青道に入学して暫くが経った頃。そう、あれは確かご飯三杯のノルマをこなしている最中のことだ。誰かが唐突にみんなの誕生日はいつなのかという話題を振ったのだ。誰もが特に隠すこともなく誕生日を答え、同い年ではあるもののこの中では誰が年上だなんて話す中で俺も記憶の底にあった誕生日を答えた。
 ただ聞かれたから答えただけ。結局その年の誕生日も俺はチームメイトに言われるまですっかり忘れていた。俺にとっての誕生日はそんなものだった。

 でも、それがきっかけ。
 次の年もチームメイトは俺の誕生日を覚えていて、あいつも俺の誕生日を知った。そして翌年、今度はあいつが誰より早く俺の誕生日を祝いに朝一で部屋までやってきた。その一年後は日付が変わると同時に携帯が鳴り、次の年は真っ先に直接祝われた。


「御幸先輩」


 呼ばれて視線を上げると琥珀の瞳がこちらをじっと見つめていた。カチ、と時計の音が静かな部屋に響く。徐に口を開き始めた沢村が何を言うのか、俺にはもう分かっていた。


「誕生日おめでとうございます」

「ん、ありがとう」


 十一月十七日。大多数の人にとっては昨日と変わらないただの平日。でも、その平日が俺にとってはまた一つ年を重ねる節目の日だった。おそらく今頃は携帯にも誕生日を祝ってくれる律儀な仲間たちからのメールが届いているのだろう。
 これで俺も二十二。早いもので沢村と出会ってから七年が経った。こうして沢村が誕生日を祝うようになってからは六年、高一の時に来年も再来年も祝うと言った自分の発言をこいつは今年も有言実行した。


「ふはっ」

「……何だよ」


 突然、布団の中から笑い声が聞こえてきて怪訝そうに見ると、沢村はニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべていた。


「ちゃんと忘れなくなりましたね」


 主語はなかったものの沢村が何を言いたいかはすぐに分かった。六年前に言われたそれを俺はあれから毎年思い出して――いや、思い出させられているのだから。


「誰かさんが期待しろって言ってたからな」

「期待通りだったでしょう?」


 言い返してやれば、そう言って琥珀の瞳が優しげに細められた。


『誕生日ならもっと主張してくださいよ!』


 高校二年の秋、こいつは俺にそう言った。
 あの時は沢村の言い分が全くといっていいほど分からなかった。ただ年を取るだけの日を主張してどうするのかと、尋ねていたならあいつは当たり前のようにお祝いするのだと言い切っただろう。
 お祝いも別に欲しいとは思わなかったけれど、あの日。沢村がくれたプレゼントに俺は単純だが誕生日も悪くないかもしれないと思った。来年も再来年もこうやってお祝いすれば俺も誕生日を忘れなくなると笑ったこいつは、忘れてても思い出させてくれるんだなと言った俺にはっきりと言った。


『そもそも忘れないようにしてやりますよ!』


 そう言い切った沢村にそれじゃあ期待しないで待ってると答えてから早六年。毎年きっちり誕生日を祝い、今年は覚えていたかと確認されれば嫌でも誕生日を忘れなくなるだろう。
 ……でも、こうやって沢村が祝ってくれることを楽しみにしてしまっているのだから見事に絆されてしまった。誕生日が待ち遠しくなる日がいずれ本当に来ると言っても過去の自分は絶対に信じないだろう。今の俺でさえ信じられないのだから。


「正直、期待以上だったな」

「珍しく素直ですね」

「泥舟だと思ってたし」


 言えばすかさず「ちょっと!」と突っ込まれる。大船に乗ったつもりでいてくださいと言ったはずだと主張する沢村に、つい笑いが零れたら何で笑うのかと騒がしい声が耳に届いた。けれど、それすらも愛おしいのだから相当だと自分でも思う。


「いやー沢村が可愛くて?」

「今の話のどこでそう思ったんですか……」


 可愛いくらいのことはいつも思っていると思ったままに声に出せば、ほんのりと頬に朱が乗った。そういうところとか、とそのまま指摘するとぷいっと顔を逸らされてしまったが。


「言っておきますけど、御幸先輩だって意外と可愛いところもありますからね」

「へえー、たとえば?」

「……野球以外何もできないとことか」

「それ、人のダメなところを言ってるだけだからな?」


 言えば「違います!」と沢村は勢いよくこっちを見た。どう聞いても悪口、少なくとも良いところでないのは間違いない。何が違うんだよ、と一応聞き返してみると。


「そういうとこ見ると、あの御幸先輩でもダメなとこあるんだなって――」

「自分でダメなとこって言ってるじゃねーか」

「だから違いますって。そういうの見ると、御幸先輩には俺がいてやらなくちゃなって思うんです」


 言われてきょとんとしている間も目の前の沢村はやっぱり笑っていて。それは可愛いところなのかという疑問はもうどうでも良いような気がしてきた。


「なあ沢村、プレゼント貰ってないんだけど」


 だからそう催促したら「しょうがないっスね」と小さく笑った沢村がゆっくりと手を伸ばした。間もなくして唇が触れ合うと、じんわりと互いの熱が混ざる。

 何もいらないと答えた六年前。それからも特別何かが欲しいと言ったことはないけれど、この恋人は毎年何かを用意してくれる。形あるもの、ないもの。今となってはそれも毎年の楽しみになっている。
 だが、それとは別に一つ。決まって贈ってくれるものがある。それが六年前、恋人だから祝いたいと言った沢村に最初に欲しいと頼んだもの。勿論、今は誕生日以外にもしてくれるようになったけれど。


「誕生日も悪くないでしょう?」


 離れていく熱にいくらかの寂しさを覚えながら微かに熱の残る琥珀を見つめる。琥珀の双眸もまたこちらを真っ直ぐに見つめていて、絡む視線から想いが伝わってくる。
 多分俺も同じなんだろうな、と思いながら徐に口を開く。


「お前が祝ってくれるならな」

「じゃあ御幸先輩の誕生日はこれからもずっと特別な日っスね」

「ずっと一緒にいてくれるんだ?」

「だから当たり前のことを聞かないでください」


 それとも別れるつもりですかと聞いてくる恋人に「まさか」と答えて、今度はこっちから唇を重ねる。


「幸せだな、って思ったんだよ」


 たったそれだけの話だと、言ったら沢村は目をぱちくりさせた。それから「素直じゃないっすね」と笑う。それを見ると自然とこっちまで口元が緩む。


「誕生日なんだからいつもの二倍――いや、十倍くらい幸せになってもらわないと!」

「また大きく出たな」

「目標は大きい方が良いんです!」


 じゃあ程々に期待しておく、そう答えたら一瞬驚いたような顔をしながらも沢村はすぐに「任せておいてください!」と嬉しそうに言った。今日も一日期待しておいてくださいと啖呵を切る恋人が愛おしい。そしてきっと、こいつは今年も期待以上のものをたくさんくれるに違いない。
 来年も再来年も、十年後も二十年後も。こんな風にこいつと一緒に過ごす今日はいつだって特別なんだろう。大切な毎日の中でも特に、大切なこの日はもう俺の中でただ年を取るだけの日ではなくなった。

 大切な人が祝ってくれる、特別な日。
 それが、今の俺にとっての誕生日。








(今日もやっぱり隣にはお前がいて)
(それはこの先も絶対に変わらないんだって)


「いい加減、分かったらどうですかね」
なんて沢村が聞くから
「聞きたいから聞いてるんだよ」
そう答えたら本当にしょうがないっスねと笑われた