと頭に浮かんだ人物が一人。


「でもサスケ、イルカ先生のことは先生って呼ぶでしょ?」


 そう、忍者学校で教師をしている中忍。イルカのことはサスケも『先生』と呼んでいるのだ。カカシのことは頑なに『先生』と呼ばないのに、イルカには当たり前のように『先生』と呼ぶ。


「それがどうしたんだよ」

「それならオレも先生って呼んでも良いんじゃないの?」


 イルカもカカシもサスケからしてみれば同じような立場だろうと付け足しながらカカシはそう話した。イルカも自分もサスケにとっては師であり教わる立場なのだから。肩書に違いはあれどそのことに変わりはないのではないか。
 そうはいっても、イルカは忍者学校でサスケの“教師”だったのだから『先生』と呼ぶのも当たり前。カカシは第七班の“上司”だから『先生』と呼ぶ必要は絶対ではない。先程からも言っていることだが、イルカのことを『先生』と呼んでいるからとカカシを『先生』と呼ぶ理由にはならない。


「だから、忍者学校の教師と担当上忍は違うだろ」

「お前達に色んなことを教えるって意味では同じだと思うけど」


 もはや屁理屈になってきているような気がするのは気のせいだろうか。何が何でも『先生』と呼ばせたいだけになっている気がする。
 いい加減に疲れてきたサスケは溜め息を一つ吐いたのだが、そこで不意に思い浮かんだことが一つ。そんなことはないだろうとは思えど、ここまで『先生』呼びに拘る理由というのは。


「アンタ、妬いてるのか……?」


 それだけで『先生』呼びを強要しているなんて考えたくもないが、もしもの可能性を考えて尋ねる。しつこすぎるほどに『先生』と呼んでほしいと頼み、更にはイルカの名前まで出してくる始末。こんな疑問が浮かんでしまうのも当然だろう。むしろそれが本当の理由なのではないかと疑ってしまう。


「んー? どうだろうね」


 適当に誤魔化すような返答に「はっきりしろよ」と溜め息交じりに零す。カカシらしいといえばらしいが、これほど頼む理由くらい教えてくれても良いのではないだろうか。それとも、本当にナルト達と同じように『先生』と呼ばないからというだけなのか。
 もしも本当にそうなら理由も説明していることになるが、曖昧にするということはそれなりの理由があるのではないかと思うのだ。何もないのなら違うとはっきり答えてしまえば良いのだから。


「オレはサスケが先生って呼んでくれれば良いだけだから」

「さっきからそればっかりじゃねぇか」


 果たして、この数分間で何回この言葉を聞いたのだろうか。そう思ってしまうほどに同じ言葉を繰り返されている。
 先程の言葉をどちらと取るか。少なくとも曖昧にするだけの理由はあるのだろうが、ここまでくるとそろそろ呆れてくる。どうしてこんなくだらないことにオレは付き合っているのだろうかとサスケが思ってしまうほどに続いているこの会話。もう終止符を打っても良いだろうか。


「さっきから言わないって言ってるだろ」


 これでこの話は終わりだというように言い切れば、なぜか「ケチ」と言われる。コイツは何歳の子供だと思ったが、これでもサスケの担当上忍であり立派な大人だ。それでも人間なのだからそういう面もあるのだろう。カカシのこういった子供のような態度を見るのも別に初めてではない。
 はあ、と本日何度目かになる溜め息が零れる。こういう時、いつだって折れるのはサスケの方だ。たまにはこのまま放っておいても良いんじゃないかと思いもするのだが、なんだかんだで結局放っておけずに折れてしまう。カカシもそれを分かった上でこんな態度を取っているわけではないのだろうけれど、カカシの様子にサスケは諦めたように口を開いた。


「…………いつか、アンタが教師らしくなったら一回くらい呼んでやる」


 今は『先生』と呼ぶ気にはならない。だけどいつか、サスケからみても『先生』と呼べるような人になったら。その時は目の前の上忍の望み通り、一回くらいなら『先生』と呼んでやる。
 サスケのその言葉に一瞬驚いたような表情を見せながらも、カカシはすぐに嬉しそうな顔を見せた。


「本当に? 嘘じゃないよね?」

「もしもアンタが教師らしくなったの話だ」


 念を押すように繰り返すが、それでもやはりカカシは嬉しそうに笑う。
 たった一言、サスケがそう言っただけでころりと変わる。その変わりぶりは凄いけれど、それもサスケが相手だからなのだろう。普段は子供らしい姿も全く見られないというのにサスケの前だけではそういう態度を取ることがある。それだけ気を許されているということなのだろう。サスケはそのことに気付いていないけれど。


「じゃあ、その時はちゃんと先生って呼んでね」

「ああ」


 約束だと話すカカシにサスケは小さく笑みを浮かべる。本当にそんな日が来るのかは分からないが、もしそんな日が来たら一度くらいは『先生』と呼んでやろうと心の中で誓う。

 あの頃のオレや同じチームメイトはみんな、担当上忍を『先生』と呼んでいた。自分達だけではない、他の班のメンバーやもっと昔の今や里の上層部となっている人達も。今年の下忍達も含めて大多数の人間が上司であり師である担当上忍を『先生』と呼んでいる。
 けれど、オレの部下でたった一人だけ。『先生』と呼んでくれない者がいる。
 どうして呼んでくれないのかと問えば『先生』らしくないから。それなら『先生』と呼ばれるのにふさわしくなろうと心に決める。その時、彼は自分を『先生』と呼ぶと約束してくれたから。


 いつか、一度でも彼が『先生』と呼んでくれる。
 そんな日が来ることを願って。










fin