寮で生活をしているとなかなか遠くに出掛ける機会はない。いや、そもそも強豪野球部に所属していれば遊びに行く時間はそう多くはない。空いた時間があれば遊ぶより練習をするような者達の集まりなのだからそれは構わない、というより自分達も普段は練習ばかりだ。
 だが時には体を休めることも大切であり、誰かの部屋でゲーム大会が開かれることもあれば近くのコンビニまで夜食を買いに出掛けたり先輩にパシられたり。ゲームに負けたんだからコンビニに行ってこいと言われたらしい後輩と鉢合わせたのは寒さが厳しくなり始めた冬の夜のことだった。


「お前ってホントにゲーム弱いんだな」

「今日はたまたま運が悪かっただけです!」

「それ、前にも聞いたけど」

「気のせいでしょう!」


 だから断じてゲームが弱いわけではないのだと沢村は主張する。それも前に聞いたとは思ったが、沢村的にはゲームが弱くないと言いたいのだろう。
 だが御幸が沢村から同じような主張を聞いたのはこれが二度目というわけでもない。お陰でゲームをしているところを見ていない御幸も沢村がゲームに弱いことを知っている。本人が否定しようとこれだけ結果に出ていれば弱いとしか言いようがない。もしくは周りが強すぎるかだ。


「あ、俺御幸センパイになら勝てる気がします」

「……何でそこで俺を出すんだよ」

「だって御幸センパイ、野球以外は全然ダメじゃないっすか」


 失礼なヤツだなと言えばそれなら今度試してみましょうよと沢村は言い出す。単純に面倒だからとパスをするとやっぱりゲームに弱いんじゃないかと言われたがそこは適当に流すことにした。否定してもそれならと言うに決まっているのだ。


「それより、コンビニに行くんだろ。早くしないと倉持にどやされるんじゃねーの?」


 どうせさっさと行ってこいと部屋を追い出されたんだろう。見ていなくてもその光景が目に浮かぶ。
 言われてはっとした表情を浮かべた沢村はこんなところで立ち話をしている場合ではないと今更気付いたらしい。それじゃあ俺はコンビニに行きますからと早足に立ち去ろうとする後輩を御幸は再び呼び止めた。急いでいるのだと言いたげな後輩の横に並んで御幸は隣を見る。


「俺も丁度コンビニに行くとこだったんだよ。だから一緒に行こうぜ」


 青心寮と書かれた寮の入り口のすぐ傍で会ったのは元々同じ目的だったから。目的地が一緒ならどうせ同じ道を歩くのだ。別々に行くこともないだろう。
 そういうことならと沢村も御幸の横を歩き始める。誰かとコンビニに行くタイミングが重なることは珍しいことでもない。寮を出る前に会うこともあればコンビニで顔を会わせること、戻ってきたところで入れ違いになることもある。それらは割とよくある話だ。


「つーかお前、その格好で行くのか?」


 寮を出てすぐ、御幸はさっき沢村を見つけた時から気になっていたことを尋ねた。沢村の格好は上にジャンパーを一枚羽織っているだけ。そのジャンパーも厚手のものではない。この季節にその格好はどう考えても寒いだろう。
 もしかして走るつもりでその格好なのか、とも考えたがどちらにしてももう少し厚着をしても良いだろう。だが言われた沢村はきょとんとした表情を浮かべた。


「このくらいの寒さならこれで大丈夫でしょう」

「いや、普通に寒いだろ」


 そんなことはないと沢村は否定する。強がっている様子でもないから本気でそう思っているのだろう。
 子供は風の子、ではなくそういえばコイツ雪国生まれだったかと思い出す。向こうはもっと寒さが厳しいのだと考えれば沢村にとってはこの気温も本当にこのくらいといえる寒さなのかもしれない。御幸にはその感覚はさっぱり分からないけれど。


「まあ平気なら良いけど、薄着して風邪引いたなんてバカなことはやめろよ」

「この程度の寒さで風邪なんて引くわけないでしょう!」

「はいはい、なら良いよ」


 何とかは風邪を引かないっていうしな、とは心の中だけで呟いた。変に食い下がられても面倒なだけだ。
 だが、寒くないなら良いとは全てに言えることではない。本当に寒くないというのなら厚着はしなくても良いけれど。


「沢村、ちょっと手貸せ」


 手? と頭上に疑問符を浮かべながら片手を出す沢村に御幸は両方だと付け足す。一旦足を止めた御幸に合わせて立ち止まり、言われたように今度は両手を差し出した沢村に御幸は自分の右手に付けていた手袋を外した。


「寒いとか寒くないとかじゃなくて投手なんだから手だけはちゃんとしろよ」


 外したばかりのそれを沢村の右手に付けながら御幸は言う。たとえ寒いと感じていなくてもこれくらいはやっておけと。
 いつも手はきちんとケアをしておけという捕手らしい発言に沢村は返す言葉が見つからずに黙る。これくらい大丈夫だと言ってもこの捕手は認めてくれないだろう。それが分かったから言い返すことはしなかったけれど。


「でもこれだと御幸センパイが寒くないですか?」

「俺は平気」


 寒いから手袋を付けていたのではないかと思った沢村だが、御幸は手袋を外した右手で手袋を付けていない沢村の左手を取るとそのまま自分のポケットに手を突っ込んだ。ちょっと、と声を上げようとした沢村より先に「これなら温かいだろ?」と御幸は口角を持ち上げた。


「……アンタ、こういうこと誰にでもやってんじゃないでしょうね」

「あのな、さっきからお前は人を何だと思ってんだよ」


 ゲームに弱そうだという話といい失礼だろう。そう言った御幸に沢村は「だってアンタモテるだろ」とどこかずれたことを言い始めた。どうして今そんな話になったのか。怪訝そうな顔を浮かべる御幸に僅かに視線を逸らした沢村は、だからこういうことも簡単に出来るのかと思ったのだと口にした。
 それで漸く沢村の言おうとしたことを理解した御幸は盛大に溜め息を吐いた。本当にどうしてそんな話になるのか。御幸としてはそう思うのだが、ここははっきりさせておこうと隣を見る。


「言っとくけど、俺お前以外と付き合ったことないから」


 御幸の言葉に勢いよく沢村が振り返る。そして琥珀色の瞳を真ん丸くさせてレンズの向こうの双眸を見た。


「え、マジで言ってんすか」

「こんなことで嘘言ってどうすんだよ」


 告白をされたことは今までに何度かある。けれどお付き合いにまで進んだことは一度もないのだと御幸は話した。驚く沢村にそんなに驚くことかと思いながら、好きでもない相手と付き合う理由はないし野球をしていたらそんな暇もないと続ける。勿論女の子には後者の理由だけでお断りした。
 しかし、それなら何で自分とは付き合っているのか。野球が一番であることは御幸にしても沢村にしても変わらないが、その問いに関する答えは一つ。


「そりゃあ、お前が好きだからだろ」


 つい先程言ったばかりだが、好きでもない相手とは付き合わない。逆をいえば好きな人としか付き合わないということだ。大体、好きでもなければ同じ男と付き合ったりなどしないだろう。

 お前は違うのか、と聞き返せば少々間を置いた沢村からもやはり同意が返ってくる。分かりきった返答ではあったが沢村の答えに御幸はふっと笑みを浮かべた。


「短いデートだけどたまにはこういうのも良いだろ?」

「まさか、初めからそのつもりだったんすか?」

「寮を出ようとしたとこでお前に会ったのはマジで偶然」


 この寒い中で来るかも分からない相手を待っているわけもない。そう話す御幸にそれもそうかと沢村も納得する。
 そして嫌かと聞いてくる御幸に嫌ではないと沢村も返す。夜だから元々人通りも少ないが、もし人とすれ違ってもこれだけ暗ければ分かりもしないだろう。そのお陰でほんのり染まった頬も相手には気付かれていないはずだ。

 ぎゅと握られた手から伝わってくる体温。その温かさがどこか恥ずかしくもあり、嬉しくもあることは心の内だけに。







寒いから、そうして繋いだ場所から伝わる温もり
今日はもう少しだけこのままデートを楽しもうか