朝、登校中にぶつかってそれが恋の始まりでしたとか。プリントを運んでいたら風が吹いてきて飛ばされた紙を一緒に拾ってくれた彼をとか。お決まりの少女マンガだなと思う。それが悪いとかいうわけじゃないけど、ベタな展開ではある。
 それから、そんな展開は所詮漫画の中の世界だけだと思っていた。オレもついさっきまではそう思っていた。そう、ついさっきまでは。


「ってー……」

「……お前な、前を見て歩け」


 ちょっと用があって出掛けた時のことだ。場所は家からそれほど離れていない角。突然の衝撃は、誰かとぶつかった証だった。それが誰かは角を曲がった時に相手の姿を見ているから分かっている。今の言葉からしても、こんなことを言う奴をオレは一人しか知らない。
 ただ、そこで何か違和感を感じる。違和感を覚えたのはその言葉を聞いた時とほぼ同時だった。アレ、と疑問に思った次の瞬間には言葉を失った。


「は、え、これ。どういうことだよ」


 最初の方はまともに言葉にすらならなかった。だが、辛うじて最後だけはなんとか形になった。どうやらお互いに同じことを思っていたらしい。オレもコイツも固まってしまっている。オレの質問に対しては「こっちが聞きたい」とだけ返事をして。
 先にも話したけれど少女マンガのベタな展開。それは漫画であるからこそなんだ。それがまさか現実にも起こり得ることであるとは、誰が考えるのだろうか。


「いや、でもさ。これって、つまりは」


 状況を判断すべく頭の中を整理しようとする。本当にそんなベタな展開が現実にもありえることであるとすれば。


「オレ達、入れ替わった、ってことか……?」


 それは町のとある角で起こった、非現実的だと思われる現象だった。




アナタのを探して





「人と人が入れ替わるとか、漫画の中の話だと思ってた」


 とりあえずこんな場所でいつまでも話しているわけにもいかないからと、近くだったオレの家に移動した。オレの部屋で二人でどうするかを話し合おうと向き合うが、やはり違和感はある。それも仕方ないのだろうとは思うけれど。目の前に自分がいるのだから、違和感だって当然生まれるというもの。


「そんなことより、どうやったら戻れるかを考えろ」


 金色がキッとこちらを見た。自分に睨まれるとか経験したことないけど、なんていうんだろうな。こういう感じなんだとしか感想の言いようもない。
 自分を相手にしているのは、何もオレだけではなくどっちも同じだ。銀色に見られることには慣れていないだろう。シルバーだって、きっとオレと同じようなことをどこかで思っているだろう。


「考えてるけどなかなか思いつかないんだよ」


 すぐに思いつくなら苦労はしない。戻る方法が分からないからこうして悩んでいるわけだ。


「だが、このままでも困るだろ」

「ならまたこうなった原因と同じことをしてみるとか」

「……ぶつかるということか」


 考えて思いつくことといえば、それくらいだ。大概、漫画とかを見てればこういうものは同じことをすれば元に戻るっていうパターンだろ? これが同じ原理で戻るかは分からないにしても、可能性がゼロとはいえないと思う。元々、こんなことが起こっている自体が漫画みたいなことだし。
 そうはいっても、もっと効率的な方法があればその方が良い。あえてまた痛い思いをしたいとも思わないから。何か簡単に戻れる方法とかないのかな。


「シルバー、なんとか出来ないの?」

「無茶を言うな」


 いくらなんでも、シルバーに戻せっていって戻るわけはないか。諦めて、また戻る方法を考えることにする。
 それにしても、今はシルバーの体なんだよな。やっぱり、いくら男口調だったり男の格好をしていても違うんだっていつも以上に感じる。成長していくに連れて、それをどんどん思い知らされていく男と女の違い。


(体は勝手に成長してくれるからな。オレの意思に関わらず)


 女であることが嫌なわけじゃない。男でありたいとは思っても、これこそ本当にどうしようもないことなんだ。そうである以上は、割り切っていくしかないというのはもう分かっているから。


(シルバーの体なら、コイツの気持ちも少しくらい分からないかな……)


 ふと頭にそんな考えが浮かび、胸にそっと手を当てた。目を閉じて、集中をして見る。けれど、それでシルバーの気持ちが分かることはない。まぁ、当然といえば当然だ。いくらシルバーの体とはいえ、今はオレと入れ替わっている。それでは分かるはずもない。
 でも、シルバーの気持ちを知りたい。だから、無理だと分かっていても試してみたくなってしまう。現実を知って溜め息を漏らすと、自分の女々しさにオレ自身が驚いた。


「おい、ゴールド」


 突然名前を呼ばれて「何」とだけ返すと、シルバーは溜め息を一つ。何なのだろうかと疑問を浮かべつつシルバーを見れば、一呼吸分くらい間を置いてから口を開いた。


「お前はやる気があるのか?」

「あるに決まってるだろ。戻れなかったら困るし」

「それはそうだろうが」


 まだ何か続けたそうに話す様子に「何だよ」と続きを催促する。誰もこのままで良いなんて思いはしないだろう。ここにはオレとシルバーの二人なわけだけど、戻りたいからこうして悩んでいる。それなのに、何でそんな質問をされるのか。


「何がしたいんだ、お前は」


 そうとだけ言ったシルバーに、オレはまた首を傾げた。何がって、だから元に戻ろうとしているわけで。そもそも、シルバーが何に対してそう言っているのかさえオレには理解できていなくて。
 溜め息が聞こえたかと思うと、視線が一点に集まった。そこで漸くシルバーの言おうとしていることが分かった。


「いや、別に……」


 右手に向けられた視線こそ、さっきの言葉の意味。戻る方法を考えているというのに、そんなことをしてどういうつもりなのかってことだろう。
 何がしたいのかと言われても、別にとしか答えようがない。けれど、シルバーの瞳がずっとこちらを見たまま逸らされることはなく。自分の女らしい行動を説明なんてしたくはないけれど、それをさせてくれない。というより、オレはコイツから逃げる術を持っていない。


「これは、お前の体だから」


 シルバーから視線を少し逸らして、小さく口を開いた。けれど、それだけではさすがに意味は通じない。逃げる術を知らないオレは、答える以外に出来ることはない。だから、また一つ、小さく声を繋いだ。


「少しくらい、お前の気持ちも分からないかな……って思っただけ」


 言いながら、オレが恥ずかしくなる。顔が熱くなるのを感じて、頬が赤くなっているだろうことも分かる。そんな表情を見られたくなくて、視線だけではなく顔を逸らした。
 なんでこんなことを話しているのか。女々しいにも程があるだろう。笑いたければ笑えば良い。そんな思考がオレの中で駆け巡る。
 こんなことを言って、シルバーにどう思われたんだろう。何を言われるんだろう。そう思っていると、ふわっと包むような温かさが体を覆った。


「オレにもお前の気持ちは分からない。お前が言葉にしてくれないと、オレに伝わらないからな」


 いくら心を探ろうとしても、その本意を知ることは本人にしか出来ない。それを本人以外の人が知りたいとすれば、形にする以外に方法はないのだ。
 それは分かっているけど、それでもと思ったんだ。これはシルバーの体だからと。結局は無理だったけれど。
 声には出さなかったけれど、オレの言葉はシルバーに通じていたようで抱きしめる腕が少し強くなった。それから、優しく微笑んでオレを見つめて。


「オレはお前が好きだ、ゴールド」


 たった一言。けれど、その言葉に含まれているものは一つだけではない、そんな気がした。そこから伝わるシルバーの気持ちこそが、シルバーの心なんだって分かった。


「お前はどうなんだ?」


 その心が何を思うのか。オレの気持ちを尋ねられる。
 真っ直ぐ気持ちを伝えるのは、恥ずかしかったりする。でも、そうしないと伝わらないことはたくさんあるんだと知った。オレの心は、ここにあるから。


「オレも、好き」


 その一言を伝えるのも精一杯。けど、これがオレの気持ちだからと瞳を逸らさず伝える。「そうか」とだけ言って、シルバーはそのままオレを優しく抱きしめた。

 どこの少女マンガの展開か、体が入れ替わってしまった。お前の体なら、お前の気持ちも分からないかななんて。そこにお前の心がなければ分かるわけがないけれど。
 アナタの心、それはアナタの在る場所に。
 そこに答えの全てはあるんだ。体が入れ替わっていようともお前の心が在るのはお前が在る場所でしかない。だから、早く元の体に戻りたい。そして、もう一度知りたい。

 今度は、アナタの心をアナタ自身の口から。










fin