『御幸センパイの料理が食べたい』
初めて沢村がそれを口にしたのは確か、まだ高校生の頃だった。
自分の誕生日をこれでもかというほど主張した沢村は、御幸にも当然のように誕生日アピールをした。それで何が欲しいのかと溜め息を吐きながら尋ねた御幸に少し考えた後にそう答えたのだ。だから食堂で炒飯を作った。多分それがはじまり。
翌年は大学生と高校生ということもあり、誕生日祝いはメールで済ませた。その次の年、御幸と同じ大学に進学した沢村に誕生日だから飯にでも行くかと問いかけたら「御幸センパイの料理が食べたいです」といつか聞いたのと似たようなことを言われて手料理を振る舞った。
そして今年もそういえばもうすぐ誕生日だなと口にしたら「御幸センパイの料理が食べたいです!」と言われた。だから練習後、沢村と一緒にアパートに戻った御幸はキッチンで二人分の夕飯を用意した。
「お前さ、誕生日プレゼントがこれでいいの?」
何が食べたい、とリクエストを確認した御幸に沢村は炒飯がいいと答えた。誕生日なのだからもっと凝ったものでもよかったのだが「炒飯の気分なんで!」と沢村は笑った。
レンゲで掬ったご飯をもぐもぐと咀嚼していた沢村はそれを飲み込んでからゆっくりと口を開く。
「御幸センパイの料理、美味いっスよ? もっと自信持っていいんじゃないっスか」
「いや、そうじゃなくて。もっと他に欲しいモンとかなかったのかって聞いてんだよ」
御幸の質問に沢村はきょとんとした表情で首を傾げる。
「俺、御幸センパイの料理好きですよ?」
だから御幸の料理が食べたいのだと沢村は言う。
自分の料理を美味しいと食べてもらえることは嬉しい。それを好きだと言ってもらえることも幸せなことだ。
だけど本当にこれでいいのかと思ってしまうのは、今日が誕生日という年に一度の特別な日だからだろう。何か特別なことをしたい、と思うのは目の前の後輩が御幸にとってただの後輩の枠に収まらないせいだ。
「でも料理なんて誕生日じゃなくても食べてるだろ」
それこそ今日は炒飯の気分だとか言ってねだられたこともある。沢村の元に実家から野菜が届いた時にはそのお裾分けをもらうついでに一緒に食卓を囲み、一人では寂しいからという理由で共に鍋をしたこともある。
要するに御幸が沢村に手料理を振る舞うことは別段珍しいことではないのだ。それなのに沢村はいつも御幸の料理が食べたいと言う。
「そりゃあ誕生日なんだから美味しいものとか好きなものとか食べたいじゃないっスか!」
「だから飯でも行くかって聞いただろ」
「俺は御幸センパイの料理がいいんです!」
アンタはもっと自分の腕に自信を持った方がいい、とまた言われる。料理は実家にいた頃からやっているからそれなりにできるつもりだけど、どうやら沢村は御幸が思っている以上に御幸の料理を気に入っているようだった。
「っていうか、どうしたんスか。今までそんなこと言わなかったじゃないっスか」
半円ほどになった炒飯をさらに崩しながら沢村が問う。
「そんなんでいいのか、とは聞いたと思うけど」
「いいって答えませんでしたっけ?」
「毎年言われるとは思わないだろ」
初めて誕生日を祝った高校三年生の時からずっと、沢村が御幸にねだる誕生日プレゼントはこれだ。御幸が大学一年生の時は都合がつかなかったとはいえ、来年期待してますという言葉に込められた意味は今となっては明らかだ。
「だって御幸センパイ、また作ってくれるって言ったじゃないっスか」
その言葉に記憶を遡る。そんなこと言ったっけ、と思ってから答えを見つけるまでに然程時間はかからなかった。あれはそう、初めて沢村に手料理を振る舞った高校生の頃の話だ。
あの時も確か、作ったのは炒飯だった。一口食べて美味しいと零した沢村は食べ終わったあと、また作ってくださいと言ってきたのだ。それに対して御幸は気が向いたらと答えた。けれど。
「……お前、そういう意味で言ったワケじゃねぇだろ」
「細かいことはいいじゃないっスか。センパイの料理が食べたいのは本当なんですから」
ぱくり、沢村が炒飯を口に運ぶ。
誕生日には料理を作って欲しいという意味ではなく、また御幸の料理が食べたいという意味で言ったはずの言葉がいつの間にか前者の意味になっている。もちろん後者の意味もあるからこそ沢村は時々御幸の料理が食べたいと言い出すのだろうが、はあと思わず溜め息が零れた。
「それ、この先もずっと言うつもりじゃねぇよな」
「え? ダメっスか?」
「ダメっつーか、来年はともかく再来年はどうなってるかも分からないだろ」
不思議そうに沢村は首を傾げたけれど、自分たちはいつまでも学生でいられるわけではない。今は同じ大学に通っているからこそこうして料理を振る舞う機会もあるが卒業したらそうもいかないだろう。どういう道に進むにしても今より一緒にいる時間はずっと減るだろうし、会うことだって少なくなるはずだ。
……それでも、時間は作ろうと思えば作れないことはないのかもしれない。
御幸の作るご飯が好きだと言って美味しそうに食べてくれる沢村の誕生日に料理を振る舞うことは嫌ではない。でもそれは先輩と後輩という関係だからこそだとも思う。卒業しても先輩と後輩だったことに変わりはないが、いつまでもそうして誕生日プレゼントを贈るのはおかしいだろう。それこそ、彼女でもできたらその役目はすぐにでも別の誰かのものになる。
「んー……じゃあ俺もちゃんと御幸センパイの誕生日祝うんで!」
彼女ができたら来年の誕生日でさえこうして一緒にご飯を食べることもなくなるのかもしれない。そんなことを考えていた御幸の耳に届いたのは予想もしていなかった発言だった。
出所の見えないムービングは日常会話の中でも時々現れる。つい「は?」と素っ頓狂な声が漏れた。
「誕生日を祝われるって何歳になっても嬉しいじゃないっスか。御幸センパイの料理も食べられるしイッセキニチョウってヤツです!」
「……それ俺に得ある?」
「誕生日に得とか損とか関係ないでしょう! まあそこまで言うなら、御幸センパイの誕生日はこの沢村栄純が毎年盛大にお祝いしましょう!」
「いや、いらないけど」
「なぜ!?」
「何か面倒そうだし」
失礼だと文句を言われるが沢村のことだからおかしな方向に努力する未来しか見えない。それはそれとして、おめでとうの一言を毎年もらえるのは悪くないと思ってしまったのはどうしようもない事実なのだが。
「つーかさ」
沢村の話は、当たり前のように一緒にいることが前提となっていた。将来どんな道に進むのかも分からなければ自分たちは先輩と後輩という関係でしかないのに。
踏み込むべきか、このままにしておくべきか。
多分そこまでのことなんて考えていないだけだとは思うが、思案したのは数秒。先に踏み込んできたのはこいつだと御幸は徐に口を開いた。
「そんなに俺の料理が食べたいなら一緒に暮らす?」
そうすれば毎日食べられるけど、なんて。先輩と後輩の枠を飛び越えていると思うけれど、第三者が聞けば沢村の主張だって大概だと思う。沢村は大きな目をまん丸くした。
「一人分作るのも二人分作るのも大差ないし」
家賃も半分になるし悪い話ではないだろうと尋ねる。高校の時は寮生活だったから誰かと一緒に暮らすことも初めてではないし、今更遠慮をする間柄でもない。
「……まあ、お前が俺の料理を食べたいならの話だけど」
「いいんですか?」
大学三年生になった今言うことではないような気はするが、プロになったら暫くは寮生活だろうことを考えると今しかない気もする。寮を出たあとでは自分たちがどういう関係になっているかなんて分からないのだから。
そう思って口にした言葉に沢村が疑問を返した。
「……それってこれからずっと、御幸センパイがご飯作ってくれるってことですか?」
そして続けられた内容にぱちぱちと目を瞬かせる。
これからずっと、作っても構わないけれど。
ちらっとこちらをうかがい見たその頬にほんのりと朱色が乗っているのが見えてドキッとする。まさかこんな反応が返ってくるとは思わず、心臓がドキドキと音を立てた。
「そんなに食べたいの?」
「センパイの料理美味いし、いつでも食べられるんですよね?」
「毎日リクエストは聞かないけど」
「何作っても美味いので問題ないです」
即答されてつい頬が緩む。沢村は本当に御幸の料理が好きらしい。
「とりあえず今日、泊まってく?」
ご飯を食べにくることもあればそのまま泊まっていくことも珍しくない沢村の荷物はある程度置いてある。
一先ず明日の朝ご飯は作ろうかと問いかけると沢村は頷いた。ついでに球を受けてくださいと言ってくるところは相変わらずだ。だが明日はオフで今日は沢村の誕生日だ。少しくらいならいいだろう。
さて、明日の朝ご飯は何を作ろうか。
ほしいもの
これでは俺の方がプレゼントをもらっているみたいだ
そう呟いたら「俺も最高のプレゼントをもらいました!」と沢村は笑った