時は二月。まだ寒さが残る日々が続いている。
そんな中で、町中に行けばピンク色のハートマークが描かれた物を沢山目にする機会が増える。製菓会社の陰謀かとも思えるようなチョコレートの数々を目にするこの頃。それは、この時期のあるイベントが近いから。
スーパーやコンビニでは、沢山のチョコレートが並んでいる。そう、バレンタインデーはすぐそこだった。
甘い香りに包まれて
板チョコに大きなハート形のチョコ、有名パティシェが作ったチョコレートや手作りチョコキッド。
一歩街に出てみれば、そこにはチョコレート商品の数々が並んでいる。世間でいうバレンタインデーは、好きな人へのチョコから義理チョコ、友チョコに自分チョコと様々な形でチョコレートを渡すイベントだ。
女の子であればこのイベントを期に、と思っている者も居るのではないだろうか。好きな人に気持ちを伝えるには丁度良いイベントのようだから。
「もう、いつまでそうしてるのよ」
頭上から聞こえてくる声に、机に伏せていた顔を上げる。そこには、紙を二つに結い水晶の瞳でこちらを見詰めているクラスメイト兼幼馴染み。クリスが腰に手を当てながら話し掛けてくる。
クリスが言いたい事は分かっている。でも、正直何て答えれば良いのかなんて分からないし、面倒だから投げ出したい。そんなことをクリスが許す訳もないと知っているけれど。
諦めてオレは適当に思いついた言葉を思ったままに並べる。
「今日は良い天気だし、窓際の席って眠たくなるんだよ」
「授業中に寝るのはいけないことよ。アンタ、朝からずっとその調子じゃない」
「いつものことだろ」
そう、クリスの言う通り。オレは朝学校に来てからずっとこんな感じで机に突っ伏している。別に珍しいことじゃないから、他のクラスメイトも特に気にしていない。
クラスの女の子達は、今日というイベントを存分に満喫しているらしい様子を感じつつ、それを気にしないようにただ机に沈んでいた。まぁ、友チョコぐらいは貰ったらお返しはちゃんとしたけど。
あの人にあげたんだ、と話すのは渡し終えた子達。受け取って貰えるかな、とチョコを手にしている子はこれから渡しに行くらしい。そんなことはオレには関係ないけれど。
「もうホームルームが終わったら放課後になるわよ」
ああ、そんな時間になっていたのか。意識していないと時間って分からないものだな。じゃぁ、担任が来て話を聞けば今日も終わりで帰れるんだ、なんて頭の片隅で思う。
そんなオレに気付いたのか、クリスは片手を机の上に勢いよく置いた。加減はしたらしいけど、バンと響いた音に一度視線が集まる。音も発生源がオレとクリスの所だと気付くと、またやっているのかという風に特に気にする者が居ないから良かったけど。
次に出てくる言葉は、予想していたものと相違なかった。今日がバレンタインデーなんて、十分知っているのだから。チョコの話以外にはないだろうと。
「アンタ、まだ渡してないんでしょ? さっさと行って来なさいよ」
「お前もお節介だよな、クリス」
アンタの為に言っているんじゃない、と溜め息混じりに言われる。
オレの為、ねぇ……。
「別に良いよ。クリスや他の子達にも貰えたし」
「良くないじゃない。本命に渡してないんだから」
本命、って言っても向こうは知る訳が無いんだし。渡さなくたって問題も無い。クリス達と交換しただけでも十分このイベントは楽しんでるんだから、オレ自身はこれで良しと思っているのは事実。
ただ、クリスはオレが本命用のチョコを持っていることを知っていて、尚かつ同じクラスだから渡していないことも知っている。だからこんな風に言ってくる。用意したんだから、渡しなさいってことなんだろう。そりゃぁ、オレだって最初は渡すつもりだったけど。
「そんなこと言ったって、アイツ。モテるんだもん」
最初から分かってた事だけど。普段からそうだし、バレンタインになったらそれは多くの女の子からチョコを貰うだろう事も予想出来なかった訳じゃない。
アイツ、運動も勉強も出来て、容姿も良いから。
それで、分かっていても実際に見ると、さ。なんて言うの? もう渡さなくても良いかなとか思ったりする訳で。
「でも、アナタだって作ったんでしょ? 他人は他人よ」
「用意はしたけど、アイツは沢山の可愛い子達からチョコを貰いまくってるんだよ。オレなんか渡さなくたって何も変わらないよ」
何でオレ、自分でこんなこと言ってんだろう。口に出して自分に言い聞かせたいのかな、なんて他人事のように思う。
そうしているうちに担任がやって来て、帰りのホームルームになる。明日の予定を適当に聞いて、終わると同時にさっさと帰ることにする。残ったってろくなことはないだろうから。
…………と思ったんだけど。
「クリスはオレをどこに連れていくんだよ」
終わって帰ろうとした途端、鞄を持ったクリスに腕を掴まれた。そのまま教室から連れ出されて今に至るのだが。
「放っておいたら帰るじゃない」
「それって普通だろ」
学校が終わって帰る。それは誰だって同じだろう。その間に部活などがあれど、後には帰るのだから。
さっきの今でそんな言い訳が通用する訳はないんだけどさ。クリスがオレを連れていく先なんて一つしかない。
「あのさ、クリス」
「何よ」
「本当に渡さなくて良いからさ。ガラじゃないし、やっぱ慣れないことなんてするもんじゃないな」
言って笑えば、クリスに複雑そうな表情をされた。別に嘘なんて吐いてない。今までのは全部偽りのない言葉。ただ、渡さないのは女らしくもない自分に自信がないんだと思う。
そんなことを考えているのもバレているのか、クリスには溜め息を吐かれた。
「そういうのは気持ちが大事なのよ。ほら、行ってきなさい!」
そう言われるのと同時にオレの背を押したクリス。突然の行動に逆らうことも出来ず、気付いた時には既に遅く。
「どうしたんだ」
上から聞こえてきた声に、逃げたい気持ちで一杯だ。別に悪いことをした訳じゃないんだから、逃げる必要なんてないんだけど。今、一番会いたくないと思っていた人物に会ってしまったから。
「いや、その……別にこれといった用はないんだけど…………」
一体これからオレにどうしろっていうのか。視線を後ろに向ければ、頑張りなさいとでも言いたげなクリスの視線にぶつかった。
だけど、この状況をどうすれば良いのか。
「だが、何かあったから来たんじゃないのか?」
何も言わないオレに、目の前の……センパイは尋ねてくる。
そう、このセンパイが所謂オレの好きな人で。家が近かったから昔から時々遊んでくれたりした人。クリスはオレがこの人のことを好きだと知っていて、チョコを渡さないオレを強引にここまで連れてきたんだ。
用なんてないはずだったけれど、ここまで来たらいっそ当たって砕けてしまうべきか。砕けたらダメじゃないかって? そんなこと気にしてたらしょうがない。でも何もなしで帰るにも帰りづらいし。もうこの際、どうにでもなれ。
「……コレ、アンタに渡そうと思って」
鞄から小さな箱を取り出し、それを差し出す。今日と云う日に渡す物が何か、なんてことはセンパイも知っている筈だ。何個も貰っているだろうし。
受け取って貰えるのかという心配をよそに、センパイはすんなりとそれを手にした。珍しいとか、どういうつもりかとか、何か言われると思っていたのに意外だ。
「何だ」
「いや、だって。まさか普通に貰ってくれるとは思ってなかったから」
言えばセンパイは眉間に皺を寄せた。
「お前、嫌がらせに持ってきたんじゃないだろうな……」
「そうじゃないよ! ちゃんと甘さは抑えて作ったし」
「作った、ってお前がか?」
あ、余計なことを言った。まぁ渡しちゃったんだし、今更隠したりする必要もないか。どうせ食べる時に分かることなんだ。
「そうだよ。食えない物じゃないから安心してよ」
「何もそんなことは言ってないだろ」
そうだけど、オレが料理なんて珍しいと思ったからそう言ったんだろうことは分かってるし。どうせ料理なんて似合わないよ。普段から男っぽいって言われるくらいなんだから、自分だって分かってる。
「不味かったら捨てて良いから。他の女の子達にも沢山貰ったんだろ?」
「別にそんなことはない」
「隠さなくても、センパイは朝から人気者だって知ってるけど」
「知らない奴のチョコなんて貰ってどうする」
不機嫌になりつつもそう言ったセンパイの言葉に、オレは疑問を覚える。だって、うちのクラスの子だってセンパイにチョコを渡しに行ったのは知っている。他にも上級生とか色んな人がセンパイにチョコを渡したりしてたのは見た。
でも、センパイは知らない奴のチョコなんてって言った。それって、どういう意味なんだろう。まさか、とは思うけど。
「全部捨てたり、はしてないよな……?」
「そんなことはしていない。いらないものは受け取らないという話だ」
あー成程。つまり渡しに来た子達のチョコレートは全部受け取らなかったっていうことか。それもあれだけど、捨てるよりかはマシか。
……って、あれ。だったら。
「じゃぁ、なんでオレのは受け取ったの?」
単純に生まれた疑問。他の子達から受け取らなかったのに、オレのは受け取った。否、他にも受け取って貰えた子だって居るのかもしれないけれど。その理由が気になって、思わず問った。
「好きな奴からしか受け取る必要ない」
そうか、それで貰ってくれたのか。
…………。
いや、え、ならどうして。好きな奴からって、それってつまり。
「言っておくが、お前以外からは受け取っていないからな」
付け足された台詞に、更に頭は混乱しそうだ。
だって。それはまるで、オレのことが好きって言っているような。
「アンタ、それが嘘なら相当が性質悪いけど」
「オレは嘘なんて一言も言っていない。オレが好きなのはお前だ、ゴールド」
からかっているだけかもしれない、と思って言った言葉はすぐに否定された。それどころか、逆に告白までされてしまう。
「で、でも。アンタには、センパイにはオレよりも良い人が沢山告白してるんじゃないの?」
「告白はされたことはあるが、付き合っている奴は居ない。だからオレはお前を好きだと言っている」
「好きって……けどセンパイは」
「ゴールド」
頭が追いつかなくて、センパイの言うことが信じられなくて。ただ言葉を並べ続けていたら、途中で遮られてしまった。
名前を呼ばれたかと思えば、唇に柔らかい感触が。今度こそ、思考は完全に停止した。
「オレはお前が好きなんだ」
今日だけで三回目となる言葉を、銀色が真っ直ぐにこちらを見て伝える。もう、嘘や冗談で言っているでないことは十分すぎるほどに分かってしまった。
「お前はどうなんだ、ゴールド」
そして尋ねられるオレの気持ち。
オレがどう思っているかなんて、今日、チョコを渡しているってだけで分かりそうなものだけど。義理なんかじゃなく、オレがこの人にチョコを渡したのは本命として、なのだから。
「オレだって、シルバー……センパイの」
つい昔の癖で名前を呼ぼうとして、センパイと付け加えたら、「別に先輩じゃなくて良い」と言われてしまった。 そういえば、この学校に入った頃にも言われたっけ。結局、周りもセンパイって言ってるし他の上級生にはセンパイって言うから、そう呼ぶようになってたけど。
でも、本人が言うのなら良いのだろうか。もう言われるのは二度目だし、多分、オレもこの人もその方が慣れてるから。
「オレも、シルバーが好き」
やっとのことで気持ちを言葉にして、すると「そうか」と言ったセンパイ、シルバーに抱きしめられた。
ここ学校なんだけど、と言う間もなく。もう一度キスをされた。
「帰るぞ」
「え、あ、うん。って、ここ学校なんだけど……!」
「嫌だったのか?」
「嫌、じゃ……ないけど」
「なら良いだろ」
良くないと思うのは、オレだけなのだろうか。幸い、誰も居なかったから良かったけど。
ってか、クリス。オレのこと連れてくるだけ連れてきて帰ったんだな。でも、今回はクリスに感謝しないといけない。クリスが後押ししてくれなかったら、チョコすら渡せなかっただろうから。
「行くぞ」
そう言って先に歩き出したシルバーを慌てて追いかける。
オレンジ色に染まった世界を、二人で並んで歩く。一個上のシルバーとオレでは、男女の差もあって今では背も大分離れてしまっている。でも、普通に隣同士で歩けるのは、きっとシルバーがオレに合わせてくれているから。
そんな気遣いにも嬉しさを感じつつ、二人で一緒に帰り道を行く。幸せに満ちた笑顔いっぱいに。
街がチョコの香りに包まれるイベント、バレンタインデー。
義理チョコ? 友チョコ? 自分チョコ? この日に渡されるチョコの種類は様々。
そして渡した本命のチョコレート。
そのチョコの香りは、私達にも甘い香りを運んでくれた。
Happy Valentine's Day!!