「よお、こんなところで何してんだ?」


 日曜日の昼過ぎ、人通りの多い街中を歩いていた時のことだった。唐突に後ろから男の声が聞こえてきた。
 これだけ人が多いのだ。それが自分に向けられたものとは限らない。しかし、新一はその声が自分に向けられたものであることをすぐに理解して足を止めた。


「オメーこそ」


 間もなくして振り返った先には予想通りの人物がいた。同じ疑問を投げ掛けながら相手の声がどこか楽しそうに聞こえるのも気のせいではないだろう。お互い、口元には笑みが浮かんでいた。


「立ち話もなんだろ? とりあえず移動しようぜ」

「ああ、そうだな」


 往来のど真ん中で話していては通行の邪魔になる。歩き始めた男に合わせて新一も止めていた足を再び動かした。目的地はおそらく、ここから五分も掛からない場所にある公園だ。
 歩きながら何となしに見上げた空は青い。高い位置にある太陽に僅かに目を細めながら、頭に浮かんだのは今日と同じようにとてもよく澄んだある晴れた日のこと。



□ □ □



「蘭の奴、もう少し早く言ってくれりゃあいいのに……」


 ふあと零れた欠伸を噛み殺しながら新一は呟く。だが、約束の時間まではまだ三十分はある。こうして太陽の下を歩いていれば少しは眠気も薄れるだろう。

 昨夜、発売したばかりの推理小説を遅くまで読んでいた新一は今日はのんびりとした休日を過ごすつもりだった。しかし、その予定は幼馴染からの連絡一つで消え去った。
 とはいえ、幼馴染の誘いをOKしたのも新一だ。ただ事前に言ってくれれば夜更かしはしなかったのに――と思ったが、一度読み始めてしまったらあと少しと言い聞かせながらも結局は同じことになっていたかもしれない。


「公園、か」


 元気な子供たちで賑わう公園を眺めながら一度腕時計を確認する。ここで時間を潰せば待ち合わせに丁度いいくらいになりそうだ。そう結論を出した新一は体の向きを変える。
 公園の真ん中では小学生くらいの男女がサッカーボールを追い掛けて走り回っていた。少し離れた砂場では幼い男の子とその父親が一緒に砂の城を作っており、その横にあるブランコには女の子が二人で仲良く揺られている。

 そんな日曜日の午後らしい風景が広がる中、新一の目はある場所で止まった。

 数メートル先のベンチに座っている少年。彼の手元でピンポン玉ほどのボールが一つから二つに増えたかと思えば、次の瞬間には更にボールが増える。かと思えば、一瞬のうちにボールが消え去り、程なくして再び現れたボールは少年の手を右から左へと行き来した。
 だが、少年の視線は手元のボールへは向けられていない。彼が見ているのは先程新一が眺めていたのと同じ、公園で遊ぶ子供たちだった。

 
(マジックの練習……ってわけでもねーのか?)


 ボールの動きからして少年が片手間にやっているそれがマジックの一種であることは間違いない。けれどこれがマジックの練習なら少年の目は自身の手元に向けられているはずだ。これはどちらかというと、手持無沙汰にボールを出し入れしているように見える。
 無駄のない動きでボールを増やしたり消したりしている少年を見ていた時間はどれくらいだったのか。あまり長い時間見ていたつもりはなかったのだが、ぱちっと目が合って反射的にやばいと思うほどには少年に見入っていた。


「座る?」


 ぐるりと公園を見回した少年は手に持っていたボールを消した後に新一に向かって尋ねた。幾つかある他のベンチは使用中、どうやら彼は新一が座れる場所を探していると受け取ったようだ。


「あ、ああ。悪ィな」

「いいって。公園はみんなのものだしな」


 本当は座る場所を探していたわけではないのだが、何でもないと立ち去るのも不自然だろう。ここは少年の言葉に頷いて空いているスペースに腰を掛けることにした。


「さっきの、マジックだよな?」

「ん? ああ。これのこと?」


 そう言った少年の手にはいつの間にかまた一つのボールが握られていた。どこから出したのか、と聞くのは野暮だろう。


「……スゲーな」


 マジックには種も仕掛けもある。しかし、少年の見事な手際に新一の口からは自然と感嘆が零れた。
 それを聞いた少年はニカッと嬉しそうに笑う。


「どうも。けど、オレなんてまだまだだぜ」


 ポンっという音とともに消え去ったボールと入れ替わるように彼の手には一本の薔薇が握られていた。


「オレは黒羽快斗ってんだ。よろしくな!」

「オレは工藤新一。つーか、男相手に薔薇はどうなんだよ」

「じゃあこっちにする?」


 今度は薔薇が小さな飴へと変化する。一体どこに何が隠されているのか。ボールに薔薇、飴ときたが他にも彼の服には様々なものが仕込まれていそうだ。
 普段から当たり前のようにこれだけの仕込みをしているのだろうか。それともたまたまか。疑問に思いながらも新一は快斗の手から飴を一つ手に取った。


「工藤は誰かと待ち合わせ?」

「まあそんなところだ。そっちはマジックの練習か?」

「いや、オレも待ち合わせ。幼馴染に電話でいきなり呼び出されてよ」

「黒羽も幼馴染がいるのか」


 その一言で新一にも幼馴染がいると理解した快斗に「彼女?」と聞かれてすぐに否定する。クラスの連中もそうだが、この年頃になるとそういった話題が増えてくる。幼馴染という単語で性別を確認するより前に尋ねられたのもそういうことだろう。
 それならと同じ問いを返せば快斗からも否定の言葉が返ってくる。ということは、向こうも待ち合わせの約束をしている幼馴染は女の子らしい。


「工藤ってさ、将来の夢とかある?」


 こんな偶然もあるんだなと思っていたところで唐突に投げられた問い掛け。また急だなとは思ったが、なんとなく気になったとか頭に浮かんだというだけの話だろう。そう結論付けた新一は雲一つない青空を見上げて答える。


「オレは探偵になるんだ」


 探偵になりたい、ではない。探偵になることが新一の幼い頃からの夢だ。サッカーも探偵としての体力をつけるためにやっている。
 もちろんサッカー自体も好きだが、今はこうしてこつこつと探偵になるための準備をしている。そして近い未来に必ずこの夢を現実にするつもりだ。あのシャーロック・ホームズのような名探偵に。


「へえ、探偵か。オレは世界一のマジシャンになるのが夢なんだ」


 世界一とはまた大きく出たが、夢は大きい方がいいものだ。それに自分で言うだけあって先程のマジックの腕もなかなかのものだった。
 新一のサッカーと同じく、快斗も自分の夢のために日々努力を重ねているのだろう。そんな快斗の一面に新一は好感を持った。


「なあ。オレと工藤、どっちが早く夢を叶えられると思う?」


 にっと快斗が口角を持ち上げる。どこか楽しげなその質問は、質問というよりも挑戦のようにも聞こえた。
 おそらく年はそう変わらない。探偵とマジシャン。どちらも名乗るだけなら誰にでもできるが、世間に認められるには相応の努力が必要となってくる。簡単な道ではない――が。


「オメーはどっちだと思うんだ?」

「そりゃあ工藤も遠くないうちに夢を叶えそうだけど」


 区切られた言葉、交わる視線。
 そこから先はどちらも言葉にしなかった。いずれは夢を叶えるだろう、けれど。どちらが早く夢を叶えることができるかといえば、当然自分が先だと思ったのはお互い様らしい。
 快斗の目を見て理解した瞬間、ぞくぞくと胸が躍る。おそらく向こうも同じであることは気配で悟った。眠気を覚ますために早めに家を出たのだが、お蔭でおもしろい奴に出会えた。数十分前の眠気も今やすっかり消え去っていた。

 だが、楽しい時間というものは早く過ぎるものらしい。
 ちらっと見た公園の時計はもうすぐ二時になろうとしていた。そろそろここを出なければ待ち合わせに遅刻してしまう。


「あ、オレそろそろ行かねぇといけねえから」


 もう少し、ここで出会った彼と話していたい気持ちもあるがそれで幼馴染を待たせては本末転倒だ。
 ベンチから立ち上がり「じゃあな」と数十分を共に過ごした新たな友人に別れを告げて新一は背を向ける。だがそこに「工藤」と呼び掛ける声が届いた。


「またいつか、会えるかな?」


 立ち止まって振り返った新一に快斗が問う。出会ったばかりでお互い相手のことは知らないも同然だったが、その僅かな時間で興味を惹かれたのもお互い様だったらしい。


「会えるといいな」


 だから新一も素直にそう返した。
 その言葉に小さく笑った快斗が「またな」と手を振ったところで新一は今度こそ彼に背を向けた。



□ □ □



「そういやオメーと初めて会った日もこんな空だったな」


 空を見上げながらぽつりと呟いた新一に「そうだな」と隣から相槌が返ってくる。そして今、二人が歩いているのもあの時の公園だ。
 偶然というものは重なるものなのか。特に約束したわけでもないのに今日もまたこの公園の傍で新一は快斗と会った。もっとも、この再会はあの時話していた二度目の再会ではないけれど。


「新一は蘭ちゃんとデートの約束をしてたんだよな?」

「してねーよ。オメーこそ、中森さんと約束があったんだろ」


 言い合ってどちらともなく笑う。あの時は名前も知らなかった幼馴染のことも今は名前以上に知っている。そしていつの間にか自分たちもあの時以上にお互いのことを知っている仲になった。
 そこに至るまでにあった様々な出来事は、お互いこそがその数少ない秘密を共有する相手になっていた。二度目の再会は今とは違う姿で、そこから何度か顔を合わせ、最初に出会った時と同じ姿で再会したのは大学生になってからだ。


「けど、新一には先を越されちゃったな」


 一頻り笑ってからまた唐突に快斗が話題を切り出す。だが、主語のないそれが何を指しているかは聞くまでもなかった。


「ある意味オレ以上に有名だろ」

「そっちは引退したんだよ。見てろよ、今に有名になってやっから」


 お前ならすぐだろうな、とは思うだけに留めた新一は代わりに頑張れよとだけ伝えておく。
 快斗の実力は新一が誰よりも知っている。今は小さいマジックバーでバイトをしながら地道に活動をしているが、その腕は既に有名なプロマジシャンにも劣らない。
 本当に遠くない未来、プロマジシャンとして黒羽快斗の名前を聞く日がやってくるのだろう。その日が楽しみだと思うのも快斗の実力や努力を知っているからこそだ。


「その時は特等席のチケットを用意してやるよ」


 聞こえてきた言葉に隣を見れば、屈託のない笑みを向けられた。もしかしなくても、こちらの考えていることがバレたらしい。


「あまり待たせんなよ」

「もちろん! とびっきりのマジックを用意しとくぜ」

「楽しみにしてる」


 今度は声に出して告げると快斗は嬉しそうに笑った。期待に応えられるように気合を入れないとなと話す快斗のマジックがいつも期待以上であることは、機会があればまたいつか伝えることにしよう。


「あ、そうそう」


 思い出したように口を開いた快斗はゆるりと口の端を持ち上げて言った。


「オレ、あの時新一に一目惚れしたんだ」

「は?」


 次いで出てきた言葉に新一は素っ頓狂な声を出してしまった。だがすぐに「冗談」と続けた友人に「オメーが言うと冗談に聞こえねぇよ」と零す。
 それからふっと、快斗の頬が緩むのが目に入った。そして。


「でも、今は好きだよ」


 そっと重なる手と手。優しい声で紡がれた言葉は静かに新一の胸へ落ちる。
 さっきとは違う驚きとあたたかさが胸に広がり、真実だけを宿した真っ直ぐな瞳に顔が次第に熱くなっていくのを感じた。


「ねえ、新一は?」


 いつもならここで「バーロー」と照れ隠しから文句の一つを言うところだが、暫し視線を彷徨わせた新一はやがて快斗の前で視線を止めた。


「…………オレも、快斗が好きだ」


 滅多に言わない言葉だけれど、今日くらいははっきり言葉にするのもいいかと思ったのは今日が特別な日だから。
 あの日、自分たちが出会ったのは偶然だ。別の姿で再会した時も、この姿で再会したことも。
 でも、あの偶然が巡り巡って今に繋がっている。そう思ったら今日くらい、素直な気持ちを伝えるのも悪くないと思えたのだ。

 顔を綻ばせた快斗につられるように新一の頬も緩む。これから家に行ってもいいかと聞かれて「好きにしろ」と答えたところで二人はどちらともなく立ち上がった。
 歩きながら自然と目に入った空はあの時と同じ、雲一つない綺麗な青空だった。







きっとまた会えると信じて別れたあの日と、共に在る今

あの日の出会いは偶然、それとも――
その答えはこの広い世界のどこかに