- K新編 -




 見た目は子供だった探偵は本来の姿を取り戻し、今日も怪盗キッドの現場にやってきた。正式に捜査に加わった彼は全く容赦がなかったけれど、それでも快斗は目的のものを手に入れることに成功した。
 その宝石が快斗の探しているパンドラではなかった、という点に関してはそろそろお決まりではなくなって欲しいのだが、つまりは今日もいつものように仕事を終えるはずだった。


「……大丈夫か、名探偵」

「ああ、一応な」


 こういうのをデジャブというのだろう。相手の無事を確認したところで二人の視線はこの殺風景な空間へと向かう。
 何もない。
 窓も扉も物も、あるのは白い壁と床。それと天井だ。大して広くもない部屋に気がつけば二人きり。どうしてこんな場所にいるのか、ここがどこなのか。唯一分かることといえば、また謎の密室に探偵と二人で閉じ込められたという事実だけだ。


「もしかして名探偵、何か持ってる?」

「バーロー、宝石を盗ったのはオメーだろ」

「けどオメーが現場にきた時しかこんなこと起こってないぜ」

「オレだってオメーの現場でしか起こってねえよ」


 断じて自分の責任ではない、と互いに無実を主張する。しかし真実は闇の中だ。
 本来ならば探偵はそういった謎を解き明かす生き物だが、その探偵が匙を投げているのだから迷宮入りも仕方がない。


「とりあえず部屋を調べてみるか?」

「当たり前だ」


 たとえ何も見つからなかったとしてもそれも一つの結果だ。何もしないのは有り得ない。
 そう言わんばかりの新一に「だな」と快斗も心の中で同意する。

 そうしていざ部屋を調べようとしたところでポン、とどこかで聞いたような音が響いた。音のした方へ二人が同時に振り向くと。


「…………」

「………………だからオレじゃねーよ」


 無言で紙を見つめる探偵にはっきり言えば「わーってるよ」と覚えのあるやり取りが繰り返された。だが、新一はあの時と違って例の紙を拾いに行こうとしない。ただ黙って紙を見つめるだけだった。
 ――気持ちは分かる、と快斗も視線だけを向けたまま動かない。
 ここまで、あの時と状況が変わっていないのだ。前回よりヒントの現れるタイミングが早いとはいえ、こうなってくるとあの紙に書かれていることは予想がつく。

 かといって、やはり閉じ込められたまま脱出できないのは困る。結局、大きく溜め息を吐いた新一が紙を拾いに向かったところで快斗も重たい腰を上げた。


「…………」


 無言で紙を取った探偵の手元を覗こうとした快斗だったが、くるりと振り返った新一に紙を押し付けられた。この時点で予想が当たっていることをほぼ確信したが、念のために快斗は紙を開く。


『ここはキスをしなければ出られない部屋です』


 以前見たそれと変わらない文字。見事に的中した脱出方法を頭にインプットした快斗は紙を閉じて再び新一を見た。


「どうするんだ、名探偵」

「どうにかしろって言ったら他の脱出方法を見つけてくれんのか、怪盗キッドさん?」

「残念ながらそれが現実的でないことは名探偵もご存知でしょう?」


 ちっ、と舌打ちをする探偵はすっかり可愛いげがなくなった――と思いかけたが、元々オレの前では可愛いげがなんてなかったかと快斗は思い直す。見た目こそ小学生だった彼は容赦もなければ遠慮もなかった。本来の姿を取り戻したことで見た目とのギャップがなくなっただけだ。

 息を吸って、吐いて。
 静かに深呼吸をした快斗は冷静に努めながら探偵に言った。


「名探偵の言いたいことも分かるけど、こうなったらもうさっさと試しちまおうぜ」


 ここから出ることは二人の共通目的だ。それが唯一の可能性であり前例もあるというのなら、やはり今回も試さない理由がない。
 身に着けたポーカーフェイスを駆使してさらっと問いかけた快斗に新一は複雑そうな表情を浮かべる。僅かに顔を逸らした彼の頬は今回もまた薄っすらと赤く染まっていた。


「……そう簡単に割り切れるモンかよ」

「名探偵がどうしてもっていうのなら、このままここでオメーと過ごしてやってもいいけど?」

「ったく、やるならさっさとやれ」


 はあ、と盛大な溜息を吐いた名探偵もとうとう諦めたらしい。他に方法がないから、仕方なく、と大きく顔に書いてあるのがよく分かる。けれど彼の優秀な頭脳が出した答えも快斗と同じだったようだ。
 脱出のため。
 いうなら事故みたいなもので深い意味はない。いつかと同じことを胸の内で呟いた快斗は早いところ実行しようと思った――のだが。


「……なあ、名探偵」


 伸ばしかけた手が止まったことに新一は軽く眉をひそめた。何だよ、と短く聞き返した新一に快斗もまたシンプルに尋ねた。


「どこにする?」


 ふと、頭に浮かんだ小さな疑問。それを口にした瞬間、しんとした空気が流れた。


「………………は?」

「だから、どこにするかって聞いてるんだけど」


 利害の一致による同意の上とはいえ、どこにしてもいいわけではないだろう。
 脱出さえできればどこでもいいような気はしたが、念のために確認はしておくべきだろう。そう思って快斗は質問したのだが。


「んなことわざわざ聞くんじゃねえ!!」


 間もなくして快斗の耳に飛び込んできたのは新一の怒号だった。


「この前は勝手にしたくせに今更何言ってやがる!?」

「ほら、その時のことを反省して……」

「逆に変な感じになるだろーが!!」


 赤く、見て取れるほどの熱がじんわりと、新一から快斗へ伝染する。
 あ、やばい。自分の顔に熱が集まるのを感じた快斗は必死でポーカーフェイスを言い聞かせた。このままでは本当に変な感じになってしまう。

 ――いや、既に遅かったかもしれない。


「……じゃあ、勝手にするぜ?」

「いいからさっさとしろって言ってんだよ、バーロー」


 確認すんじゃねえと怒る探偵は真っ赤な顔をしていた。ドキドキと五月蝿い心臓の音と戦っていた快斗も多分、同じ顔をしていたのだろう。

 気がついた時には落ちていた、とはよくいったものだ。
 引き寄せられるままに触れたのは、同じ場所。

 ぱっと離れたのはどちらが先だったのか。カチ、という無機質な音がどこかで鳴った。そこから一足先に頭の処理速度が戻ったのは快斗だった。


「そいつは返しておくぜ、名探偵」


 数分前までの信号伝達不良が嘘のように快斗の頭は迅速に指令を飛ばす。確認を済ませていた宝石を返却した快斗は自身の纏う雰囲気を一瞬のうちに切り替え、白いマントを翻した。



「おいっ……!」

「そんじゃあな」

「キッド 待ちやがれ!!」


 待てと言われて待つヤツはいねーよ、と快斗はどこからともなく表れた扉を潜って外に出た。案の定、そこは例の空間へ移動する前のビルの上だ。
 扉を駆け出た勢いのままビルを飛び降りた快斗はすぐにハンググライダーを開いた。

 あの日、頭に引っかかったそれを快斗はそのまま頭の隅に追いやった。おそらく、こんなことがなければ思い出すこともなかっただろう。
 だが、今回でその正体に気づいてしまった。気づかずには、いられなかった。


「…………名探偵、怒ってるだろうな」


 ぽつり、零れた独り言は夜の街に消えた。
 でもあれは不可抗力だ、と言い訳して快斗は全てを胸の奥にしまって今度こそ鍵をかけた。

 こうして怪盗と探偵による二度目の不思議な夜は過ぎ去った。










fin