暖かな風が通りすぎる。寒い冬が終わり、季節は徐々に春へと近付いている。そんな春間近の天気の良いとある日。


「シェゾ!」


 呼ばれて立ち止まると、亜麻色の髪を揺らした少女がこちらに走ってきた。そこにいつも一緒にいるカーバンクルの姿はない。どうやら今日は彼女一人のようだ。
 待っていてやれば彼女――アルルはシェゾの目の前までやってくる。はあと息を吐いたアルルは探したんだよと青の双眸を見上げた。


「何だ、漸く魔力でも渡す気になったか?」

「そんなわけないだろ! ……って、そうじゃなくて」


 いつもはシェゾがアルルを見付けては勝負を挑んで来る。時々買い物に行った先で偶然鉢合わせることもあるが、アルルの方からシェゾを探すということはあまりない。シェゾにはアルルの魔力が欲しいという目的があるが、アルルにはそういった目的がないのだから当然といえば当然だ。
 だが、今日はアルルの方がシェゾを探していたという。珍しいこともあるものだ。しかしアルルが何の用で自分を探していたのか全く検討のつかないシェゾは首を傾げる。それなら一体何の用だと尋ねようとして、それより先にアルルが口を開いた。


「誕生日おめでとう、シェゾ」


 アルルのその言葉にシェゾは「は?」と素っ頓狂な声を零した。それに対して首を傾げたのはアルルだ。


「え? だって今日、シェゾの誕生日だよね?」


 言われてもシェゾにはそれがいまいちピンとこなかった。そもそも今日は何日だというところから始まり、自分の誕生日だということは何日だと数える。その誕生日もすぐには出てこなかったが、たっぷり十秒近くかけてシェゾは今日が三月十六日なのだと理解した。


「ああ、もうそんな時期か」

「……誕生日を思い出すのにそこまで時間が掛かるとは思わなかったよ」


 自分の誕生日なのに、とアルルが言いたいのは分かる。けれど、シェゾにとっては誕生日なんてものはただの通過点に過ぎないのだ。
 人という生き物は確かに誕生日を迎えることで一つ年を取るのかもしれない。しかし、人の道を外れたシェゾにとってそれは大した意味を持たない。勿論そんなシェゾも誕生日を迎えれば歳を重ねるわけだが、今何歳かと問われたとして正しく答えられる自信はない。つまりはその程度のことなのだ。


「誕生日なんて祝うものでもないだろ」


 先程おめでとうと言ったアルルの言葉を否定すれば、今度はアルルが誕生日は祝う日だとそれを否定する。これは価値観の違いというものだろう。たった十六年しか生きておらず、毎年のように誕生日を祝ってきた彼女が誕生日を祝う日だと思っているのも不思議ではない。
 けれど、シェゾにとっては誕生日なんてあってないようなもの。一年間の内の一日、誰からも祝われないし祝って欲しいとも思わない。遠い昔にはアルルと同じように考えていたこともあったのかもしれないが忘れてしまった。第一めでたくもないだろう、とはわざわざその為に自分を探していたらしい少女を前にして流石に声には出さなかったが、代わりに別の問いを投げ掛ける。


「そういえば、どうしてお前が俺の誕生日を知っている」


 シェゾ自身も忘れていた誕生日。それを何故アルルが知っているのか。
 そんなシェゾの疑問にアルルはきょとんとして「前に君が教えてくれたんじゃないか」と言った。そうだったか? と更に疑問を浮かべる彼にアルルはそうだよと続ける。


「僕が誕生日はいつなのって聞いたら」

「ああ……そんなこともあったな」


 やっと思い出したらしいシェゾにアルルもほっとする。まさか誕生日を覚えていないだけでなく、誕生日を教えたことも覚えていないとは。いや、誕生日を覚えていない時点で薄々勘づいていたけれども。とことん自分には無頓着な人である。
 とはいえ、彼の誕生日はアルルが半ば強引に聞いたことだ。いつだったか、ふと気になったそれを尋ねたら彼は忘れたと答えた。忘れたじゃなくて教えてよと粘ったところ、あまりのしつこさに負けたシェゾが折れたのだ。


「それで、わざわざ俺を探していたわけか」


 ここで漸く最初の話題に戻る。そうだと頷く少女にシェゾは何かを考えるような仕草を見せると、琥珀の瞳を見て言う。


「それなら貴様の魔力でもくれるのか」

「だから、それは違うって言ってるだろ!」


 誕生日は祝うものだというのなら、祝いの品の一つくらいあっても良いだろう。そう思ったのだが、アルルは彼の言葉を即座に否定した。


「お前が祝うと言い出したんだろう」

「そうだけど、魔力はあげないよ」

「貴様の魔力以外に欲しいものはないが?」


 多分、いや絶対に彼は本気でそう言っているのだろうが、いくら誕生日だろうとアルルも自身の魔力をあげるわけにはいかない。誕生日の贈り物ならその人が欲しいものを渡すのが一番かもしれないけれど、今回は別のもので我慢してもらおう。これなら彼も断らないし、貰って困るものではない。


「魔力はあげられないけど、よかったらウチでご飯食べてってよ」


 食事の誘いをするのはこれが初めてではない。街中で出会った時、戦いを終えてひと段落が付いた時、他にもこれまでに何度か誘ったことがある。そういう時、彼は何か急ぎの用でもない限りはなんだかんだで付き合ってくれるのだ。それが分かっているからこそ、アルルは誕生日プレゼントの代わりというわけではないがシェゾを食事に誘った。
 言われて魔力じゃないのかとシェゾは思ったが、食事の誘い自体は断る理由もない。時々作りすぎただの理由をつけて食事に誘われるから正直誕生日という特別さはあまり感じられないが、そもそも誕生日なんて忘れていたのだから貰えるものは貰っておこう。今日は特に予定もないしな、と結論を出したシェゾは仕方がないという雰囲気を出しながら頷く。


「今回は付き合ってやる」

「じゃあ決まりだね!」


 それでもアルルはシェゾが了承してくれたこと喜ぶ。気紛れな彼が付き合ってくれるのならそれで良いのだ。今日は彼の誕生日で、だからこそシェゾを探していたのだから。

 そうと決まれば早速目的地であるアルルの家に向かおう。
 アルルはシェゾが止める間もなくその手を引いて歩き始めた。少しでも早く目的地に着くように。その唐突な行動にシェゾは声を上げる。


「おい、引っ張るな」

「早くしないと冷めちゃうよ」


 その発言にもう作ってあるのかと思ったが、どっちにしろそれは冷めているのではないだろうか。どれくらいの時間を掛けてアルルがシェゾを探していたかは分からないけれど、どんなに少なく見積もっても料理はとっくに冷めているのではないか。
 そう指摘すれば、だからこそ少しでも早く帰ろうとアルルは話す。冷めているなら急ぐこともないだろうというのがシェゾの意見だが、アルルがその手を離さないからシェゾも彼女に合わせて歩くしかない。はあと溜め息を吐きながら、シェゾも彼女のペースに合わせて足を動かす。
 しかし、急がないとと言う割には走るわけでもない。アルルの方が僅かに先を歩いてはいるけれどその程度だ。全く何がしたいんだと目の前の少女を見れば、どこか彼女は嬉しそうにしている。


「アルル」


 呼べば「何?」とすぐに琥珀は振り返る。やっぱりその表情は嬉しそうに見える。


「何がそんなに嬉しい」


 分からないことは直接聞くのが一番だ。そう思って尋ねれば、一瞬きょとんとしたアルルは次の瞬間には満面の笑みを浮かべて言った。


「だって、今日は君の誕生日なんだよ?」


 言われてもシェゾはアルルの言葉の意味を理解しかねた。今日が自分の誕生日だから、と言われてもそれは彼女には何の関係もないはずだろう。今日がアルル自身の誕生日ならば喜んでいたとしてもおかしくはないが、何故他人の誕生日が嬉しいのか。シェゾにはさっぱり理解出来なかった。
 そんなシェゾの胸中を知ってか知らずか、アルルは彼の瞳と同じ色をした空を眺めながら続ける。


「何年か前の今日に君が生まれて、その君が今日まで生きていてくれたから僕達は出会えたんだ」


 普通の人間ならとっくに死んでいるはずの時間。その長い時間を彼が今日まで生きていてくれたから、アルルはシェゾに出会うことが出来た。その出会いは決して良いとは言えないものだったかもしれないが、今では彼もアルルにとっては特別な人。
 だから彼が今日と云う日に生まれて、今隣にいてくれることがとても嬉しい。彼はその運命をどう思っているか分からないけれど、こんな特別な日を祝わないなんて選択肢はそもそもアルルの中にない。


「シェゾ、生まれてきてくれてありがとう。それから、今ここにいてくれてありがとう」


 眩しいくらいの笑顔で彼女は笑う。闇に生きてきた自分には眩しすぎる少女。そんな彼女の魔力だけが目的だったはずなのに、いつの間にこんな馴れ合うようになったのだろうか。思い出すのに少し時間が掛かるくらい、彼女との付き合いも長くなっているようだ。
 だが、自分が生まれたことを喜ぶ人間がまだいるとは思わなかった。闇の魔導士を嫌う人間はいても好く人間なんて滅多にいない。ましてや生まれた日を祝うなど……。

 けれど、それも彼女らしいかと考えたらふっと小さく笑みが零れた。それに気付いたアルルは「シェゾ?」と不思議そうにこちらを見る。


「そんなことを言うのはお前ぐらいだろうな」

「そうかな?」


 疑問形で返したアルルは、会えばサタンやルルーもおめでとうくらい言ってくれるんじゃないかと言う。それに対してシェゾは「どうだかな」とだけ返しながら、まず誕生日なんてものを他人に教えた覚えがないなと考える。自分から進んで話そうとも思わないことからアルルに教えたことすら忘れていたぐらいだ。誕生日を知っている人間が少ないだろう。
 だが、こうやって過ごす誕生日も悪くはないかもしれないと思った。特別祝って欲しいとは思わないが、この少女が祝いたいというのなら付き合ってやるくらいは良いかもしれないと、彼女を見ていたらそう思えた。だからこんな質問をしたのだろう。


「そういえば、お前の誕生日はいつだ?」


 シェゾの問いにアルルは頭上にクエッションマークを浮かべながら七月の二十二日だと質問に答えた。どうして急にと思ったアルルだったが、その質問の意味を理解した彼女はシェゾに尋ねる。


「もしかしてお祝いしてくれるの?」

「覚えてたらな」


 その返答にアルルは嬉しそうに「楽しみにしてるね」と笑った。それを見たシェゾも口元に小さく笑みを浮かべる。思いつきで聞いたような質問ではあったが、彼女のこの表情を見たら数ヶ月後のその日くらいは覚えておくかと思ってしまったのだから自分も大概だなとシェゾは思う。これでは人を食事に誘ったりする目の前の少女をとやかく言えない。
 けれど、それはもう彼女がただの獲物でなくなってしまった時点で駄目だったのだろう。アルルもまた彼を敵として見なくなった時から変わっていった。そして今、二人はこうして触れ合える場所にいる。








時代は時の流れと共に変わっている
同じように、僕等の関係も少しずつ変わっていくのかもしれない