寮で生活をしていると、誰かの誕生日は誰かしらが覚えている。中には自分から主張してくるタイプもいるけれど、逆に本人が忘れていても自然と気が付くことになる。
今日も律儀に誕生日を覚えていたらしいチームメイトの言葉で誕生日を思い出した者が一人。
「えっ、御幸センパイって今日誕生日なんですか?」
おめでとうとチームメイトに声を掛けられるキャプテンを見ながら沢村が言う。そうみたいだなとどこか他人事のように答えた御幸はついさっきまで今日が自分の誕生日であることを忘れていた張本人だ。何で自分の誕生日を忘れてるんだよお前は、と口にしたのは彼のチームメイト兼クラスメイトである。
「たかが誕生日だろ。年取るだけの日じゃん」
「年寄りくせー」
先輩達のそれで今日が御幸の誕生日であると知った一年生もおめでとうございますとお祝いの言葉を口にする。だが一人、どこか斜め上の主張をしたのはお馴染みの後輩だ。
「御幸センパイ! 誕生日ならもっと主張してくださいよ!」
誕生日を覚えている者や忘れている者もいるこの野球部の面々だが、沢村は自分から今日が誕生日だと主張するタイプだ。今年の五月、まだ入学して間もなかった時期でも沢村はしっかりと自分の誕生日を主張していた。そんな沢村からしてみれば、御幸のように自分の誕生日を忘れるなんて考えられないことだった。
しかし、考え方は人それぞれ。十人十色という言葉があるように誰もが沢村と同じ考えではない。その沢村が十人十色という言葉の意味を知っているかは怪しいところだが、少なくとも御幸は沢村とは正反対のタイプだ。
「いや、だからたかが誕生日だし」
「お祝いするにも準備というものが必要なんですよ!」
って言われてもな、と御幸は内心で思う。確かにお祝いをしようと思ったら準備も必要だろう。それは分かるけれど。
「そういうのは別にいらねーよ」
「何言ってるんですか! 誕生日ですよ!?」
「誕生日ってそんだけだろ。それより早くしねーと遅刻するぞ」
これ以上このやり取りを続けたところで平行線のままだろう。さっさと話を切り上げた御幸に沢村はまだ何か言いたそうだっだが、今朝のところはここで話は終了した。
これでこの話は完全に終わったと思っていた御幸が後輩のしつこさを思い出したのは放課後の練習が終わり、夕食も済ませた夜になってからのことだ。
「御幸センパイ!」
廊下で呼び止められて振り返る。いつもなら球を受けて欲しいと言われるところだが今はそれもない。となるとこの後輩は自分に何の用事があるのか。そう思って次の言葉を待っていると。
「今日、誕生日だって言ってましたよね」
そう言われてまたその話か、と御幸は呆れた。ここにきてそれを持ち出されるとは、いや、沢村なら有り得るか。
十七日もあと数時間で終わる。そうしたら十八日がやってきて十九日、二十日と当たり前のように時間は流れていく。今日だって名前も知らない誰かにとってはそうして流れ行く時の一日に過ぎないというのに、やたらと誕生日であることを強調する沢村には分かってもらえないんだろうなと思う。
「そうだけど、その話はもう良いだろ」
「全然良くありませんよ!」
また朝と同じようなやり取りを繰り返すことになるのか。そう思った御幸だったが、少しばかり俯いた後輩に首を傾げる。
「沢村?」
「……チームメイトとしても大事なキャプテンの誕生日ですけど、恋人の誕生日を祝いたいって思うのは普通じゃないっスか」
予想外の発言が飛び出してきて御幸はきょとんとした。元々誕生日は大切だと主張していた沢村だけど、そういう意味でも言っていたなんて思いもしなかった。
違いますか、と琥珀色の瞳が自分より高い位置にある眼鏡の向こうの双眸を見詰める。違うかと聞かれても恋人なんて沢村以外にいたことはないのだけれど、漸く御幸はこの後輩の言いたかったことを理解する。
「……お前さ、もしかして朝からそういう意味で言ってたの?」
「当たり前でしょう!」
俺とアンタは付き合ってるんですから、と頬をほんのり染めた恋人が若干口を尖らせながら言う。
ちょっと待って。これは想定外だ。
そう思った御幸の頬にも僅かに朱色が乗る。つい顔を逸らしてしまったのは嬉しさと恥ずかしさと。誕生日をわざわざ祝わなくてもと思っていたのは本当だけれど、まさかあの沢村がこんなことを言い出すとは。
「それで、何か欲しいものとかありませんか?」
朝は何もいらないと言われたけれど、さっきも言ったように沢村は御幸が生まれた今日という日を祝いたい。誕生日はその人が生まれた大切な日だ。御幸が十七年前の今日、生まれなければ沢村はこうして青道に来ることもなかった。やっぱり大切な日だと沢村は一人頷いて尋ねる。
今日誕生日を知ったから渡すのは少し遅れてしまうけれどと言った沢村は、ただしあまり高くないものでお願いしますと付け加える。部活漬けな毎日を送る男子高校生の懐事情は御幸にも分かる――が。
「そういうのは本当にいらないからいーよ」
「またアンタは……」
「代わりに沢村からキスしてよ」
言えば、みるみるうちに沢村の顔が真っ赤になっていく。
「な、何を突然……!」
「だって俺達、恋人だろ?」
それは先程沢村自身が口にした言葉。恋人ならキスをするのもおかしくない、むしろ自然なことだろう。実際に二人もキスをしたことがないわけではない。ただ。
「いつも俺からしてるだろ。だから沢村からのキスがプレゼント代わり、ってことで」
誕生日だからって何もしなくても良いと言う御幸と、誕生日だからお祝いしたいと言う沢村。お互いの意見の間をとるという意味でも丁度良い話だろう。ついでにお財布にも優しい。
けれどこれは想定外だったのだろう。声に出していなくともその表情で沢村がぐるぐると考えていることは分かる。恋人なのだからおかしなことではないとはいえ、沢村にはまだハードルが高かったか。思った御幸は後輩から視線を外しながら言う。
「まあ、無理にとは――」
「分かりました」
御幸の言葉を遮るように沢村が頷く。驚きに目を開きながら「本当に良いのかよ」と呟く御幸も「アンタが言ったんでしょ」と言う沢村もまだ頬に赤みが残っている。
自分からキスをしたことなんてないから恥ずかしいけれど、無理強いはしないと言おうとした御幸に気が付いて沢村は心を決めた。お付き合いをしているのだから当然沢村も御幸のことが好きだ。沢村も誰かと付き合うなんて初めてでなかなかこういったことは行動に移せないのだが、御幸が、好きな人がそれを望むのなら。
「じゃあ目瞑ってください」
見られてたらやりづらいと暗に伝えれば御幸は静かに瞼を落とした。やっぱりカッコいいんだよな、と恋人の顔を見て思った沢村は少しだけ背伸びをして自分も目を閉じる。
そして、お互いの唇が触れ合った。
ほんの一瞬、だけどこれが今の沢村には精一杯だった。徐に開かれた瞳に映るのは愛しの人。
「誕生日、おめでとうございます」
まだ言っていなかった一番大切な言葉を沢村は口にする。二人の距離が近いのはキスをするためにその距離を詰めたから。恥ずかしさからか沢村は顔を背けるけれど、耳まで赤くなっているのだから全く隠せていない。
「……誕生日も案外悪いものじゃないかもな」
「何今更なこと言ってんスか」
ふわりと笑った沢村に御幸の頬も緩む。最初、この気持ちを理解した時はどうしようかと思ったけれど、やっぱり好きだなと目の前の恋人を見て思う。好きでもなければ男同士でこんな関係にはなっていないのだけれど。
「来年も再来年もお祝いすれば御幸センパイも誕生日を忘れることなんてなくなりますね」
「再来年も祝ってくれんの?」
「当たり前でしょう」
どうして来年は祝って再来年は祝わないと思ったのか。その発言が出てくる時点で相当に愛されているらしい。学年が一つ違う自分達は、再来年には同じ学舎にいないというのに。
それでも会えなくなるわけではないのだから沢村は来年も再来年もこの日を祝ってくれるんだろう。たったそれだけのことに幸せを感じるのは、やはりそれだけ沢村が好きだからというところに落ち着くのだろう。
「俺がまた忘れてもこれからはお前が思い出させてくれるわけね」
「そもそも忘れないようにしてやりますよ!」
年に一度の誕生日。忘れるなんてとんでもない。いずれは誕生日が近くなったら待ち遠しくなるように、というのは流石にないんじゃないかと御幸は否定するけれど「分かりませんよ?」と沢村は笑う。本当にそんな日が来たら、それは間違いなく沢村の影響だろう。
「じゃあ期待しないで待ってるよ」
「ちょっと! そこは期待するとこでしょ!?」
ここはほら、大船に乗ったつもりで! と言う沢村を泥船じゃなきゃ良いけどなと御幸は笑い流す。一つ年を重ねても何も変わらない先輩だ。
昨日の今日で人が変わるわけないというのは正論だが、では一年や二年経てば変わるものなのか。それは沢村の努力次第だろうか。一年後、または二年後三年後の十一月十七日。この日がどう変わるのかは未来のお楽しみ。
十一月十七日
(いつかやってくる未来の今日も隣にはきっとお前がいて)
(毎年アンタの誕生日をお祝いするんだ、ずっと)