明日はしっかり休むようにと伝えられたのは昨日の練習後。帰りにたまたま夏祭りのポスターを見つけ、そのお祭りが明日だと知ったのも昨日。オフの日にお祭りがある、となればこれは行くしかない。単純な後輩がそう話すのに対し、わざわざオフに人混みに行くなんて嫌だと言ったのは現在ルームシェアをしている先輩だ。
たまには良いじゃないっスかと言う後輩に嫌だ面倒だを繰り返し、たまには外に出ないとと言われたのにはいつも外に居るだろと返す。練習はなしだと言っても行きたければ一人で行けなんて言う始末。あまりに手強い相手に「先輩と二人で行きたいんです!」と主張したところ、はあと大きな溜め息を吐きながらその先輩はやっと「分かったよ」と了承してくれた。
そんなわけで、今日は二人でそのお祭りへと足を伸ばした。
「御幸センパイ、早く!」
先を歩く沢村が後ろを振り返りながら騒ぐ。電車に乗ること三十分、漸くお祭り会場の最寄り駅に到着した。まだお祭りが始まったばかりの時間だというのに随分と人が多い。二人が乗っていた電車も乗客の大半がこの駅で下車していたのだが、みんな目的は同じということだろう。
ここでこれなのだから会場にはどれほどの人が集まっているのか。正直あまり考えたくないと思いながら御幸は急かす後輩へと視線を向ける。
「急がなくても祭りは逃げねぇよ」
「何言ってるんですか! 時間は限られてるんスよ? 早くするに越したことはないでしょ!」
沢村にしてはまともなことを言っているが、最初から最後まで祭りを楽しむ気満々の後輩に溜め息を一つ。ここまで来てやっぱり止めようとは言わないけれど沢村のテンションには付き合っていられない。
たかが夏祭りの何がそんなに楽しいのか、とは御幸の心の内だけで呟かれた。言ったところで「夏祭りですよ!」と返されるだろう光景が目に浮かぶ。屋台で遊んで食べて花火を見てというようなことを昨日と同じように力説されるのだろう。その説明で御幸も沢村が夏祭りを好きだということだけは十分に理解したのだ。
「だからって急いで転んで怪我でもしたらどうすんだよ」
「そこまでバカじゃねぇよ!」
「どうだかな」
全く信用していない御幸に過保護すぎだと沢村は言った。相手が投手だからといって心配もここまでくれば過保護だ。人をなんだと思っているんだと言いたい。どうせバカだと返されるのが関の山だからこちらもまた声には出さないのだけれど。
「いいから早く行きやしょう!」
「あーもう分かったから騒ぐな。周りに迷惑だろ」
仕方なく御幸は沢村の横に並ぶように足を速め、そんな先輩に沢村は小さく笑みを浮かべた。それから二人は並んで会場へと向かう。
数分後、辿り着いたその場所には二人が歩いてきたのとは逆の方向からも大勢の人が会場に入っていくのが見える。まだ始まって間もないというのに既に何千人という人が来ているのではないだろうか。千という単位で足りているのかは分からないがとにかく凄い数の人が会場に集まっている。
「流石都会のお祭り、人の数が違いますね」
「そういうもんか?」
「地元の夏祭りも盛り上がりますけど規模が全然違います」
へえ、と適当に相槌を打ちながらこれほどの人だとはぐれたら大変そうだなと御幸は考える。あまりうろちょろすんなよと先に釘を刺せば、分かってますよと意外に素直な返事が来る。どうやら沢村もこの人の多さを見て同じように考えていたらしい。はぐれたら最後、この会場内でお互いを見付け出すなんてほぼ不可能だろう。
「で、まずはどこに行くんだよ」
いつまでも入り口で突っ立っていても仕方がない。御幸が尋ねれば「そうっスね……」と沢村は会場を見回す。見覚えのキャラクターで作られたお面、本当にゲーム機なんて当たるのか怪しい宝釣りに店主が大声で呼び込みをしながら作る焼きそば。小学生ぐらいのグループが盛り上がっているのは輪投げだろう。他にもお祭りらしい屋台があちこちに並んでいる。
結局は殆どの屋台を回ることになるような気はするけれどまずはどこに行くのか。たっぷり十数秒ほどの時間を要した後に沢村は勢いよく振り返る。
「まずはアレをやりましょうよ!」
アレと言いながら沢村が指差したのは金魚すくい。お祭りの定番中の定番だろう。夏祭りに来たなら一度はやっておかないとという発言からして沢村は夏祭りに来る度に金魚すくいをやっているらしい。
相変わらず早くと急かす沢村に合わせて金魚すくいの屋台の前まで歩く。水の張った水槽の中では赤と黒、小さいのから大きいのまで沢山の金魚達が右へ左へ行ったり来たり。現在挑戦中の女の子は手前の赤い金魚を狙っているようだ。隣で兄らしき男の子が女の子にアドバイスをしている。
「お前、こういうの得意なの?」
「まあ見ててくださいよ!」
おじさん一回お願いしますと元気よく挨拶する沢村に店主も笑顔でポイとお椀を渡してくれる。それをありがとうございますと受け取った沢村はまず手前の小さな金魚に狙いを絞ったらしい。じっとしている金魚にポイをゆっくりと近付け、そのまま勢いよくお椀の中へと金魚を掬い上げる。
その後も角へと移動した金魚を掬ったり、ゆったり移動する金魚が目の前にやってきたところを見事にゲット。最終的には五匹の金魚が沢村の手にあるお椀の中を泳いでいた。
「どうですか!!」
六匹目を掬おうとしたところでポイが破れて金魚すくいは終了。平均的にどれくらい取れるものなのかは御幸には分からなかったが五匹は多い方なんだろう。何匹とっても持ち帰れる金魚は三匹までと書かれているくらいだ。それより多いということは上手いのではないだろうか。
「へえ、本当に上手いんだな」
「これくらいはお手の物ですよ!」
自信を持って言うだけのことはあるようだ。誰にでも特技の一つはあるものだななんて言えば、どういう意味ですかとすぐに突っかかられる。上手いという言葉で止めておけば良いものをわざと余計なひと言を付け加えるあたりが御幸らしい。
「そういう御幸センパイはどうなんですか!」
「どうって、何が」
「だから金魚すくいですよ」
ここで他に何があるんだと言いたげな表情で沢村は御幸を見る。そんな風に言うくらいなら自分はどうなのか。
普段の様子を見ていれば運動神経もよさそうなのに野球以外はてんで駄目な人だ。あまり期待は出来ないと思いながら尋ねれば、目の前の先輩はきょとんとして予想の斜め上の回答を口にした。
「どうも何もやったことねーし」
予想外の答えに沢村は思わず「ええ!?」と驚きの声を上げた。金魚すくいですよと聞き返す沢村は信じられないといった表情を浮かべる。別にやったことのない人間くらいこの世に何万人と居るだろうと御幸が突っ込めば、それじゃあ夏祭りに来たら何をやるんですかなどと言い出した。いやだから、と御幸は若干面倒になりつつも続ける。
「夏祭りとかそもそも行かねぇんだよ」
要するに夏祭りには行かないし行ったこともないという話である。その発言に沢村は更に驚く。
まさかこの世に夏祭りに行ったことのない人間がいるとは、と先程と同じようなことを言う沢村に普通だろうと御幸は返す。当然沢村は普通ではないと言うのだが、夏祭りに行ったことがない人だって世の中には何万と居ることだろう。
「じゃあ御幸センパイは今まで夏に何してたんスか!?」
「何って、一緒に甲子園目指してたと思うけど」
「それはそうですけど、高校に入る前とか!」
「シニアで野球してたな」
そうじゃなくてと言いたいが、この様子では何を言っても野球で返ってきそうなものである。本当にこの人は野球のこと以外頭にないのだろうかと思ってしまう。
確かに野球中心なのは沢村も同じなのだが、野球以外にも色々とあるだろうと思うのだ。夏といえば学生には夏休みがあり、海に行ったり花火を見たり。時には宿題なんてものに苦労させられることもあるが、夏の思い出みたいなものは野球以外でも十分挙げられる。
――と、そこまで考えて「なら野球以外で」と質問を変える。これなら野球以外の答えも聞けるはずだ。
そう思って尋ねた質問に御幸は暫く考え込み、最終的に特にないという結論を出した。全く、本当に野球以外頭にないらしい。それも御幸らしいといえば御幸らしいけれど。
「分かりました。それじゃあ今日はこの沢村栄純が夏祭りの楽しみ方というものを御幸センパイに教えて差し上げましょう!」
「いや、別に――――」
「そうと決まればまずは金魚すくいから挑戦してみましょう!」
人の話を聞かずに「さあ!」と水槽の前に行かせようとする沢村。この距離で話していたのだから絶対に聞こえていただろう店主もこちらを見てニコニコしている。断るに断り辛い状況に思わず溜め息が零れる。
余計なことを言わなければと今更思ってももう遅い。仕方がなく一回だけだと言って店主に五百円を払えばやはり笑顔でポイとお椀を渡してくれた。一体これをどうしたら良いのか、というのは一応沢村がやっていたのも見ていたから分かる。分かるのだが、物理的に考えてこのペラペラの紙で金魚が掬えるのかという疑問が浮かぶ。
「いいですか。ポイは全部水につけるんスよ」
「水につけたら破れねーの?」
「こういうのは中途半端につけるのが一番ダメなんですよ」
そういうもんかと言えばそういうものですと肯定で返される。とりあえず言われた通りポイは全部水につけてみる。
大きいのを狙うのは止めた方が良い、金魚を追い掛けるのも駄目。隣でそんなことを言う沢村は全部アドバイスのつもりなんだろう。けれどいきなりあれも駄目これも駄目と言われてもじゃあどうしろっていうんだという話である。
「そこはこう、良い感じのをひょいっとやれば!」
擬音で説明されてもつまりどういうことなのかさっぱり分からない。とにかくまずは手前のソイツを狙ってみましょうと言われた通り、右から泳いでくる赤色の金魚に合わせてポイを掬い上げてみる。
――が、当たり前だけれど金魚の体重を支えられなくなったポイは見事に破れてしまう。物理法則を考えればこうなるよなと思った御幸の横で、尻尾はポイに乗せないようにする方が良いのだと言っている。そういうのは先に言ってくれと思う。言われたところで出来るかどうかは別の話だが。
「センパイ、もう一度やってみましょうよ!」
「一回だけって言っただろ。別に金魚が欲しいワケでもねーし」
だから初めからやらなくて良いと言おうとしたのに、こちらの話を聞かずに沢村がどんどん話を進めてしまったのだ。それで一度は挑戦してみたが二度も挑戦する気にはならない。沢村がもう一度やりたいと言うのならそれは構わないけれど御幸自身はもう良い。
「しょうがないっすね。じゃあ次はヨーヨー釣りに挑戦してみましょう!」
「は? 次って、お前がやるんじゃねぇのかよ!?」
「御幸センパイも一緒に決まってるじゃないですか」
なんたって今日は夏祭りの楽しみ方を御幸に教える日なのだからと沢村は数分前の台詞を繰り返した。そういえばそんなことを言っていたなと思っているところでほら早くと沢村が手を引く。
「おい……」
「今年すっごく楽しんだらセンパイだって来年もまた来たいって思うようになりますよ!」
そうすれば来年も再来年も、今度は断られることなく二人でお祭りに行けると目の前の後輩は言った。
沢村の口から出た予想外の言葉に驚きながら、けれどただそれだけの為にお祭りの楽しさを知ってもらいたいという沢村に自然と笑みが零れた。そもそも練習があったら夏祭りには行けないのだが、そんなに二人で一緒に夏祭りに行きたいのかよと呟く。そりゃそうですよ、と独り言に沢村は即答する。
「だから今日はお祭りというものを御幸センパイに存分に楽しんでもらいます!」
ヨーヨー釣りの後は輪投げとかにも挑戦してみようかと計画を立てる後輩を見て、たまにはこういうのも悪くないかと御幸は心の中でそっと呟いた。
人混みは好きではないし暑い中わざわざ出掛ける意味が分からないと思っていたけれど、沢村が楽しそうならそれで良いかくらいのことはお祭りをOKした時に思ったことだ。だけどそれ以上に沢山のものを沢村は御幸にくれた。おそらく本人に自覚はないのだろうけれど、正直機会があれば来年も一緒に来ても良いかくらいのことは既に思っている。
勿論それはまだ言わない。今はまだ隣ではしゃぐ沢村を眺めながらお祭りを楽しむ。何でもお祭りの楽しみ方を教えてくれるらしいからたっぷりと楽しませてもらうことにしよう。
「分かったから引っ張るな」
「あ、センパイ少しお腹すいてきたりしてませんか?」
「今度は食い物かよ。ヨーヨー釣りはどうした」
「腹ごしらえも大事ですからね」
何食べたいですかと遊ぶことから食べることにシフトしたらしい沢村に仕様がないなと思いながら、二人で一列に並ぶ屋台を眺める。まずは焼きそばあたりからいこうかと話す沢村は一体どれだけ食べるつもりなのか。だがそう思っている御幸も沢村が食べるのと同じくらいの量は軽く食べられるのだろう。
さて、この後はどうやってお祭りを過ごそうか。思い出に残る夏祭りを目指して二人は一緒に会場内を歩くのだった。
夏祭りを楽しむ方法
その一。まず目に留まった屋台へ。
その二。食べたい物もやりたいことも迷わず全部やる。
その三。とにかく全力で楽しむ!!
……その四。好きな人と一緒なら尚良し。
(だから絶対に今日は楽しかったって言わせるんだ)