ありがとうの言葉を
静かに一つの風が通り過ぎる。同時に、木々が揺られる。そんな風景をぼんやりと眺めていると、小さな足音が近付いてくるのが耳に入る。
音に反応するようにそちらを振り向けば、そこには長いポニーテールの少女の姿があった。
「ゴールドさん、お久し振りですね」
ふわりと笑った彼女はゴールドと同じ図鑑所有者の一人。
「イエロー先輩! どうしたんスか?」
こんなところに居るなんて、と続けられた理由は単純。ここがジョウト地方だからだ。イエローはカントー地方に住んでいる為、何もなしにこんな場所に来た訳ではないだろう。
その質問に、ジョウトに住んでいるおじさんに用があってきたんですと説明されて納得だ。イエローの叔父といえば、ゴールドも一応面識がある。
「おじさんは元気っスか?」
「はい。今日もこれから釣りに行くみたいです」
そういえばあの人と初めて会ったのは三十二番道路、釣りも名所と呼ばれる場所だったと思い出しながら「そうなんスか」と相槌を打った。
それで、ワカバにはどうして? と尋ねると、せっかくジョウトに来たから寄ったらしい。ウツギ博士でも訪ねるということかと思ったがどうやら違うようで、ワカバにやって来たのはゴールドに会う為らしい。
「オレにって、何かあるんスか?」
「ボク、まだゴールドさんにお礼をしていなかったので」
「お礼?」
一体何のことを言われているのか分からなくて聞き返す。お礼を言われるようなことをした覚えはない。
何かイエローにしただろうかと直接疑問を投げ掛けると、イエローはクスリと笑って答えた。
「ゴールドさんはピチュを孵してくれくれたじゃないですか」
言われてああ、と思い出した。いや、だがあれはわざわざお礼を言われるようなことでもない。あの時はただ夢中になってタマゴを守っていただけだった。
「そんなことないですよ。ゴールドさんは“孵す者”じゃないですか」
そんなゴールドにイエローは図鑑所有者の能力を挙げた。タマゴを孵すだけ、といってもそれを孵す者であるゴールドがやってくれたからこそだと。
しかし、一方でその言葉を聞いたゴールドの表情が曇る。戦う者、育てる者、所有者全員がそれぞれ持っている能力。みんな凄い能力を持っているけれど、と自分の能力を比較して思うのだ。
「別にオレは…………」
それだけを返したゴールドに、イエローは優しく笑いかける。自分は他の所有者と違って大した能力ではない、なんてことはないのだ。その能力はゴールドだけの、ゴールドにしか出来ない特別なものなのだから。
「ゴールドさんだからですよ。ピチュから聞いたことがあるんです。ピカやチュチュという親がいてもゴールドさんは親みたいな存在だって」
癒す者であるイエローは、ポケモンの怪我を治すこと。それからポケモンの言いたいことが分かる能力を持っている。
後者の能力で、前にピチュから聞いたのだ。ピカもチュチュも、ピチュにとっては大切な両親だ。けれど、それと同じくらい。自分を孵してくれたゴールドのことも親だと思っている。三人共ピチュには親なのだと、そう話してくれた。
「孵す者のゴールドさんはやっぱり特別なんですよ。ボクはゴールドさんにピチュのこと、とても感謝しています」
誰が孵したとしても、そのポケモンを孵したトレーナーも親である。だが、それでもゴールドは特別なのだと。それは他の誰にも真似は出来ないと伝える。
それに、自分だけの能力なんだからもっと自信を持って良いと思うのだ。イエローの能力も他の所有者達とは違ったタイプのもの。癒すことしか出来ないけれど、それで良いと思っている。これは自分にしか出来ないことだから、と。
「ありがとうございます、イエロー先輩」
「ボクは何もしてないですよ」
そんなことないっスよ、とゴールドは笑う。どうやらいつも通りの彼に戻ったようで、イエローも安心する。あれこれ悩んでいるよりこっちの方がゴールドらしい。
「周りが凄い人達ばかりだとオレには何にもねぇよなとか考えちゃうんスけど、ポケモンの孵化の手伝いをする。オレの能力もポケモンを助ける、ポケモンの為になる一つなんですよね」
「はい。素敵な能力ですよ」
能力は比べるものではない。他人は他人、自分は自分だ。みんな違うからこそ、それぞれ特別なのだ。違っていて良いし、己の能力を活かせば良いだけの話だ。
まだ世界を知らない小さなポケモンを新しい世界に導き、色々なことを教える。今までも何匹ものポケモンにそうしてきた。それは誰にでも出来ることではなく、孵す者だからこそ。何も知らない小さな命に多くのことを教えてやれるのだ。
「生まれたばかりのポケモン達に教えることは沢山あるけど、オレが何より一番に言いたいのは“生まれてきてくれてありがとう”って言葉なんです」
無事に生まれてくれて良かった。ここに生まれてきてくれてありがとう。出会ったばかりのポケモンに伝えるのはその言葉。
ピチュがゴールドも親と同じだと思うのは、ゴールドのそういった愛情を受け取っているからでもあるのだろう。オーキド博士に孵す者と呼ばれるだけのことはあるということだ。
「オレにはコイツ等にこの世界を見せてやることしか出来ないんスけど、それで良いんスね」
「それだから良いんだと思います。ボクも同じですから」
「イエロー先輩はポケモンを回復させたり、ポケモンの気持ちが分かったりして凄いじゃないっスか」
「それをいったら、ボクにとってはゴールドさんも凄いですよ」
お互いに言い合って、同時に笑い出した。
同じ図鑑所有者の仲間で、他の所有者とはちょっと違った能力を持つ者同士。けれど自分はそれで良いんだと信じて進んでいくのだ。これは自分にしか出来ないことなのだから。
「では、ボクはそろそろ行きますね」
「またいつでも遊びに来てください。ピチュも喜ぶんで」
二人の足元ではピチュとチュチュが二人で楽しそうにしている。その様子を眺めながら「今度はレッドさんとピカも誘いましょうか」と言うと、ゴールドも「良いっスね!」と同意を示した。ピチュもチュチュも、それにピカも喜ぶだろう。たまには親子三人で会わせてやりたいと、この子達のトレーナーとして思うのだ。
それじゃあまた、と別れてゴールドは自分の小さな相棒に目をやった。それに気付いたピチュが顔を上げると、小さく笑ってその頭を撫でてやる。
「これからもよろしくな、相棒」
言えば元気な鳴き声が返された。
そういえば育て屋に手伝いに来いと言われていたなと思いながら、腰のモンスターボールに手を掛ける。今日もまた新たな命がこの地に生まれるのだ。
fin