小学生の頃、家族はオレを残して事故で亡くなった。オレが助かったのも奇跡のようなもので、すぐ隣にいた兄が咄嗟に庇ってくれなければ助からなかった。
家族を亡くしたオレは遠い親戚であるカカシの元で暮らすことになった。あれから早いことで十年になる。当時小学生だったオレは高校生になり、大学生だったカカシは教師としてオレと同じ学校に通っている。そして今日も理科担当教師と学級委員長としてここ――理科準備室にいた。
「ありがとう、助かったよ」
その辺に適当に置いておいて、と言われたのはクラス全員分の理科のノート。授業中に回収すれば良いものをどうして放課後になって運んできたのかといえば、どこぞのウスラトンカチが放課後までに期限を延ばして欲しいと言い出したからだ。
それなら後でノートを持ってこいという話になるのではなく、じゃあ放課後に集めて持ってきてとカカシが言い出したからオレはこうしてここにいる。せめてナルトにやらせれば良いものをわざわざ委員長と名指ししてくるのだから仕方がない。
「こんなことくらい自分でやれよ」
「オレにも色々とやることがあるの」
「SHRで教室に来た時に持って行けば良かっただけの話だろ」
オレのクラスの理科担当なだけでなく、カカシはウチのクラス担任でもある。理科の授業の後で昼休みや午後の授業を挟んだ後、カカシは一度ウチのクラスにやってきているのだ。その時に回収してくれればオレがノートをここまで運ぶ必要はなかったはずだ。
「それとこれとは話が別でしょ。これは理科の授業のことなんだし」
「どこが別なんだよ。アンタの授業だろ」
これがクラス担任ではなく、今日はもうオレのクラスに来ることがないのなら話は別だろう。だが、そうでないのなら人に頼む必要はどこにもない。どう考えてもこちらの言い分の方が正論だ。
とはいえ、これがはたけカカシという男だということもよく知っている。何せ去年のクラス担任もカカシであり、どういうわけか去年も今年も学級委員なんてものをやることになった。カカシがこのように大した理由もなく人を呼ぶことは迷惑なことによくあるのだ。カカシにとってはちゃんとした理由はあると言うのだろうが、オレに言わせれば自分でやれと言いたくなることが殆どである。
「それより、今日は遅くならないで帰ってくるのか」
言いたいことがないとはいわない。けれど言ったところで意味がないと分かっているのなら言う気も失せる。こんな話はさっさと終わらせて、ついでだからと尋ねればカカシはその瞳を僅かに開いた。
「そのつもりだけど、わざわざそんなこと聞くなんてどうかしたの?」
「別に。飯を作る時間とかあるだろ」
残ってやらなければならない仕事があるのだとすれば少し遅めに夕飯の支度をするし、同僚と飲みに行くなんて話があるのならカカシの分の夕飯はいらないことになる。一緒に暮らしているのだからこれくらい聞いてもおかしくはないだろう。
……いつもは聞かないからこの反応も予想はしていたが。それでもついでだから確認しておきたかった。ここに来なかったらこんなことは聞かずに帰っていただろうが呼んだのは向こうだ。ついでに聞くくらい変でもないだろう。言えばカカシも納得してくれた。
「あ、夕飯何にするかってもう決めてる?」
「それはこれから考えるつもりだ」
「じゃあ秋刀魚とかどう? そろそろ旬でしょ?」
秋刀魚の旬は秋、丁度今の季節だ。基本的に平日の夕飯はオレが作っているわけだが、それなら塩焼きにするかと自然に考えついたのはそれがカカシの好物だからだ。
いや、本当のところはそれだけが理由でもないのだが、本人が何も言ってこないあたり気付いていないんだろう。人にやっぱり覚えてなかったと言う割にその本人も大概だ。自分の誕生日なんてそんなものだ。だが、カカシの言うことも分からないでもないと今なら思える。
「分かった。買って帰る」
「本当? 楽しみだな」
冷蔵庫の中も大分少なくなってきたから一通り見て帰れば良いだろう。夕飯は秋刀魚の塩焼きと、あとは茄子の味噌汁を作ってご飯を炊くか。茄子もまだ旬の時期は過ぎていないが、ここでそれを選んだのもそれがカカシの好物だからだ。
今日、九月十五日はカカシの誕生日だから夕飯はカカシの好物にするつもりだ。ちょっとしたことだがカカシには色々と世話になってるし、毎年ささやかなお祝いとしてやっていることだ。だが、誕生日だからといってケーキは用意しないのはオレもカカシも甘い物が苦手だから。
「その代わり、遅くならないで帰って来いよ」
「これ終わらせたら真っ直ぐ帰るよ」
あとはプレゼントなんかも誕生日の定番なんだろうが、それについては結局何も思いつかないまま当日を迎えてしまった。人に物を送るなんてことはあまりしないからこういう時に何を渡せば良いのか分からない。今までのカカシの誕生日も夕飯に好物を並べるくらいで、贈り物をしたことは殆どない。カカシが喜びそうなものと考えてみてもこれといって思い当たるものはなかった。これも帰りに何か見つかれば良いんだが。
「じゃあオレは帰るぜ」
ノートも全員分届け終わり、ここに残っている理由もない。夕飯の支度の他に買い物もするとなればあまり時間を無駄に出来ない。
そう思って言えば「気を付けて帰れよ」と返され、オレは理科準備室を後にしようとした。だがその寸前、カカシが「あ」と声を漏らしたから立ち止まってそちらを振り向いた。
「まだ何かあるのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
なら何だ、と聞き返すとカカシはこちらを見て笑みを浮かべると。
「オレ今日誕生日なんだけど、お祝いとかしてくれないの?」
ニコニコと笑いながらカカシはそう問い掛けてきた。
何も言わないから今年は忘れているのかと思ったが、どうやらそういうわけではなかったらしい。わざとじゃねぇだろうな、と一瞬思ったが流石にそれはないだろう。可能性としてはゼロではないけれど、オレが何かしようと考えていたことなんて知るはずもない。
「夕飯秋刀魚だろ」
「それだけ?」
「他に何して欲しいんだよ」
して欲しいことがあるのなら言ってくれた方が早い。自分では何も思いつかなかったし、こうなったら本人に直接聞いてしまっても良いだろう。この話の流れなら聞いてもおかしくはないはずだ。
するとカカシは「そうだな……」と言いながら考え始めた。特に何かして欲しくていったわけではなかったのかと思っていると、こちらを見た黒の双眸と目が合った。
「やっぱりおめでとうって言われるのが一番嬉しいかな」
どんな答えが返ってくるのかと思っていたが、まさかこのような回答がくるとは思わなかった。それだけで良いのか、と逆にこちらが言いたくなってしまう。
だが、考えてみれば毎年誕生日だと言われても何かを欲しいと言われたことはない気がした。いつもカカシの好物を用意しておめでとうと言えば、それだけで嬉しそうにありがとうと返ってきた。中にはカカシが自分の誕生日を忘れていた年もあったが、その時も同じような感じだったと思う。
そもそもオレはこれまでずっとカカシの世話になってきた。高校生になった今はバイトもしているけれど、そんなカカシが誕生日だからと物を要求しないのも考えてみれば納得だ。
「……誕生日、おめでとう」
「うん、ありがとう」
言われた通りに祝いの言葉を述べれば、カカシは嬉しそうに笑った。たったこれだけのことなのにカカシは喜んでくれる。贈り物で大切なのは物よりも気持ちだというが、きっとそういうことなんだろう。オレは自分の誕生日なんてあまり覚えていないが、それでもカカシに祝われて悪い気はしないし、別に物が欲しいとも思わない。カカシもそんな感じなんだろうか。
「それじゃあ、オレは早いところ残りの仕事も終わらせようかな」
そう言ってデスクに向かい始めたカカシに「夕飯作って待ってる」とだけ言って準備室を出た。ドアを閉める直前に見えたカカシは頬を綻ばせていて、それから「楽しみにしてる」と言ったのが聞こえた。
(とりあえず食料品は後にして、適当に近くの店を見てみるか)
廊下を歩きながらこの後の予定を考える。誕生日とは、一年に一度だけの特別な日だとカカシはよくオレの誕生日に言う。そのカカシがいなければ、オレは今ここにいなかっただろう。カカシはオレにとって保護者であり、担任教師であり、家族であり大切な人だ。あれから十年経ってもオレはまだ子供で、そんなオレに出来ることなんて限られている。だけど、その大切な人の誕生日に何かをしたいと思って、それを形にすることくらいはもう出来る。
カカシがオレのことをどう思っているかは知らないが、少なくとも家族として大切にされていることは分かる。それだけでもないことも、なんとなく気が付いた。いや、なんとなくでもない。おそらく向こうは気付いてないだろうが、それを聞いてしまってから色々考えて自分の中で答えも出た。
(それをカカシが言わない理由も分かるが)
うっかり零れてしまうほどには思われているらしい。あの時偶然聞かなければオレもそんなこと考えもしなかっただろう。それほど普段は表に出していない。あの時だって聞き間違いかと思った。今でもそう思わなくもないけれど、時折見せる表情に気付かないほど鈍くもない。
「誕生日、か」
だからというわけではないけれど、素直になれないオレにとっては良い機会だと思った。毎年カカシの誕生日は祝っていても、好物を作っておめでとうと言って終わり。高校生になってバイトをはじめて、去年はまだバイトを始めたばかりだったけれど今年はこうやって祝うことが出来る。
こんな時くらい、素直になってみても良いのかもしれない。
こういう時でもないとオレは素直になんてなれないから。
教室に戻って鞄を持つと家とは反対の方向へと進む。夕飯の買い物と誕生日のプレゼントを買う為に。カカシはああ言ったけれど、そんな誕生日があっても良いだろう。
誕生日の贈り物
(誕生日おめでとう。それから……)