- 快新編 -




 いつからか惹かれていて、お付き合いというものをするようになって半年ほどの月日が流れた。恋愛経験は少ないが、おそらく順調に進んでいるといえるだろう。
 一緒にいる時間が増え、共に過ごせる時間に幸せを感じる。時々囁かれる愛の言葉には顔が熱くなるけれど、同じ言葉を返したら柔らかな笑みが返ってくる。自分は相手のことが好きだし、向こうも自分が好きなのは間違いない。いつだってこちらのことばかり考えているあいつに不満なんてない。ただ――。


「えっ……?」


 ぽかん、と口を開けて快斗の丸い瞳に新一が映る。
 先程の言葉が聞こえなかったわけではないだろう。多分、新一がこのようなことを言うとは思っていなかったために聞き返されたに違いない。


「だから、オメーはキスとかしたいって思わないのかって聞いたんだよ」


 仕方なく同じ言葉を繰り返すとぱちぱちと大きな目が瞬く。頭の回転は速いはずだが、どうにもこの言葉を理解するのには時間を要するようだった。


「えっと……急にどうしたの?」


 たっぷりと数十秒ほど経った後に快斗はそう尋ねた。どうやらまだ理解は追いついていないらしい。


「別に。少し気になっただけだ」

「新一はキスしたいって思うの?」

「…………付き合っていれば、そういうことも多少は考えるモンじゃねーの」


 普通、という言葉の定義は曖昧だ。しかし付き合っている人間の大多数はそういったことを考えるのではないだろうか。少なくとも、新一は気になったから恋人に問いかけた。
 もっとも、新一自身もキスをしたいかと聞かれたら快斗と同じように返答に悩むだろう。もちろんそれは嫌だからではない。したいかしたくないかでいえばしたいと答えるだろうが、そのような愛情表現がなくても想いは伝わってくる。故に、この質問をしたのはさっきも言ったようにふと気になったからだ。


「まあオメーがいいならそれで」

「したい、って言ったらしてもいい?」


 新一の言葉を遮るように快斗が言う。頬はほんのりと朱に染まり、瞳は真っ直ぐに新一を見つめていた。


「キスがしたいか、って言われたらしたいよ。でもそれが全てじゃない。今、こうして過ごしている時間もオレにとっては特別で幸せだ。それ以上を望まないと言ったら嘘になるけど、現状に満足しているのも本当だから」


 ああ、やっぱりな。心の中で呟く。
 快斗が考えていたことは新一が考えていたことと同じだった。キスをしたくないわけではない。けれど現状にも満足しているから早く次に進みたいとは思わなかった。いつか、次に進む時は自然とやってくるだろう。そうしているうちに半年が過ぎた。
 半年を短いと考えるか長いと考えるかは人それぞれだろう。半年も経ったのにまだと思う人もいれば半年が経ったのだからそろそろと思う人もいる。新一の場合はそのどちらでもなかった。そういえばこいつはどう思っているのだろう、という純粋な疑問。それを知りたくなった。


「新一は、どう思ってる?」


 そして快斗が口にした答えは新一が想像していた通りだった。不安になったわけでも焦ったわけでもない。これが自分たちのペースなのだと確認できた今、新一が出すべき答えは一つだ。


「……オレもお前と同じだ」


 その意味はきっと、間違いなく伝わったことだろう。そうか、と呟いた快斗に「ああ」と肯定を返す。


「じゃあさ」


 息を吸って、吐いて。一呼吸置いた快斗が再び口を開く。


「キス、してもいい?」


 今すぐにキスがしたいというわけではない。でもどちらかを選べと言われればしたいと答える。それは相手のことが好きなのだから当然だった。
 そう、好きだから。
 現状に不満はないといっても先に進んでみたい気持ちがないわけではないのだからこうなるのは必然だった。予想していなかったわけではない。そうなったとして、どうするかも最初から決まっていた。


「……好きにしろよ」


 恋愛経験が豊富ではないのはお互いさま。今に満足しているのも同じだ。相手の気持ちも分かっている。
 それでも気になることはあるし、してみたいという気持ちだってないわけではない。これはきっかけのひとつに過ぎない。でもそのきっかけが、自分たちの関係を一歩前へ進める機会にもなる。

 ドキドキと心臓が音を立てる。向けられる熱い視線。そっと伸ばされた手が頬に触れる。それからゆっくりと近づいていく、距離。
 どちらともなく目を閉じて、触れたのはほんの一瞬。


「…………」


 たった数十秒ほどの時間がやけに長く感じた。
 瞼を持ち上げたところで目と目が合う。再び瞼を下ろしたところでもう一度唇が重なる。さっきよりも長く、確かめるように交わった熱が体を駆け巡る。
 熱が溶け、頬にあった温もりが遠ざかる。心臓は未だに五月蝿いまま、顔が熱い。でもそれは目の前の恋人も同じなのだとすぐに分かった。だって。


「好きだ」


 ぽつり、静かな部屋に零れ落ちた声。
 自分と似ている、けれど自分とは違う声が告げた想いにトクンとまた高い音が鳴った。


「好きだよ、新一」


 繰り返される言葉に心が熱くなる。言葉だけではない。その瞳から、声から、表情から。目の前の男は全身でその想いを伝えてくるのだ。


「……知ってる」


 キスは恋人たちの愛情表現のひとつだ。でもそんなことをしなくたって快斗の想いは新一の心をいっぱいにする。
 そんな快斗とキスという行為で想いを通わせあったあと、伝えられたこれらの想いは心からあふれている。胸が満ちてあたたかい。彼はたくさんの魔法を見せるだけではなく、多くの幸せを新一に贈ってくれる。


「……あのさ」


 僅かな沈黙のあと、徐に口を開いた恋人が言う。


「これからもしたいって言ったら、させてくれる?」


 一歩を踏み出した先に広がっていた景色は想像していたよりも遙かに美しかった。これはたったそれだけの話だ。


「……オメーも同じ条件なら」


 多分、新一よりもその言葉を口にすることが多いのは快斗だろう。好きの一言だって言葉にしてくれるのはいつも快斗の方だ。
 それでも新一は同じ気持ちをこの胸に抱いているし、快斗もそのことを分かってくれている。だからこそちゃんと、伝えておきたかった。そして彼は、新一の気持ちをしっかりと受け取ってくれる。


「もちろん!」


 満面の笑みを浮かべる快斗につられるように新一の口元も緩む。
 もう一回いい? と尋ねた恋人に仕方がないなと笑って目を閉じる。幸せはいつだって彼とともにある。










fin