すっ、と目の前に現れたバラの花。
たった一本のバラのブーケを辿ってゆっくりと顔を上げた快斗の目に、バラよりも深い赤色の瞳が映った。
「待たせたかい?」
「……いや、オレもさっき来たとこだけど」
「それならよかった」
約束の時間まであと十分。遅刻したわけでもないのだからそこは別段気にする必要はない。今日はたまたま快斗の方が少しだけ早く着いただけの話だ。
だが、映画に行く約束をした相手が現れるなりいきなりバラを差し出してくるのはどう考えてもおかしいだろう。疑問に思いながらバラの花を見つめていると、白馬もそれに気がついたのだろう。ああと納得したような声を出した彼は続けた。
「ここへくる途中で見かけたんだよ」
「見かけただけで普通、買うか?」
「欲しかったら買うでしょう?」
それはその通りだ。しかし、快斗は白馬の説明では納得ができなかった。
何せ、バラなんて幾らでも見る機会はある。その度にバラを買っていたらあっという間に家がバラで溢れてしまう。一瞬、彼の家なら問題ないかと思いそうになったがそういう問題ではない。それに、本当にたまたま、今日がバラの花を買いたい気分だったとしても何故一本だけなのか。
もちろん、バラを一本だけ買うことが悪いとはいわない。だけど、贈り物のブーケといえば大抵の人はもう少し大きなものを想像するのではないだろうか。別に快斗はそういうブーケが欲しいわけでもないし、これから映画に行くというのにそんなものを渡されても困るのだけれど。
「君はいつもバラをたくさんの人に贈っているだろう」
聞こえてきた声に快斗はバラへと向けていた視線を白馬に戻す。間もなくしてぶつかった赤い瞳がふっと、優しく細められた。
「だからたまには、ボクから君にバラを贈るのもいいかと思ってね」
成程、と今度は快斗も白馬の言葉に納得した。
確かにバラを使ったマジックは快斗が最も得意としているものだ。即興でマジックを見せて欲しいと頼まれた時にもよく披露している。
それで偶然見かけたバラの花を買ってきたのかと納得しながらも快斗の頭にはまだ他の疑問が残っていた。だけどそれは直接本人にぶつけようと快斗は口を開いた。
「へえ。それでわざわざ一本にしたのか? オメーならもっと立派な花束を用意しそうなのに」
そう、もう一つの疑問はどうして一本だけのブーケにしたのかだ。立派なブーケをここで渡されても困るとはいえ、白馬ならそれくらいしてもおかしくなさそうだと思ったのだが。
快斗の問いに彼は困ったように笑った。
「それも考えたけれど、ここでそれを渡したら君は帰ると言い出すでしょう」
こんなものを持って映画に行けるわけがない、と。
見事に考えていたことを当てられた快斗は心の中で正解だと頷く。もしそんなことをされていたなら、ちょっとは考えろよと呆れたことだろう。
「それに」
流石は探偵といったところか、と思ったところで交わった視線。ゆるりと口の端を持ち上げた白馬は楽しげな声色で言った。
「バラなら一本でもいいと思ったからね」
その言葉が表す意味を、快斗は人より回転が速いといわれる頭ですぐに理解してしまった。同時に、顔に熱が集まるのを感じた快斗は急いでポーカーフェイスを自分に言い聞かせた。
「……バッカじゃねーの」
「失礼ですね」
だってそうだろと言ったところで目の前の男は同意してくれないのだろう。実際にこういうことをやってしまうヤツで、これがボクの気持ちですと馬鹿正直に伝えるようなヤツなのだ。気障だと言えば君に言われたくはないと返されるのが常だが、どう考えても白馬の方が上だろうと快斗は思う。
「普段の君はそういうつもりでバラを贈ってはいないでしょうけど、ボクはそういう意味で贈らせてもらうよ」
ほらみろ、と思った快斗の前に再び赤いバラが差し出された。
そして、柔らかな笑みを浮かべた彼は言った。
「受け取ってくれるかい?」
目の前のバラと、目の前の男を見比べる。快斗が思考を巡らせたのはほんの一瞬だった。
すっ、とその手からバラを受け取ると白馬は口元を緩めた。そんな白馬の前に快斗はすかさず自分の右手を出した。
ワン、ツー、スリー。
胸の内で三つ数えた時、ポンという音と共に一本のバラが快斗の手に現れる。それはここへ来る途中、白馬が思い出したという快斗が一番得意なマジックだ。けれど。
「オレだって、マジックで楽しませるためだけにバラを贈るわけじゃねーよ」
そう言った言葉の意味を、きっと彼なら間違うことなく理解してくれるだろう。
ぱちぱちと赤い瞳が瞬いて間もなく、くすりと笑った白馬は快斗の出したバラを受け取った。それが答えだった。
「そうだね。でも、それはあまり多くの人にはやらないで欲しいかな」
「心配しなくてもやらねーよ」
やるわけがない。こんなことをするのは――その先の言葉を飲み込んだ快斗は、先程受け取ったバラを一瞬で手の内から消した。
「つーか、もう行こうぜ。映画が始まっちまう」
これが照れ隠しであることも、不本意ながらこの男にはバレているのだろう。
だけど「ええ」と頷いた声に浮かぶ嬉しそうな音を聞いたら、たまにならいいかと思ってしまったのだから自分も大概なのかもしれない。そう思いながら快斗はどこまでも続く青を見上げた。
バラの花を君に
(あなたはただ一人の大切な人)
白快ワンドロに参加させて頂いたものでお題は「花言葉」でした